帰還円環構造

「調子はどうだ?」


椅子に縛り付けられたままのプレーブはにこやかな顔で機嫌よく聞いた。サーは俯き、言葉を探すように視線を彷徨わせた。


「そう、だな。悪く……は、ない」


「ああつまり別段よくもないんだな? まあなんだってそんなもんだ、気を落とすな」


金の目をくるめかせ、ははは、とプレーブは笑う。サーは恐ろしげに身を震わせた。


「その、なにか要るか? 水を汲んでくるくらいの事はするが……」


「気遣い痛み入る! まあでも必要ない。キャンディーをどうだ? はは、これはもうどっちが世話する側なんだかわからないな」


ぱちぱちと金の目を瞬かせ、プレーブはサーの頭上に飴を落とした。意識外からの衝撃にサーは小さく悲鳴を上げた。プレーブはおかしそうに笑った。


笑いを引込め、口を歪めたプレーブは目を細くしてサーを見る。負担なき支配というのは存在しない。依存は支配か、被支配か。自由意思を与えられることが混じりけのない幸福に繋がるのか。プレーブは飴の包みを拾い上げたサーへ首を傾げ、食べるよう促した。サーは包みを解き、飴を口に入れる。硬い飴は歯に当たり、からころと音を立てた。


「支配者と被支配者はどっちになってもロクなもんじゃない。拘束された当人が自分で自分の面倒を見れるようなら、本当の意味で拘束したとは言えない」


椅子と縄。首を傾げたことで揺れた髪が頬の上を流れていった。戒められた両の手指を組み合わせて、プレーブは言う。


「難儀なもんだ、全くな」





「しかし両手が拘束されるというのは思っていたより不便だな。力の制御がこんなに難しいとは」


テーブルの上でぱらぱらとだまになって捲れる手帳を横目に見ながら、面倒そうにプレーブは言った。


「プレーブ……寝ないのか?」


彼が目を上げると、枕を抱えたサーがおずおずと視線を彷徨わせていた。触れなば落ちる、躊躇うような視線。


「寝ないのかって……ああ、そりゃ眠りはするが、このままでベッドに入れるわけがないだろう。解くつもりがないなら俺は座ったまま寝る。何か不都合があるなら聞くが。……どうなんだ?」


「いや…… 別に……」


抱えた枕に指を埋め、サーは言葉を濁した。プレーブは合点がいったように、ああ、と呟き、面倒そうに首を傾げた。


「……変に遠慮してないでどこでも好きなところで寝たらいいだろう。ああ、でも椅子は蹴倒さないでくれ。洒落にならないからな」


困ったら好きに起こせ、そういってプレーブは片目を瞑る。押し殺したような浅い寝息。床に転がるサーは椅子の足もとで、頭をプレーブの方に向けて丸まっていた。


背を向けない。枕で顔を隠している。体を守るような胎児の寝相。薄青の旋毛は靴の届く距離。プレーブは尖った靴先と西瓜のような頭とを見比べる。


「……怖がりなのかそうでないのか。さて、どっちなんだろうな」





「……プレーブ?」


「ああ、どうした。何かあったのか?」


ガチャン、と金物を撒く音がして、プレーブは訝しげに顔を上げた。部屋の戸口にはまごつくサーと、自分と同じ顔をした男が立っていた。床一面には散乱するカトラリー。


「……なんだ、面倒なことになっているな。サー、ぼさっとしてないで逃げろ」


プレーブは椅子を蹴って立ち上がる。金の目が獰猛に光ると同時に、形を保っていた椅子が緩みばらばらと床に崩れ落ちた。


「な、なにをしたんだ」


「お前が人間を臓物単位で分解する時に使っていた術だ。標本をつくるときにも重宝する……ああ、この話はやめたほうがいいな? しかしまさか椅子にも効くとは、レンジが広くて何よりだ」


体に巻かれた縄はそのまま、散乱したカトラリーを浮遊させ男に向けて飛ばしていく。狙い、放つが躱される。重い匙は男の半歩遅れで壁に突き刺さり、銀の軌跡を残していく。


「当たらないな」


呑気に発された言葉へ、何をしているんだというようにサーが睨む。残弾はゼロ、プレーブは男の方へ踏み込み、蹴りで応戦した。


「……なあ、サー。標本、欲しいか?」


「いっ、要らない……なんでおれが欲しがると思ったんだ……?」


「だよな? 俺もなんで訊いたんだか」


プレーブは目を眇め、頭突きをした。斃れた男へ膝で乗り上げ、プレーブは心臓を抉り潰した。





「椅子を元に戻さないといけないな。少し待っていろ。……いや、うまく組み上がらないな……? どうなっているんだこれ」


目を眇め、ぐちゅぐちゅと弄り回した末に名状しがたい形状の木製オブジェクトを生成し、プレーブは顔をしかめた。その体は縄に巻かれ、生乾きの血に濡れている。


「直す前に元がどんなだったか忘れそうだな…… サー、手の拘束を外してくれ。一度ばらして手作業で組んだ方が早そうだ……」


「そ……の前に、その、なんだ。恰好を何とかしてくれ…… 汚れが……酷い有り様だ……」


プレーブは今気が付いたとでも言うように自分の姿を検めた。


「……ああ、そうだな? 確かにな?」





「機嫌はどうだ?」


「えっ、いや、どうって言われても……」


サーは埃の払われた新品同然の椅子を見るでもなく見た。プレーブの手によって組まれたそれは、あるべきところにあるべきものが納まっていて、思い返す狂乱が嘘のようでさえある。しかし。いくらプレーブが手際よく組み立てていったとはいえ、あの鋲打ち機の立てる、殴りつけるような破裂音に慣れることはないだろうな、とぼんやりサーは考えていた。


「なんだ、返答に困るか? 悪くないなら上々だ」


プレーブの手の中で鋏がしょきしょきと鳴り、器用な指先は正方形の紙から人の形を切り出した。ぱちんと切り離されたそれを半分に折り曲げ、机の上に横たえてからプレーブは金の目を眇める。じわりと光が滲むように瞼の隙間から漏れ、光を受けたそれはゆっくりと立ち上がった。


「……それ、どうなってるんだ?」


くるくると踊りだした紙人形をサーは目で追う。それはプレーブの瞬きに合わせてひらひらと舞い続ける。回転、逆回転、時計回り、半回転。


「んん? 簡単な術式の応用だ。前にやっていただろう。術者の遺産だよ。前の雪像の事といい、どうもこういうことが得意だったらしいな」


術者と聞いて、サーは肩を震わせた。プレーブの金の目がちかりと光る。回っていた紙人形は風にふらつき、そのまま倒れた。


「怖いか? ……術者はお前を殺さないよ。多分な」


プレーブはそういって、倒れた人形を指で起こした。手が離れると、それは力なく反対側へ倒れる。それは再び回り出すことはなかった。プレーブは机の上に残った切れ端を掃いて集め、広げた紙人形を上に乗せると手でぐしゃりと圧した。眇められた金の目がぼんやりと光を放つ。目を開いたプレーブは手の下の紙を指で摘まんで取り上げた。よれてところどころに鋭角の穴の開いたいびつな紙が金の目に晒される。彼は一言、失敗だな、と言った。


「しかし、この紙は一体なんなんだろうな? どの辺も長さが同じ、ぴったり点対象だ。なにか意味があるのか?」


穴だらけの紙はところどころ厚さが変わり、不格好に盛り上がっている。プレーブは指の腹で押し伸ばそうとしたが、醜く変わったそれらが元のように戻ることはなかった。


「さあ……?」


よれた紙にかかずらうのをやめ、ケースの中から新たな紙を取り出して光に透かした。薄っぺらな紙の安っぽい質感とは裏腹に光の透過具合は均質で、これが何らかの目的のためにわざわざ誂えられたものだとわかる。しかし、何のために、の答えは浮かばなかった。


「わからないな。見たところ規格品らしいが、点対称の紙とは奇妙な品だ。……ペンタクルを書くにしたって薄すぎる」


プレーブは紙を半分に折り、手帳に挟んだ。





『何を言っているんだ、ウィル。こんな初歩的なことも知らないのか? 魔術をやるんだろ……いや、覚えてないのか』


『ペンタクル専用の紙なんてものはこの世には存在しない。大体から一般人はペンタクルを自分で書くことはないし、魔術師と呼ばれるような人間だったら誰が決めたかもわからない規格品なんかとても恐ろしくて使わない。規格品を用いる様式の呪術をやる人間は別だが、少なくともこれはそういう目的で作られたものじゃない』


『……いや、ひとつ訂正しよう。ペンタクルを書くために使われることは稀だが、まじないの道具ではあるんだ。効果のほどは知らないが』





「サー? どうした? 顔が青いが……なにか聞こえたか?」


「え……いや、なんでもない。気のせいだ……多分」


俯いたままサーはゆるゆると首を振った。そうか、といってプレーブはそれ以上の言及を避けた。


「……そういえば……その手帳、何が書かれて……いや、ええと、違う。なにを……そう、なにを書いているんだ?」


メンテナンサはプレーブの持つ手帳をさし、おずおずと言った。プレーブは、これか、と言って紙を撫でた。


「前に言わなかったか? 解読の覚書だ。言語の共通部とそうでないところの差が激しくて…… いや、なぜ聞いた? 興味なんてなかったはずだ。何か理由があるんだろう? 術者がなにか言ったか?」


サーはびくりと体を強張らせ、伏し目がちに目を彷徨わせた。


「あっ、ああ…… 何だったかな、ええと、そうだ、手帳の中を見て『統一言語じゃないのか?』と言ったんだ」


おや、と言ってプレーブは目を瞬いた。


「それで、お前はなんて答えたんだ?」


「え、いや、し、『知らない』って言ったら首を絞められた…… いや、首を絞められてから聞かれたんだったかな……」


プレーブは僅かに顔をしかめた。しかしそれ以上の反応はせず、視線は開いた手帳の文字列へ落とされた。閉じていた唇がわずかに開き、それにしても、と呟く。


「……統一言語? ああそうか、話し言葉で書かれてるのか。それで綴りが違うんだな? それならこれは……いや、何だろうな」


ガリガリと何事かを書き付け、プレーブはペンをもった手を顔に当てた。


「半分は解決したが、もう半分は駄目だな、文法が違う。いや、転字のサイファ暗号か? それにしても無茶苦茶だな。どうなっている」



顔を上げたプレーブは、目を二度瞬くと、ああ、と言った。


「今の今まで忘れていたが、そのことで話がある。ちょっと来てくれ」


プレーブは灯りを落とし、廊下の白いパズルへペンライトを向けた。紫の光が白いパズルの表面を照らし、ぼうっと奇妙に光らせる。


「さっきも言った通り、術者の暗号は無茶苦茶だ。見てみろ、サー」


光る文字は『51-21-22-85-55--45-05-55-……』と続いていく。プレーブはそれをガラス越しに指でなぞった。


「見てわかる通り暗号文だ。解読の一例として『ZTUVAD……』まあとにかく意味が分からない。変なのは二循三循していることだが、まあそれはこの際どうだっていい。文の総量からして恐らく一対一の換字式暗号だ。いや、そうじゃないかと睨んでいる。暗号解読表がなければ読めないセンテンスごとのコード暗号は決まったことを書くのは向いているが、様々なものを多様に書き記すのには勝手が悪い。それがひとつ」


術者が人工言語を嗜んでいたというなら話は別だが、とプレーブは口にし、すぐにその仮説を否定した。『物質を解さないクオリアの翻訳は人の身には余る』、そう言ったプレーブに形ばかりの同調をし、サーは続きを促した。



「……この手の文は変換を重ねるごとに安全になる。だが、それには当然利便性を犠牲にして成り立つものだ。読みやすければ解読もされやすい。読みづらいものは安全だが、常用が困難になる。このパズルはどうだか知らないが、手帳に関しては当然読み返す目的で書いたものだろう。覚書をそれとして残しておくのなら解読の目がなければいけないし、書き記しておいた文が読めないようでは本末転倒だ。逆に解読に時間と手間のかかるものをメモ代わりにはしないだろう。術者だって人間だ。人間はせっかちだ、いつまでだってかかずらわっていられる精神体とは違って、使い勝手の悪いツールに時間をとられることを殊更に嫌う」


まあそうだろう、それ自体は不思議なことでも何でもない、と言ってプレーブはライトを消した。気味の悪い色の光は消え、ぼんやりとした暗闇が戻った。サーは黙っている。プレーブは鷹揚に手を広げた。



「さて、中間報告は終わりだ。続けてみるさ、気が済むまでな」





「『時間はたくさんある』。そうだろ?」

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