宵闇の桜

桜月雛

出会い編

第1話 桜咲く

美しく整えられた中庭の、盛りに咲いた桜の花びらがひらひらと風に揺られて舞い落ちる。

それを酒の盃に浮かべて“風流だ”と連呼しているのは、まだ若い東宮とうぐうの話し相手の為に選ばれた貴族の息子たちの集まりだ。

内裏だいりに置いて色とりどりの直衣のうし姿は、天皇の勅許ちょっきょがあって許される。彼らは公家くげの中でも大貴族の公達きんだちなのだろう。

興が乗ってくれば、ぐだぐだと上役の文句を遠回しに呟いたり、どこそこの深層の姫君が美しい琴の音を奏でるだのと噂話で盛り上がり始めるのことも多い。

政治の中枢でありながら、政治とは全く関係のない話をする。その実、次期の天皇である東宮のちょうを得られるのか、誰もが必死である。

堅く二世を誓った相手ですら、政治の前に別れるくらい人の心は移ろいやすいのに、この世界はとても不思議だ。

遠く渡殿わたどのからその様子を眺め、溜め息と共に苦笑する。

「左近さん。尚侍ないしのかみがお待ちよ。どうなさったの?」

呼ばれて、前方を見ると同僚の女房にょうぼうたちが立ち止まって振り返っていた。

今上おかみ勅旨ちょくしを取り次いだり、そのお言葉を取り次ぐ役を担う内侍司の長官である尚侍、その人に私は仕えている。

今上おかみの后である中宮や、その側室たる女御にょうごたちに仕えるのとは違い、今や閑職に近い尚侍では権力争いに巻き込まれることも少ない。決して巻き込まれない訳ではないが、どこか地味でゆったりと時間が流れる職場はお気に入りだ。

「お待ちになって、今参りま……」

言葉を続けようとして、誰かに呼ばれたような違和感にふっと唇を閉ざす。

冷たいけれど暖かい、何か不思議な感覚が背中を駆け抜ける。その出所を見つけようと、視線を先程の貴族たちに向けた。

そこにひとりの公達が立っていた。背も高く、すっきりとした立ち姿。遠すぎてどこの誰とはわからないが、目鼻立ちはとても整っているようにも感じる。

その彼と目が合った。

……気がするだけだ。こんなに遠くて自分を見ているのがわかるなんて、そんなわけがない。

何故か高鳴っていく胸元を押さえ、深呼吸を繰り返した。

左近さこんさん?」

再度呼ばれてその視線を振り切ると。サッと裾を捌き、慌てたように彼女たちについていく。

「どうかなさったの?」

「いえ。何でもありませんわ」

やわらかく微笑んで、ゆるゆると首を振った。

せわしない動作はここでは眉をひそめられる。最初の頃はなれなかったが、時が経つにつれて慣れていくのもだ。

それにしても今のは何だろう?

まさに一瞬の間に感じたのは“恐怖”だ。

どこまでもどこまでも見通されてしまうような、誰しも感じる原始的な恐怖。

あの人は何者なのだろう? 振り返ると、まだあの公達が見ているような気がしてならない。

そそくさと彼女たちの間に紛れ、その場を後にする。

その後ろで桜がザワリと風に吹かれて花びらを零していった。







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