第20話 家族に対しては非常に愛情深いワイマラナーですが、守護意識が高い分排他的な一面もあり、見知らぬ他人に対してはあまり社交的ではありません。
『よかったぁぁーーー!!!
じゃあ、マキシの飼い主も噛んだ理由が足の痛みだってわかって認めてくれたんだね』
「うん! 思い当たる節があったみたいだし、認めざるをえなかったんだと思うよ?
だって、目の前で私がマキシの足を触って噛……」
征嗣くんへの報告の電話の途中、私は慌てて口をつぐんだ。
ドッグラン事件の真相がわかった興奮で、思わずマキシに噛まれたことまで言いそうになってしまった!
余計な心配をかけるようなことは言わない方がいいよね。
もしそれが池崎さんにまで伝わってしまったら、いらぬお節介をした上に変に気を揉ませてうざがられてしまうかもしれないし。
『今瑚湖ちゃん何か言いかけなかった?』
「ううん、なんでもない! それよりも、征嗣くんから池崎さんに伝えてくれるかな? アリョーナの無実が証明されたって」
お店のお客さんとしてしか池崎さんの連絡先を知らない私だもん。
恩着せがましく事件の報告をするのも気が引けるし……。
『それは、瑚湖ちゃんから馨さんに直接伝えた方がいいよ。アリョーナと馨さんのために頑張ったのは瑚湖ちゃんなんだし』
「でも……征嗣くんだって、ランニングの行き先を変えてキャシーやマキシを探してくれたし、ドッグランにも一緒に行ってくれたし……」
『そりゃあ、アリョーナや馨さんのためにって気持ちはもちろんあったけど、俺は一生懸命な瑚湖ちゃんの力になりたいって思ったわけだし。
ランニングだって、いろんなルートを走れて楽しかったし、瑚湖ちゃんとドッグランデートもできたし、毎晩電話で話せたし。
後はお互いにご苦労様でしたってことで、今度お疲れさまデートしてくれたら俺は十分だからさ!』
「お疲れさまデートなんて聞いたことないよー」
征嗣くんとは笑いながら電話を切ったけれど、結局私は池崎さんに連絡することをためらってしまった。
明後日にはまたサークルで会えるし、わざわざ電話で報告しなくても、会ったついでにさらっと伝えた方が池崎さんにも負担に思われなくてすむもんね。
🐶
「そーなのぉ! 事件の真相がわかってよかったわぁ~!」
「やっぱり先生と先生の犬に非はなかったのねぇ」
「こうなったら、おばちゃん達の井戸端ネットワークを駆使して、犬を飼ってる知り合いに事件のことを片っ端から話して先生達への誤解を解かなきゃね!」
「ありがとうございます!……あ、でも、決して噛んでしまった犬が悪い子ってわけじゃないので、そこは誤解のないようにお願いします」
コミュニティセンターの会議室がいつも以上に賑やかに盛り上がる。
池崎さんは今日も遅れてくるそうなので、その前におばさま方に事件の報告をしたのだった。
腕の包帯のことも心配されたけれど、仕事のハサミで誤って傷つけてしまったのだと説明した。
コミセン祭りの展示作品やバザー品を編みながら談笑するおばさま達。
私もバザー用の手袋を編んでいると、ガチャッと会議室の扉のレバーハンドルが回る音がした。
バン!
いつもより乱暴に扉が開く。
その音に驚いて顔を上げると、半袖のYシャツにスラックスというクールビズの池崎さんが険しい顔でまっすぐに私を見据えていた。
「ココちゃん、ちょっと、廊下に出てくれる?」
低い声がより低く響く。
すごく機嫌が悪そうだ。
私、何かやらかしただろうか……。
「は、はい……」
編み針を会議テーブルに置いて、私はそろそろと立ち上がった。
いつもは見せない池崎さんの不機嫌なオーラに、賑やかだったおばさま達もシンと静まり返る。
ドアを手で押さえたまま眉間に皺を寄せた池崎さんの横を恐る恐る通ると、バタンとドアを閉めた彼がスタスタと大股で私の前を歩き出した。
慌てて後を追う歩みに合わせて鼓動が早まり、胸の中をざわざわと不安が駆けまわる。
会議室前の廊下を進み、エレベーターホールに設置された小さな談話スペースのソファに池崎さんが座った。
穏やかさの消えた鋭い目線が私も座るように促している。
正面のソファにおずおずと座ると、膝の上で手を組んだ池崎さんが早速話を切り出した。
「今日の午後、あの事件に関わったワイマラナーの飼い主が僕の会社に訪ねてきたんだ」
「えっ……どうして……」
私がさらっと伝えるつもりだった事件のことを、池崎さんは既に知っている……?
「噛まれたインギーの飼い主さんに僕が渡した名刺から、会社の住所を調べて謝罪に来たんだ。事件の真相がわかって、こちらにも迷惑をかけたって言って。
マキシって子は結局関節炎と診断されて、病院で適切な治療を受けることができたって。ココちゃんが気づいてくれたおかげだって言ってた」
「そうですか。アリョーナの無実も証明されたし、マキシも足の治療が受けられてよかっ……」
「よくないよ!」
池崎さんに荒々しい声でかぶせられて、思わずびくっと体がすくんだ。
「よくないよ……。マキシの足を確かめようとして、ココちゃんが噛まれたんだって?
飼い主さんがお詫びをしたいのにココちゃんが名乗らなかったから、僕に謝罪を伝えてほしいって、菓子折りと治療費の入った封筒を預かったよ」
「あ……」
一番知られたくなかったことを知られてしまった。
眉を寄せて険しい顔を向けている池崎さんから視線を外してうつむいた。
下を向いた私の視界に池崎さんの大きな手が入ってきて、膝に置いた右手のすぐ上に巻かれた包帯にそっと触れる。
「征嗣くんも何か知ってるんじゃないかと思って、ここへ来る前に電話をして聞いたんだ。僕とアリョーナのために、君が毎日のように奔走してくれていたって。
そんなに無理をしなくたって、時間が経てば心無い噂は立ち消えるのに……」
穏やかな声と、そっと触れたままの手の温もり。
包帯越しに池崎さんの指先の優しい感触が伝わってきて、叱られたときのように縮こまっていた心をじわじわと解きほぐしていく。
よかった。
余計なお世話だと咎められたわけではなかった。
池崎さんとアリョーナのために私が無茶をしたことを心配してくれていたんだ。
「この間、アリョーナの走る姿をドッグランで見たときに、本当に美しくて感動したんです。
お散歩だけではあんな風にのびのびと走ることはできないじゃないですか。
アリョーナの無実を証明して、池崎さんにもアリョーナにも一日でも早くドッグランを利用できるようになってほしかったんです。
あの事件の起こったとき、一緒にいたのに私は助けることができなかったから。
むしろ、私を庇って池崎さんが罪をかぶるような形になってしまったから……」
「僕があの場を収めることで、君にあれ以上迷惑をかけないようにしたつもりだったけれど、結局こんな怪我まで負わせてしまった。
本当に申し訳ないと思っているけれど……」
池崎さんが言葉を切ったので、思わず目線を上げた。
澄んだ穏やかな彼の瞳に私の顔が映っていて、トクトクと鼓動が早まる。
触れられた腕が途端に熱を帯びて、体じゅうが熱くなる。
「申し訳ないと思う以上に、ありがたいし、嬉しいと思っている。
本当にありがとう」
アーモンドアイが細められて、白い歯がこぼれる。
その笑顔が見られただけで、もう何もいらないって思った。
それなのに……
「ココちゃんにお礼がしたいんだ。僕にできることなら何でもするから、何かリクエストを言ってくれないかな?」
笑顔のまま、池崎さんが衝撃的な一言を放った!!
「おっ、お礼……!?」
たった今、この笑顔がもらえたらそれでいいって思ってたのに……!
きっと、恋は女を欲深くするのだ。
途端に私の頭の中にはむくむくと欲望が沸き上がってきた。
こんな機会がなければ、絶っっ対に言い出せなかった私のリクエスト。
「じゃ…じゃあ……っ!
今度、私とデートをしてくださいっっっ!!!」
今度はどんな言葉で拒まれるだろう
って覚悟もちょっとはしてたのに、
「そんなことでいいのなら」
柔らかい笑顔のままで、池崎さんは私のリクエストを快諾してくれたのだった。
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