第16話 優しさの中にも威厳に満ちた表情が印象的なインギーですが、感受性が強く繊細な面があります。また多くの運動量を必要する犬種でもあります。
「あっ! 来た来た! 瑚湖ちゃーん!!」
「おはようございます! 池崎さん、征嗣くん、今日はよろしくお願いします。
あ、こちらが私の高校時代からの親友、水谷優希と彼女の愛犬のヒメです」
「よろしくお願いしまーす」
「「よろしく」」
梅雨が明けて蝉の鳴き声が聞こえ始めた七月の終わり。
郊外にあるドッグランの入口で私たち四人はそれぞれの愛犬を連れて集合した。
大型犬のアリョーナとルーク、小型犬のチョコ太郎とヒメ、親子以上に体格の違う四匹が尻尾をゆっくりと振りながらお互いに挨拶を交わす。
山へ向かう林道に入る手前に広がるこのドッグランは、私たちの住む街から車で15分ほどの手近な場所にある。
ログハウス風のクラブハウスの中に入り、受付をすませて芝生のドッグランへ向かう小径に出た。
「夏の間は昼間は暑すぎてお散歩できないし、ドッグランはありがたいですよね」
社交的な優希は、池崎さんや征嗣くんにさっそく話しかけている。
「そうそう。ここは近いわりに自然豊かで広いし、芝生広場は林に囲まれてるから、適度に木陰もあって涼めるしね」
アリョーナの大好きなドッグランだからなのか、外の空気が開放的な気分にさせるのか、いつもクールな池崎さんが今日は少しだけテンション高めだ。
優希にも気さくに応じたりしていていい雰囲気!
今日一日を楽しく過ごせたら、池崎さんともっとお近づきになれるかも。
「しまったー!
ドッグランは大型犬エリアと小型犬エリアに分かれてるんだった!」
ドッグランの出入り口の柵の前まで来た征嗣くんが、突然頭を抱えた。
ドッグランでは体格差のある犬同士の事故を避けるために、大型犬が走り回れるエリアと、小型犬の専用エリアに分けられていることが多い。
つまり、チョコ太郎とヒメは小型犬エリアに、アリョーナとルークは大型犬エリアに、それぞれ分かれて利用することになるのだ。
「征嗣くん、何を今さら。
僕たちは大型犬エリアへ、ココちゃん達は小型犬エリアへ分かれるのは当然じゃないか」
Wデートの意識が皆無の池崎さんは、アリョーナを連れてどんどん中へ入っていく。
「ほら! 思う存分走ってこい!」と池崎さんがリードを外すと、アリョーナは生き生きとした表情でしなやかな躯体を躍動させ、疾風のように駆け出した。
「うわー! ボルゾイって走るのめっちゃ速いね! それにすごく綺麗!」
優希が感嘆の声を上げる中、肩を落としている征嗣くんを私がフォローする。
「ほら! エリアが分かれてるっていっても低い柵を隔ててるだけだよ?
人間は柵の間際に集まればいいんだし、とりあえず中に入ろうよ」
「せっかく瑚湖ちゃんと楽しく過ごせると思ったのに……」
見える、見えるよ、征嗣くん。
あなたの背中に、しょぼーんと垂れさがる黒い尻尾が……。
まさかそこまで落ち込むなんて、ちょっと可愛く思えてくるな。
渋々と大型犬エリアの扉を開ける征嗣くんを苦笑いで見届けてから、私と優希は小型犬エリアに入った。
チョコ太郎もヒメも、リードを外すと弾丸のように走り出した。
先に来ていたワンちゃん達と挨拶を交わしながら、芝生のあちこちを思い思いに探索している。
そんな犬達の様子を見ながら、私たち四人はエリアを隔てる柵を挟んで集まった。
「アリョーナもルークも走るのが大好きなんですね! すごく生き生きしてる」
「そうなんだよ! だからリードをつけて歩く散歩だけじゃ可哀想で、俺らよくこのドッグランに来てるんだ。馨さんともよく会いますもんね?」
「うん。アリョーナは走るのが大好きだから、広いドッグランが近くにあるのはありがたいよ」
柵で囲まれた大きな四角形を二つくっつけたドッグランのど真ん中にいる私たち。
木陰じゃないから強い日差しがじりじりと肌を焼くけれど、池崎さんと一緒にいられる、それだけで私は幸せだ。
真っ黒に焼けようが、暑さで多少汗が出ようが全然たいした問題じゃない!
問題は、この後どうやって取り付く島を見つけるか、だ。
「あ、向こうからすげーかっこいい犬がくる! 瑚湖ちゃん、あの犬なんていう種類なの?」
征嗣くんが指さす方向を見ると、ログハウスから大型犬と中型犬の二頭が出てくるところだった。
「あれは……大きなグレーのスレンダーな犬はワイマラナーで、垂れ耳の中型の子はイングリッシュコッカースパニエルだね! どっちもこの辺ではあまり見かけない犬種だね」
「イングリッシュコッカースパニエル……?」
私の言葉に池崎さんが反応した。
「? どうかしましたか?」
「いや……。ただちょっと嫌な予感がするな……」
表情を曇らせて、何か思案している様子だ。
「悪いけど、僕とアリョーナはちょっとカフェで休んでくる」
池崎さんはそう言うと、突然リードを片手にアリョーナの元へ走って行き、楽しそうに走っていたアリョーナの首にリードをつけると柵の外へ出てしまった。
こちらへ向かってくるワイマラナーと
池崎さん、突然どうしちゃったんだろう?
呆然として見送っていると、「瑚湖!」と小声で優希に小突かれた。
そうだ! これはチャンス!!
「私も喉が渇いたからカフェで休んでこようかな」
わざとらしく上ずった私の声に、すかさず征嗣くんが反応した。
「あ!じゃあみんなで……」
「伊勢山くん、大変っ! ルークがうんちしてるよっ!」
かぶせるように優希が大声をあげてルークの方を指さす。
「えっ! ウソッ!?」
慌てた征嗣くんは備え付けのビニール袋を持ってルークのいる方に走って行く。
「ほら!瑚湖!この隙に!」
「優希、ありがとっ!! 後でなんかおごるねっ」
優希のナイスアシストで、私は遊び足りていないチョコ太郎を強引に抱きかかえ、ダッシュでドッグランを出た。
🐶
「池崎さん、急にどうかしましたか?」
ログハウスの中にあるカフェで椅子に座る池崎さんを見つけ、私はその正面に座った。
「ああ、突然ごめんね」
「気分でも悪くなりました?」
「いや。そうじゃないんだ……」
何かを言い淀んでいる様子だったけれど、少しの沈黙の後、池崎さんが話し出した。
「ちょっと不思議な話をするけれど、聞き流してね」
「? わかりました」
「僕ね、時々未来を暗示するような、不思議な夢を見ることがあるんだ」
「えっ!? 予知夢ってことですか?」
思い出した。
そういえば以前池崎さんに名前を聞かれたときに、“あの夢に出てきたのは君だったのか” って言われたことがあった。
“君が僕のテリトリーに入ってくるのはわかっていた” とも。
それって、池崎さんの予知夢に私が出てきたってことなのかな。
「この間も見たんだけれど、イングリッシュコッカースパニエルが絡んだトラブルが起きそうな夢だった。
ここでその犬に会ったということは、何かトラブルが起こるかもしれない。だからあの犬たちとアリョーナとの接触をなるべく避けたかったんだ」
「そういうことだったんですか……」
池崎さんが頼んだアイスコーヒーが運ばれてきたので、ついでに私もアイスのカフェラテを店員さんにオーダーする。
「ココちゃん、せっかくドッグランに来てるんだから、僕に気を遣わなくていいよ。チョコ太郎を遊ばせてやって」
「実は私も暑くて喉が渇いたから休憩に来たんです。カフェラテ飲んだらまたドッグランに戻ります」
笑顔で池崎さんにそう言うと、池崎さんのアーモンドアイが細くなった。
穏やかで澄んだ眼差しをまっすぐに私に向けて、きれいに並んだ白い歯を見せて微笑んだ。
「ありがとう。ココちゃんのさりげない気遣いが嬉しいよ」
う…っわー……!!
笑顔でっ!
笑顔で “嬉しい” って!!
その一言で、椅子に座った私のお尻がふわふわと舞い上がりそうになる。
もしかして、今、取り付く島に上陸できた!?
そう思ったとき。
「やっぱり外は暑いわねー! マキシも珍しく走りたがらないし」
「ちょっと休憩してからもう一回行きましょ」
さっきのワイマラナーとインギーを連れた40歳前後の女性二人が、タオルで汗を拭きながらカフェコーナーに入ってきた。
それをちらりと見た池崎さん。
顔色は変えず、けれどもアリョーナが不用意に近づかないよう、フックにかけたリードをしっかりと短く持ち直した。
短毛のグレーの毛並みが美しいワイマラナーとウェーブがかった長毛のインギーが、行儀よくお座りしたアリョーナのすぐ近くを通る。
なんだか私まで緊張するなぁ…。
膝の上で抱えていたチョコ太郎をぎゅっと抱きしめる。
すると、抱きしめられたチョコ太郎が喜んで伸びあがり、私の顔を舐めようとした。
「ちょ、チョコ太!今はだめ……」
チョコ太郎の舌から顔をそむけたそのとき――
「キャイイィーン!! キャンッ!キャウンッ……!!」
甲高い叫び声!
突然、ワイマラナーと並んで歩いていたインギーの足取りがおかしくなった。
慌てて椅子から立ち上がる、池崎さんと私。
見ると、
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