第6話 エレガントな見た目のパピヨンですが、性格は意外にも大胆で活発。好奇心が旺盛で知能の高い犬種でもあります。

「あ、君……」


 シャープなアーモンドアイが丸くなる。

 今日の池崎さんは、濃紺にピンストライプの入ったスーツ姿だ。


「あっ、こっ、こんばんは……」


 驚き、困惑、緊張、嬉しさ。

 ごちゃまぜになった私の頭は大パニック!!


 まさか、こんなところで池崎さんに会えるだなんて……っ!


 と、たかぶった瞬間。


「どこかで会ったことあるような……」


 池崎さんのその台詞に、心の中の自分が新喜劇ばりに大コケした。


 えええ~~~!!?

 ドッグサロンのトリマーだっていうこと覚えてないのっ!?

 こないだ名前まで聞いたくせに!?


 ……まあ、お店では髪を一つにまとめてるし、エプロンとTシャツジーンズだから印象多少違うかもだけど……


「あ、私、【ドッグサロン ルシアン】の……」

「ああ!そうだ!」

 今日も私の台詞にしっかりかぶせてくる池崎さん。


「カフェオレ色のトイプードル!」


 二度目の大コケ。

 チョコ太郎の方で思い出すんかーいっ!!


 池崎さんのあまりの私への興味のなさに絶望しかけたときだった。


「名前、ココちゃんだったよね?」


“ちゃん”付けで突然呼ばれた下の名前。

 トクン! と心臓が跳ねた。


「そ、そうです」


 嬉しい……

 名前、覚えててくれた……!

 しかも、下の名前で呼んでくれた!!

「ココちゃん」って!!!!


 無意識に口元が緩んでしまったときに、代表の福田さんが池崎さんに話しかけた。


「先生、このお嬢さんとお知り合い?

 この方、今日は先生にお尋ねしたいことがあってサークルにいらしたんですよ」

「僕に?」


 そのやりとりにハッとする。

 そうだ! 池崎さんがここに来て “先生” って呼ばれてるってことは……

 池崎さんが手編みの講師!?

 しかも、あのサマーニットセーターを編んだ人!?


 驚きのあまり口が半開きになっていた私に、池崎さんが「どういう用件かな?」と尋ねてきた。

 慌てて気持ちを立て直し、本日の目的を伝える。


「私、下のサークルの作品展示スペースで見た水色のサマーニットセーターに一目惚れしたんです。

 問い合わせしたら、あれは講師の先生が作ったものだってお聞きして、それでお話を伺いに……」

「うん、そう。あれは僕が編んだ作品だよ」

「あのセーター、展示期間が終わったら譲っていただくことはできませんか?」


 私の言葉に、池崎さんが苦みを含んだように口角を上げる。

「あれはどうしても譲れない作品なんだ」

「あ、そうなんですか……」


 あれだけ丁寧に編まれた作品だもんね。

 池崎さんの編んだものなら、値が張っても欲しいって思ったんだけどな。


「じゃ、自分で編むことはできますか? あのデザインがとても気に入ったし、編み物なら少しは経験があるので」

「僕のオリジナル作品だから、編み図はないんだよ。

 月に2回のこのサークルに来てくれれば、教えてあげることはできるけど」

「サークル入会します!」


 自分でも驚くほど間髪を入れずの即答だった。


 だって、サークルに入れば定期的に池崎さんに会える!

 話をするチャンスだってあるんだもん。

 むしろ、セーターを譲ってもらうより、その方が断然お近づきになれるような気がする。


「入会してくれるのね! 嬉しいわぁ~!

 これでサークルの平均年齢がだいぶ下がるわね」

「先生もオバチャンやオバアチャンばっかりじゃ、いくら仕事の一環だって嫌だものねぇ~」

「あらやだ、こんな美人ぞろいのサークルなんだから、先生だって毎回楽しいに決まってるわよぉ! ねえ、先生?」


 おばさま方の盛り上がりに、私と池崎さんは返す言葉もなく愛想笑いを顔に貼り付ける。


 それにしても……


「あの、このサークルって池崎さんのお仕事なんですか?」


 今の話で気になったことを尋ねてみる。

 男の人でプロ級の出来栄えのセーターを編むなんて、どういうお仕事なんだろう?

 今日はスーツ姿だし、公民館のサークルの講師ってボランティアじゃないのかな?


 池崎さんは、私の席から一つ空けたパイプ椅子に腰掛けた。

 テーブルの上にバッグを置くと、ふうっと息をつきながら、大きな右手でネクタイをきゅきゅっと押し下げる。

 ボタンダウンのワイシャツの一番上のボタンを外したその指先と骨ばった喉仏に視線が行って、思わずドキドキしてしまう。


「うちは家業で紡績工場をやっているんだ。

 兄貴が四代目を継いでいるんだけれど、僕は糸の研究開発とネット販売部門を任されていてね。

 今はクラフトブームで、オンリーワンの手作り品を持ちたいっていう女性が多いから、自社のネットショップでオリジナルの糸や毛糸を販売していて、それが結構人気が出てきているんだ」


 そう言うと、池崎さんはテーブルに置いたビジネスバッグから、小さなプラケースを取り出した。

 蓋を開けて、味のあるクラフト紙の芯に巻かれた色とりどりの糸をテーブルの上に出していく。


「わあ! 可愛い……!!」

 少し毛羽の立った糸や、でこぼこした糸、毛足の長い糸、ムラ染めやグラデーションになった糸など、個性的な糸がずらりと並んだ。


「これはさっき商談に行った手芸店に持っていったサンプルなんだけどね。

 こういった糸で織物や編み物をすると、既製品にはない表情豊かな作品が出来上がる」

「糸って、ただ縫うだけのものじゃないんですね」

「そうなんだ。毛糸もそうだけれど、同じ毛糸を使って編んでも、編み方ひとつで出来上がった作品の雰囲気は全く違うものになったりするよね?

 この毛糸でこの編み方をしたら、どんな作品になるのか、編んでみないとわからない。

 だから僕は自分でも編み物をするし、サークルの皆さんにモニターとしていろいろな作品を編んでもらって、商品開発の参考にしているんだ」

「そういうことなんですか……」


 だから、池崎さんは編み物が上手だし、こうやってサークルの講師としておばさま相手に教えているんだ。


「君が次回からセーターを編むのに、好きな糸を買って持ってきてもらってもいいけれど、うちの会社のオリジナルヤーンをモニター価格で販売することもできるよ。

 もっとも、元の値段が安くはないから、モニター価格とはいっても手芸店で大手メーカーの糸を買うのとたいして変わらない値段にはなってしまうけど」

「ぜひ、池崎さんの会社の糸で編ませてください! あのセーターと同じものが編みたいんです」

「あのセーターに使った糸は試作品だったから、まったく同じ糸はないんだ。

 あれに近い風合いの糸は次回持ってくるから、その時に好きな色を選んでくれる?」

「はい。わかりました」


 二週間後のサークルが俄然楽しみになってきた!

 池崎さんに会える楽しみと、憧れのセーターを編める楽しみ。

 しかも、池崎さんの作った糸で、池崎さんに教えてもらいながら編めるだなんて!


 この間縮められなかった距離が、編み物のおかげで一気に縮まった気がする。


 すがる藁一本もなかったところに、丸太くらいは流れてきた、かも!?


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