1ー2

「何だか、激しく誤解されている気がする」

 すっかり馬車が見えなくなってから、ラーラはぽつりと呟いた。腕の中にいるシグルドが顔を上げ、ぴくりと耳を動かした。

「さしずめ夫に捨てられた訳あり女って、とこか」

 ラーラが深くため息を付く。

 ずっと話したくてうずうずしていたのだろう。その声は嬉々としていた。

「シグルド、止めてよ」

「何だよ。あの爺さんは、もういないだろ」

「それもあるけど、あんたには遠慮ってものがない」

「なに? あの爺さんが言っていたこと、そんなに気にしているの」

 シグルドが身体を丸め、けたけたと笑う。

「女の一人旅ってだけで、あそこまで話が飛躍したなら、こんな人語を喋る猫を連れていたら、もっと壮大な誤解をしてくれたのになあ。そのほうが都合よかったんじゃない。出戻り女より、魔女のほうがよっぽどいいと思うけど」

「魔女ねえ」

 シグルドの言葉に、ラーラは呆れたような声を出した。確かに魔女は薬や占いの力に長けていて、需要がある。

 魔女であれば、ラーラみたいな適齢期の女性が一人旅をすることに、何の違和感もない上に歓迎されるのであろう。

 しかしそれ故に、魔女の力を利用しようとする輩や金儲けを考える者、酷いものだと人身売買などもおこなわれているらしく、昨今本物の魔女や魔法使いはめっきり数が減っていた。

 ラーラも魔女たちのことを知っているが、それは子どものときに、魔女に会ったことがあるという近所のお婆さんに話を聞いただけで、この目で見たことがあるわけではなかった。

 それに魔女は特殊な職業だ。

シグルドのように人語を話す動物を連れていれば、それらしくは見えるだろうが、所詮は猿真似だ。

魔女とは、なろうと思ってなれるものじゃない。例外はあるみたいだが、魔女は、その身体に流れる魔女の家系の血が、そうさせるのだと、聞いたことがある。

「魔女なんて珍しいから、興味本位で人が寄ってきて面倒よ。すぐに魔女じゃないのなんてばれるわ。私は魔法なんて使えないもの」

「お前なあ、それを利用するんだろう。魔女って触れ込みだけで、人が集まってくるから、巷は自称魔女で溢れているらしいじゃないか。大衆も、本物を見たことがないから、それらしくされたら、騙されるみたいだし」

「そうみたいね。たまに路上で店を開いている人たちって、薬や占いに詳しいだけのただの人だって、話だしね。シグルド、あなた喋れる猫なぐらいだし、本物にあったことがあるんでしょう」

 ラーラの問いかけに、シグルドはにゃーんと、答えた。

 都合が悪くなると、いつもこうだ。

 喋る動物というと、シグルドが言ったように、魔女や魔法使いの使い魔を指す。彼らは人語を理解し、魔女たちの手足となって働いた。猫が一般的だが、蛇やネズミ、トカゲなんかも好んで契約を交わした。使い魔は魔女たちの仕事を手伝う代わりに、彼女たちの力の一部を貰って人間の力を手に入れるのだ。

 使い魔は、魔女と人間を見分ける一つとも言える特徴だった。

 しかしラーラの連れているこの猫は使い魔とは縁もゆかりもない――というと語弊があるが、彼は使い魔ではない。

 シグルドは、元々人間の男だった。とある事情があってこんな姿になってしまったが、猫の姿をした人間なのだ。だから使い魔のように人語を理解し、話をする。

 見た目では使い魔かシグルドのように動物にされた人間かは、素人には判別が付かない。が、一つ両者を分ける違いがあった。それは条件が揃えば、シグルドは一時的にだが、人間に戻れるのであった。

「シグルド、荷物が重いからそろそろ降りてくれない。まさかこのまま町まで行く気じゃないでしょうね」

 ラーラは手にしたトランクの持ち手をカタカタ揺らすと、抗議した。いくら猫とはいえ、ずっとこの態勢は辛い。

「え、もしかして歩けってこと? 俺は猫だぜ。お前の歩幅には付いていけないよ」

「人間に戻ればいいじゃない」

「戻ってどうするんだよ。面倒だろう。今からお前の故郷に帰るんだぞ。俺のことをなんて説明するんだよ。二人で旅をしてきたんだぞ。夫か婚約者だと誤解される。そうなったら、誤解を解くのは大変だ。お前は未婚の女性なんだ。もっと醜聞ってものを気にしたほうがいい」

 しかしシグルドも負けてはいない。あれこれ理由を付けては、ラーラの腕の中に納まり続けようとする。要するに、歩きたくないのだ。

 人間に戻れるのにも関わらず、こうして猫のまま旅を続けていたのも、男女二人旅ということで周囲から受ける邪推やからかいを避ける目的もあったが、すべては楽をしたいが故の行動であった。

「でもずっとこのままってわけにはいかないわ。私は故郷に帰ってきたんだもの。あなたのことだって、ちゃんと説明をしなきゃならない」

「ラーラぁ」

 シグルドが情けない声出す。

 ラーラが腕を緩めると、シグルドが渋々といった様子で地面に降りた。湿った土が手足に付いたことを裏返して目視すると、苦々しい表情を見せた。

 ラーラは片手でポケットを探ると、白い包みを取り出した。リボンを解き、中から一枚のクッキーを摘まむ。香ばしい匂いがふわりと鼻腔をくすぐった。スパイスがたっぷり練りこまれたスパイスクッキーだ。

 スパイスクッキーは昔戦地に赴く兵士の非常食として、家族が持たせたのがはじまりだ。スパイスをたっぷり入れたクッキーは腐りにくく、一口大に作れば食べやすかった。戦士たちはお守り代わりに胸ポケットに入れて、携帯したという。

 その名残か、現代ではラーラのように帰郷や旅行をするときなどに、旅の安全を願って携帯する人が多い。

 このスパイスクッキー今では作る機会が少なくなったが、スパイスの配合も味も各家庭によって異なるので、代々母から娘へとそのレシピを受け継ぐものであった。

 ラーラの母親は残念ながらクッキーを作る習慣がなかったので、このクッキーのレシピは独学で作り上げたものだが、それでも味は折り紙付きだった。

 ラーラはシグルドの目線までしゃがむと、クッキーを差し出した。

「今回はこれで我慢して」

 シグルドにかけられた魔法は非常によくできていた。

 シグルドという男はたいそう美食家な男で、日の食事を何よりの楽しみにしていた。

 そんな彼にかけられた魔法は単純で明瞭なものだった。戻るための条件はただ一つ。彼が美味しいと思う料理を食べること。

 単純な条件だが、シグルドが美味しいと思う、というのが難しい。人の主観なんてものは、曖昧で複雑なものだ。

 例えいくら評判の料理でも、シグルドが美味しいと感じなければ、その料理は無意味なものとなる。はたまた以前美味しいと感じたはずの料理でも、料理の温度や食材の鮮度、旬のものであるか否か、それにシグルド側の体調などが加わって、同じ条件が揃わなければ美味しいと感じないこともある。

 食べている人間の大半が気付いていないことであるが、全く同じ味を提供するというのは、実はとても難しいことなのだ。

 シグルドの舌がそれらの味の違いを感じ取るほど、繊細であればあるほど、その条件はより高度なものとなる。

 何よりの歓びとしていたことが人間に戻るための条件とは、皮肉なものだった。

 最初はそっぽを向いて聞こえない振りをしていたシグルドであったが、ラーラが折れないと見ると、諦めてトコトコと近寄ってきた。

「俺のことはなんて説明するわけ」

「しっ、知り合い」

 ラーラが吃りながら答えると、シグルドは呆れたようにため息をついた。

「もっとましな説明はないわけ。男女二人で帰郷して、知り合いです、なんて誰が信じると思っているんだよ」

「でも恋人でもないし、婚約者でもない。友達って言えるほど親しくしていたわけでもない。だからこれが一番適切な答えだと思うんだけど」

「ラーラ、お前って冷たいのな」

 ラーラは帰郷する前、王宮で女性初の宮廷料理人を務めていた。シグルドは人間から猫になれるという物珍しさもあってか、そこで国王のお気に入りとして飼われていた。

 シグルド曰く、王宮は食の宝庫だ。国中から国王のために最高の食材、最高の料理人が集められるので、シグルドが人間に戻るにはこれ以上の条件の整った場所はなかった。

 自身が口にしたように、こうして二人で帰郷するまで、ラーラはシグルドとそれほど親しくはしていなかった。正確に言うと、シグルドは何かと絡んできたが、ラーラは相手をしていなかったのだ。

 仕事が忙しく邪魔をされたくないのもあったが、国王のお気に入りの猫であったシグルドは、王宮内で目立つ存在であった。そのため下手に関わって目立ちたくないというのが本音だった。

 それにシグルドは女性との浮名が絶えない男であった。暇さえあれば、王宮内の女性に声をかけているのを、ラーラは目にしていた。それも身分や年齢関係なく、下働きの女性から人妻まで手当たり次第といった様子だった。だから信用ならなかったのだ。

 シグルドがラーラに声をかけてくるのは、外で野菜の下ごしらえや皿洗いをしているときが多かった。

 人間でいるときも、猫のようにふらりとやって来ては、ラーラが作業をしている間、独り言とも言える他愛もない話をしては、またふらりといなくなっていた。

 シグルドの会話は、その多くがラーラの作った料理についての話だった。

 王宮では、毎日何百という皿が厨房と広間を行き来する。作ったラーラ本人でさえ、皿が運ばれてしまえば誰が作ったかなど判別は不可能なのに、どうして料理人がわかるのか気になって聞いたことがある。

 思えば、それが最初の会話だったかもしれない。

 シグルドはそのとき、ラーラの野菜の切り方についての癖を指摘した。いくら気をつけていても大なり小なり癖は出てしまうものだが、ラーラはそれが少ないのだという。

 口に入れたときの口当たりがいいと、褒められたのを覚えている。

 そのことが嬉しくて、それからラーラはシグルドに試作の料理を味見してもらうようになった。

 この頃のラーラはまだまだ雑用が中心だった。料理を作らせてもらう機会もそう多くはなく、料理長の許可が出たときのみ広間に出すことができた。

 そのため、野菜くずなどを使っての練習に余念がなかった。運よく食材が手に入った日には、それらを使って様々な料理を試作した。

 最初は人間の姿でやって来ていたシグルドであったが、次第に猫の姿で来ることが多くなった。

 シグルドが人間に戻るための条件を知ったのもこの頃である。

 料理を作る毎に、美味しいと言ってくれていたシグルドであったが、あまりにも彼が褒めちぎるので、ラーラはその言葉を懐疑的に思っていた。

 そのときにシグルドが人間に戻るための条件を教えてくれたのだ。美味しい料理を食べれば元の姿に戻れると。

 目の前でシグルドが変身する姿を見せられては、ラーラも信じざるを負えない。

「でもまさか、ここまで付いてくるほどとはなあ」

 ラーラがシグルドの顔を見つめながらしみじみと言う。くんくんとクッキーの匂いを嗅いでいたシグルドは、顔を上げると鼻先に皺を寄せた。

「急にどうしたんだよ」

「あなたのことよ。いくら私の料理で人間に戻れるからって、何もこんな田舎まで付いてこなくてもよかったのに、と思って」

「わかっていないな、ラーラは」

 呆れたようにシグルドは言うと、スパイスクッキーを口に入れた。猫になったシグルドに合わせて小さめに作られたクッキーは、一口で口の中に吸い込まれていった。

 ぽん、と破裂するような音が聞こえたかと思うと、一瞬にしてシグルドは人間の姿に戻っていた。

 プラチナブロンドの髪が目にも眩しい、一人の男がラーラの目の前に現れた。

 すらりと伸びた長身に、長い手足。端正な女性好きのする甘い顔立ちをした男だった。

 その男――シグルドがこちらを向いて、にこりと笑った。その笑顔には、暗い影のような儚さがあり、はっと惹きつけらえるような魅力があった。それが彼の醸し出す色気となっていた。

 なるほど、とラーラは思った。これでは宮廷中の女たちが彼に夢中になったのも頷ける。

「ラーラ、君の料理は特別だ。僕は数々の料理を食べてきたけど、僕のことをこんなにも幸せにするのは、君の料理だけだ」

 シグルドは歯の浮くようなセリフで、ラーラの料理を褒めちぎった。

 人間になったときのシグルドは、どうしてかすこぶる紳士だ。言葉づかいも丁寧だし、所作も行き届いている。

 猫であったときの悪態はどこへやら、まるで二重人格者のような切り替えの早さである。

「いつものことだけど、人間に戻ると、すごい変わり身ね。調子が狂うわ」

「女性には優しくしなくちゃ」

「猫のときも、そうあって欲しいものね」

「ラーラ、そんなにカリカリするものじゃないよ」

 ふわりとした生暖かい風がラーラにかかる。

 シグルドは大仰な仕草でラーラの手を取ると、その甲に口づけを交わした。

「お礼がまだだったね。お嬢さん、ありがとう」

 芝居がかったその仕草は、彼の美貌も相まって、まるで一枚の絵画でも見ているような気分にラーラはさせられた。

 不覚にもうっとりさせられてしまったラーラは、とあることを思い出しだ。

 しかしあっ、と声に出したときには遅かった。

 小さな破裂音が聞こえ、シグルドは猫に戻っていたのだ。

「あーあ、しばらく人間に戻っていなかったから忘れてた」

 シグルドが悔しそうに額に肉球を当て、呻いた。

 魔法の発動には、リスクや条件が付きものである。

 猫になるのを回避したければ、猫になる条件を満たさなければいいだけの話だ。しかしそれがシグルドには難しかった。

 猫に戻る条件は、女性に触れること。しかも適齢期の女性だけではなく、赤ちゃんから老婆まで女性と呼ばれるすべてが、その対象に入っていた。

 好色家の彼には、それは想像を絶するほどの困難な条件に違いない。人間に戻るのは、味覚という手間暇や、様々な要因に作用される厳しい条件にも関わらず、猫になるのは触れてしまえば一瞬だ。

 詳しい経緯は知らないのだが、シグルドにこの魔法をかけた人間は、彼のことを知り尽くしていた人物に違いない。

 そして彼に強い恨みを抱いていた。

 シグルドにかけられた魔法は、彼の弱点をよく考えられてかけられたものだったからだ。

「これ、よかったら」

 ラーラはもう一枚クッキーを差し出したが、シグルドは力なく首を振るだけだった。

 時間を空ければ効果的かもしれないが、同じ料理を続けざまに食べても、等しい感動が得られるとは限らない。シグルドはそのことをわかっているのだ。

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