オオカミと赤ずきん

 むかしむかし、あるところに、たいそう気の優しい女の子がおりました。


 蜂蜜色の柔らかな髪と、空の青を映した瞳、何とも愛らしい笑顔が印象的な、それはそれは可愛らしい女の子でした。その子は、いつもおばあさんにもらった赤いずきんをかぶっていたので、村のみんなから“赤ずきん”と呼ばれていました。


 赤ずきんの日課は、誰にも内緒で森の向こうのおばあさんの家まで、食べ物を持って遊びに行くことでした。村の大人たちは、森は危ないので入ってはだめだと言いますが、赤ずきんにはおばあさんを一人ぼっちにしておくことなどできなかったのです。


 森には、一匹の、群れからはぐれたオオカミがおりました。


 のろまで臆病なので、群れから追い出されたオオカミは、いつも一匹きりで、あっちへふらふら、こっちへふらふら。食べ物にもろくにありつけずにやせ細って、ずいぶんみすぼらしい姿をしていました。


 ある日、食べ物を求めて人里近くまでやってきたオオカミは、村の猟師がしかけた罠に脚をはさんでしまい、動けなくなりました。

 もともと弱っていたオオカミは、抗うこともせず、ただ横たわって自らの死を待っていました。群れからはぐれた時から、弱い自分は死ぬのだと、わかっていたのかもしれません。


 けれど、オオカミは死にませんでした。


 いつものように、おばあさんに会いに森へやってきた赤ずきんが、オオカミの罠を外して、自由にしてやったからです。


 赤ずきんは食べ物の入ったバスケットにかけていたハンカチを、オオカミのケガをした足に巻いてやりました。そうして、いたくないよ、とオオカミの泥だらけの頭をなでてやりました。


 オオカミは、それはそれはお腹が空いていたので、目の前の女の子が、とてもとてもおいしそうに見えました。けれど、赤ずきんがあまりに優しく自分の頭をなでるので、それが心地よくて、しばらくの間されるがままにしていました。


 赤ずきんは、ふいに思い立ってオオカミをなでる手を止めると、持っていたバスケットからパンをひとつ取り出して、半分に割ってオオカミに差し出しました。


 オオカミは、パンなど食べたことがありません。半分に割られたパンと、女の子とを交互に見比べて、しばらく迷っていましたが、パンからとても香ばしいにおいがただよってくるので、耐え切れずに一口、かじってみました。オオカミには味などわかりませんでしたが、あまりにお腹が空いていたので、残りも全部、口に入れてしまいました。


 赤ずきんはそんなオオカミの様子を見て微笑むと、今度はバスケットから薄切りのベーコンを一枚取り出して、オオカミにあげました。オオカミはあっという間にそれをたいらげると、じっと赤ずきんを見つめました。


 赤ずきんは、困ったように笑うと、オオカミの頭を優しくなでて、またあした、と言いました。そうして立ち上がると、森の奥へと消えてしまいました。


 オオカミは、赤ずきんが歩いていった方角を、ずっとずっと眺めていました。




 次の日も、赤ずきんは森にやってきて、オオカミに食べ物をあげました。その次の日も、その次の次の日も、その次の次の次の日も……。そのうちに、オオカミは少しずつ元気を取り戻していきました。忘れな草の花が咲くころには、すっかりケガもよくなって、また元通り走れるようになりました。


 オオカミのケガが治ってからも、赤ずきんはオオカミに会いに来ました。一人と一匹は、約束などしていないのに、必ずいつも同じ時間、同じ場所で会っては、いっしょに楽しく過ごすのでした。


 ある日は、泥だらけになるまで走り回ったり、ある日は、赤ずきんが花で編んだ冠をオオカミの頭に載せてやったり、ある日は、ひだまりの中でうたた寝をしたり……。オオカミが赤ずきんに、自分の獲った野うさぎを贈ったこともありました。


 赤ずきんはオオカミと遊ぶのが好きで、オオカミも赤ずきんと遊ぶのが好きでした。赤ずきんは、滅多にほえないオオカミが好きでした。オオカミは、赤ずきんが自分をなでる、優しい手が好きでした。ずっとずっと、一人と一匹でいっしょにいるのだと、どちらも思っていました。




 ある日、オオカミはいつものように赤ずきんのことを待っていました。けれど、いつもの時間になっても赤ずきんがやって来ません。オオカミは、日が暮れるまで、ずっとずっと、いつもの場所で待っていました。けれど、どんなに待っても、聞きなれた足音は聞こえませんでした。赤いずきんも、見えませんでした。


 次の日も、オオカミは待ち続けました。日がとっぷりと暮れて、月が顔を出すまで、ずっとずっと待ち続けました。赤ずきんは、やってきませんでした。


 その次の日も、オオカミは待ち続けました。幾度か赤ずきんを呼ぶように、ほえてみましたが、返事はありませんでした。森には誰も、やってきませんでした。


 オオカミはまた、一匹きりになりました。


 それでも、オオカミはいつもの時間になると、いつもの場所で待ちました。そうして、悲しい、寂しい、とほえました。その声はただ他の動物たちを怖がらせるだけで、オオカミはますます孤独になるのでした。




 季節が変わり、木々が色づき始めるころになっても、オオカミはまだ赤ずきんを待っていました。何度か人里近くまで探しにも行きましたが、棒や弓矢で追いたてられて、臆病なオオカミにはとても赤ずきんを見つけることなどできませんでした。


 その日も、オオカミは一匹きりで赤ずきんを待っていました。悲しい、と大きな声でほえました。すると、それに答えるように、いくつものほえ声があがりました。オオカミがかつていっしょに暮らしていた群れが、この森にやってきたのです。


 オオカミは、一匹きりではなくなりました。けれど、オオカミは寂しいままでした。オオカミが会いたかったのは赤ずきんで、自分のかつての仲間たちではありませんでした。


 だから、オオカミは待ち続けました。待って待って、待ち続けました。そうして、とうとう、いつもの時間、いつもの場所で、落ち葉を踏み分ける足音を聞きました。


 足音は、どんどん近づいてきます。オオカミは、嬉しくなって、仲間を呼ぶ時と同じようにほえました。つい待っているのに耐え切れなくなって、駆け出しました。走り寄ってくる赤ずきんの姿が、見えました。


 けれど、次の瞬間、オオカミは倒れていました。オオカミには、なにがなんだかわかりませんでしたが、その体には一本の矢が突き刺さっていました。


 赤ずきんは、泣いています。オオカミの目の前に座って、ただ、泣きじゃくっています。


 どこからか、人間の男が一人、現れました。彼は手に弓を持ったまま、赤ずきんをなだめすかしています。矢を射ったのは彼でしたが、そんなことは、オオカミにはどうでもいいことでした。せっかく会えたのに、赤ずきんが泣いているのです。


 オオカミは、なんとか立ち上がって、赤ずきんの手をそっとなめました。赤ずきんは、以前と同じように、オオカミの頭を優しくなでました。ほんのひととき、幸せな時間が流れました。


 ふいに、オオカミは仲間を足音を聞きました。きっと、先ほどのほえ声に集まってきてしまったのでしょう。オオカミは毛を逆立てて、あっちへ行け、とほえました。赤ずきんは食べ物ではありません。大事な友達なのです。


 けれど、仲間たちは少しずつ、少しずつ、近づいてきます。オオカミはもう一度ほえましたが、仲間たちが止まる気配はありません。


 森が一瞬、静まり返りました。


 そうして、はじかれたようにオオカミたちは駆け出しました。オオカミは、仲間たちめがけて。仲間たちは、赤ずきんをめがけて。


 オオカミは、死にものぐるいでたたかいました。仲間ののどぶえにかみつき、腹をひっかき、自分もかみつかれ、ひっかかれ、血を流しながら、ただひたすら、何も考えずにたたかいました。


 だんだんと、目の前が見えなくなってきました。足もうまく動きません。それでも、かみつかれればかみつきかえし、ひっかかれればひっかきかえして、ただひたすら、仲間の足音が聞こえなくなるまで、オオカミはたたかいました。


 どれくらい、たたかったのでしょうか。もうオオカミの目には何も見えず、耳には何も聞こえませんでした。においをかいでも、血のにおいしかしませんでした。どれだけ体に力を入れようとしても、足も、頭も、尻尾も、まるで言うことを聞きませんでした。


 どうすることもできずに、オオカミが目を閉じようとした時、あの、優しい手がオオカミの頭をそっとなでました。その手はいつもより少し震えていたけれど、オオカミは気になりませんでした。


 優しい手はオオカミをずっとずっとなでていました。その温もりを感じながら、目を閉じたオオカミは、深い深い眠りに落ちていきました。忘れな草の咲くころの、懐かしくて、温かい夢を見ながら。

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