第8話 望まざる再会

 一平と香が村に戻ると、村はにわかに殺気だっていた。そこにはあの鳥越とりごえ城主佐良善宗さがらぜんそうと彼が率いる僧兵百五十もそろっている。

 善宗は一平を見つけるや、またあの能面な顔つきで近付いてきた。

 「相馬一平、この大事にどこへ行っておったのだ」

 相変わらずな物の言い様である。

 「何かございましたでしょうか?」

 一平は努めて冷静に返す。

 「織田がまた動いたのじゃ。わしが放っておいた物見からの知らせによると、今朝松任城を出たそうじゃ」


 善宗は落ち着きを払った一平が気に入らないのか、さらに語気ごきを強める。

 「何か手だてはあるのか、一平っ!」

 これには横から孫一が善宗に食ってかかる。

 「この前の戦だっておら達が戦ったんだ。城からは誰一人出てこなかったでねえか」

 「・・・・・」


 「佐良殿、織田方の兵数はいかほどですか?」

 彼はなおも落ち着いている。

 「この前の倍はおるということじゃ。それに、こたびは違う大将が指揮を執っておるということじゃ」

 「違う大将?・・・」

 一平に一抹いちまつの不安がよぎった。

 「何でも、旗に掲げられた印は違い鷹の羽のもんであったそうじゃが・・・」

 「違い鷹の羽。それでは木村三蔵きむらさんぞう様の隊ではないか・・・」

 急に狼狽うろたえる一平を見て、善宗は言葉を繋ぐ。

 「今ではこちらにも鉄砲が三百丁ほどもある。心配には及ばん」

 一平は宙を見るような眼差しで、佐良善宗を振り返る。


 「佐良殿は何も解ってはおりませんな。相手方の木村殿には軍師ぐんし高瀬右京たかせうきょう殿がついているのでございます」

 「高瀬右京?・・・ その者は優れ者なのか?」

 「私に槍刀の技や、兵法のいろはを教えて下さった方にございます」

 これには、善宗も言葉を失った。

 前回、倍以上の織田軍をいとも簡単に退けた相馬一平が教えをうた師匠であるというのだ。善宗でなくともそれくらいの察しはつく。


 一平は、孫一ら村の若者達に、絶対こちらより戦を仕掛けぬよう堅く言って聞かせた。そして善宗には、虎の子の鉄砲三百丁を預けると、村人らと供に三百人の鉄砲隊を編成させるよう指示をする。この時ばかりは善宗も、彼の言うことを素直に従った。一平は直ちに今回の作戦を練り直しにかかった。

 ところが・・・


 そんな一平の意に反して、織田軍はなかなか白山の里まで一気に攻めてこようとはしなかった。

 鉄砲隊を主とする織田勢およそ八百は、手取川の河原や周りの山をひとつひとつ確かめるようにと進んだ。それが作戦なのか、それとも一向一揆を誘っているのかは解らなかったが、あの戦場となった瀬木野の河原にたどり着くまで三日を費やした。

 そんな織田方の中には、あの一平が語っていた、高瀬右京の姿もある。右京は一向衆との戦より辛うじて戻ってこれた兵から話を聞くと、様々な思いをひとり巡らせていた。


 「では、一向衆の者が鏑矢をつかっていたと申すのだな?」

 「はい、これがその時にわしらの陣に射込まれた物です」

 一人の雑兵が懐より鏃に刺さったままの鏑を右京に手渡す。右京は黙ってそれを掌に乗せた。

 木村三蔵と高瀬右京ら一行は、平坦な広い河原へと辿たどり着いた。

 右京は周りに広がる山々や河原より後方に広がる森を見て雑兵に尋ねる。

 「ここがその瀬木野の河原か?・・・」

 「その通りでございます。高瀬様、何故お分かりになられたのですか?」

 彼はそれには答えず、河原の所々に残る薪の燃えかすを眺める。


 「ここでは篝火をいたと申すのか?」

 「はい、それはもう昼間のように明るく・・・」

 「馬鹿なっ、それでは敵の思う壺ではないか」

 右京はそこに落ちていた矢を拾い上げると、牛淵の向こうにそびえる急な崖の方に目をやった。

 「矢は川の向こう岸より飛んできたと申したな?」

 「はい、その通りでございます。篝火の近くにいた者は、次々と矢で撃たれたのでございます」

 「そして河原より森へと抜けた者達は、鉄砲の餌食えじきになったわけだな?」

 「まことに申し訳ございませぬ」

 生き残った雑兵らはその場にひれ伏し頭を擦り付けた。


 右京は手にしていた矢をぱきりと折ると、その顔に微かな笑みを浮かべた。

 「啄木鳥きつつき戦法を知っておる者が、はたして一向衆の中にもおると言うことなのか・・・」

 彼はもう一度周りの山を見渡した。彼の心の中には、すでにある興味が芽生え始めている。

 それはこのような緻密ちみつな作戦を立て、尚かつ成功に導いた、一向衆の中にいるであろう兵法者ひょうほうしゃのことである。彼は同じ軍師として、是非ともこの兵法者に会ってみたいと思うようになっていた。


 その日、木村三蔵と高瀬右京率いる織田勢八百は、瀬木野の河原で野営をすることとした。

 右京は同じように薪に火を入れ、兵達を河原に分散させた。

 ただ一つ前回と違うところは、その薪や篝火より三軒さんげん以上離れたところに兵達を配置させたところである。こうすることで、太助らからは篝火は見えていても、その火の中に織田の兵を見つけることはできなかったのである。さらに、織田方の鉄砲隊は三軒離れた薄明かりの中でその準備を着々としていたのであった。


 太助は多少の勝手の違いに戸惑いながらも、仲間の弓衆に前回と同じよう散会さんかいする合図を送る。

 彼ら半弓はんきゅうを使う十数人はそれぞれの持ち場へと向かう。暗い夜の闇が永遠に長く続くようにも感じられた。

 次第に太助は、織田の陣に向かって矢を射込んでみたい衝動に駆られた。それは、この前の興奮と矢を射る感覚とがまだ掌に残っていたからでもあったが、同時に太助は一平から堅く言われた約束事も思い出していた。

 絶対にこちらからは戦を仕掛けてはならないと言うものである。

 しかし、太助は目の前で揺れる篝火の炎に吸い寄せられるように、矢を弓につがえた。距離を置いてひかえる仲間達もこれに従う。

 太助は弓の弦を目一杯に引いた。とその時、彼の背後で枝が擦れ合う音がした。


 「誰じゃ?」

 太助は獣でも聞こえぬほどの小さな声で叫んだ。

 音は一度きりで、また元の静寂が辺りを包む。遠くの森では、いつものように梟がほうほうと鳴いている。

 太助は言いようのない恐怖を感じていた。前回大勢の織田軍を目の当たりにしたときとは全く違う、得体rたいの知れぬ恐怖である。


 「うっ!」

 突然、少し離れたところで人のうめき声にも似た声が聞こえた。太助はもう一度声を発する。

 「誰じゃ?」

 言うと同時に、彼は声がした方へと忍ぶように進んだ。

 太助が太い胡桃くるみの木を越えようとした時である、彼の目の前には幾本もの槍の穂先が集まった。その金属が鈍い光沢を放っている。

 織田軍である。

 咄嗟とっさに矢を放とうと弓構えしたものの、彼は背後から背中を何か堅い物で強く打ちつけられると、たちまちその場へと崩れ落ちた。太助は薄れゆく意識の中で、あの一平の顔を思い浮かべていた。


 一方、村では太助らの所在を案じていた。

 「太助さ、牛淵うしぶちの崖に行ったんではないだろうか」

 孫一は、この間の得意そうな彼の笑顔を思い出した。

 「馬鹿な、あれほどこちらからは出向くなと言ったではないか」

 珍しく一平は語気を荒げる。

 「相馬殿、もしそうだとしたなら、すぐにでも助けにまいらねば」

 徳兵衛も気が気ではない。

 しかし、一平は首を振った。

 「恐らくは、もう間に合いますまい。織田軍が、いや高瀬殿が瀬木野の河原に陣を張ったのも、我らを誘き出すためでしょう。ここで彼らを助けに行くは、織田軍にとって思う壺にございます」

 一平は奥歯をにぎにぎと噛みしめる。

 「では、如何するのか?」

 佐良善宗も、今度ばかりは織田勢と一戦を交える覚悟でいるらしい。

 「待ちまする」

 「待って何とする?」

 一平の言葉に善宗は声を張った。


 一平は、そこに集まるすべての者に語りかけるよう、静かに口を開いた。

 「敵の軍師でもあります高瀬右京殿は、けっして無慈悲むじひな方ではござりませぬ。今は拙者を信じ、じっと耐えて下され」

 孫一は星空を睨み付けるようにして、静かに涙を流した。他の者も口には出さない落胆の表情でその場に立ちつくしている。


 しかして次の日、村には弓衆の一人でもある平吾へいごが戻って来た。見たところ何も手傷を負っている様子もない。

 彼は息せき切ってたどり着くと、真っ先に一平の元へと駆け寄る。

 「相馬様、太助達が織田に捕まりましただ」

 「ことを追って話すのじゃ」

 一平は平吾に水を一杯飲ませた。

 「わしらは相馬様の言いつけも守らず、牛淵の崖に様子を見に行ったのです。そこで敵に一人残らず捕まってしまったのでございます」

 「相手は何故、おまえ達の居場所を知っていたのじゃ?」

 「解りませぬ。しかし、音も立てずに一人ずつ捕まったのでございます」

 一平は改めて高瀬右京の恐ろしさを知ることとなった。


 「しかし、何故お前だけ生きて戻ることができたのじゃ?」

 孫一が不思議そうな顔をする。

 「敵のお侍の一人が、お前らの軍師の顔が見たと言って、おらを使いに出したのでございます」

 「その侍の風体ふうていは、色白で背が高く、澄んだ目をしておったか」

 一平は、京で供に時間を過ごした高瀬右京の顔を思い浮かべながら確かめる。

 平吾は目を丸くして驚いた。

 「その通りのお方でございます」

 村の者達は、見る見る血の気を失っていく一平に、ただならぬ気配を感じずにはいられなかった。


 「して、その侍は他には何と」

 平吾は一度つばを飲み込むと、一言一句間違えないように頭でそらんじながら高瀬右京の言葉を伝えた。

 「その方らの軍師をここに参らせれば、この者達の命は一人残らず助けよう。さもなくば、残念だがこの者達を切り捨て、一向一揆の里に攻め入ることになると申しておりましただ」

 「なんと卑劣な。それではあの者達をおとりに使おうというのではないか」

 佐良善宗は、彼が率いる鉄砲隊に出撃の合図を送ろうとする。一平はそれを制すると、さらに平吾に尋ねた。

 「瀬木野の河原で見た織田の兵数はいかほどじゃった?」

 「確かには判りませぬが、およそこの前の倍はいたかと。そのほとんどが鉄砲を持っておりましただ」


 「相馬一平、何を躊躇ためらっておるのじゃ。わしらはたとえこの身体が死んでも、その魂は御仏みほとけの元へと参るのじゃ。潔くいさぎよ戦って死のうではないか」

 善宗は村人らに向かって手を合わせると、「南無阿弥陀佛なむあみだぶつ 南無阿弥陀佛」と唱え始めた。それに呼応するかのように、僧兵達も声を揃える。

 村人達の中には、手を合わせ跪くひざまづ者もいたが、若者達はむしろ、生に向かって目を爛々と輝かせている者が多かった。


 一平は腰に差した刀を孫一に手渡す。。

 「佐良殿、死ぬことはいつでもできまする。しかし、生きることは今この一瞬を繋がぬ限りできぬのでございまする。それに、もし織田勢が攻めてくるのであれば、恐らくはとうにそうしていたに違いありません」

 「相馬殿、どうしても参られるのか?」

 徳兵衛は一平の顔をじっと見つめる。

 「徳兵衛殿、心配はいりませぬ。拙者は死ぬために参るのではなく、生きるために参るのでございます」

 その一平の顔は、何故か晴れ晴れとしているようにも見えた。

 徳兵衛は彼に、かしの木に紺色の房がついた護符ごふを授けた。

 「相馬殿、何卒なにとぞ娘を、香を悲しませないで下さいませ」

 一平は村人らが集まる人波の奥に、一人たたずむ香の姿を見つけた。彼は香に笑みを送ると、白山の里を一人後にした。

 香は一平の姿が見えなくなるまで、ずっとそこに立ちすくんでいた。



 それからまもなく、一平は瀬木野の河原近くに陣取る織田軍の陣の前に姿を現した。

 彼は何の躊躇いもなく、まっすぐに木村三蔵と高瀬右京らが待つ陣幕へと足を運ぶ。

 この時の一平には、一種異様なほどの霊的は雰囲気がかもし出されていたのであろう。それが証拠に、彼を取り囲んだ雑兵達は一歩も彼に近づくことができなかった。

 守備を任された兵の一人が、木村三蔵に相馬一平の来訪を告げる。三蔵は朱塗りのさやをあしらった大太刀を携えると、高瀬右京と供に陣幕の外へと出た。

 陣幕の外には、太助ら村の若者達が、みな後ろ手に縛られて座らされている。

 一平は太助らに駆け寄ると、跪いてその肩を抱いた。


 「相馬様、本当にすまねえだ」

 太助は声を出して泣いている。

 「相馬様?・・・」

 高瀬右京は一向一揆の若者達の肩を抱く男の顔を覗く。一平は右京の方を振り返ると、深々とひとつ頭を垂れた。

 「おぬしは、相馬一平ではないか」

 「はいっ」

 一平は京で高瀬右京に教えをうていた時のような声で返事を返す。

 「まさか、毛受勝照殿の軍を打ち破った、一向一揆の兵法者というのはその方なのか?」

 木村三蔵はその鞘から大太刀を抜くと、一平の鼻の先にその剣先を伸ばした。

 「殿、ここは拙者が・・・」

 すかさず高瀬右京が割って入ると、彼は一転声を出して笑いながら、ふところから鏑のついた鏃を取り出した。

 「この鏑矢もそちの仕業しわざじゃったのか?」

 一平は跪いたまま、視線を右京の顔へと上げる。

 「一平、見事じゃ。よくぞわしの教えをここまで・・・」

 だがしかし、急に右京の顔色が変わった。


 「じゃが、何故そなたが一向一揆の味方なぞしておるのか?」

 「まことを生きるためにございまする」

 「ほう、武士は真とは申せぬか?」

 右京はすでに、あの時の師としての顔をしている。

 一平は太助の肩にそっと手を掛けた。

 「この者達は春に田のあぜを掻き、苗を植えまする。夏には雨を願い風におびえます。そして、秋には稲穂を刈り、収穫に感謝しまする。これが白山の里に住む農民の姿なのです」

 「我ら武士は、その農民達が安心して暮らせる太平の世を、一日も早く創らんとしておるのではないか」

 右京は兵達を見回しながら、さとすように語る。

 「では、何故武士はそれら農民達の家を壊し、実った稲穂を焼くのでございましょうか?」

 一平の言葉に、右京はしばし言葉を失った。

 彼はさらに言葉を繋いだ。


 「高瀬さまは、何のために命をおけになられているのでござりまするか?」

 右京はすっと背筋を伸ばすと、かたわらに控える木村三蔵にも聞こえるように声を発する。

 「我ら武士は己の私欲のために戦はせぬもの。すべては太平の世のため、安土の大殿のために死ぬるのみでござる」

 一平は静かに立ち上がると、一歩右京の方へと近づいた。

 「彼ら農民は死ねませぬ。彼らはいつ何時も、生きるために戦っているのです。我らは生きねばならぬのです」

 横から木村三蔵が口を挟む。

 「一向一揆の者共は、死ぬことこそ本望ほんもうだと聞いておる。死ぬことが御仏みほとけに救われる道であるとな」

 「死ぬことを願う者などこの世にはおりませぬ。我ら武士が、この世を地獄と化し、彼らから生きる希望を取り上げているのでございまする」

 一平はいつの間にか三蔵の前まで歩を進めていた。

 三蔵は抜いた刀をその鞘の中へと納めると、兜のひさしをひとつ目深まぶかかぶり直す。

 「とはいえ、わしらにはわしらの進むべき道がある。その道に立ちはだかる者は、たとえ何人であっても避けて通るわけには参らぬのじゃ」


 一平は、改めて高瀬右京の方を向き直る。

 「拙者は、この里で命を繋ぎ止めることができました。拙者のこの命が尽きるまで、この村で生き、そしてこの村を守る所存でございまする」

 右京は深いため息と供に、一平の眼差しを静かに見つめる。

 「では再び拙者がここへと戻るときは、お互い自分の進むべき道を全うしうる者として刃を交えることになるであろう。一平、わしらはこれより丁度ひと月の後、再びこの里へと戻って参る。よいか、丁度ひと月後であるぞ」


 右京は太助達の縄を解かせると、木村三蔵にひとつ頭を下げた。

 三蔵は采配を右手で大きく振ると、織田の兵達に引き上げの合図を送る。まもなく織田勢は、この瀬木野の河原から一人残らず姿を消した。

 後には、相馬一平と太助ら十数人の若者達が残された。


 それから、村へと戻った彼らは、織田陣中での一平と木村三蔵、高瀬右京とのやり取りを事細かに語り始めた。

 村人らは今まで以上に一平を頼もしく思ったが、同時にやがて訪れるであろう本当の恐怖にもまゆひそめた。

 にもかくにも、一平ら白山の里の一向衆徒らは、二回にも及ぶ織田軍の攻撃を押し返したことには代わりはなかった。

 そしてそれは、手取川に沿って吹く風が、幾分涼しさを増すようになってきた秋の日のことであった。

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