第25皿 生徒会の一員


「いい加減まともな案を出してくれないかしら」

「だからバーベキューやろうって言ってるだろ」

「私の方こそ地域に貢献できるような企画を提案しろと言っているのよ。……あと敬語。……まったく。企画のことといい、敬語のことといい、何度同じことを言わせるのかしら。頭悪いわね」

「……めんどくせぇ」

「何か言ったかしら」

「いいえ、なにも!!」


 機嫌の悪い生徒会長である百々は、理不尽にもミツルに強く当たっている。

 それもこれも、すべて百々自身に責任の所在があるのだが。


 数日前に盗撮事件がひと段落したのもつかの間、新たな議題が浮上してきた。

 というか浮き彫りになった。

 半年に一度生徒会が主導となって学校行事を企画しなければならないらしく、その企画案の提出期限が翌日に迫っているのだ。そもそもどうしてギリギリになってこうも切羽詰まっているのか。理由は明確。個人的な要件である盗撮事件に尽力して後回しにしていたせいだ。

 保科先生も報われない。

 この企画を手伝わせるためにミツルと寧々を生徒会に入れたというのに。

 

「もういいわ。キミのバーベキュー案を保科先生に提出するわよ」

「え、大丈夫なんですか」

「ちょっと待ってなさい。今から書類を作成するから」


 黒縁眼鏡をかけた百々はパソコンにカタカタと文字を入力していく。

 自業自得とはいえ仕事熱心な百々とは対照的に、寧々と美香は会話に参加するどころか議題について何も考えやしない。

 寧々はコロッケパンとクロワッサンとあんパンを食べて満足したのか、机に突っ伏して寝ている。むにゃむにゃと口を動かしているのは、きっと夢の中でも何か食べているから。この食いしん坊め。

 美香は起きてはいるものの、定期テスト対策と称して「ふひひ」とか言いつつ勉強している。教科書と参考書とノートというありふれた組み合わせから一体何を錬成したというのだろうか。

 この二人は生徒会室にいても使い物にならない。


「できたわ」

「はやっ」


 こうもハイスペックな人間がいると、周りが腐って駄目になる。美香が腐っているのは先天的なものがあるが。

 印刷機の電源を入れて提出書類を印刷し終えると、百々がミツルにそれを手渡してたったひと言。


「はい」

「……はい?」


 ミツルは百々の言葉を繰り返すだけで、彼女の伝えようとしていることはわからなかった。

 百々があきれて鼻からゆっくりと空気を漏らす。


「保科先生に提出してきてちょうだい。今すぐに」

「俺が持っていくの!? 持っていくんですか!? 絶対つっぱねられますよ」

「キミ以外に誰がいるというの。喜びなさい、適役よ。……あと、納務さんを連れていきなさい」

「へいへい」


 ミツルは、百々が美香と二人きりになるための提案だと読み取った。

 もちろんその意図もあるかもしれないが、百々の真意はそこにない。

 ミツルと寧々のため――。寧々に応援していると言った手前、何かしらの手助けをしなければと責任を感じている。今回に至っては自分のことは二の次だ。


 ミツルは寧々を起こそうと体を揺する。が、まったく起きる気配がない。

 自分は百々の八つ当たりに踏ん張りながら一生懸命働いているというのに、どうしてこうも隣で安らかに寝ていられるのか。

 腹立たしさが増してきたミツルは、寧々の頬をつねった。


「んにゃ……はむ」

「なっ!?」


 素っ頓狂な声を上げたのはミツルではなく百々だった。

 寧々がミツルの指を食べている。つねられた手を軽く突っぱねたあと、寝ぼけて食べ物と勘違いしたミツルの手を捕まえて、そのまま自分の口へと運んだのだ。

 もぐもぐもぐもぐ――。

 ミツルは体中に走る電撃にあてられて声すら出なかった。

 手に持っていた提出書類が床にひらりと舞い落ちる。

 寧々の唇との接触。軽く骨に響いてくる歯噛みの痛触。指先に絡みついてくるぬくい舌の感触。ミツルの感覚すべてが指だけに集中し、鋭敏になった指が歓喜の悲鳴を上げている。


「ミツルくん、今、感じてたでしょ」

「あ、ああ」

「……うわぁ。ひくわぁ」

「ち、違う!? これは、別に、エロい意味じゃないというか……」


 確かに感じていた。これが食べられるという感覚なのかと。

 もしかすると寧々を『妄想料理クッキング』できない理由はそこにあるのではないのか。寧々は食材ではなく、食す側の人間。そして、今まさに食べられているようにミツル自身が食材なのではないかと陳腐な考えが頭によぎる。

 そんなわけはないと否定するように大きく左右に頭を振った。


「いい加減俺の手ぇ食べるのやめろっ」


 寧々の口から自分の指を引き抜いて、彼女の頭を一発はたこうとする。

 しかしできない。

 引き出された指には食べ物を消化するための唾液がべっとりとついており、寧々の口から糸を引いている。

 ミツルは自分の顔の前でその粘つきを確かめるように、指と指の間をあけたりとじたり。真顔でやっているものだから百々も美香もツッコミどころを見失い、ドン引きして身震いしている。


「あー、先輩、おはようございます」


 ミツルと寧々が糸を引いた涎でつながっている。

 まるで彼と彼女にとって、結ばれし運命の赤い糸のようだ。しかしその涎には色もなければロマンもない。そこにあるのはロマンチックとは程遠いリアリスティックな食欲だけだ。

 しかもその糸はぬぐってしまえば簡単に切れてしまうもの。

 寧々がこしこしと手で唇をこすり、ミツルは持ちあわせのティッシュで手をいた。もうそこに糸はない。


「おはよう。今から職員室行くぞ」

「はーい」


 落としてしまった書類を拾い、ミツルは寧々を引き連れて生徒会室を出ていった。

 何事もなかったかのように平然と出ていった二人に、百々と美香は唖然とするしかなかった。




 職員室前に到着――。

 保科先生に呼び出しされることなく自ら進んでこの地に赴くことになるとは思いもしなかった。

 そういえば職員室に来たのは久しぶりだ。生徒会に入ってこの方一度も呼び出されていない。それまでは怒られに少なくとも三日に一回、多くて一日三回もここに足を運んでいたというのに。

 今思えば、もはや保科先生が自分のことをいているのかと勘違いしてしまうレベルで呼び出されていた。特異質の注意を出汁ダシにしては呼び出され、保科先生の日頃のストレス鬱憤晴らしに付き合うこちらの身にもなってほしい。


 今日は生徒会の一員として職員室に来た。

 そう考えると今日に限っては口うるさいことを言われずにすむはず。何なら褒められてもおかしくはない。この学園のために尽力して働いているのだから。

 そう思うと気分もよくなり、早く保科先生に会いたくなってきた。


 ミツルは職員室の扉を開けた――はいいものの、気が逸って勢いよくスライドさせすぎた。

 スライド限界に達した扉はバンッと轟音を職員室内に響かせる。

 視線のすべてはミツルへ。

 もちろんその中には保科先生のものも含まれるわけで、


「矢吹、貴様ッ!! 扉も静かに開けれんのか!!」


 懐かしの罵声で出迎えてくれた。

 今日はいくら保科先生に怒られようとピリッと程よく効いたスパイスとしか思わないだろう。辛辣な皮肉すらおいしく食べられる自信がある。

 ミツルは胸を張り、保科先生のもとまで歩いていく。

 今日は間合いに入っても大丈夫。


「保科先生、生徒会の一員として提出書類をお持ちしました」

「ほう。すっかり板についているようだな。顔色もよくなってなによりだ」

「寝言は寝て言ってください。体調不良続きでしんどいですよ」

「……ふん。わからんのならそれでもいい」


 顔色は確かによくなっている。

 それはダイエットしていた時と比べて顔に肉がついてきたこともある。あの頃は頬がこけてしまっていた。だが、保科先生はそんなことを言っているのではない。

 ミツルの顔は生き生きとしている。

 特異質で苦しむ日々が少しでも改善されればと思い生徒会に強制的に介入させたことが功を奏した。いや、それよりも前から少しずつ――。

 保科先生は職員室にいっこうに入ってこない寧々に目を向けた。


「何はともあれ矢吹。さっさと書類を渡せ」

「あ、はい」

「……なかなかやるではないか。これは誰の案だ」

「俺です!」

「やはりか。それにしてもこんな駄案をあの白井がよく通したもんだな」

「……はい?」

「おお! いい返事だ。矢吹貴様もこれが駄案だとわかってこれを提出したのか」

「あ、いえ、その」

「なかなかやるではないか。いい度胸だ」

「……まぁこうやって怒られる展開は読めてましたけどね」


 保科先生は書類をぐしゃぐしゃに丸めて足下のゴミ箱に捨てた。


「とにかく提出し直しだ。期日は一週間延ばしてやるからしっかり考え……いや、もう少しで定期試験だったな。……できるだけ早く提出しろ」

「そんなテキトーでいいんだ……」

「……というか矢吹。さっきから普通に私のことを直視しているけど大丈夫なのか」

「ちょっと大丈夫じゃないです。保科先生って脂分あぶらぶん多いんで胃がもたれちゃうんですよねぇ」

「胃もたれとは年寄りめいたことを……って誰が脂分だと!? それは私にデブとでも言いたいのか? ……そうかそうか。少しでも貴様のことを気遣った私が馬鹿だったようだな」

「先生はスタイルいいですよ。先生だってこの前そう自負してたじゃないですか」

「牛だとか熟成だとか肉だとか残り物だとか残飯って言っていただろうがッ!」

「……そこまでは言ってないです。俺、お残しはしないんで」

「じゃあ私がこのまま売れ残ってたら、矢吹、貴様は買ってくれるのか!」

「自分でなに口走ってるのかわかってますか!? とんでもないこと言ってますよ」

「どいつもこいつも馬鹿にしやがって。……こうなったら一生独身を貫いてやる!」

「先生なら買い手見つかりますって。A5ランクの最高和牛ですもん……あっ」 

「わざと言ってんだろ。人の乙女心からかって遊んでんだろ、矢吹ぃ!!」

「ばれましたか?」

「歯ぁ喰いしばれ」


 仕返しついでにからかったら怒られてしまった。

 しかし気分はやはり悪くない。

 職員室に入る直前に思ったように、懐かしのこのやりとりは保科先生というお肉に最高のスパイスをもたらし、皮肉すらおいしく食べられた。

 さすがに腹へのグーパンという食後のデザートはいらなかったが。

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