第11皿 入院した理由は――


 町病院の四人部屋にて、一人の男がベッドで寝ており、一人の女がそのベッドそばの椅子に座ってうつらうつら舟を漕いでは微睡まどろんでいた。


 窓から入ってくるやかましい日差しが男――矢吹ミツルを照らしつけている。

 さすがに耐えられなくなったのか、小さく「んんっ」とぼやきながらまぶしさの中に目を覚ました。顔に刺さる日差しを右手でさえぎって、あたりをサラッと見渡してみれば、明らかに自分の家ではない。

 しかし、ここはいったいどこだ、と疑問に思うことなくして自分が病院にいることを理解した。左腕には点滴がつながれており、ぽたりぽたりと点滴筒内にしずくが落ちる――はずなのだろうが、点滴パックが空になっていた。

 どうやら大地だいちたち不良と喧嘩して、意識を失い病院に運ばれたらしい。


 そして隣には当たり前のように女――納務寧々がいる。

 両頬には絆創膏が貼られていた。ちょろんとひげが生えているようだ。ネコか。


 頭をぐわんぐわんと上下に振っている寧々は本格的に寝入るためか、ベッドに倒れ込むようにして体を預けてきた。ミツルの太ももがちょうど枕に。なんだかちょとむずがゆい。


 体を起こし、なんとなく栗色の髪の毛を手ですく。

 緩やかな癖のある毛は手に引っかかりそうでありながらも、手入れがしっかりと行き届いており、指の間をさらりとすり抜けていく。


「ん、んー」


 ――やばい、起こしてしまったか。

 と思うもそれはどうやら気のせいで、寧々はすぴーと寝息をたてている。

 顔を布団にうずめてしまっていたせいで息苦しくなったのだろう。ミツルの方に向けられた顔は口をむにゃむにゃさせている。

 寧々の顔をよく見ると、唇に青のりがついていた。

 朝食べる日課の焼きそばパンのなごりに違いない。毎日と言っていいほどよくついている。昼休みには消えているのだが。


 ――って朝? 昼?


 時計を探すと、左手の棚にデジタル時計があった。時刻はちょうど12時。


「せんぱーい。おひるごはん、たべますよー」


 寝言だ。体内時計恐ろしや。ウサギか。


 廊下から病院に似つかわしくない騒音が聞こえてきた。ガラガラと台車でも押しているのか。音が少しずつ近づいてくる。

 誰かが病室に入ってきた。ミツルはすかさず寝たふりをする。


「はい、ここに置いておきますねー」

「今日もチンピラ小僧かい」


 ミツルは自分のことかと眉をぴくぴくと痙攣させる。


「おじいちゃん、それを言うならこれは、金平牛蒡きんぴらごぼうですよ。毎度毎度飽きもせずによく言いますね、そのダジャレ」

「歯がないから空気が抜けてうまく言えなかっただけじゃ。ふぉっふぉっふぉ」

「はいはい。だから柔らかくしてありますよ」

 

 ガラガラ音の正体は昼食の配膳車だったようだ。

 給仕担当のおばさんが同室にいる他の入院患者に食事を配膳している。


「矢吹さんまだ起きないんですかー。もうそろそろ入院して一日たっちゃいますよ」


 と、そのおばさんと同時に入ってきた若い女性看護師が、寝ているふりをするミツルに話しかけながら手際よく点滴パックを取り換えた。

 ふう、とひと仕事終えた看護師はカルテに何かメモを取った後、病室をあとにし、それを追うかのように配膳車を引き連れておばさんも出ていく。


「いいにおい!」

「うおっ!? びっくりしたぁ」


 においにつられて寧々ががばっと起きた。イヌか。


「あ、先輩! やっと目が覚めたんですね! おはようございます」

「お前こそ、おはよう。ぐっすり寝られたか?」

「はい、それはもう気持ちよく……ってあれ? 私が言おうと思ってたのに、先輩にさきに言われてしまった。……なぜ!?」


 ハッとした表情を見せる寧々。やはり騒々しい。


「ところでお前さ、学校行かなくていいの?」

「ちゃんと行って、ちゃんと帰ってきたました。早退は不良に与えられた特権です!」

「そ、そっか。特権か」

「それに、誰のために早退したと思ってるんですか。せっかく先生の許可まで取ってきたのに」

「……許可ってなんの」

「早退に決まってるじゃないですか! 先輩の看病にいってきますっていったらオッケーしてくれました」

「よくそんな理由で許してもらえたな」

「保科先生が『自身のケガで通院が必要だったんだな、わかったぞ、さっさと行ってこい』って感じで。なに言ってるのかよくわかりませんでしたけど」


 早退の理由が『お見舞いに行くため』というわけにはいかないだろう。だから根は優しい保科先生がうまいこと早退するための口実を作ってやったのだ。それをわかっていないとは、保科先生も報われない。


「あの人も大変だな」

「ほんとですよ」

「……話の内容理解できてる?」

「ふぁい?」


 欠伸あくびしながら返事した寧々は、両目に涙を浮かべている。うるうるとした涙が日の光を反射させ、瞳の中に星でもあるのではないかと疑ってしまうほど輝いている。交わることのない昼と夜の象徴が生み出した奇跡の産物のようだ。


「じゃあ先輩」

「じゃあってなんだよ」

「看病してあげたお礼に、お昼ごはんください! ……って先輩の病院食ないのわすれてたぁ……」

「忘れてただと? どういうことだ。寝てたから昼ごはん置いてかれなかったんじゃないのかよ? あ、さてはお前、さっき寝たふりしてただろ!? だから病院食ないの知ってたんだろ!?」


 そうだとしたら、髪の毛を触っていたことが――。


「寝たふり? ……え、私、寝たふりはしてませんけど」

「……お前は嘘はいえない性分だから、たぶんそのとおりなんだろうな」

「なんですかそれ! 私のことバカにしてるで――」

「ほら、ヨダレの跡のこってるぞ」

「え、うそ!?」

「さあ? どうだろうね?」


 涎の跡については嘘だ。ちなみに、バカにはしている。嘘ではない。

 だがこれでよし。手の甲でゴシゴシこすったおかげで青のりがとれた。これで病室から出ていくときは、女性としての最低限のたしなみ体裁は守られたということだ。


 ミツルの腹がキュルキュルと鳴った。


「一日近く何も食べてないと、さすがに腹減ったなぁ」

「お医者さん言ってましたよ。ちゃんと食べるもの食べなきゃ死んじゃうって。そもそもどうして入院してるか知ってますか、先輩?」

「そんなのケガしたからに決まってんだろ」

「私たち、痛い思いはしましたけど、後日に響いてくるようなケガは、なにひとつしてないんです。私なんてこんなにピンピンしてるでしょ?」


 確かに言われてみればその通りだ。それではどうして自分だけ入院している。


 寧々がミツルに抱いた第一印象は――ヘ、ヘンタイだッッッ!? 


 ――はいったん置いといて、その他に容姿を見た時に思ったことがある。

 肉付きはあまりよくなくちょっと痩せ気味か。あるいは胸板があまりないせいで痩せて見えるのか。


 つりさげられている点滴パックがミツルの視界の端に入った。

 

「先輩が入院しているのは――栄養失調のせいです」

「なにバカなこと言ってんだよ。確かに食事は節制してたけど、食べるものはちゃんと食べてたぞ」


 頭の中で――。

 痩せ気味に見えたのは頬が少しこけていたから。

 胸板があまりなかったのは筋肉が落ちてしまっていたから。

 頭が『食べた』と錯覚するせいで、体の消化器官も『食べた』と錯覚してしまう。

 そして空腹という概念が心身から消える。

 しかしさすがに、この特異質による力にも限度というものが存在する。当然だと思われるかもしれないが、タンパク質やビタミン、ミネラルといった栄養素を体内で生成できない。完全なる自給自足。これができるのなら動物をやめて植物にジョブチェンジすべき。


 こうしてろくに栄養を摂取しないまま、時には水を飲むこともないまま、ミツルはここ一週間過ごしていた。

 普段なら現実でもしっかりと食事をする。が、今回は不幸なことにダイエット中だった。極上モモ肉のステーキがあろうと白米を食べることはなく、最高級チェリーパイがあろうと脳内の海馬に記憶として冷凍保存するくらい。


「私、先輩がちゃんとご飯食べてたところ一度も見たことないですよ。お昼はまっしろご飯弁当広げるだけでとじちゃうし。どうせおうちでもなにも食べてなかったんでしょ! バレバレですよ!」

「食べてたよ!! ちゃんと自炊もしてるからな!!」


 頭の中で――。

 嘘はついていない。が、心むなしくなるミツル。


「……そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないですか」


 しゅんとなって寧々は顔を伏せる。びっくりして肩を、びくん、と震わせていたかもしれない。そんな気がする。


「ごめん。いきなり大きい声出して」

「そうですよ。ここは病院なんですからね! ちゃんとマナーは守ってください!」

「……はい」


 不良の言うことに返事はしたくなかったが、さっきから大声を出している奴に返事はしたくなかったが、言葉が勝手に口をついたように出ていった。


「罰として今日の食事は点滴だけです!」

「お前と話してたら疲れたから少し寝る」

「はぁ!? 人がせっかく来てあげたのに寝るとか、そんなのなしですよ」

「もともとお前が来たとき、俺寝てただろ」

「確かにそうですけど。起きたんなら私とお話してくださ――」

「おやすみ、寧々」


 と言って、ミツルは寧々に背を向けて布団を頭からかぶった。


「あーほんとに寝ちゃったよ。……ふふ、いいこと思いつちゃった。……こほん。さすがは不良! それも真の不良! かわいい女の子がけなげに看病してあげてるのに寝るんだ。へぇー、ひどいなぁ。さすがは美星学園誰もが恐れる不良だなぁー……これでもダメか」


 不良であることを指摘すれば、文句を言ったり突っかかったりしてくると思った寧々だったが、思い通りにはならなかった。

 それもそのはず。

 ミツルは何を言われようと顔を上げるつもりはなかった。何気なくしれっと自然に無意識にこぼれた『寧々』という名前。恥ずかしさにあてられて、熱を帯びる顔は赤面していること間違いなし。こんな顔を見られるわけにはいかない。


「じゃあ私もちょっと寝よっと」


 寧々は上半身を再びベッドに預ける。

 二人の体はくっついているわけではない。しかし、布団越しだとしても太もも裏あたりに寧々の存在感が熱さとなってひしひしと伝わってくる。これが友達のぬくもりだというのなら、一週間前のようにもう少し人と距離を置いていてもよかったのかもしれない。


 ミツルがこのぬくもりの正体を知るのはまだ先の話である。

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