第28話


 月のない道を、エリーは一人先行して駆けた。エドガーが、レイチェルの異変に気づいているかもしれない。いや、気づいているだろう。エリーにはそんな確信があった。トレヴィシックの一族の中で、当代一と謳われ、先王につけられたエドガー。幼かった頃は、憧れのまなざしでその背中を見つめたものだった。いつかは自分もあんなふうになりたい――そんな思いで鍛錬に励んでいたのだ。しかしその思いは打ち砕かれた。王子につけられたのはいとこのアーノルドで、そしてエドガーは同胞たちにも何も告げずに先王を死なせ、姿を消した。それまで兄弟のように仲のよかったエリックから向けられた不信の目や、エドガーが敵と通じていたのではないかという一族内での噂は、エリーの心をさらに傷つけていた。

 ぶるりと、エリーは体を震わせる。

 もし、エドガーと対峙できるのなら。

 キュセスよ、あなたに感謝します。この機会を自分に与えてくれたことを。

 エリーは心の中で祈った。呪いの唯一の手がかりとして生かされていたエドガー。塔の中に長らく閉じ込められていたにもかかわらず、その狂気は自分の力をも上回ろうとしていた。軽くなった首元を、風がすり抜ける。ジェーンは、自分の告白を聞いて、自分の思い通りの姿でいることを許した。

何としても、直接正したい。

ステュアート邸につくと、エリーはいっそう気配を殺して侵入した。慎重にレイチェルのいる地下室へ向かう。手に、じっとりと汗をかいているのがわかった。そう広くない地下通路を抜けると、みすぼらしい部屋に小さな天灯虫の入れられたランタンが掛けられているのが見えた。エリーは辺りに見張りがいないのを確認して近づく。じゃらりと、鎖と鎖のぶつかる音がした。人の気配がする。それも、複数。息を殺して、奥を伺う。薄暗い部屋の奥に、乱れた長い髪を流し、椅子に突っ伏している女がいる。その髪は、暗がりでもはっきり見て取れるほど、禍々しい赤色をしていた。ぞわりと、総毛立つのがわかる。

呪いの巫女だ。

エリーは、はっきりと認識した。体が、心が、その存在を拒絶する。

これまで、何人もの人間を手にかけてきた。自分と同じような生業の者であったり、それとは逆に無垢な子供であったりと、一筋縄ではいかないことも多々あった。しかしそれとは次元が違う何かが、エリーの心を占めていた。

これまでずっと憎み続けてきた相手。それもある。けれど、それだけではない。自分の信じてきた何かが、無防備にも浸食されるような、そんな心持ちだ。

キュセスの祝福を、失った者。存在するはずのない者。

かつてエドガーの世代が対峙しながらも、その詳細が語られぬまま時が流れたことで、エリーにとっては現実感のない存在だった。しかしそれが今目の前に存在している。

エリックには、偉そうなことを言ってしまった。エリーは自分を嗤った。怖いのだ。竦んだ足は、歩みを止める。

「あなたに、私は殺せないわ」

 弱々しいけれど、きっぱりと、女は言い切る。エリーは思わず、びくりと体を震わせた。

「いや、お前はここで死ぬ。私にここで殺されるのだ。何度現れようと、私がお前の呪いを絶つ」

 続けて聞こえてきた声に、エリーの鼓動が大きくなった。

(エドガー)

 エリーは、短剣に手を掛ける。しかし、体の反応は鈍い。

「やっぱり、私は赤いのね。そして、見えているのは、未来なのね」

 確認するように、女は問いかける。何を言っている、とエドガーは苛立つ声を上げた。

「お前は見紛うはずもない、呪いの巫女そのものだ。その禍々しい赤。呪いの未来を告げる者」

「そう。やっぱりそうだったの。乳母や見張りの兵が、あんまり驚いて逃げていくものだから、わかってはいたのだけど……。物語の中だけだと思っていたわ。でも、呪いの巫女を見たことのあるあなたが言うなら、やっぱりそうなのね。――これではっきりした」

 自問自答をするような声が、確信に変わる。

「私はまだ死なないの」

 エドガーとは逆に、冷めた声で女は言う。

「私も始めは疑ったわ。私の望みが、幻影になって現れているだけなんだって。でも違う。ジェーンは私の望みを叶えてくれる。だから、私はそれに応えて生きる。命数が尽きるまで」

「ジェーン……? 馬鹿を言うな。お前は、人々が恐れ、忌む呪いの巫女。お前の安息の地など、どこにもない。お前はかつて死に際に言ったな。〝私はまた、あなたの前に現れて、あなたの最期を見届ける〟と。もうお前に呪いの連鎖はさせん。ここで消えろ」

 エドガーは素早くナイフを一閃させる。次の瞬間、鋭い金属音が響いた。

「どうして邪魔をする、エリー」

 エドガーは、呪いの巫女を後ろに回し、短剣でナイフを受け止めるエリーを鬼の形相で睨んだ。感情を剥き出しにしてはならないとたしなめたのはエドガーの方だ。それが今や、コントロールできるのか危ういほどに憎しみをぶつけてくる。

「これが、ジェーン様の命だからです」

「セントオールを呪うのが、王妃の望みか」

 腹の奥から絞り出すような声でエドガーは言う。

「こやつは、陛下を亡き者にし、エリック様をも呪った忌まわしき者だ。何をかばう必要がある!」

 じりじりと、エリーは後退する。力だけは、それほど劣っている気はしない。しかしそれ以上に、エドガーの気迫はすさまじい。けれど。

「羨ましかったんですよ、エドガー。先王陛下に、心底惚れられて。だから今だって、エドガーの陛下は、ヘンリー六世なんでしょ? もうとっくに、エリック陛下は大人で、ヘンリー六世は過去の人なのに」

 表情は、殆ど変わらない。だが、一瞬心が揺らいだ。エリーはその隙を見逃さず、ナイフをはじき、懐に飛び込む。エドガーはすんでの所で躱すと、間合いの外に飛び退いた。エリーは深追いせず、レイチェルを背にかばって対峙する。

「ジェーン様は、頑固で融通が利かなくて、そのくせ理想も建前もごっちゃなんです。白黒つけようとするし。もう、ほんとにめんどくさい。でもね、ちゃんと話せばわかってくれるし、身分とか見た目とか置いといて、信じてくれるんです。もう、ほんと目が離せないですよ。悪い虫がついたら、アウトですからね」

「ならば、その呪いの巫女は、排除すべきではないか。王妃にとっては、害悪にしかならない」

「地獄の底までお供しますって、もう誓っちゃったんです。反古にさせないでくださいよ!」

 互いの刃が、拳が、再び交わる。二度目の激突はエドガーが押し返し、エリーは壁に体を打ち付けた。しかし、すんでの所で迫り来る凶刃を躱し、エドガーの懐に入り込むと、鈍ったエドガーの体に容赦なく追撃を加える。しかし、エドガーも、衰えたとはいえ負けじとエリーの動きを封じる。レイチェルは激しく衝突する二人を、見守るでもなく眺めていた。その瞳だけはせわしなく光を映し、レイチェルはそれをたどっていく。

無防備な姿を晒すレイチェルに、エドガーはその刃を向けようとする。しかし遂に武器をはじかれ、転倒させられたところを捕らえられた。捕らえられてもなお、エドガーは逃れようとする。が、人の気配を察して動きを止めた。

「やっぱり、来てくれた」

 二人の後ろで、レイチェルが言う。二人は入り口に顔を向けた。レイチェルの言うとおりジェーンが、供を一人つれて姿を現した。

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