第3話

 春の夜はとかく酔いやすい。

 寒さに抑圧されてきたのが、芽吹きとともに一気に解放され、みな陽気になる。王の住まう居城でも、そんな爛漫の春を祝う宴が開かれ、主立った貴族たちが一堂に会していた。広間には春を祝うために犠牲として捧げられた豚や鶏の肉が、儀式を終えて饗されている。その生臭さを払うかのように、周囲にはセントオールの象徴である、色とりどりのバラが飾られていた。バラの精に愛されている国と謳われるのにふさわしく、この国では一年を通してバラが絶えることなく咲く。その中でも一際、この時期のバラは美しい。それが惜しげもなく飾り付けられていた。中央では負けじと着飾った貴族たちが、ワルツを踊っている。

「レイチェル・ステュアート嬢?」

 呼ばれて榛色の髪の少女は優雅にドレスを翻して振り返る。

「まぁ、モーリス男爵」

「ウォルターでいいと言っているだろう? よろしければ、陛下の御前で一曲お願いできないかな」

 ウォルターは一礼してダンスを申し込む。レイチェルは困ったように微笑んだ。

「私ごときにお相手がつとまるかどうか……」

「君以上の女性など存在しないよ。その間も、すんでの所で邪魔が入った……今日こそは受けて貰えるね?」

「邪魔とは悪いことをしましたね、男爵」

 その声に、ウォルターはどきりと表情を硬くする。

「――ジェーン、君か」

 ジェーンは目を細めて不敵に笑った。

「レイチェル、テレサ様にご挨拶に伺いましょう。あぁ、これは邪魔ではありませんよ。先約です」

 ウォルターは口元を引きつらせた。

「ジェーン、悪いことは言わない。邪魔ばかりしていると、きみ自身の首を絞めることになるぞ。彼女のことは彼女に任せて、きみは自分の伴侶を探すべきだと思うがね」

「ご親切にどうも」

 レイチェルの背を押してウォルターから遠ざけながら、ジェーンは返した。

「残念ながら、ここには貧弱な男ばかりで。そんな輩の毒牙に友人がかかるのが見てられなかったのですよ」

 レイチェルは肩越しにそっと会釈する。ウォルターは去っていく二人の背中を見送りながら、がっくりと肩を落とした。

「ありがとうジェーン、助かったわ」

 レイチェルはほっと息をつく。なんの、と言ってジェーンはテーブルからワインのグラスを二つとった。一つをレイチェルに渡す。レイチェルは礼を言ってグラスの足を両の手で握った。視界に、中央の一段高いところに置かれたテーブルが入る。

「この辺でいいわ、ジェーン」

 ジェーンは足を止めた。

「何、もっと近くじゃなくていいのか?」

 いいの、とレイチェルはいっそうグラスの足を握りしめた。まだワインを口にしていないのに、頬が紅潮する。

「あまり近づくのは、やっぱり恥ずかしいわ。それに……」

 レイチェルの表情が曇る。落とした視線の先にジェーンは目をやって、小さく声を上げた。

「どうしたんだ、それ」

 レイチェルが隠すようにしていた手をどける。腰元のふんわり膨らんだところに、ワインのしみができていた。大きくはないが、ダンスを踊れば目につくところだ。

「またあいつら……」

 ジェーンは吐き捨てるように言う。レイチェルはゆっくりかぶりを振った。

「そういう世界だもの。仕方ないわ」

「でも……」

「これ、使えないか?」

 不意に後ろから声がかかる。二人は同時に振り向いた。がっしりとした体を、その体格に似つかわしくない礼服に包み、他の貴族たちが弱々しく見えるほど黒く焼けた肌の青年がこちらに笑顔を向けていた。美男子ではないが、締まったその表情には凛とした強さがあり、目を引きつけられる。その手には、大ぶりの宝石のついたブローチがあった。その大きさに、二人は思わず息をのむ。

「あとは、あんたらのセンスでうまくやってくれ」

「いいんですか、こんな高価なもの……」

「かまわないさ。困ってんだろ?」

 レイチェルはおずおずとそのブローチを受け取る。レースのハンカチを取り出すとリボンを作り、しみの上にそのブローチで留めた。

「ありがとうございます」

 レイチェルが礼を言うと、青年はひらひら手を振って応える。

「それはやるよ。元々俺のじゃないし」

そう言って、人混みに消えていった。

「……何者だ?」

 ジェーンは敵対心むき出しで、青年の消えた方向を睨む。

「……さあ」

 レイチェルも困惑したように首を振った。

「どなたかしら」

 そういえば、とジェーンは辺りを見回す。その先にはテーブルの中心で会場を見下ろし、側近と飲み食いに興じるエリックの姿があった。普段はあまりに興味がないのでよく見ないが、今度は覚えておこうとジェーンも目をこらす。過日の狩りで質素な服を纏っていたときとは違い、実に堂々とした青年王がそこにいる。衣装を変えるだけでこの変わりようなら、やはり飾りでしかない王だとジェーンは毒づいた。反して、エリックを熱い瞳で見つめるレイチェル。

「あの男のどこがいいのやら」

「まぁ! ジェーンったら。そんなだから、狩りでお会いしてもお顔がわからないのよ。あれほど絵になる王は、大陸中を探してもいらっしゃらないでしょうよ」

 レイチェルの目はきらきらと輝いている。これほど純粋に思われたなら、さぞや王も満足だろうとジェーンは思う。レイチェルのこの純粋さは、何ものにも代え難い宝だ。日頃から彼女に接していて、ジェーンは痛いほどそれを感じる。それは彼女をその容姿以上に輝かせ、多くの貴公子を引きつけている。

「心配しなくても、レイチェルは陛下の一挙一動に怯えなくてもいいんじゃないか。六候最大勢力のステュアート家の令嬢なのだから。他の王妃の候補など、あってないようなものだろう」

「そんなことないわよ。同じ年頃の令嬢はごまんといるのよ。見てよ、周りを」

王のテーブルの周囲には、年頃の貴族の娘たちが集まりだしていた。皆の目的はただ一つ。王主催の晩餐会で王の目にとまり、王妃となることだ。そのためにより近くで、目立つ服を着て王の覚えを良くしようと躍起になっている。

「ジェーンだって、候補なのよ」

ジェーンは鼻で笑った。

「私がか? ありえないな。家の格が違いすぎる」

「わからないわよ?」

 突然、ジェーンの背後から声がかかる。

「ナタリー」

 バイオレットのドレスを揺らして、ナタリーは二人の隣に陣取った。

「どんでん返しが、あるかもしれないじゃない。私は、あきらめてないわ。ほら、あそこにも一人」

 ナタリーは扇を微かに傾け、反対側の一番いい位置から王に熱視線を送っている少女を指した。

「――ヴァネッサ」

「ヴァネッサは当然だろう。ブラッフォード家は、ステュアート家に次ぐ六候の有力者だ。ここで王妃争いに勝って、優位に立ちたいに決まっている。あの気合いの入れよう――」

 三人は、ヴァネッサの髪に視線を注ぐ。船の舳先のような形に結い上げた髪につるバラを這わせている。砂糖菓子かと思ったわ、とナタリーは顔をしかめた。そのヴァネッサが、はっと表情を引き締める。それと同時に、辺りのざわめきもひいた。楽師の奏でるワルツだけが、遠くで鳴っている。テーブルではエリックが、指を洗い、席を立った。テーブルの周囲が、固唾をのんでエリックの進む先を見守っている。エリックは一度辺りをぐるりと見渡すと、迷わず歩を進めた。優雅に、手を差し出す。

「レイチェル・ステュアート嬢、一曲お願いできるかな」

 溜息が、辺りに漏れる。ジェーンは目を細めて二人が広間の中央に出て行くのを見送った。

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