第16話 ふたりの女神

「オー、すばらしいデース!」


 次の日の朝、まだ開店には一時間ほどある『ぱらいそ』の店内を、美織と奈保の案内で見て回るヒルは大袈裟に感嘆の声をあげた。


 あれから鉄織所蔵のロールスロイスにも負けないリムジンに乗り、報道陣を引き連れて帰ってきた奈保と婚約者のヒル。当然、辺りは騒然となり、一夜空けた今もビルの周りには大勢の報道関係者が、世界一の大金持ちと世紀の玉の輿を成し遂げた女性のアツアツっぷりを撮らえようと様子を伺っている。


 とは言え、当の本人たちはまったく気にした様子もなく、その振る舞いは自由奔放。


 今朝のスポーツ新聞の芸能欄にも、リムジンから降りたヒルが周囲の目も構わず奈保の腰に腕を回している写真がでかでかと載っていた。

 加えて見出しの「すごい大物、ゲットしてきたよー」「ゲットされたのデース」はふたりが出迎えたぱらいそのみんなに発した第一声である。


 うん、自由すぎる。


 そんな馬鹿ップルなふたりを奈保の部屋で一緒に寝泊りさせては、年頃なぱらいそスタッフの教育上よろしくないことが起こってしまうことは想像に難くない。だからヒル用の部屋を別に用意したまでは良かったのだが。


「あのふたり、みんなに見られているのによくもまぁあんなにイチャイチャ出来るよね」

「なっちゃん先輩はああいう性格だから分かるけど、あのヒルって人、本当に世界一の大金持ちなのか?」

「杏樹には単なるエロオヤジにしか見えないですよ……」


 一夜経って報道陣に馴れたのか、あるいは別々の部屋での寝泊りにフラストレーションが溜まっているのか。

 ふたりのイチャイチャはさらにエスカレートし、ヒルの手は腰から尻に、奈保も胸を腕を押し当てるように抱きついて、ことあるごとに唇を交し合う姿をぱらいそのみんなや、店の外でカメラを構え、中の様子を伺う報道陣に見せつけるのであった。


「おにぃは見ちゃダメ!」

「ちょ、かずさ。目隠しするの、やめてよ」

「いや、司君には刺激が強すぎるさかい、かずさちゃんの行動は正しいなぁ。今はどこで誰に見られるか分かったもんやないし、下手に変なものを固くしてるところを撮られたりしたら正体がバレてしまうやん」


 久乃の言葉に思わず兄の股間を凝視するかずさに「そんな固くなんかしてませんよぅ」と顔を真っ赤にしてスカートの上から押さえる司。


 久乃の言うことはもちろん冗談ではある。が、かずさや杏樹ら一年生組は言うに及ばず、葵やレン、久乃すらも奈保たちの振る舞いには思わず顔を赤らめてしまう。


 唯一まともに受け止められているのはヒルの案内役を務める美織。

 そしてみんなから少し離れたところで観察している黛だけであった。


 その黛から見て、店内を見て回るヒルの反応は大袈裟ではあるものの、決してお世辞や偽りには感じられなかった。

 稀代の天才プログラマーにして、大金持ち。しかし同時に部類のゲーム愛好者ゲーマーとして知られるヒルである。時折ソフトを手にしては美織となにやら熱い会話を交わしているあたり、本当にゲーム好きなのだろう。


 心から今の時間を楽しんでいるように見える。

 しかし、そうは言ってもさすがに美織の目論み通りに行くのは難しいだろうとも思えた。


 相手はああ見えても世界の頂点に位置する人物だ。

 そう簡単にこちらの話に乗ってきてくれる輩ではない。


(しかし、機を見て上手く話を持ち出せば『ぱらいそクエスト』に力ぐらいは貸してくれるかもしれませんね……)


 淡い期待とは思いつつも、黛は願わずにはいられなかった。




「いやー、久しぶりにゲームショップを堪能しました。やはりソフトに囲まれているのはいいものデス」


 特にこの日本では苦戦している『ばってん』シリーズもしっかり品揃えされているのが素晴らしいと、ヒルは満足気な笑みを零した。


「まぁね。ゲームショップは品揃えが命。そこは自信を持ってるわ」


 ヒルの反応に美織もまんざらではなさそうな表情で答える。


「加えて美織サンをはじめとした、店員の皆さんがメイド姿なのも萌えマース!」

「萌えってまた変な言葉を知っているのね、あんた」


 苦笑する美織をよそに、ヒルはしかし言葉を続ける。


「そして何と言ってもこのゲームショップでは奈保がこの衣装で働いているのでショウ? 無敵ではありませンか!」


 最高デースと諸手をあげ、これでもかとばかりに胸元を開けたジャパニーズメイドスタイルの奈保に抱きつこうとするヒル。


「んー、ダーリン、それはちょっと違うヨ」


 それを奈保は笑顔で押し留めると、そりゃと突然メイド服を脱ぎ捨てる。


「じゃーん! 夏のなっちゃんは『冷やしなっちゃん』モードで水着姿なのだっ!」


 メイド服の下からビキニ姿の奈保が現れた。


「オー、なんてこったい! マジで天国パライソデース!」


 どうだとばかりにポーズを決める奈保に、ヒルのボルテージもさらに急上昇。すかさずレンがヒルを後ろから羽交い絞めにして落ち付かせなければ、きっと今頃は奈保の豊満な胸に顔を埋めていたことであろう。


 てか、コントか、お前たちは?


「素晴らしい。実に素晴らしいデース。こんなゲームショップは世界中探しても、きっとここだけでショウ!」


 欲情は押し留めたものの、いまだ興奮冷めやらぬ様子でヒルは最高の賛辞を送る。


「が、美織サン。残念ですが、この商売、近いうちに必ず行き詰まりマス」


 しかし、次の瞬間には真顔に戻って、そんなことを言ってきた。


「知っておられるでしょうが、業界は今、従来のパッケージからダウンロードへと販売経路を急速に移行しつつありマス。その流れはもはや誰にも止められナイ」

「……そうね」

「新作が供給されなくなってしまっては、ゲームショップの時はそこで止まってしまいマス。これは時代の最先端を取り扱う商売では致命的デス」

「……」

「とは言え、先ほども申し上げたように、大量のパッケージソフトに囲まれた空間はゲーマーにとっては一種の癒しデス。そこでどうでしょう、『ぱらいそ』をゲームショップではなく、ゲーム博物館ミュージアムにしてみる、というのは?」

「ゲーム博物館?」

「そうデス! 往年のゲームショップの雰囲気をそのまま残した、ゲーム博物館デス! レトロゲーム専門店として生き残るのも手ですが、それでも長くはもたナイ。が、博物館ならば生き長らえることが出来マス。何故ならば」


 ヒルは不意に右手を持ち上げると、グッと親指を突き出して自らに向けた。


「このヒル・ゲインツが資金協力をするからデス!」

「……資金協力、ですって?」

「はい。日本に戻ったら美織サンの話を聞いてあげて欲しいと奈保にお願いされてから、どうしたらいいか私なりに考えていまシタ。愛する奈保の為、彼女の職場を助けてあげたい。しかし、私はゲーマーであると同時にビジネスマンでもありマス。意味のないマネーを使うわけにはいかナイ。そこで」

「ゲーム博物館ならば、投資の価値があると判断したわけね?」


 美織に言葉を遮られながらも、ヒルは不満を見せず笑顔を携え「イエス」と頷いた。


「なるほど。で、ゲーム博物館に生まれ変わった暁には、名前も『ヒル・ゲインツ ゲーム博物館』になるのかしら?」

「ミーは『ヒル・ゲインツ ゲーム・パライソ』でも構いまセンよ?」


 博物館と堅苦しい名前をつけるより、ゲーム天国ぱらいその方が親しみがあっていいと思いませんかとヒルは笑う。


「どちらにしても『ヒル・ゲインツ』の名前は入るわけね」


 そんなヒルに美織は呆れたように嗤ってみせた。


「なかなか面白い話をどうもありがとう。夢があって良かったわ。だけどねヒルさん、私はあなたと夢を語り合いたいわけじゃない」

「……では、何の話をしまショウ?」

「決まってるじゃない。ビジネスの話よ」

「ホワット?」


 ヒルが信じられないと表情を変えて、美織を見つめた。


「ビジネス? 美織サン、あなたがミーとビジネスの話をするというのデスか? お願い、ではなくて?」

「そうよ。あんたと私たちでこの業界を救うビジネスの話をしようじゃないの」


 ヒルの眼差しに怯むことなく、美織も堂々と受けて立つ。


「……は、はは。これは面白いデス。私とビジネスの話をするだけでなく、ゲーム業界を救う話とは大きく出まシタね。俄然興味が湧いてきまシタよ、ミス美織」

「ふふ、そうこなくちゃね」


 ヒルが『美織さん』から『ミス美織』と呼称を変えたことに、美織はニヤリと口元を歪ませた。



 〇 〇 〇



「それのどこがビジネスの話なのデスか!」


 まだ成人もしていない小娘が偉そうな口を叩くので興味を覚えたヒルだったが、話を聞いての第一声がこれだった。


 場所を売り場から、盗撮の心配がない事務室へと変え、椅子に座ったところで手渡された企画書自体はなかなか面白かった。日本ではPCや家庭用のゲームよりも、スマホでのゲームアプリの方が勢いのあることは知っている。それを逆手に取り、自分たちの商売に利用しようという魂胆はたいしたものだ。


 が、それもこれもすべては開発や運営、さらにはその費用を賄えてこそ。その肝心な部分を全部赤の他人である自分に負担させようとは図々しいを通り越して、呆れてものも言えない。

 しかも。


「いいですか、ミス美織。ビジネスとはお互いの利害が一致してこそ成り立つものデス。が、あなたが今話した内容は、あなた方が一方的に得をするだけで、私にはなんのメリットもないじゃないデスか!」


 なんせスマホゲーの収入源であるガチャを『ぱらいそクエスト』では店頭での購入金額と連動させ、運営には一セントも入ってこないと言う。


「これはビジネスではナイ! お願いと言うのデス!」


 まったく素直にゲーム博物館の話に乗ってくればいいものを、下手に欲張るとは……愛する奈保の上司でなければ身の程を知れと罵っているところだ。


「いいえ、ミスター・ヒル。これは立派なビジネスよ」


 だと言うのに、目の前の小娘・美織は不遜な態度を崩さない。


「……あー、もしかしてミス美織、あなたは私がどこの誰なのかよく知らないのでは?」

「知ってるわよ。マックロソフトの会長にして、世界で一・二位を争う大金持ち」


 知ってるのかよっ! だったら


「天才プログラマーで、熱狂的なゲーム愛好家ゲーマー。その腕前もたいしたものだと聞くわ」

「たいしたもの……ではありまセン。そちらも世界一だと自負してマス」

「そう。その自尊心プライドも世界一。いや、きっと何でも世界一にならないと気がすまないんでしょ、あんた?」

「……何が言いたいのデス?」


 言葉は冷静でも、ヒルの頭の中は怒り狂っていた。

 自分の娘でもおかしくないような小娘に全てを見透かされたような言動を取られて気分を害さない大人はそういないだろう。ましてやヒルは世界の権力者のひとり。自尊心も美織が言うように世界一だと思っている類の人間だ。先ほどからの美織の言葉が挑発なのは分かっているから、その掌で弄ばれるつもりはない。が、これ以上付き合うのも我慢の限界だ。


「ミス美織。私が今こうして貴方の話を聞いてあげているのも、全ては奈保のお願いされたからデス。しかし今の貴方は、その奈保の顔を潰そうとしている」


 謝るなら今のうちですと暗に言葉に含ませる。


「そうね。貴方、感謝するといいわ。だって」


 でも、美織の態度は変わらない。


「ミス美織。すまないが話はこれまでダ。私は貴方のくだらない話に付き合うほどヒマでは」


 美織の言葉を遮って、ヒルは椅子から立ち上がろうとする。


「奈保と出会えたおかげで、長年の夢であるゲーム業界のトップに立つことができるんですもの」


 ところが身織はさらにヒルが言い切る前に、遮られた筈の言葉を言い切った。


「……どういう意味デス?」

「どういう意味もなにも、そのまんまよ。あんた、ずっとゲーム業界でトップを取りたがっていたじゃない。でも、これまでは他の二大ハードメーカーの後塵を拝する形に甘んじていた。違う?」

「……」


 ヒルは憮然として押し黙った。

 美織の姿勢は相変わらず傲慢で腹立たしいことこのうえない。

 しかし、彼女の言うことは正しかった。


『ばってん』シリーズを擁し、ゲームハード業界に参入して既に十数年。シリーズは順調に成長し、今では三代目にあたる『ばってんイチタロー』をリリースしている。日本では苦戦しているが、世界では今も確実にシェアを伸ばし、愛されている自慢のマシンだ。


 でも、それでもいまだ世界ナンバーワンハードにはなったことがない。

 他のハードメーカーと比べたら参入は一番遅かったが、数年以内に頂点に立つことが出来るだろうと思っていた。それがまさか十数年経っても、いまだ辿り着けないとは……。

 想定外であり、ヒルにとって今の美織以上に苛立ちを覚える案件であった。


 だからムカついてはいるが、美織の「トップを取れる」発言は聞き捨てならない。

 バカバカしいとは思う。

 これまでどうしても成し遂げられなかった悲願を、こんな小娘のアイデアで実現できるなんて到底思えない。


「分かりまシタ。もう少しだけ話を聞きまショウ」


 それでもヒルは再度深く椅子に腰掛けた。


「ただし言っておきますが、私が欲しいのはハードメーカーとしてのトップの座ダ。貴方の言う『ぱらいそクエスト』とかいうアプリで、スマホゲームのトップを狙うという話ならばやはりここで終わらせてもらうガ?」

「分かってるわよ」


 ヒルの高圧的な態度にも動じず、美織はさらに新たな企画書を手渡した。

 司たちも見たことがないソレは、表紙にただ「トップシークレット」と書かれているだけで、外見からは内容を伺い知ることは出来ない。


「これを見せるのはあんたが最初よ」

「ほゥ」

「何故ならあんたたちだからこそ見る価値のあるものだから」


 にんまりと笑う美織に、疑わしそうな目つきで企画書のページをめくるヒル。

 その目が真剣みを帯びるのに、さほど時間はかからなかった。


「……ミス美織」

「何?」

「貴方、なかなか面白いことを考える人デス」

「昔からよく言われるわ」


 新たな企画書に目を通し、そっと机に伏せたヒルは素直な感想を述べた。


「貴方がおっしゃる通り、これが実現出来れば『ばってん』シリーズの大きな力になり得マス」

「そう。でも、あんたが断わるのなら、この話は別のところに持っていくわ。そうすれば逆にこいつはあんたたちを更なる逆境へと追い込むかもしれないわね」

「……この話、私が最初と言うのは本当デスか?」

「まぁね。正直に言うと、本当はよそに持って行くつもりだった。まさか奈保があんたを連れてくるとは思っていなかったからね」


 美織がちらりと奈保を見る。

 奈保は話の内容はあまり理解していないようだったが、自分の名前が出てきたのでとりあえず「いえーい」とVサインをしてみせた。


「なるほど。やはり奈保は私の幸運の女神ですネ」

「そうだよー! なっちゃんはヒルちゃんの女神なのだ!」


 ヒルの感嘆に、奈保がVサインしていた右手を大きく上へ、左手を腰辺りに構える。


「オー! 奈保の前では自由の女神も裸足で逃げ出しますネー」


 ……どうやら自由の女神の真似だったらしい。美織や司たちが戸惑う中、ヒルだけがその意図をしっかり理解するのだった。


「……で、どうする?」


 改めてヒルと奈保の馬鹿ップルぶりをまざまざと見せ付けられた美織だったが、話を元に戻すべく返答を求める。


「そうですネ。確かに魅力的な話ではありマス。が、これだけ大きなプロジェクト、今即決することは出来まセン。どれだけ勝機があるか、見極める必要がありマス」

「そうでしょうね。でもこちらもあまり長くは待てないわ」

「それも分かりマス。今、この業界はどんどん貴方たちに不利な方向へ加速している。手を打つのなら早いにこしたことはないでショウ」


 だからとヒルは指を一本だけ伸ばした。


「一ヶ月、時間をクダサイ。私のブレーンたちに調べさせマス」


 まぁ、妥当なところだろう。

 が。


「長すぎるわ。一週間で決めてくんない」


 美織は不遜にも決断を早めるよう求めた。


「ミス美織、先ほども申し上げたようにこちらとしてもこのプロジェクトが成功するか否か判断する材料が必要なのデス。『ぱらいそ』をゲーム博物館にするぐらいなら私のポケットマネーで賄えますが、これは話が大きすぎる。なんせ私たちが開発、運営をしなくてはならないのでショウ?」


 しかも費用もヒル側持ち。慎重になるのは当たり前だ。

 それでも。


「一週間、それ以上は待たないわ」


 美織は断として聞き入れない。


「だって一ヶ月も待っていたら、九月中に配信が出来ないじゃない!」

「九月中? オゥ、ミス美織。さすがにそれはクレイジーデース!」


 美織の言い分に、ヒルが呆れたように企画書を開いてあれやこれやと開発にかかるであろう時間を話し始める。


「これだけで最低三ヶ月はかかりマース。それにスマホゲームはやはりキャラクターのグラフィックが命! 質、量ともに高いレベルが求められマス。なのにデザイナーが企画書を見たところ、今はまだひとりだけ。しかも名前を聞いたことがない新人ではありまセンか!」

「いや、ひとりだけなのは否定しないけど、メインデザイナーはそっちの世界ではかなり有名らしいわよ?」

「どこがデス!? 私、『ぶるぶる』なんて絵師は聞いたことがありまセーン! と言うか、『ぷるぷる』さんの偽者デスか、この人は?」

「え!?」


 ヒルの発言に思わず声を出して驚いたのは、言うまでもなく葵だ。


 まさか世界の大富豪の口からかつて自分が使っていた(もっとも本人の意思ではないが)ペンネームが出てくるとは思っていなかったのだろう。「何で知ってるんだ!?」と戸惑いつつも、尋ねることも出来ずにただ口をパクパクさせている。


「ちょっとあんた、『ぷるぷる』を知ってるの?」


 その葵に代わって美織が尋ねると、ヒルは胸を張って


「当たり前デース。『ぷるぷる』さんはまだ同人作家デスが、すでに絵師の世界では神として奉られる存在。日本の文化に詳しい私が知らないはずがありまセーン!」


 と答えた。

 なんでも年に二度のコミラ(同人誌即売会コミックライブの略称)には日本在中スタッフに参加させて、有名どころの新刊を入手させているらしい。


「もっともこの一年、『ぷるぷる』さんは活動休止されておられるようで残念この上ないのデスが……」


 とは言え、さすがは世界を股にかけて活躍する有名人。葵を巡るゴタゴタまでは知らなかったらしい。


「あー、ミスター・ヒル。ちょっとこれを見てくんない」


 自ら『ぷるぷる』の活動休止を説明しながら、その不在を嘆いてしゅんとするヒルに、美織は『月刊ぱらいそ』の最新号を手渡した。


「オー! これはまさしく『ぷるぷる』さんの絵じゃありまセンかっ!?」

「そう、『ぷるぷる』は、ぱらいそ専属の絵師なの。もっとも今は『ぶるぶる』って名乗っているわ」

「レアリー? でも、どうしてそんな人気絵師を『ぱらいそ』が専属契約出来ているのデス?」

「だって、ほら」


 美織がいまだ茫然自失と呆けている葵の腕を引っ張って、ヒルに突き出した。


「うちで働くこの子が『ぶるぶる』なんだもん!」

「ホワットッ!?」


 今度はヒルが驚きで目を見開いた。

 目の前にいるのはヘンテコなチャイナドレスみたいな服に身を包んだ、ごく普通の若い日本人の女の子。到底こんな子が世間の男たちを虜にし、ヒルも何度もお世話になった作品を作りだしたとは思えない。


「信じられないって顔ね。だったら葵、ちょっと目の前で何か描いてやんなさい」

「え? あー、うん」


 美織に命じられて、葵は手近にあった紙にマーカーペンで線を走らせる。

 いまだ心はドキドキしている。

 なんせ世界の有名人が自分のことを知っていたのだ。当然だろう。

 おまけにその有名人が吐息も感じられるくらい近くで、自分が描いている絵をガン見してくる。


 てか、なんだかどんどん鼻息が荒く……


「オーマイゴッド!」


 突然ヒルが叫んで、葵はビクリと身体を震わせた。

 そして葵がなんなんだと驚く中、ヒルが椅子から両膝を床につく形で降りると、両手を頭の上で重ね


「神絵師・ぶるぶるよ、お会いできて光栄デス!」


 葵に向かって祈りを捧げた。


「うええええええええ!? いや、ちょ、ちょっと!」


 いきなりのお祈りにビビった葵は慌てて頭をあげるようお願いすると、ヒルはまるで憧れのヒーローに出会えた子供みたいに目をキラキラさせて見上げてくる。


「ええええええええ?」

「ご挨拶が遅れました。私、ヒル・ゲインツという者デス」

「知ってるよぅぅぅぅ」


 世界中の誰もが知っているような有名人に自己紹介され、葵の困惑は頂点に達した。


「さて、ミスター・ヒル」


 そんなパニックに陥る葵をよそに、美織は傍らで自信満々に胸を張る。


「この神絵師・ぶるぶるがキャラデザのメインを張るのよ? それでもまだ『ぱらいそクエスト』に二の足を踏むのかしら?」




 かくして『ぱらいそクエスト』はマックロソフトの開発・運営にて本格的に始動することになった。

 配信開始は九月。

 美織、ぱらいそ、そしてゲームショップの大反撃が始まろうとしていた。

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