第20話

詭弁ドライヴ。

銀河諸種族連合が保有する二種類の超光速航行技術のうちの一方である。

高度な数学的記述でその挙動を表記できるこのシステムは、平たく言うと「負のエネルギー」を利用して空間を制御する装置だった。

では、負のエネルギーとは何か。

この宇宙に存在するエネルギーとは正のエネルギーである。それとは逆。の事を負のエネルギーと呼ぶ。0よりなお小さいのであるから、自然界には存在することが不可能。空間―――0―――のエネルギーによって押しつぶされてしまうからだ。

詭弁ドライヴは、ある種の数学的欺瞞(※3)によって不可能を可能にする。

生み出された負のエネルギーは無限大に及ぶ。それは、空間を制御するだけではない。ワームホールを形成し、異なる場所同士を繋ぐこともできる(※4)。その利便性は慣性系同調航法の比ではなかったが、運用の難易度が極めて高いシステムでもあった。

今、そのうちの一基―――海賊狩人ハンターキラーの軍艦が備えた詭弁ドライヴが、火を灯した。


  ◇


無重力の廊下を、蟻頭の男が歩いていく。

重力がない環境下での歩行では、常に片足は床につくようにするのがコツだ。

足音はない。無重力空間用の粘性靴は柔らかく、高級なものになると音を吸収してしまう。安物の場合でも同じだが、こちらは床からはがれるときに不快な音を立ててしまい、かつ足が疲れるのだが。

無骨な金属の廊下は、普段与圧されていない区画である。メンテナンス不良なのか、空気には微妙にカビっぽさが残った。

このステーションは、そもそも大型の宇宙塵を回収・処理するために作られた施設である。現在でもそれらの作業目的で運用されているが、かつては人が行っていた作業は今では機械化され、定期点検時以外は誰も寄り付かない。外のドッキングポートに訪れるのも、基本的にはロボット制御の廃棄物回収船だ。

かつては作業員が行き交っていたであろう通路を進む男。彼の右肩に背負われているのは熊顔の少女だった。

両手両足を縛られた彼女は、口にもテープを貼り付けられている。あまりにも口汚く罵ったために塞がれたのだ。

―――まったく、手間を取らせてくれる。

蟻頭の刑事に担ぎ上げられた際、ベ=アは酷く抵抗した。触角を噛みちぎられたのは誤算である。手当に余計な時間をとられてしまった。

今はぐったりとしている少女。彼女をさっさとリサイクル処理して証拠を抹消し、病院で治療を受けたいところだった。なんといってごまかそう。扉に触角を挟んだとでもいうかな?

やがて長いようで短い旅は終わり、男は扉の前に立ち止まった。目的地だった。

眼前にある扉の横。キーを叩き、再確認にもYESと答えて開放する。

開いた扉。その向うには幾つもの刃が複雑に重なった、凶悪な口が開いていた。

ここで粉砕された物体が呑み込まれ、リサイクルされるのだ。最後には電離気体でのクリーニングも行われる。DNA片すら残らない。

男は中に少女を放り込む。扉を閉める一瞬、力を失った少女の頭がかすかに動き、こちらを見た。

汚職警官は気にすることもなく、処理装置の起動ボタンを入力。最終確認もチェック。

リサイクルシステムが、ゆっくりと振動し始めた。

滓かなイオン臭。

作動し始めた機器に男は満足した。後は中身を分解し終わった頃にもう一度見に来ればよい。

一服するかと振り返る男。

その顔面が、著しく変形。外骨格がひび割れ、内部へとめり込んだ。

―――強烈なパンチを叩き込まれたからだった。

蟻頭の男が意識を失う瞬間に見たもの。それは、空間に開いた円形の裂け目―――清潔でよく整備されているのが一目でわかる向こう側、艦艇内部から飛び出してきた、装甲宇宙服姿の保安官。そして兵士たちの雄姿だった。


詭弁ドライヴによる極短距離超光速航行―――ショートワープを経て出現した保安官と兵士たちは、作動し始めたリサイクルシステムの扉を開こうと群がった。

「急いで止めて!」

「駄目です!ええいこのポンコツめ!」

「どくんだ!!」

同僚を押しのけた兵士は、手にした筒状のを扉の縁へ向けると引き金を引いた。

轟音。

先端から射出された散弾が、くたびれた扉を痛めつける。

「もう一発!」

さらに三発を受け、扉もわずかに隙間ができる(※5)。

そこへバールを差し込む保安官。兵士たちも手を貸し、気合を込めた。

「せぇのっ!」

―――ショットガンにも屈服しなかった扉が動いた。

じりじりと。

やがて、リサイクルシステムが緊急停止。故障した安全装置も、さすがに扉への暴虐は見逃せなかったらしい。

永遠とも思える、しかし実際にはごく短い時間をかけ、扉がこじ開けられた。

中を覗き込む一同。

半ば惨状を覚悟していた彼らが見たのは―――

「―――生きてる。生きてるぞ!」

「担架だ!医者の準備を!!」

「酷い怪我だ。可哀想に……!」

人質の少女は―――ベ=アは生きていた。無事とは言い難い姿ではあったが。

それを確認した保安官は、ヘルメットを跳ね上げる。

赤い髪がなびき、傷跡の残る狼顔が露わとなった。

「……ふぅ」

振り返った彼女の視線の先。そこで宙を漂っているのは、口から泡を吹いて気絶した蟻頭の男である。

「―――殺人の現行犯で逮捕する。よかったわね、罪が軽くなって。聞いてないでしょうけど」

手錠のはまる音が、ステーションに響いた。




※3:地球では「ヒルベルトのホテル」と呼称される思考実験。

無限に部屋があるホテル、というものを想像してみよう。

部屋には1から順に番号がついている。それらの無限の部屋すべてに客が宿泊している。満員である。そこへ、さらに無限の数の客がやって来た。どうすれば彼らを宿泊させることができるだろうか?

答えは以下の通りである。

まず、既に宿泊している客は部屋を移動してもらう。部屋番号が1の客は2に、2の客は4に、3の客は6に……という具合である。偶数番号の部屋は無限にあるので客は全員収まる。これで奇数番号の部屋がすべて空いた。

次に、空いた奇数番号の部屋へ、後から来た無限の客を入れていく。1,3,5,……という具合に。奇数番号の部屋も無限にあるから、後から来た客も部屋に収まる。

このように、無限とはまことに不思議な数である。


※4:空間を制御する、あるいはワームホールを扱うには、負のエネルギーを無限大にも等しい量生み出さなければならない。原理的には、ある種の物理的なによって「正のエネルギー」と「負のエネルギー」を無限大、等量に生成する。正と負が同じ、すなわち総合すると0であるが、先述の「ヒルベルトのホテル」によって負のエネルギーだけを見かけ上取り出し使用する。


※5:記述を省略しているが、装甲宇宙服の足裏には分子間力を利用した吸着システムが存在するため、ショットガンの反動で銃手が浮き上がることはなかった。

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