第16話

宇宙レース本戦では開催までの一定期間、主催の指定するドッグ・宿舎を利用する事が求められる。公正を期すためだった。選手・整備スタッフはそれぞれ宿舎が割り当てられ、同じくレース船が停泊しているドッグとの行き来以外は原則的に認められない。

割り当てられる簡易ドッグは、一言で言ってしまえば六角柱型の透明な風船である。組み立て式の骨組みへ、三重の透明なシートをかぶせる形式。内部は与圧され、クレーンなども完備した優秀な機材だった。連合標準である物質透過システムも備え、エアロックの手間なしで出入りが可能だ。

テトたちの船―――黄金の薔薇号が停泊しているのも、そういったドッグのひとつである。


「―――調子はどうだい?」

「ああ、最高さね」

広大な空間だった。

全長400メートルのスペース、半透明の外壁。その下方には蒼いイルド本星が、天を見上げれば星々の姿が。

絶景であった。

無重力のそこで作業をしているのは簡易与圧服に身を包んだ昆虫人間のおばちゃんと、他数名の整備士たち。彼女らに声をかけたテト自身も、ツナギのような薄手の与圧服で身を鎧っている。ドッグ内は与圧されているが、宇宙での作業では必須の装備だ。

彼らの作業の中心にあるのは210mもの白銀の剣。8基のエンジンを備えた高速船は、残り二日を切ったレース開始を今か今かと待ち構えているかのようにも見える。

「ただ―――」

「ただ?」

表情を曇らせた整備長のおばちゃんに、芋は問い返した。

「どーも、ねえ。外部からちょっかいかけてきてる奴がいるよ。おかげでドッグ内じゃアナログ無線オンリーさ」

「嫌がらせか……」

コンピュータへの電子的攻撃はいまの時代珍しいものではない。距離。回線状況。通信設備。予算。人員。マシンパワー。攻撃者の数だけ条件があり、それによって攻撃手段も変化する。通信回線をパンクさせる場合もあれば、遅行性のコンピュータウィルスを仕込むときもあるだろう。もっと原始的に、目的のコンピュータを触れる人間を買収する場合すらある。

とはいえ。

「外部との通信は原則シャットダウンされてるはずだが」

「それがねえ、よくもまあこんだけ色々できるってくらいちょっかい来てるよ」

宇宙塵に偽装した微小機械。スタッフ用宇宙艇を介したハッキング。近くを通過する船を経由したレーザー通信が、船の通信ポートに直接叩き込まれている事すらあった。

それへの対処でてんやわんやなのが現状だという。

「それは厄介だな」

「ま、あんたは気に病んでないで、準備しといてくれ。勝ってくれないと、あたしらが苦労してる意味がなくなっちまう」

「お言葉に甘えるとしよう」

芋は頷くと、機体の調子を見るべくコクピットへ向かおうと手すりを掴んだ。

その時だった。

連絡用宇宙艇からドッグへ飛び込んできたのは、整備士の若者。

彼は、アナログ無線機を手に取る間も惜しんで叫んだ。

「た……大変です!!

ベ=アさんがさらわれました!!」

宇宙レース本戦開幕まで、あと40時間。

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