第4話

航宙艦の運行に、人が介在する余地はほとんどない。

軌道計算一つとっても現代のそれは手に余る。ましてや複雑な融合炉の制御や艇体の姿勢変更などマニュアルでやるのはほとんど不可能である。生身でそれを実行できるのは金属生命体か機械生命体くらいのものだろう。

ならば、搭乗者の役目はただ、椅子に座っている事だけか?

答えは―――否。

プログラムをチェックし、AIの提案に異を唱え、何より進路を定めるのはいまも昔も変わらず、搭乗員の役割だ。

それは人と馬との関係にも似ているだろう。

船は人がいなくても動く。思考する。飛ぶ。

だが、船に目的を与えるのは人だ。人は、船と一体となり、その力を100%発揮させるのである。

そう。

今行われているような、運の要素が多分に大きい航行では特に。


「―――銀河系最初に、慣性系同調航法を発見した種族を知ってるかい?」

 コンソールを叩きつつ、機長である芋男は問うた。

「ええと諸説ありますよね」

「そう。定説はない。

だが最も面白く発見した種族は、はっきりしてる」

 思考制御システムよりテトの脳裏―――厳密には彼に"脳"はないが―――へと伝わるデータは、観測帆が正常に機能していることを伝えている。刻一刻と蓄積されていく天体情報は満足のいくもの。

「そうなんですか?」

「ああ。学術種族さ。連中、どうやって慣性系同調航法を発見したと思う?」

 学術種族。蜜と論争を愛する知的種族。同時に、銀河系で最も早く金属生命体群との戦いを始めた三種族のひとつとしても知られる昆虫型生命体たち。

「普通に、研究開発したんじゃ…?」

「それが普通じゃないんだな、これが。

ある夫婦の口論がきっかけになってな」

 進路は正常。無慣性状態―――見かけ上、艦全体の質量が0である状態―――では、ありふれた放射線や光子を受けただけでも進路が揺らぎやすい。直径数キロにも及ぶ観測帆を展開した状態ではなおさらだ。機械は自動でそれを補正するが、人の目によるクロスチェックは欠かせない。

 芋だが。

「口論…ですか?」

「最初は晩飯にかける蜜の量をどうするか話してたんだけども。

それがどうしてだか、量子ゆらぎ範囲内での位置エネルギーの同一性についての議論にまで発展しちまったんだよ」

 現在、艦は亜光速で横滑りに航行している。可能な限り幅広い面積での天体観測データを得るためだった。

「……そ、それは飛躍しすぎじゃ」

「俺もそう思うんだが、連中議論大好きだからな。

で、この時、"ほぼ"同一の位置エネルギー地点間における物質の連続性がどうなるか確かめるぞ!ってなって、夫婦は予算分捕って来たんだよ。どっちが正しいか証明するために」

 銀河諸種族連合において、光速を越えた地点の情報を直接得る手段はいまのところ存在しない。2点間の空間を繋ぎ通信をやり取りすることは可能だったが、それを行うためにはまず、繋ぐべき空間同士の現状を光速以下の方法で把握しなければならなかった。

「す、すごいバイタリティ……」

「まったくだ。

で、実験の結果、同一位置エネルギー地点の片方にある物質の存在を"停止"させたら、もう片方の地点に出現するって事が確かめられちまったんだよ。恐ろしい事にな」

 目的地は8光時先。すなわち光速でも8時間かかる距離である。既に星系内には慣性系同調回線が敷設されているため、現地の重力情報を直接得て超光速航行を行うことはできる。だが、既存の回線に頼らない場合、光速で得られる重力状況についての情報―――光学、電磁波、重力波、ニュートリノ、その他もろもろ―――から、計算しなければならない。

 8時間前のデータから、今現在の様子を。

「どっちの意見が正しかったですか、それ」

「おう?ああ、そこが諸説あってなあ。分からないんだ。

まあその一件の後、夫婦仲は滅茶苦茶よくなったらしいけどな」

 計算された結果から、位置エネルギー的に同調し得る二点間を導き出せば後は単純である。その点で、二点が同調する瞬間を待ち、そして艦の存在を"停止"させる。

 位置を区別し得るのは位置エネルギーのみであり、位置そのものには個性がない。故にこれらの現象を説明した理論は位置エネルギー脱毛定理ともいわれる。位置エネルギーという"毛"をむしり取ってしまえば、位置の区別がつかなくなるというわけだ。

 要約すれば、二点間が繋がるタイミングを待ち構える航法と言えた。

「なら、ハッピーエンドですね」

「かねえ。まあ旦那は尻に敷かれてたようだけどな。

さて。計算終了。帆を格納する」

 全長210mの艦が展開していた、直径数キロmの帆。遠距離から見れば、まるで薔薇の華のようにも見えただろうそれが、速やかに閉じ、収められていく。

「……跳躍って慣れません。なんというか、ぐるんぐるんするというか」

「俺もだよ。これだけは何十年船を飛ばしてても慣れやしない」

 テト。―――そしてベ=アが収まっているのはごくごく狭いスペース。ただでさえ狭いそこは、照明も落とされ、モニターだけが光源だった。

 そこは航宙艦のコクピット。二人が着込んでいるのは分厚い装甲を施されたハードスーツ。過酷な環境で着用者を保護するための宇宙服である。

「ずっと船に乗っていてもそうなんですか?」

「俺が思うに、超光速ってのはこの宇宙への叛逆だからな。物理法則に従った進化で生まれて来た生命体には、荷が重いんだろうよ」

 耐爆耐衝撃ガラス越しに、芋は笑い、そして告げた。

「さて。―――跳ぶ」

 210mの巨艦は、手順通りにこの宇宙から消え失せた。

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