SE207号事件

5


6月14日、午前7時20分。

その日、朝早く本庁捜査一課の刑事部屋へとやって来た休日明けの花屋敷優介は、捜査一課につくなりげんなりした。

デスクには既に大量の捜査資料が山積みされていた。大柄で大食漢の彼としては、朝食を抜いて出勤してきたことがこれまた痛い失敗といえた。


昨夜未明から今朝にかけて降り出した強い雨は、折からの強風を伴って都会の灰色の闇をさらに色濃くしてやろうとでもいうように高層ビル群をしとどに濡らし、灰色のアスファルトを真っ黒に染めあげていた。


梅雨時は明るさも半端だ。

日の入りはとうに過ぎた時刻だというのに窓の外は薄暗く、灰色の雲が分厚く空を覆い隠した様は、あたかも夕暮れ時の暗さにも似ていた。やまない雨がシトシトと街全体を覆い隠し、窓から望む景色は霧状に霞んでいる。


花屋敷は一人、眠い目を擦りながら過去の事件の捜査資料に目を落とした。

石原に集めてもらった聖真学園の捜査資料はかなりの量があった。花屋敷が知りたかったのは、特に過去に起こった殺人事件に関する捜査資料だった。


花屋敷がこうして過去の事件ファイルを手繰っているのはもちろん、例の川島由紀子の日記帳から浮上した『魔術師』なる人物の特定の為である。

この一般にはおおよそ馴染みのない単語がそもそも、どうして川島由紀子という普通の女子高生が知りえたのか、どうしても探る必要があった。


手帳にはメモ書き程度だが取材の覚え書きと思われる記述が多数散見された。

『12年前』と『殺人事件』という単語もよく出てくる。学園新聞部の部員に尋ねたところ、川島由紀子が12年前に学園で起こった殺人事件について何らかの取材をしていたのは間違いないと思われた。


キャリアの警部と合流しての捜査会議は10時から。鑑識の最初の検案調書と司法解剖の結果が所轄目黒署に届くのは9時からだった。


今回の事件には何かと不可解な点が多い。過去の殺人事件と何らかの繋がりがあるかもしれないと踏んだ磯貝警部の指示の下、まずは外堀を埋めるべく花屋敷逹は過去の捜査資料をあたることにしたのだった。


仕事の早い石原は、昨日のうちから捜査資料を集めてくれていたようだ。

『聖真学園』と『殺人事件』。

それだけしか彼女には伝えていない。花屋敷は律儀にも、丁寧に今回の事件と区別して置かれてある分厚い捜査資料や新聞のスクラップ記事、週刊誌のキャプションなどに目を落とした。


『SE-207号事件資料』。

『目黒区聖真学園女子高生監禁刺殺事件』と表示されている。


花屋敷は思わず声を上げそうになった。この事件は花屋敷にも記憶がある。キャスター付きの椅子を引くのももどかしく、花屋敷は早速ファイルを読み始めた。


1994年8月12日。

東京都目黒区は祐天寺にある私立聖真学園高校で血も凍るような惨殺事件があった。


夏休み期間中に一人の高校教師が教え子である女生徒を学園内の時計塔に誘拐監禁し、繰り返し暴行凌辱した揚げ句、最後には殺害したのである。


およそ9日間に渡る監禁生活の末の残虐な犯行―。

特筆すべきはその異常な死体発見現場の惨状だった。


殺害現場は時計塔の機械室に至る部屋、現在の学園史料館にあたる場所であった。

第一発見者は時計塔の施設管理全般を任されている聖真学園高校の用務員で、中谷陽一。当時54才。


『時計塔の鐘の音がおかしい。いつもよりくぐもった低い音でデタラメな時間に鳴っている。耳障りなのでこの音を何とかしてくれ』


近隣の住民からのこの苦情の電話により、彼は夏休み期間中で誰もいないはずの校内に出掛けた。


さては時計塔の鐘に異物でも挟まったか、あるいは鐘の連動機が故障したのかと訝しみながら中谷は時計塔へとやって来た。


そして彼は、恐ろしい惨状を目の当たりにする事になる―。


聖真学園の屋上西側。

この見た目にも構造的にもひどく不安定な場所に、一際黒々と聳え立つ時計塔がある。


赤黒いレンガ造りの外観は遠目にはミッション系の壮麗な学舎にふさわしいオブジェクトといえる。しかし一方で生徒逹の間では、お化け屋敷のようだとか、監獄の監視塔のようだとも噂されていた。これはひとえに時計塔入口の重厚な二枚扉がそう思われている理由であった。


扉の両側には太いパイプが渡され、その二つのパイプに空いている小さな穴に南京錠を掛け、捩込み式の鍵を差し込んで開けるタイプの観音開きの金属製の扉である。


それに鍵がかかっていなかった事に、まず中谷は驚いた。夏休み前に機能点検をして最後に錠前を掛けたのは中谷自身であったからだ。


異常を察知した彼は直ぐさま扉を開けた。


地獄のような光景だった、と後に彼は担当の刑事にそう供述している―。


中谷は息を呑んだ。


錆臭いような金臭いような有機的な臭いが立ち込める薄暗い空間、辺り一面に黒々と飛び散った赤黒い血飛沫。剥き出しの石の床には夥しい量の白い鳥の羽根が散乱し、血のように真っ赤な薔薇の花びらが無数に散らばっていた。


部屋の隅には無惨に首を断ち切られ、全身を血に染めた鶏が二羽、血だらけの刃を覗かせた斧と共にぞんざいにうち捨てられている。


夏場の暑さと共にどんよりと立ち込める吐き気を催すような猛烈な臭気に中谷は息苦しくなった。


さらに剥き出しのコンクリートの地面には、奇怪にして巨大な模様が描かれていた。

魔法陣と呼ばれるものであろう。中心に六芒星があり、それを囲むように二重の円陣が描かれ、円周の内部には致る所に見た事のない記号や奇怪な文字が整然と列記してある。


この部屋には電灯の類はなく、採光は部屋の両側にある剥き出しの四角い穴のような小さな窓からしか出来ないようになっている。

驚いた事に、それすら黒い暗幕で塞いであった。


100本以上は軽くあるだろうか。部屋と魔法陣の周囲は蝋燭によって照明を行っていたらしい。白い蝋燭の殆どは根本までだらしなく溶けて固まっていた。


そして、魔法陣の中央にはこの世で考えうる限り最も邪悪で醜怪な下劣の極み―。人間の悪意の塊で出来たようなオブジェが一体、天井からぶら下がっていた。


首輪をつけた裸の女が口を半開きにして死んでいた。

女の口の中には地面に散らばっていたのと同じ、毒々しくも真っ赤な薔薇の花びらが無理矢理に詰め込まれている。


しっとりと長い黒髪。

蝋人形のような白い肌。

鎖で両手を縛られた上に天井のフックから吊され、裸の胸にはナイフを突き立てられたその女生徒の顔は色を失い、瞳孔が開ききったぼんやりと虚ろな目は、もはやこの世の何者をも映してはいなかった。


胸に突き立てられた装飾的なナイフが蓋の役目を果たしているのか出血は少ないようだが、完全に絶命しているのは疑いようがなかった。


先端が薄桃色のまだ淡く、白い乳房から脇腹にかけて垂れた血液が、地面の白い模様に毒々しい小さな血溜まりを作っている。

鞭のような物で叩かれたのか、身体中のあちこちに縦横無尽に走ったミミズ腫れが痛々しかった。

黒革の首輪に繋がった黒々とした鎖は、長い髪と共に蔦をのたうちまわる大蛇の如く、だらりと女の背中の後ろ側に垂れていた。


中谷はそれまで一度として出した事のない絶叫を上げ、一目散に現場から逃げ去ったのだという―。


関西方面の出身だという彼は、後に警察の事情聴取でこう語った。


「刑事さん…この世にもしも地獄があるとしたら、儂が時計塔で見たあれこそホンマの地獄の光景ですわ…。

…いや、地獄の閻魔さんかて、あないな酷い責め苦を罪人にだってよう負わしまへん。

…あ、あんな映画でしか見た事のないようなえげつない死体を、ほ、ホンマに作りあげてまう人間なんぞ、もはや人じゃありまへんわ…!鬼か化け物の仕業やと儂は今でもそう思っとります。人がやったんやないと思えば少しは気が楽になりますよってな…。

死んだ娘はんの事は儂もよう覚えてますよ。よく笑うええ子でしてな…。何でこないなキチガイじみた事されなあかんのか…。

あの先生には何か悪いモノが取り憑いてたんや。でなきゃいきなり気が狂ったとか。

…なあ、刑事はんもそう思うやろ!?

そう思わな、やりきれへんよ…」


中谷の通報により、すぐさま警察が駆けつけた。


修羅場には慣れているはずの屈強な刑事や警官逹ですら殺害現場のそのあまりの凄惨な光景に一様に戦慄し、中にはその場で嘔吐した者もいたという。


しかし事態はそれだけにとどまらなかった。


殺害現場があまりに常軌を逸していたせいですぐには気付かなかったのだが、辺りにはギリギリガタガタと機械か何かが軋むような、くぐもった厭な音が聞こえてきたのである。


警官を案内してきた中谷は、すぐさま時計塔の鐘がおかしいという近隣の住民の苦情の電話を思い出した。


殺害現場は部屋の中央。時計塔の機械室付近で、傍らには螺旋階段があった。この螺旋階段に登れば時計塔の最上部、鐘のある広い屋上部分に至る事ができる。

くぐもった厭な音は機械室の方向から聞こえてきた。


中谷は慌てて入ってきた入口の扉と反対側にある機械室のドアを開けた。こちらは鍵が掛かっている事もなくあっさりと開いた。


キュルキュルと歯車が回り、ガタンガタンと部屋全体が振動し、唸るような低い連続的な音が鼓膜を震わせる。機械室に入って異常は直ぐさま見つかった。


点々と足元に血痕が続いていたのだ。薄く、目の細かい金網状の足場でもはっきりわかるほどのかなりの出血が見られ、血の上を歩いたらしい足跡もあった。


中谷と駆けつけた警察官数名は連動機と呼ばれる、鐘を打つ為の舌と繋がっている機械と内部の大きな歯車の間に見慣れない物が挟まっている事に気付いた。


カーテン状の暗幕のような黒い布切れで、見るとそれはフードの付いた真っ黒なローブであった。


長い間、機械に挟まれていたせいかズタズタで、かろうじて原型をとどめてこそいるが、厚手のボロ切れにしか見えなくなっている。


時計の針自体は正常に作動していたようだが、デタラメな時間に鐘が鳴った原因はどうやら連動機のこれが原因であるらしかった。


キリスト教の司祭が着るような清潔で神聖なイメージのある白いローブとは違い真っ黒で、ひたすら邪悪で凶々しい印象しか受ける事が出来なかったという。


血痕は奥の金属製の梯子へと続いていた。梯子にはべったりと赤黒い血がついている。血の付いた手で何者かがこの梯子を触ったのは一目瞭然だった。


中谷は警官と顔を見合わせて頷き合うと、意を決して二手に分かれて登ってみる事にした。時計塔の勝手知ったる中谷と私服刑事の一名は梯子から。警官隊数名は螺旋階段から直接時計塔の屋上に上がった。


血の匂いを辿りながら中谷らは時計塔の最上部に至る。

凄惨な暗闇から抜け出た、八月の強い陽射しが目に痛いくらいだったという―。


塔の頂きには、鐘のある広い場所が開ける。そして、悪夢の時計塔最上部には最悪な光景が彼らを待ち受けていた―。


全裸の男が時計塔の鐘についたワイヤーで首を吊って死んでいた。

鬱血した顔は土気色になって膨れ上がり、黄疸の見え始める白目は恐ろしい形相で、口の端を不自然につり上げた形で死んでいたのである。


死亡していた男は学園で生物の授業を担当している男性教諭で、武内誠という30才の男であった。

傍らには遺書の類は一切なく、宿直勤務の傍ら女生徒を監禁した上で殺害したのは彼の仕業に間違いないと思われた。


殺人を苦にしての覚悟の自殺と目されたが、彼が何ゆえ時計塔で殺害に至ったのかは今もなお不明のままである。


この史上稀に見る残忍な犯罪は連日のワイドショーや新聞の語り種となった。


『犯人と被害者は時計塔内で生活していた!?教師と生徒の禁断の9日間』


『腐敗する教育現場の実態!いじめを受けていた教師。怒りと狂気の逆襲』


『オカルト雑誌や魔術関連の書物で溢れていた!?30才教員の知られざる秘密の自宅部屋』


『悪化する教育現場の歪み…いじめと自殺!』


花屋敷は当時の新聞記事や写真週刊誌の記事をそこまで読み進め、暗然とした心持ちになって思わず呻いた。背中に冷や汗がたらりと流れ落ちた。なんなのだろうか。この薄気味悪い符合は―。


時計塔。笑う死者。黒魔術。

そして狂気ゆえの犯行―。

薄気味の悪い状況や事件を取り巻く道具立てのいちいちが悉く引っ掛かる。いずれも今回の事件と無関係とも思えない。

魔術師の出処こそ明確にはなったものの、謎は深まりゆくばかりだった。


なぜ死んでゆく人間が笑うというのだろう?


12年という時を越えて今また不可解な自殺が起こるというのは偶然だろうか?


花屋敷は被疑者と被害者の解剖所見の欄を見てみる事にした。


司法解剖の担当監察医の名前は、山瀬卓三となっている。

花屋敷は彼をよく知っている。

『タクさん』の愛称で捜査一課の皆から呼ばれている、変わり者だが腕のいい監察医だ。当時から執刀医として活躍していたようだ。

これは後で本人に直接話を聞いてみる必要がありそうだった。


花屋敷は再び解剖所見の方に目を戻した。


黒魔術の儀式と見られる時計塔室内の状況は、山内洋子が死亡する直前に作られた可能性があった。


山内洋子の死因は刺殺。

左胸に二ヵ所の創傷があり、致命傷となったのは二度目の刺し傷と断定された。


容疑者武内誠の右手からは、被害者のO型RH-の血液と鶏の血液が検出された。


鶏の首を撥ねた際、返り血の付着したナイフで再び被害者を刺したと思われ、これは凶器のダガーナイフの柄からの血の付いた指紋及び刃先の入傷痕の角度からの出血とも一致していた。


また、被害者山内洋子の膣内からはB型男性の精液が検出された。

容疑者武内誠の血液型とも一致し、彼による死後屍姦の形跡が認められている。


花屋敷はそこまで読んだ時にはもう気分が悪くなってきていた。空きっ腹の胃の中にゴムの塊を詰められたような、なんとも胸クソの悪くなるような話だった。


花屋敷はファイルを閉じ、しばし目を閉じた。

まさかここまで残酷な事件だとは思いもしなかった。

空腹も手伝い、肉体派を自認する花屋敷の早朝からの強行軍のダメージは意外にも深刻である。

…その時だった。


「あーっ!やっぱりここにいたーっ!」


花屋敷は心臓が危うく止まりそうなくらいドキリとした。椅子から自分の大きな体が転げ落ちそうになる。


花屋敷は胸を撫で下ろしながら部屋の入口のドアにいる、無遠慮な闖入者の見慣れた顔を怨めしそうに見つめた。まだ心臓がバクバクしている。


「お前か石原!びっくりさせんなよ!」


「びっくりしたのはこっちですよ先輩」


つかつかとヒールの音を響かせ、膨れっ面をして石原智美は花屋敷の方へと歩いて来た。この小さな体のどこから、あれ程とんでもない声が出せるのか花屋敷は不思議に思った。


そういえば剣道の試合の時の石原の他を圧するような気合いの入った声を思い出す。小柄だが彼女の剣道の腕前は署内でも抜群だった。柔道をやらせてもなかなかに腕が立つ。


柔道では署内でも実力派である花屋敷と、剣道では他の追随を許さない石原のこのコンビは署内では割と知られていた。警視庁内の武道対抗試合でも捜査一課を何度も優勝に導いている経歴がある。


口さがない同僚達の中には『美少女と野獣コンビ』だの『捜査一課の凸凹コンビ』だのと無礼千万な事を言う連中もいるが、共に磯貝警部の両腕として様々な事件にあたっている者達への不器用な労いの仕方なのだろう。


「もう!捜査会議に遅れるかもしれないから起こしてくれって言ったの先輩じゃないですか!

昨日のお礼にご飯もおごってくれるって言うから、わざわざ部屋まで起こしに行ってあげたのにいないんだもの!」


すっかり忘れていた。

そういえば昨日の帰り際に約束した気もする。

妹に叱られている兄貴のような気分だった。花屋敷は小柄な後輩刑事の顔を罰が悪そうに見上げた。


「あー…ええと…その、スマン。忘れてた訳じゃないんだけど…」


「もう…どうせそんな事だと思ってましたよ。まったく…警部といい先輩といい思い立ったら鉄砲玉なんだから…」


ぷうっと片頬を膨らませ、石原は両手を腰にあてて僅かに上体を屈めた。『正しい年下女性の怒り方』の見本のような、わかりやすいポーズで石原は花屋敷を見下ろした。手にはファーストフード店のテイクアウトの袋を提げている。


「どうせその分じゃ朝ご飯もまだなんでしょ?

お腹空いてませんか?先輩用に一応たくさん買ってきましたから、ここらで一息入れましょうよ」


石原はそう言ってにっこりと微笑んだ。

花屋敷はそのどこかほっとするような温かい笑顔に何かしら救われたような気分になってコーヒーを淹れようと椅子から立ち上がった。


「あ、お代は後できっちり頂きますからね!私も給料日前でヤバいんです!」


花屋敷はがっくりと首を下げて、深い溜め息を漏らした。


「けど何ですね…。先輩も今回は色々と大変じゃないですか」


捜査一課のデスクでの遅い朝食の席である。石原はコーヒーにミルクを注ぎ、花屋敷の好物のホットドッグを手渡しながらそう漏らした。食欲旺盛な花屋敷は既に二つ目を平らげようとしている。


「へ?はにがはいへんなんら?」


「もう!子供じゃないんだから食べてから喋って下さいよ」


花屋敷はホットドッグをゴクリと飲み込んで、ドンドンと胸の辺りを叩いた。


「はい、烏龍茶」


「…ああ、スマン。

ング…ゴク…。ふぅ…で、俺の何が大変なんだ?」


「アレ!?先輩聞いてないんですか?今回の事件で磯貝警部の代わりに捜査指揮を取るキャリアの警視の話ですよ。…あ、私はいいですから先輩食べて下さい」


「スマンな、それじゃ遠慮なく。悪いが前途洋々なキャリアの警視殿に知り合いなんかいないぞ」


「またまたぁ!昨日、一課でも話題になってたんですよ。あ!そういえば先輩は先に帰ってたんだっけ。

…あ、コーヒーどうですか?ガムシロップ入れますよね?」


「ああ、二つ入れてくれ。

…だからキャリアに知り合いなんかいないっての」


「太りますよぉ、また二つも入れちゃって。

…先輩が知らないはずないと思うんですけどね。早瀬警視の事」


「は!?今、何て言った」


「…え?だから太りますよって…」


「ガムシロップの事じゃない!早瀬警視って言ったのか?」


「だからそう言ってるじゃないですか。…フライドポテト落ちましたよ」


花屋敷は耳を疑った。もし石原の言うキャリア組の男が早瀬だとしたら、あの早瀬一朗以外にいないだろう。


「どんな人なんですか?早瀬警視って?」


「早瀬一朗。大学時代の同級生だよ。昔、もう一人変な奴がいて三人でよくつるんでたんだ。成績優秀でなんでも出来るエリートって感じの男だったが、まさかキャリアになってたとはな…」


花屋敷は閉塞しきった事件に意外なところから光明が射してきた思いだった。


早瀬なら。あの早瀬一郎なら、あるいはこの不可解な謎を解けるかもしれない…。


外は相変わらず雨が降り続いている。薄暗い都会の闇を覆うこの霧雨と同様に状況は何一つ変わってはいない。


「ところで先輩、昨日の聞き込みで幾つか妙な話が聞けたんですよ。まあ口さがない噂話っていう程度の情報なんですけど」


「へぇ…どんな噂話だよ」


「色々と変な噂があるんですよ、あの学園…。薬をやってる売春グループがいるとか、誰もいないはずの夜中の時計塔に明かりがついてたとか女の幽霊が出るとか…」


「なんだ、そりゃ」


それに、と言って石原は花屋敷を上目遣いに見た。


「事件のあった前日あたりから見慣れない変な男がうろついてるらしいんですよ。黒いスーツを着た妙な男が…」


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