第3章 僕と彼女とデートな諸事情
第32話 ただいま。
僕は今自宅の玄関先にいる。月5万5千円、8畳一間、ちょっと広めの1K、清山荘202号室が僕の我が家だ。
僕が玄関先でなかなか中に入れずもじもじしているのには理由があった。玄関ドアの向こう側に、僕に対してものすご~く怒ってらっしゃる方がいるのが分かっているからだ。
「ただいま……。」
おそるおそるドアを開けるとやはり今日子さんが待っていた。今日帰るとメールしておいたからなのだか、返信はなかった。
何も言わず急に病院を飛び出したのだ、怒られて然るべきなのだと思う。
「お帰りなさい。とりあえず、シャワー浴びてきてね。」
有無を言わせず、ポンと着替えを渡されユニットバスに押し込まれた。
シャワーを浴びて、Tシャツとジャージに着替えてユニットバスから出るとキッチンからいい匂いがしてくる。カレーの匂いだ。
「もうすぐ温まるからちょっと待ってて。」
ちゃぶ台には氷の入ったグラスに麦茶がなみなみと注がれていた。や、ヤバイ……。この何も問い詰めない無言の圧力が怖過ぎる。
『汝、素直に謝る時ぞ。』
『
あー分かってる、分かってますよ。玄武もミズチもだまってて、ちゃんと謝るから。マナが回復したからか、最近良く話し掛けて来るんだよね、こいつら。
味覚同化もしているらしく、修行中もコンビニに買い出し行く度、あれがいい、コレが食べてみたいと我が儘三昧。こんなんでいいのかと不安になる毎日だった。まっ、ちゃんと成果は出たんだけどね。
彼女がカレーとサラダを盛り付けて持ってきた。カレーの香りが僕の胃袋を刺激する。
僕の前にカレーの皿を置くとスプーンを差し出し『召し上がれ。』と言った。
皿の半分に山と盛られたご飯とそこに添えられた素揚げしたなす、かぼちゃ、ししとうと、ルーには豚肉とほうれん草、トマトが具として入った夏野菜のスタミナカレーだ。
僕はスプーンを置くと土下座した。
「す、すみませんでした。」
彼女は『何で謝ってるのかな?』と笑顔で言った。僕の部屋の温度が下がった気がする。彼女はジト目でこちらを見下ろすとちょっとすねた様にこう言った。
「まだ、デートに誘ってくれてないことかな? それともメールひとつで病院を抜け出しちゃった事かな? 高校生の女の子に何かしでかしちゃった事かな? それともみんなに心配掛けまくっちゃったことかな?」
「ぜ、全部……です。」
再び額を畳に押し付けると土下座の王様もびっくりの土下座っぷりを披露した。心臓もバクバク心拍数を上げて、流れる汗も尋常ではない量が吹き出している気がした。
『なるほど
ミズチうるさいよ。そんな鍛練法、全く嬉しくないって。
恐るおそる顔を上げてみると、ジト目だった今日子さんの顔に普通の笑顔が戻っていた。
「冷めないうちに食べて、食べて!」
僕はスプーンを握るとカレーとご飯を軽く合わせると、口に運んだ。
「おいしい……。」
僕は無言でカレーをパクついた。修行中、主にコンビニ
「おいしい、このカレー物凄く美味しいよ今日子さん。」
「よかった~! 昨日メールもらってから慌てて準備したんだ。私、あんまり料理得意じゃないから料理本見ながら頑張ったかいがあったよ。」
ガツガツとカレーをほうばる僕を見ている今日子さんは終始笑顔だ。
「タクトくんてさ、いつも私の思う通りに全然ならない。いつも先が読めないの。」
「うっ……いつも自分勝手でごめん。」
今日子さんは笑顔でこう言った。
「そうじゃないの。私ね、昔からモテたの、自慢じゃなくてね。今まで好きになった人は必ず相手から告白してきた。嫌いな人は向こうから自然に離れていくの。いつも予想通り、思い通りにね。だからドキドキが続かない。気持ちが離れてしまう。」
彼女は髪の毛を指先でクルクルと
「なのにタクトくんはいつも予想外。私の思い通りになんて全然ならない。私ばっかりどきどきして、好きになって。私が逢いに行かないと会いに来てもくれない。初めて片思いなのかな~って、そう思ってた。」
少し上目使いで僕を真っ直ぐに見つめる。
「だからあの初めて食事に行った晩、酔った私をおんぶしてくれて、初めてあなたの暖かみに触れて嬉しかった。私を寝かせた帰り際、『僕は君が好きです。』って言われて、嬉し過ぎて布団にくるまってずっと泣いちゃった。」
うぁあぁぁぁぁ……ヤバイ思い出すと凄い恥ずかしい! というか、あの時今日子さんおきてたのか!!
タクトが病院を抜け出した日、病室のテーブルに残されたこの部屋の鍵と1通のメール……。『修行に行ってきます。部屋の鍵、預かっておいて下さい。』
急にいなくなっちゃうし、短い文章のメールだったけど、部屋の鍵を預けてくれたのはとても嬉しかった。
「ところでタクトくん、病室の前で女の子が顔を真っ赤にして固まってたんだけど、あれってどういう事なのかな?」
「………」
「どういう事なのかな?」
彼女はもう一度聞いてきた。
『主殿、
む、無理だってミズチ……。僕はそんなに器用じゃない。流れ落ちる冷や汗に僕は観念して全てを正直に話した。
「ふ~ん。勢いでつい……ね。」
彼女は立ち上がると『はいっ!』と言って両手を広げて目を閉じた。
「私にもハグしてくれたら許す。」
ふぇえぇぇぇっ……今日子さん、僕にはハードル高いです。微動だにしない彼女に観念して僕は立ち上がると、彼女に近づいた。
て……手はどどど、どうまわせばいいのかな。首はどっちに曲げたらいいんだ? 緊張で顔が赤くなる。
その時、フッと優しい香りがした。シャンプーの香りなのか、香水の香りなのか僕には分からない。軽く香っただけなのに気持ちが凄く落ち着いた。
僕は彼女を軽く引き寄せると、ぎゅっと抱きしめた。彼女の腕にも力がこもる。
僕は彼女の耳もとで囁く。
「今日子さん、大好きです。」
『私もタクトくん、大好き。』と言った今日子さんの笑顔はとても幸せそうに見えた。
どんな時、どんな事が起こっても、僕はこの笑顔にいつも救われているのだ。
ーつづくー
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