第26話


「戻るぞ」

 鳳助のその言葉を最後に、四人が四人、一様に口を閉ざしていた。

 面倒な空気だ。

 先頭をゆく鳳助は思う。

 実弾を使用した大佐を誰も責めたてはしなかった。

 最初は動きを止めるために足への攻撃だった。

 だが二度目は、明確に男の急所を狙っていた。


 あの状況で明確に状況打破するには必要であった。

 だからといって人を殺したことには変わりない。

 しかし異常行動者のほとんどは、その果てに死ぬ。

 であれば殺人とはいえないのではないか。

 なんであれ、しかし引鉄を引いたことの意味がなくなるわけではない。

 けれども血を分けた姉があのような状況になれば……。


 ――那岐の思うところはこんなところだろう。

 起こってしまったものは仕方がない。分かりきったことをわざわざ口にするような男ではなかった。

 鳳助としては大佐の判断には何ら間違いはなかったと思っている。

 だがそれを口にすれば那岐や姫がああだこうだ言ってくるのは分かっていたので、黙っていた。

 姫といえば那岐が考えているであろう事柄にプラスし、罪悪感が募っているというところだろうか。もしかすれば安堵も。自分が人を殺さなくて済んだという事実と、代わりに弟が人を撃ったという事実を噛みしめているだろう。だがそこでパニックを起こすような女ではないことを鳳助はよく知っていた。

 大佐当人はどうだろう。

 感情の起伏が少ない男であるし、己の目的を見誤るような性格でもない。

 最初こそ標準を足に向けていたが、実弾の入った銃を握った時点でそれ以上の覚悟はしていたはずだ。

 大佐の中にある天秤は揺らぐことは少ない。が、かといって、人の命を奪っていつもと同じ精神でいられるような異常な精神ではないことも鳳助は知っていた。


「姫ちゃん!」

 車で待機していたヒロインたちは、姫が青年たちと共に戻ってきたことに安堵の表情を浮かべた。

(P-Cameを切っておいて良かったな)

 姫が笑顔でメンバーとの再会している様子を見て、那岐は思う。

「俺はバイクに。香霧、キー」

「なんで? 僕が乗るよ」

「気分だ」

 大佐はそう告げて、カフェの前に停められたバイクへと向かう。

 その後ろ姿を見て姫は言った。

「姫もバイクにするよ」

「あ? でもお前はこっちのほうが」

「おいちゃん」

 及川の言葉を鳳助が遮る。

「大丈夫だから、彼らの指示に従って」

 姫はメンバーにそう言い残し、バンから離れた。

「どうも」人当たりの良い笑顔で那岐が女性陣に挨拶をし、鳳助は一瞥のみだ。

「電話は?」

「まだ駄目だ。電気も死んだまま」

「どこへ行く?」

「人の少ないところだ。館山へ行く」

「た、館山? 千葉の?」

「嫌なら降りろ」

 後部座席からの杏奈の言葉に、鳳助は冷たく言う。

 杏奈の額に青筋が浮き上がるのを見て、神楽と汀は慌てて彼女の口を塞いだ。大きな口が開く直前だった。セーフ。

 運転席の及川はすぐ傍の大型トラックに発進することをハンドサインで伝え、先頭を進む。

 姫をバイクに乗せた大佐が「先に行ってトラックも通れる道を探す」と告げ、その車体を夜の闇へ滑らせていったのだった。



「ママたち大丈夫かな」

「あの二人だぞ。ちゃんと対処してるだろう」

「だよね」

 月明かりとバイクのライトを頼りに、立川姉弟は道路を進んでいた。

 正常な人の気配はなく、だがときおり闇の中で影が奇妙に蠢く。

「おとなしくはなったけど、元には戻らないね」

「戻る? 死ぬんでなくて?」

「戻るかもしれないじゃん」

「……――そうか」

 半ば確信を持ったようなその口ぶりを言及することこそなかったが、大佐はすっかり黙り込んだ。

 なぜ姫がそのように思うのかよりも、戻る可能性があったかもしれないということが彼の思考にこびりついていた。

 いつもはよく喋る姫も、弟の様子を窺っているのかそれ以降口を閉ざす。

 エンジン音だけが少し続いた後、大佐がバイクを停めた。

「前に一体」

「他にはいなさそうだね」

 壮年の女性が道路の際で立ち尽くしている。

 頭はガクガク震え、泡を吐いているが、足取りはふらつきながらも道路を横断しようとしているようだった。彼女の肌はどす黒く染まり、すでに散々暴れたのか身体は傷だらけで、服は紅に汚れていた。

「害はないだろう。このまま通過して――」


 大佐の声を銃声が掻き消した。


 眉間に弾丸を喰らった女性はそのまま仰向けに倒れ動かなくなる。

 アサルトライフルを背負い直す姉を、大佐は凝視するしかなかった。

「行こう」

 平然とアサルトライフルを背負い直し、姫は大佐の腰に手を回す。

 僅かな震えが伝わってきた。

 大佐はもうそれに気づいているというのに、悟らせないためか、姉の手はぎゅっと弟の身体を握り「ほら、早く」と足で軽く太ももを蹴る。

「――……ああ」

 自分の身体を掴んで離さないその強さは、彼女の決意の強さにも感じられた。

 後ろから鳳助たちを乗せた車のライトが見えてくる。

 再び発進する直前、大佐は腰に回された姉の手の甲を自分の手で包んだ。

 姉弟に言葉はもう必要なかった。


◆◆◆


2049年2月15日 00:32 港区のとあるコンビニ


「なんで止まるの?」

「買い物だ」

 いつもであれば煌々と明るい光りを放つコンビニエンスストアは暗闇の中にひっそりと佇んでいた。

 バイクや車を停車させ、及川と鳳助、姫と大佐が暗闇を腹に抱えるコンビニへと近寄る。姉弟たちのそんな後ろ姿を、バンの中からアイドルたちは固唾を飲んで見守った。

 中途半端に開いた自動扉の間に身体を滑らせ、四人が入店してゆく。

 窓ガラス越しに銃に取り付けられたライトの光りが動いているのが見えた。

『オールクリア。誰もいないぜ』

「よし。お前らも何人か降りろ」

 鳳助の言葉に杏奈が「なんで?」と尋ねる。

「必要なものを揃える。ぐだぐだ言うなよ。大人数で手っ取り早く済ませたほうがいい。香霧、お前は残って荷物運びを見てろ。那岐行くぞ」

「ホッカイロ多めによろしく」

「あいよ」

 さっさと降りてコンビニへ入ってしまう鳳助を見て、神楽たちは顔を見合わせる。慌てて下車したのは神楽で、その後を雫と杏奈が続き、独り置いていかれそうになり汀も結局後を追った。トラックからは上野と青年も降りてくる。

 カゴを手に取ろうとする神楽たちをカウンター内にいた那岐が呼び寄せる。そして大きいサイズのビニール袋を数枚ずつそれぞれに渡した。

「日持ちしそうなものもだけど、野菜も生活用品も全体的によろしく。トラックがあるおかげで物資は好きなだけ乗せられそうだ」

「ぶっし」

 耳慣れない言葉を汀が繰り返す。

「お二人は荷物をトラックに積み込むのをお願いできますか。外の仕事だけど、香霧……長髪の彼が見張ってくれてますので」

「あ、はい」青年は頷き、上野も同意した。

「大佐、お前も行け」

 鳳助の指示に従い、大佐も外へと出てゆく。

「分からないことがあったら聞いて」

 那岐はそう言って、カウンター周りで言葉を交わしている鳳助と姫、及川の元へ向かった。

「アクアラインは避ける」

「大型トラックがあるんじゃ他の道も怪しい」

「乗り換えるべきだ」

「上野さんができればセットも持っていきたいって。こんな状況じゃ大道具の保証もできないし」

「六人分の人間だけでなくアイドルショーのセットまで面倒見ろっていうのか?」

「ボン助の家ならトラックごと置いておけるでしょ」

「貸しひとつ。人命ならまだしも、不要の無機物の運び屋は有料だ」

「分かったよ、それでいいから。お願いします」

「あんまり外に人はいないみたいだね」

 時折り道路を照らす車のライト以外、街に人の気配はない。

 話題を変えながら会話に参加してきた那岐を見て、三人は外を見た。

「律儀に守ってるんだろう。前回の時にメディアの言った、を」

「賢明だろォ。下手に外をうろついて群れに遭遇すれば終わりだ」

 カウンター向こうでカゴにぽいぽいと煙草を入れている及川の言葉に「家の窓さえ破られなければねぇ」と姫は言った。

 一方、姫を除いたアイドル女性陣。

 汀は姫の後ろ姿を見ながら、隣で飲み物を吟味する杏奈にこっそりと声をかけた。

「私たちこれからどうなるのかな」

「それ、私が答えられると思う?」

「家族が心配だよ。このまま東京出るんでしょ?」

「電話が繋がらなくて、交通機関もマヒしてる。なんの手段もないんだから、今は自分の身の安全の確保が最優先でしょ。私は死にたくないよ」

「私だってそうだよ」

「姫の友達だかなんだか知らないけど、偉そうなのには目を瞑って暫くお世話になるのが賢明よ。私たちだけだったら池袋を出られなかったかもしれないし、こんな風に食料だって調達できたか……」

「おかあさんたちはそれができてないかも」

「あの異常行動が何かは知らないけど、停電はそのうち直るでしょ。そしたら連絡を取ればいい。前も無事だったなら今回も大丈夫。……今はそう信じるしかないでしょ」

 そう口にする杏奈の声が僅かに震えるのに気づき、汀は口を噤んだ。

 そうだ、不安なのも恐ろしいのも自分だけではない。

 気丈な振る舞いをしている杏奈だって汀と同じ思いだろう。


 次々と商品をトラックへ運び出す中、神楽が鳳助たちのもとへやってきた。

「あの、お金の支払いってどうするんですか?」

 思わぬ言葉にHeroSの面々は目を丸める。

「あ?」

「停電してるし、全部でいくらか……自分たちで計算します?」

 姫や那岐、及川は顔を合わせた。

 沈黙が降り立つ。

「あ、それと私、お金今日あんまり持ってなくて……もし足りなかったら、誰かお金借りてもいいですか?」

「……あのなあ、金なんて」

「出番だぞ金持ち」

「支払いよろしく!」

「何? まさか盗んだりしないよね?」

「テメェら……」

 鳳助は唸りながら、ポケットから財布を取り出し黒に輝くクレジットカードを取り出した。

「停電してますけど」

 姫が言う。

「おらよ!!」

 鳳助は半ば叫びながら、財布の中にあった一万円札の束をカウンターに叩きつけた。基本的にカード払いのためか、不足しているようにも思える。

「これで足りるかな? あ、私お財布取って……」

「足りなかったらまた後日払いにくればいいだろ」

 及川は神楽の頭をポンと叩いて、彼女を引き留めた。

 それならまた皆を手伝ってくる、と雫たちのもとへ戻るその背を見送り「いいこだなぁ」と呟かれた言葉に、那岐と姫はうんうんと頷くのだった。



「席替えだ」

 車に乗り込む前に鳳助が言った。

「自分のテリトリーに他人を入れるんだ。害はないかくらい判断させてもらう」

「私たちが怪しいっていうの?」

「お前らはいい。ソイツだ」

 鼻の頭に皺を寄せた杏奈から視線を外し、鳳助は夜宮を示した。

「ぼく……」

 掠れるような呟きが半開きの唇から零れる。

 肩がびくりと上がるのを見て、姫は凄むように幼馴染を睨んだ。

「ちょっと、怖がらせないでよ。君たちゴリラたちとは違うんだよ」

「誰がゴリラじゃ」

 HeroSの批難を横に、鳳助は言う。

「話を聞くだけだ。身元とできること。おいお前、バンに乗れ。トラックはおいちゃんに任せる」

「姫の目の届かないとこでいじめたりしないでよ」

「あの、姫ちゃん。僕は大丈夫ですから」

「お前もバンだ、大佐も。何があったか聞く」

「ボクがバイクに乗るのはいいとして、誰かバイクに移らないと」

 バンから追い出される流れを知った香霧が言った。

 初対面の男性が運転するバイクで二人乗り。

 女性陣に沈黙が降りかかる気配に、上野が手を上げた。

「私が乗るわ。この子たちにこんな状況でバイクは不安だもの」

「安全運転するよ」香霧が言った。

「じゃあ誰かおねーさんの代わりに俺のとこに来ることになるな」

 及川の言葉に、再び沈黙の気配。

 ガタイが良い高身長に銜え、白く抜かれた髪に首元に見えるタトゥー。そんな男と二人きりだ。

「あ、じゃあ私が……」

「えっ」

 おずおず手をあげた神楽に杏奈たちはぎょっとした。

 肩を竦める及川の前に出て、姫は安心させるように微笑む。

「大丈夫だよ、おいちゃん見た目は怖いけどそう悪い人じゃないよ!」

「おーい、そこは良い人まで言葉のレベルを上げておいてくれよ」

「あの、よろしくお願いします」

「はいドーモ」

 ぺこりと頭を下げ合う二人。

「話は纏まったか?」

 大佐が焦れたように言った。彼は暗闇を睨んでいる。

「立ち話は危険だね。皆、車に乗ろう」


 ――十二人は再び車へと乗り込んだ。


 運転席は大佐、助手席は鳳助。

 後部座席奥には左から杏奈、汀、那岐。

 後部座席手前には左から雫、夜宮、姫が着席した。

「それで? こんなところまでわざわざついてきたんだ。どこの誰かくらいは教えてもらおうか」

 ミラー越しに鳳助は野暮ったい見た目の青年を見据える。

 す、と前から差し出された手に夜宮は狼狽した。

「身元確認ができるもの。偽名はいくらでも名乗れる」

「諜報員を相手にしてるわけじゃあるまいし」

「誠意を見せろってんだよ」

 批難めいた姫をミラー越しに睨み、鳳助は指を動かすことで促す。

 夜宮は自分の身の回りを見て、ズボンのポケットを触ってから肩を落とした。

「す、すいません。鞄も携帯端末も会場に置いてきちゃって……」

「あァ? …………チッ」

 舌打ちの直後に姫が目の前の座席を蹴る。

 鳳助はそれに対し再び舌打ちをしてから、今度はミラー越しではなく身体ごと振り返った。野犬に睨まれた子猫のように青年は身を竦める。

「名前は?」

「…………あ、その」

「名前は?」

「………………や、夜宮……です」

「ヤミヤ?」

「それハンドルネームでしょ」杏奈が後ろからきつく言った。

「あ、本名です。ハンドルネームっぽいからそのまま使ってて……」

「ヤミヤ?」

 鳳助は幾度かその名を繰り返し、吟味するように夜宮を凝視した。

「ヤミヤナイト?」

「ないと?」

 鳳助の出した名前に今度は雫が反応した。

「騎士? 姫にいつもファンレターを出してる?」

「あ……はい」

「それも君だったのかー!」

 汀は興奮に鼻息を荒くした。

 立川姫のMAD動画を作っているのも、デビュー当時からファンレターを出し続けているのも彼だったとは。「姫は知ってたよ」と姫が言った。

「でもなんでボン助が知ってるの?」

「あ? 同級生だろ!」

 信じられないものを見るように鳳助が自分を見てきたが、姫は鳳助の言葉が信じ難く同じような表情を鳳助に返した。

夜宮 騎士やみや ないと。小学校が同じだったろ。五年でクラスも被ってる」

「……へ、ええっ?」

「大佐だって知ってるはずだ。こいつはよく姫のことを見てた。姫にべったりだったお前なら気づいてたろう」

 言われ、大佐はミラー越しにちらりと夜宮 騎士の顔を見る。

「いた気はする」

 なんとも曖昧な返答。

 姫は昔から色んな意味で注目される存在だったので、周りにいた人間のことをいちいち記憶はしていなかったようだ。

「えー……ごめん……あ、あんまり覚えてないや……」

 焦った様子で姫は騎士の顔を見たが、確かにこんな子がいたような気がする、といったところで手詰まりだ。

「い、いいんです! あんまり話したこともなかったし……」

「お前よく飽きもせず何年もこんな奴追いかけてられるな。ストーカー予備軍じゃねえの」

「ファンとしてのルールは守ってるつもりだよ……!」

 確かに、今の今まで姫が彼が同級生であることに気づかなかったということは、個人情報等は守られているということである。

「えっと、桜ヶ丘くんも元気そうで良かったよ」

「……、まあコイツが悪い奴じゃねぇのは知ってる」

 そう言って鳳助は暗い道路へと向き直った。

 どうやら尋問はあっさり終わったようだ。

「そっかぁ、同級生かぁ」

 安堵に胸を撫でおろす騎士の横で、しみじみと呟く姫。

 そんな彼女を、背後から複数の白い目が見つめる。

「姫ってそういうところあるよね」

「えっ」

「なかなか薄情だね」

「待って、アルバム、アルバム見れば思い出すから!」

「い、いいですよ、無理しないでください」

「同級生だから! 敬語はいいよ!?」

「でも僕はあくまでファンだから……」

「ファンの前に同級生! ね? 思い出せなくてごめんねぇええ!」

 騒がしい様子のバンの後ろを走るトラックの内部では、(楽しそうだなぁ)と神楽と及川が会話もなく同じことを想っているのであった。


 

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