第8話

 2048年12月28日 Flower事務


 年越しライブ、なんて大胆なイベントはできずともHeroineSのライブにはまだまだ需要がある。

 一日限りの『一年間ありがとうライブ』は人気が低迷しはじめても毎年続けている恒例イベントの一つだ。短いライブだし集客数もファンクラブの一部当選者のみの小さなもののため、稽古時間はいつになく少ない。

 ドラマ撮影に番組ゲスト、加えて本格化したライブの練習である。

 最後の早朝稽古から次の仕事まで家に帰る時間もなく、姫は事務所のレッスン室から会議室に移動するなりソファで仮眠をとっていた。

 彼女はこのあとイベントゲスト、ドラマ番宣を経てから小屋入りをし、場当たり、翌日にはゲネプロ、その夕方には本番だ。なかなかのハードスケジュールである。

「まさか姫が一番忙しくなる日がくるなんてね」

 同じく稽古終わりの五人のヒロインたちは、作業の音も気にせずに寝息を立てる姫を横目に見た。

 彼女らは姫の都合に合わせ早朝稽古に付き合っているのだった。

「一過性にならないよう祈るばかりよ。神楽ほどとは言わないから、みぎわや杏奈くらい安定してくれたら儲けものね」

 言いながらマネージャーの上野は『立川 姫』と側面にサインペンで乱雑に書かれたダンボールを二つ並べる。中には手紙が溢れんばかりに入っていた。

「わあ! これ全部姫ちゃん宛のファンレターですか!?」

 自分でも久しく見ない量に神楽は瞳を丸める。

 上野は片方の開封済みの手紙を改めて開きながら言った。

「半分はファンレター、半分は脅迫文」

「…………わあ」

「大概は王子ファンからね。後は面白半分の冷やかし」

「またチェックするんですか?」

 より分けは事務所の社員が済ませてくれているはずだ。

「本当にヤバイのが混じってないか調べないといけないからね」

 真剣な表情に疲弊の色を滲ませ、上野は小さく溜息をついた。

(この忙しい時期にストーカーなんて、やってられないわ!)

 姫の前に二度も出現した謎の男。しかし警察は注意を促すだけで具体的な対策は取ってはくれなかった。

 HeroineSのマネージャーは上野一人、しかも彼女は自身の子供の面倒も見なければならない。

 今はアイドルたちに自衛に努めてもらうしか手がないのだった。

「アンタたちも、この男には気をつけなさい。姫だけが狙いじゃないかもしれないから」

 せめてテレビ局の警備員やスタッフに見せて警戒を呼び掛けるために手にいれた監視カメラから取り込まれた画像写真を、上野は杏奈に渡す。

「フゥン、これが例の……」

 レストランのバルコニーに立つ胡乱な男を見つめた杏奈だったが、その男に対峙するように立つ姫ともう一人を見て、切れ長の瞳をかっぴらいた。

「ん!? これって王子智成!?」

「一緒に食事をしてたみたいよ」

「どええええええ!! まじで!?」

 上野の言葉に他の四人も写真を覗き込む。

「もしかして王子智成も満更じゃない感じ?」と汀。

「でも何歳差よ。慈善事業じゃない?」と杏奈。

「慈悲深いですね……」とまどか。

「立川姫ストーカー男に狙われる、王子智成と立川姫の密会、どっちのがスキャンダルかなぁ」最後に神楽がのんびりぼやいた。

 雫も言葉こそ発さないが、信じ難いものを見るように写真を凝視している。

「ほら誰か、遊んでる暇があるなら姫を起こして支度させて!」

 それを聞き、真っ先に動いたのは昔から何かと姫の面倒を見ている雫だった。

 姫の名前を呼び身体を軽く揺すると、ぼやけた青い瞳が瞼の下から覗く。

「コンタクトしたまま寝ちゃ目に悪いよ」

「んあー」

「髪もボサボサじゃん」

「んあー」

 動きの鈍い姫を無理矢理起こし、雫はツンテールをほどくと手櫛で整えてやる。

「相変わらず綺麗に染めてるね」

 指を通せばするりと抜けてゆく金糸は根本までキラキラ輝いている。感心した雫の言葉に姫は目を閉じたままもごもご答えた。

「……努力してますからー」

「頭傾けない」

「はひ」

 言いながらも姫の頭はかくんと落ちそうになる。

「姫」

「うわああん、眠いよー!」

 ツインテールを結わいてもらいながら、姫は駄々をこねるように大口を開けた。

「明日のライブが終われば半休、明日のライブが終われば半休、明日のライブが終われば半休……」

 呪文のように唱えて身体の隅に残っている根気をかき集める姫を見て、「でもその後は年越しとお正月生放送で暫く忙しいんでしょ?」と神楽が言う。

「それをなんでわざわざ言うのかな?」

「えっ、でも忙しいのは良いことだよ」

「どうせ神楽ちゃんも忙しいくせにぃ」

「私もさすがに今年の姫ちゃんほどでは……」

「ほう、ではお正月の予定は?」

「海外の年越し特集でイタリアで撮影と、あとお料理対決の番組で審査員をやるくらいだよ。あ、あと温泉もあったかな」

「仕事の質がぜんぜん違う!!」

「姫、暴れない」

「すみません」

 こちとら昨日はバラエティで顔面パイまで喰らっているというのに……。

 姫は頬を膨らませて、世の不公平さを嘆いた。

「姫、そろそろ出ないと遅れるわよ」

「はーい、じゃ、いってきます!」

 支度をし、姫は疲れを表情から消して事務所を出て行く。

 そしてそれを確認するなり、汀と上野が腰をあげた。

「じゃあ私たちも行きますか」

「あれ、汀も仕事?」

「そうだよ! ドッキリ番組の撮影。フフフ、ターゲットは姫ちゃん!」

「えっ、姫ちゃん王子さんと雑誌で番宣インタビューって」

「そうそう、そういうていなの。王子智成が仕掛け人なんだな!」

「どんなドッキリ?」

「王子智成が遠い国の本物の王子様だったってドッキリ!」

 四人は姫が騙されている時のうかれっぷりと、真実を知った時の落胆っぷりを想像してみる。

 長い付き合いのためか、まざまざとショックを受けた顔が思い浮かんだ。

「……………………鬼のような企画だね」

「落とし穴系の反射神経使うトラップは姫ちゃんには通じないからねぇ。メンタルを責めていくしかないんだよ!」

「ライブに響かないといいけど……」

「でもそんなの騙されますか?」

「三歳児並の夢見る夢子ちゃんだよ? 大丈夫だよ!」

 小学生のほうがまだ現実見てるくらいだよ!

 ひまわりが咲いたような明るい笑顔で言ってのける汀に、それもそうかと四人は頷くのだった。


◆◆◆


「喫茶店でインタビューを受けているお二人の隣の席に、お忍びでやってきている外国の王子様がやってくるわけです。姫ちゃんがその王子様に夢中になったところで、その王子様が王子さんに、探していたよ兄さん、となり、実は王子さんも本物の王子様だったという衝撃の真実に果たして姫ちゃんはどんな反応をするのか!」

「…………………鬼のような企画ですね」

 カメラの前で笑顔でえげつない企画を話す汀を前に、智成は顔を引き攣らせた。

 姫が重度のシンデレラコンプレックスであることを既によく知っている智成としては、あまり気乗りしない内容のドッキリである。

「これ大丈夫? 彼女泣いちゃわない?」

「面白いリアクション取れればなんでもOKなんで!」

 仕事だからやるしかないが……。

 智成は罪悪感で肩が重くなったような気がした。


 ――そして。


「ひぃ~! 信じてます! あれは完全に信じてますよ!」

 弾ける汀の笑い声に、智成は顔が引き攣りそうになった。

 のどかな午後、喫茶店にいきなりお忍びとはいえ一国の王子がやってくるだろうか。しかし前準備はバッチリ。事前に喫茶店のテレビで、存在しない国の王子が来日中と嘘のニュースが流れている。姫はそれに釘付けだった。

 ボディーガードと英語で言葉を交わす王子(偽物)を、目玉が零れるのではないかというくらい凝視している彼女。

 智成は席を外しており、汀の隣でモニター観賞中だ。

 王子役に用意されていた仕掛け人はハンサムな金髪碧眼の若者だ。歳は姫と同じくらいだろうか。どう見ても智成と血が繋がっているようには見えない。

 王子(偽物)が姫と目を合わせる。彼が優しく微笑むと、姫の顔はボッとマッチのように赤く燃えあがった。

 インタビュアー(偽物)の質問にも、曖昧な返答しかしていない。

(彼女は本当にが好きなんだな……)

 なんというか、心中複雑である。

 面白いか面白くないかといえば、ちょっぴり面白くないのが男の本音というものだ。

「姫ちゃんのことだからすぐにアタックかけるかと思ったけど、けっこう奥手みたいですね! 乙女なとこもあるんだな~!」

「ハハハ、そうですね」

 そりゃ彼女が本気でときめいているからだ。

 軽率そうに見える姫が意外と行動の前に考えを置いている女性だと、智成は知っている。

「それではそろそろ王子さんに店内に戻っていただきましょう~!」

「じゃあ、いってきます」

 智成は心中を表に出すことなく、笑顔でカメラに挨拶をした。


「すみません、待たせてしまって」

「いえとんでもない」インタビュアー(偽物)が言う。

「姫ちゃんも、待たせてごめんね」

「へあ!? あ、おかえりなさいです!」

「……、何かあった?」

「や!? なんもです!」

 いまだに火照っている頬を赤らめたまま、姫は大仰に首を横に振り、手のひらもぶんぶんと横に振る。智成がつけた小型イヤフォンから汀の笑い声が聞こえた。

「それじゃあインタビュー再開させていただきますね。今回のドラマでは王子さん演じる中山の医者ならではの恋模様も描かれるとのことですが、王子さんは一体どんな女性がタイプなんでしょう?」

「そうですね、うーん」

 ドッキリは大まかな流れしか決められておらず、細かい台詞などは智成のアドリブに任されている。

 智成はチラチラと隣の席を見る姫を横目に見てから言った。

「やはり一途な女性は好ましいですよね」

「!?」

 ぎくりと姫の肩が揺れる。

 彼女は気まずそうに視線をテーブルの上の冷めた紅茶へと戻した。

「それじゃあ立川さんは、理想の男性像はありますか?」

「そりゃあ、王子……さ……」

 ハッ、と姫は智成を見る。そして隣の席の本物の王子様(しかし偽物)を見る。

 再び姫の青い瞳が智成に向けられ、智成は姫と顔を合わせた。

 姫は何やら必死に考えているようで、食い入るように智成を見つめている。

「えーと、姫は……王子さ、ん、みたいな人は……素敵だなあと、思いますね!」

 邪念を振り払ったように語尾を強めた姫に『おおおっ』と汀が声をあげる。

「またまたそんな、お世辞でしょう」

「そんなことないですよぉ~! 本気です~!」

 仕事モードの会話を二人で続けるが、智成の気分はちょっぴりあがる。自分の単純さが情けなかったが、気分は良いのでそう気にならなかった。

『ではそろそろ次の段階に行ってみましょう!』

「ブラザー?」

 王子様(偽物)が智成に声をかける。


 ――ここからは、はっきり言えば茶番である。


 怒涛の展開にターゲットが混乱したところでドッキリ暴露、これが定石だ。

 生き別れの兄に再会した喜びをカタコトの日本語で告げる王子(これがもう嘘くさい)に智成は芝居を合わせる。

 姫はあんぐりと口を開けて智成を見あげていた。

(……まさか、信じてる?)

『信じてるよこれは!! ひぃ~!』

 いつもはビー玉のような瞳がキラキラとサファイアの如く輝きだす。

 ええええ、だって僕、前に王子様じゃないって言ったじゃない。

 智成は早くネタバラシしてくれと思った。しかしその前にもう一つ展開が残されているのだ。

 バァンッ。偽の銃声音が響き、ボディーガードが倒れる。ご丁寧に血のりつきだ。やりすぎである。

 お忍び中の王子を暗殺するために客の中に潜んでいたというていの殺し屋(偽物)がハンドガン(偽物)を構えている。

 店内客(偽物)が騒ぐ中、また銃が構えられる。

 途端、姫が目の前の机を蹴飛ばした。

『えええ!?』

 テーブルを盾に、姫は智成とインタビュアーを下へ引っ張り込む。

 まさかの展開に殺し屋(偽物)も驚きで動きが鈍る。

 その隙を、見逃す姫ではなかった。

『え、やばくないこれ!?』

 ハンドガン(偽物)を持つ殺し屋(偽物)に向かって駆けだす姫。

 そして彼女が長い足を振りあげ、男の手を蹴飛ばす寸前。


 テッテレテテテーン♪


 ドッキリ番組お決まりのSEが鳴ったのであった。

 びたりと動きを止めた姫が、振り返る。

「…………」

 青い瞳に見つめられ、店内にいた人間は身を竦ませた。

 まるで宗教画の中にいる天使に罪の有無を見定められるような心地だ。言い逃れも通じないと本能的に察知し、罪の意識すら浮かんでくる。


「ド、ドッキリ大成功~!!」


 カラフルな看板を持った汀が店内に駆け込んでくるまで、喫茶店は静寂に包まれていた。

 汀は背中を冷や汗で濡らしながらもアイドルスマイルを顔に貼りつけて、呆然としている姫をぐいぐいとカメラ前まで押してゆく。

「さあ姫ちゃん、十五秒で番宣お願い!!」

「……、ドラマ【バイオドクター】一月七日木曜スタート! 最先端の医療技術を駆使して王子智成さんが演じる中山医師が難病に挑みます! 姫は谷中医師の妹役だよ! 見てね!!」

 見る者が見れば分かる乾いた笑顔がレンズ前で輝き、カメラマンはごくりと唾を呑んだのだった。



「うええええ、ひ、ひどい、皆していっつも姫のことバカにしでぇぇえ!!」

「ご、ごめんね姫ちゃん。まさかあそこまで信じるとは思わなくて。でも、途中からおかしいと思わなかったの?」

「だって王子様ならいつ敵国に狙われてたっておかしくないと思っでえええ!」

 なんとか気力で撮影を終えた姫だが、カットがかかるなり大号泣である。

 荒れた店内を店員とスタッフが清掃し、ディレクターは店長に平謝り。上野も役者陣に頭を下げていた。

「メンタルドッキリでも姫ちゃんには通用しないか……」

 あんな状況で普通、戦おうとするだろうか?

 思わぬアイドルの行動に全員が目を剥いていた。とんだ奇想天外アイドルだ。

 上野は眉をハの字にしながらディレクターに尋ねた。

「今の使えます?」

「お金かけちゃってるし、使えそうなとこだけ繋ぎます。ある意味面白いものが撮れましたからお気になさらず」

「すみません……、ほら、姫、出る前に化粧室で着替えてきなさい」

 彼女がテーブルを倒したことで、役者陣はコーヒーや紅茶で服を汚してしまった。代えの服を用意してきてくれたスタッフから受け取り、姫へと渡す。

 ぐすぐす鼻を鳴らしながら化粧室に向かうと、着替えを終えた智成と鉢合わせた。

 彼の顔を見るなり、姫の瞳からはまたボロボロと涙がこぼれだす。

 智成は困ったように頭をかき「ごめんね」と心から謝った。

「でも信じるとは思わなくて」

「信じますよぉぉ」

「前に王子様じゃないって言ったのに……」

「身分を隠してたんだって思ってぇぇ」

「彼と僕、見るからに人種が違うじゃないの」

「ゲームでは兄弟が髪と目の色が違うなんてざらにありますぅぅ」

「ゲームはゲーム、現実は現実」

「うわああ聞きたくなああいいい」

「ショックだなぁ」

「何がですか! ショックなのは姫ですよ!」

「王子様じゃなくて僕を選んでくれたと思ったのに、そんなに泣くなんて」

「ぐ、そ、それは、期待値がぁぁ」

「期待値」

「真実の愛を選んだから、物語みたいに本物の王子様と結ばれるのかと……」

「…………」

 すごい、すごいぞ立川姫。

 あの短時間でそこまで非現実を夢物語に結び付けていたのか。

 結局のところ、本物の王子様が現れても智成を信じてみたというのに、どのみち姫の望みは叶うことはなかったというのがショックの大本らしい。

 智成と姫のレストランで交わされた会話は当人しか知る由のないことなので、スタッフや汀たちは実のところ姫がなぜこんなに騒いでいるのかも分からないままだ。

「……怖かったのに」

「うん?」

「でも、今度は姫が守らなきゃって……頑張ったのに……」

 智成はそこで彼女がクリスマスイヴの話をしているのだと気づいた。

 ぐしゅっと鼻を鳴らしたかと思うと、姫は俯く。

「ハァ~~~~」

 それはそれは深い溜息に、智成はかける言葉もない。

 かと思うと、彼女はごしごしと両目を手の甲でこすり、バッと顔をあげた。

 先ほどまで情けなく歪んでいた顔が嘘のように、涙で濡れてはいるものの彼女は精悍な顔つきで青い瞳を智成に向ける。


「もー、王子様なんて嫌いです。イーだ!」


 冗談と分かる音で言い、姫はわざとらしく並びの良い歯を剥いて智成の横を通り過ぎていった。

「…………」

「あれ、王子さん、姫ちゃん見ませんでした?」

「ああ、今着替えに……」

 どこか心ここにあらずという状態の智成に、汀は首を傾げる。

「あの~、打ち合わせの時は聞けなかったんですけど、いつもうちの姫ちゃんがお世話になっております。姫ちゃんご迷惑おかけしてませんか?」

「え? いやそんな、楽しくやらせてもらっているよ」

 溌剌とした雰囲気はそのまま、しかしカメラの前よりもしっかりした印象を受ける汀に智成は目を瞬かせた。彼女はHeroineS最年少(といっても現在はもう二十二才だ)のはずだが、そんな彼女にまで姫は心配されているらしい。

「それなら良かったです。でもあの、ファンの反応とかも……」

「ああ、それも大きな影響はないから」

「脅迫文とか届きません? 姫ちゃんのファン、過激な人も多いから」

「さあ、届いているかもしれないけど僕のとこまでは回ってこないから……姫ちゃんには脅迫文が?」

「すごいですよ! こぉ~んなに!!」

 汀は両手いっぱいを広げて笑った。笑いごとではないような気がするのだが。

 先日のクリスマスの一件を思い返し、智成は真摯な眼差しを汀に向ける。

「……気をつけてあげてください」

 穏やかな印象のある年上の男の真剣な面持ちに、汀は思わず口を噤む。

「本当に危ないものもあるかもしれないから」

「は、はい」


 ――これって、ひょっとして彼も本当に満更じゃない感じ?


 恋愛かどうかはさておき、あの王子智成は姫に情を抱いているようだ。

 それに気づいた汀は、大泣きしていた姫の姿を思い出すと先程よりいっそう罪悪感にかられた。少し笑いすぎたかもしれない。少しだけ。

 なんとか挽回できないかと考え、ピンとひらめく。

「そうだ。王子さん、明日の夜ってお時間あります?」

「え?」

「ライブご招待させてください! 一般席とは離れてるから身バレしませんし、姫ちゃんを応援しにきてあげてくださいよ。良かったら嬉しいドッキリにもご協力を! カメラは回ってませんけど……」

「汀! 姫連れてきて! 場当たり遅れるわ!」

「ハァーイ! 話は通しておくんで、もし気が向いたらよろしくお願いします! 姫ちゃーん! 支度できたー!?」

 バタバタと汀が化粧室へと駆けてゆく。

 取り残された智成は、どうしたものかと頬を掻いた。


◆◆◆


2048年12月29日


――ひーめ!

――ひーめ!

――ひーめ!


 熱のこもったライブ会場に、観客のコールが響いていた。

 ライブも中盤、ヒット曲をオープニングで歌いあげ、続けて数曲、杏奈と汀とまどかのソロ曲が続き、次が姫の出番だった。

 意外なことに会場には智成の予想より女性客の姿が多かった。なんであれば保護者同伴の少女も多い。テーマがヒロインだからか、彼女らは普通のアイドルよりもいっそう少女の憧れの存在であるらしかった。

 中でも見るからにお姫様である姫は少女たちに人気があるのか、子供の歓声が男たちの声に負けないくらい響いている。

 招待客専用の二階席は静かなもので、関係者たちはサイリウムを振るでも声をあげるでもなく、にこやかであったり穏やかであったり、好意的な表情で舞台を見下ろしている。智成もその一人だ。

――ひーめ!

――ひーめ!

――ひーめ!

 現在彼女が人気急上昇なことを横においても、コールは熱気に満ちている。

 可愛らしいポップな前奏が流れ、舞台上の照明が落とされる。あがる歓声。


『みんなのプリンセス、姫、参上~!』


 せりから姫は跳びあがる。

 背後の巨大スクリーンは色鮮やかなおとぎの国を映し出し、高く跳んだ姫はまるでその世界の住人のようにも見えた。

 ワッと今日一番の歓声が会場を包み込んだ。

 動きやすく改良されたパステルカラーの姫専用のアイドル衣装で難なく着地した姫は、いわゆるネタ曲を歌いだす。早口で台詞も多いその歌を歌う彼女は大層可愛らしい。だがそれだけではないと智成は思った。

 鍛えられた身体で踊るダンスは早いテンポにかかわらずキレを失わず、息切れも心配させない声量と滑舌、どの瞬間をとっても彼女は完璧であった。

 お決まりらしいオーディエンスとの掛け合いは、盛り上がるように計算された音階の上昇に踊らされ白熱してゆく。

(ただのお姫様はこんなに心酔されるものじゃなかろうに)

 彼女のデビューしたての頃は知れないが、今はこの曲は彼女につり合わない。

 いかにもアイドル向けな振り付けも、曲調も、役不足である。

 彼女にはもっと別の魅力がある。愛らしさの裏にある精悍さだ。兼ね備えられた両方の側面が出た時こそ、彼女の天性の魅力が発揮されるはずだ。

 いっそ恐ろしい。彼女は枯れたのではない。まだ羽化していないだけだ。これでも彼女はまだまだなのだ。

 智成は長年の役者の経験から、それを悟った。

「もったいないなぁ」

 センサーガンを片手にギミックの中を駆け回った姫を思い返し、会場の熱気から取り残された智成は、至極残念そうにつぶやく。

 その時である。

 曲調が変わった。

 よくCMで流れている曲だ。


 ――ああそういえば、ソロ曲はみんなメドレーで二曲編成にしていたな。だとか、そうか、あのゲームのテーマ曲は彼女が歌っていたのか。だとか、そんな考えが遠くで浮かんだような気もする。しかし智成の意識のほとんどが、一瞬で衣装替えをした少女へと注がれていた。


 舞台のバックモニターはVRゲームのファンタジックな映像に切り替わる。

 人気ゲームのヒロインを模した衣装を身に纏い、凛とした顔で彼女は声をあげた。


『英雄たちよ、私と一緒に世界を救ってください!』


 CMでもおなじみの台詞にオーディエンスは最高潮の盛りあがりをみせる。

 恐らくゲームのヒロインを演じているのだろう、姫の表情や雰囲気はいつもとまるで違う。のびやかな声はそれでも圧を持って人の心を揺さぶる。

(これは、……彼女に変に入れ込む輩が出るのも分かる)

 ドラマで共演し、彼女の芝居の力量は知っていたつもりだが、予想以上だ。

 会場の空気が変わる。

 呑まれるようなエネルギーを感じさせる。

 それは出そうと思って簡単に出せるようなものじゃない。

(彼女、絶対コッチにきたほうがいいぞ。なんなら海外を視野に入れたって……まあそれには英語ができないといけないか、あとそれと……)

 散りゆく命と終わりない戦いの歌を歌いあげた途端、いつもの幼い笑顔に戻った姫を見て、智成は眉をハの字にして笑う。

(彼女自身の人格がもっと成長しないことにはなぁ)



 その後、ライブを一通り観賞した彼の中に残った感想の大部分は、やはり、もったいない、であった。


 かつて流行した曲は智成だって聞いたことある。

 耳に残るメロディだし、歌詞も悪くない。

 ただ成長した彼女たちにはどうにも不釣り合いだ。

 メンバー全員が実力も兼ね備えているが、大人になった彼女たちの魅力を引き出すにはもう今までのアイドルとしての方向性では限界があるだろう。

 解散が囁かれるはずだ、と智成は納得した。


「おおおおおうじさま!?」


 素っ頓狂な声に呼ばれ、智成は意識を現実に戻す。

 アンコール前に席を外し、一足先に裏に通してもらった彼は、姫に渡すための花束を片手にぼんやりと楽屋前で立っていたのだった。

「やあ、お疲れ様。素敵だったよ」

 可愛い衣装に似合わない無地のタオルを首にかけた姫があわあわとする中、智成は彼女へと歩み寄る。そして「こういうのが一番好きかなと思って」と、用意していた黄色の花が咲き誇る花束を渡した。

「昨日はごめんね。お詫びもかねて。受け取ってくれたら嬉しいよ」

「ぅあ、あ、ありがとうございますぅぅ」

 果たして会場を熱狂させたワルキューレはどこへ消えたのか。

 汗まみれの顔をさらに涙で追加し、姫は花束に顔を埋める。

 この歳で花束はかなり恥ずかしかったが、喜んでもらえればそのかいもある。

「ドッキリ大成功~!」

 汀が姫の背中を叩く。

「どええええ王子智成!?」

 姫の前にいる男に、杏奈が声をあげた。

 どうやら図らずもこっちも大成功らしい。

 思わぬ大物俳優の登場に雫やまどかも驚いているようだ。

 注目が集まってきたことに気づいた智成は「じゃあゆっくり休んで。また年越し番組で」と微笑みを残し、早々にその場を立ち去った。


 長い足で颯爽と立ち去るその後ろ姿をうっとりと眺め、姫は呟く。

「はあ……夢?」

 途端、四方から指が姫の頬や腕を勢いよくつまんだ。

「いでででででででで!」

「夢じゃないよ、良かったね姫ちゃん!」

「あとで詳しく聞かせなさいよ姫!」

「痛い痛い痛ァいって!」

 ついでに捻りもはいり、姫はなんとか四人から逃げ出した。頬も腕も赤くなっている。容赦がない連中だ。たぶん神楽だけは親切からだったが。

 一足先に楽屋に逃げ込み、姫は智成からもらった花束をまじまじと見つめる。

 姫の髪の色に似た花は彼が選んでくれたものなのだろう。

 ひりひり痛む頬が自然と緩んだ。

「なんか良い夢見られそう!」

 明日は久々の半休だ。

 自宅の布団でゆっくり眠って疲れをとり、また明後日、彼と共演できる年越し番組に備えようと姫は決心した。

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