5:結末

「長い回想は終わったかい」

 気づくと男――神倉は三田の真正面に立ち、こちらを見下ろしていた。吸っていた煙草は机上の灰皿に潰したようで、灰皿から細い煙が一筋天上に昇っている。どれくらい回想に耽っていたのだろうか。手には汗が滲んでいる。この期に及んでまだ生への執着があるのかと思うと辟易する。

「すいません」

「別に俺は構わないよ。こうやって待つのも仕事のうちだから」

「もう準備は万端なんですよね」「三田さんの心の準備が整えばね」

 そう、後は自分次第――。部屋の静寂が三田を包み込む。緊張すれば緊張した分だけ、三田を押し潰すように重くのしかかる。

「まだ緊張してるのかい」

 神倉はたまりかねたのか、諭すように三田に話しかける。

「自殺するのはエネルギーがいるって三田さんが言った言葉だけど、それは、俺もすごい共感しているんだ。せっかくエネルギーをすべて自殺につぎ込もうとしている人が、変な執着から緊張にエネルギーを費やしちゃってもったいないよね。別に俺は自殺を推奨しているわけでもないけど、いつまでもうじうじ決断できない人は見るに耐えないよね。死にたい人に頑張って生きようぜ、なんて言葉はかけたくない。だってその人は生きることに苦痛を覚えているのに、まだ苦痛を味わえなんて言える? 無理でしょ。だから死にたい人にはちゃんと死んでほしい。だけど、生きたいなら生きたいっていいなよ。余っているエネルギーを自殺じゃなくて生きることに使っちゃってもいいんじゃないの?」

「神倉さん。いろいろすいません。僕、死にます。緊張もまだ正直しているけど、それもひっくるめてあの世に持っていきます。きっと彼女はそんなことを望んでいないんでしょうけど、その御叱りはあの世で聞くことにします」

「あの世で会えればいいけどね」

「それもまた運命でしょう」

 運命という言葉は死んだ後も有効なのだろうか。命を自ら捨てた男に運命という言葉は似合わない気もする。しかし、そんなことは死んでから考えよう。死ねば分かるさ。三田はふうっと一つ、大きな溜め息を吐き、背伸びをした。

「神倉さん。よろしくお願いします」

「了解。短い間だったけど、元気で」

「死ぬ人に言っちゃいけない言葉ですよ」

「だから言ったんだよ」

 二人して大声で笑い合った。ようやく視界に色彩が蘇った気がした。最期の視界がこの景色で本当に良かった。三田は神倉自身のことを聞こうと思っていたが、止めることにした。聞くのは野暮だろうし、聞いたところで今の僕には関係の無い話だ、と三田は一人で納得した。今は自分の事で最期を迎えたいという想いもあった。

 縄に手を掛ける。どっどっと心臓の鼓動が今にも胸から飛び出しそうだ。首に輪を通し、「お願いします」と声を掛けた。

「了解」

 その言葉を聞いた瞬間、体の自重を感じるよりも早く、意識が無くなった。それが死んだと理解することはもう叶わない。ほんの一瞬だった。

 そして、三田優は渡し舟に乗って、あの世への船出をあげた。


 翌日、名古屋市内の某ホテルから自殺体が発見されるニュースが取り上げられた。テレビや新聞による報道の大きさは、大小様々であったが、それなりに世間へ取り沙汰される事件となった。見出しは各社の工夫が施されていたが、大まかに言えばこうだ。


『女子大生焼死体自殺事件、ストーカー変質者の無責任な自殺』

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