第3話 幽霊警察とサングラス男、それとおじさん 3

 恐田おそれださんはタオルで体中の汗を拭ってから、車のエンジンを入れた。逮捕した二人を逃がすわけには行かないので、開けられる窓は運転席だけだ。それも半分。帰りは行きよりも暑くなりそうだった。


 ギアをバックに入れて車が来ていないことを確認してユーターンする。ギアの切り替えやハンドル操作の滑らかさは本当に一流だと思う。元タクシードライバーの運転技術はすごい。私は車酔いしやすいけど恐田さんの運転する車はぜんぜん気分悪くなったりしない。恐田さんみたいな運転手ばっかりだといいのに。


「くそが……」


 手錠をされた幽霊さんはみんなそう、本当につらそうな顔をする。サングラス男の目元は隠れているけど、噛み締めた歯や鼻筋の皺をみると苦しんでいるのがわかる。おじさんのほうなんて今にも死んでしまいそうだ、死んでるけど。


 しばらく車はもと来た道を走り続けて、何度目かのサングラス男のため息が車内に響き、遅れておじさんの謝罪が追従するのを聞いて、ついたまらず質問してしまった。


「……お二人とも何があったんですか」

「そうそう、気になる」


 恐田さんの中からにゅっと上半身を現した瑛未てるみさんも口角を上げながら嬉しそうに私に続けた。訊きたくてたまらなかったのかな? 


 瑛未さんが突然現れても恐田さんは小声で、ひっ、と言っただけでハンドル操作にブレが一切ないのは流石だった。


「あまり人の過去について詮索するのは良い事ではないぞ」

「そうですよ。面倒ごとに巻き込まれたりすることもあるんですから……」

「聞いてくれよ、このおっさんがさぁああ」


 牛村さんと恐田さんは反対したが、特に強要することなくサングラス男が勝手に話し始めた。


「このおっさんが俺を殺しやがったんだよぉ! このくそやろう!」

「本当なの? おじさん」

「すみませんでした……」


 おじさんは平謝りするだけで否定も肯定もしない。俯いているので表情もよく見えなかった。


「たしか二週間くらい前、俺がバイクでこの道を通ってたらよぉ、突然このオヤジが道路に飛び出してきてさぁ。避けようと思ってハンドル切ったらぶっ飛んでさぁ、谷底へ真っ逆さまよ!」


 サングラス男は身振り手振りを交えて体力を消耗しながら夢中で話した。


「……あの時は、本当にすみませんでした」

「謝りゃあいいって訳にはいかねーだろがっ! ライブに向かう途中だったんだぜ? ようやく俺らも人気出てきてよぉ、インディーズのそこそこでけえライブに参加できるようになってよぉ、で、そこに音楽関係の人間も集まるっていうんだからやっとチャンス掴めるかもって時にこれだ! まだ挑戦もしてなかったのによぉ! 死んでも死に切れるか!」


 あ、やっぱりバンドやってたんだ。


 サングラス男が激昂しだしたので牛村さんは首筋に手刀しゅとうを……いや、蹄刀ていとうかな……えっと、チョップを当てて男を悶絶させた。


「だからって他人に乗り移ってまでして何がしたかったわけ? 幽霊が許可なく人間に憑依するのは犯罪よ」

「幽霊なのに犯罪とかあるのかよ!」


 その質問には牛村さんが答えた。


「ある。幽霊とはいえ、やっていいこととやって悪いことは区別してある。幽霊にも掟があるのだ。生きていたころとあまり変わらん。まだ二人とも他の霊にあったことがないようだから知らないのも無理はないが」

「ついでに言うと幽霊の列車とか、幽霊の病院とか。それこそ路上ライブとかたまにやってる霊もいるわ」

「まじかよ!」

 

 サングラス男は背もたれに背中を預けると車の天井を仰ぎ見た。でもその目は天井なんか見ていない気がした。


「はあ…………俺はただ、もう一回挑戦したかったんだよ。誰かの体を借りてでも。失敗してやめるんならなんとか踏ん切りはつく。挑戦する前にリタイアしたんじゃあ、後悔しかねえ。まあ、ベースの俺が一人で何ができるって話だな、冷静に考えると」


 あ、ベースなんだ。


 サングラス男は顔を戻して外を眺めた。その目はサングラス越しにでも“遠く”を見ているのがわかった。あきらめはついてない様だけど心のもやもやを吐き出してすっきりしたのか先ほどまでの攻撃的な威圧感はなくなっていた。


「つーか、お前、なんであそこにいたわけ?」


 サングラス男はおじさんに向けて質問を投げかけた。


「……私は、自殺したんです。あそこ自殺の名所でしょう。生き残ったって話も聞かないし、人気もないから迷惑にならないかと思って……死んだんです」


 おじさんは顎が胸に付くくらいより一層俯いた。


「でも生きていた。いえ、本当は死んで霊になってしまったんですけどそれに気付けなくて」


 おじさんは手のひらを見つめて、ぎゅっと握り締めた。


「生き残ってしまったと思って帰ろうと橋まで上がって行ったんです。あの時はへとへとで混乱していたので道路に飛び出したことに気付きませんでした。そしたら……ああ……言い訳ですねすみません……」


 おじさんはそれ以上深く語ろうとはしなかった。自殺する前に何があったのかはわからないけど、おじさんは優しそうな性格だから、死を選ぶほどに何かを我慢し続けたのだろう。他人を攻撃せずにずっと受身でい続けた。誰かのために我慢して、そして耐え切れなくなったんだ。


 本当はもっと自己中心的な理由なのかもしれないけど、本人が語らないのなら、誰かのために死んだのだとしたほうがおじさんの格好がつくと思った。死人に口なしなら、ポジティブに付け加えてもいいよね。


「はー。もういいわ。死んじまったことは確定してんだろ。取り返しがつかねーのはわかってるし。はー」


 イラついてはいるようで、ワックス頭を掻くと髪型は手入れされていない生い茂った雑草みたいにぼさぼさになったけど、もう気に留めてもいなかった。


「で、俺はどこに連れて行かれるわけ?」

「幽霊警察」


 と私が答えて、それだけじゃわからないよね、と気が付いて、


「警察の幽霊バージョン。死んでしまって何も知らない霊とか悪さをした霊とかを取り締まるところ」


 と付け加えた。それでもサングラス男はあまり理解してくれてはいないようだ。私も最初、幽霊警察署でどうのこうのと言われたときは頭がパンクするくらいに信じられなかった。


「はあ。で、そこで成仏でもされちゃうわけ?」

「違うよ。幽霊は幽霊で寿命があって、その寿命が来るまで滅多な事じゃ消えないから。罰を与えたりするのがメインかな。更生できないって人は刑務所に入れられたりするよ」


 幽霊は滅多な事では消えない。寿命で消えるのが大半だ。幽霊の寿命と言うと何か矛盾している気もする。でも幽霊にも寿命があって、人によっては数十年ですっと消えちゃう人もいれば、何百年と幽霊を続けている人もいる。死んだときの未練の強さだとか、死んだときの状況や素質に左右されるらしい。私のように幽霊が見える人間は死んだ後、高確率で幽霊になる。私が幽霊警察に所属できたのもそういう理由があった。


「へえー、であんたらはその警察な訳か」

「そうだよー」

「えっ、このガキとか運転手のオヤジとかはまだ生きてんだろ? お前らも警察の一員なん?」

「ふふふ……霊が見える生きた人って貴重だからね! レア! レアキャラ! だから私のような人たちは重宝されるんですよ。一応私巡査だからね! 巡査!」


 私は後部座席を覗き込みながらドヤ顔で言った。


「一番下じゃねーか」

「一番下でもすごいんですー!」

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