宝島  ~僕と二人の少女の空駆ける青春~

金谷拓海

プロローグ&第一話「旅立ち」

「宝島 ~僕と二人の少女の空駆ける青春~」


原案:ロバート・ルイス・スティーブンソン

作:金谷拓海


プロローグ

日本では明治9年、西洋では1876年だった年、現代の我々が思っているよりずっと科学的に進歩しており、また、人々の生活水準も高かった。


この物語は、その明治9年に生きた少年少女たちを取り上げていく。


ただ、この小説には現在の史実とは1点だけ異なった点がある。それは、西暦1850年、地球内部からの大量の不活性ガスがあふれ出し、地球上の海、そして海抜50メートル以下の陸地がすべてこのガスで覆われてしまったことだ。

これにより、海運、およびに海からの恩恵が得られなくなり、さらに地表15%の陸地が立ち入り不能になってしまった。



第一話「旅立ち」


19世紀後半、イギリスは一等国だった。その第二の港町・ニューブリストル。


眼下に雲海が広がる。その雲海はこの港を覆うようにたゆたっており、その中では動物は生きられなかった。酸素がないからだ。


いま、一隻の飛行船が飛び立とうとしている。


「錨を上げて」

女性の声が聞こえる。


あずき色の長髪、ピンと伸びた背筋。それによりさらに強調された胸のふくらみ。谷間が渓谷のように深く切れ込んでおり、そのボディーコンシャスな船長服と相まって女性の色香を漂わせている。

この船の船長・ジャンヌ・A・スモレット。28歳。

「出航します」

「了解」いかつい男どもが錨の巻き上げ機のまわりを回り出す。隆起した腕の筋肉で巻き上げ機の棒を押しまわす。飛行船がふわりと浮きあがった。

伝声管に向かって「機関室、蒸気機関の出力を上げて! ギア・ニュートラルからローへ」

船体の両脇についている小さなプロペラが回転し出した。

この船・ヒスパニョーラ号は紡錘形の空気嚢とその下にぶら下がっている船体から成っている。船体はもう使うことができなくなった海洋用船舶をそのまま流用しており、その内部構造も変わっていない。


船はどんどん高度を上げた。

「高度1000(メートル)」船橋内の航海長が告げた。

ニューブリストルが眼下に小さく見えた。港には無数の飛行船が係留されている。多種多様なタイプがあった。


そして、2時間が経過した。

ヒスパニョーラ号甲板。


もう大ブリテン島は見えなくなっていた。大英帝国の支配地域内とはいえ、もう辺境と言ってよい。


15歳の少年が一人立っている。飛行用ゴーグルをカチューシャがわりに着け、胸にはロケット付のネックレスをしている。服装はスチームパンク。身長は160センチほどでまだ成長途中。クリクリとした瞳を持ち、いかにも冒険好きという感じだった。

「ついに冒険が始まったんだ」ワクワクしている。


その時、彼の右にあった樽がゴトゴトと動き出した。びっくりして樽を見る。

さらに、ゴトゴトゴトゴトと音が聞こえる。樽に注目する。


と、次の瞬間、樽のふたが吹っ飛んだ。

「せまかったーーー」声がするのと同時に女の子が樽から勢いよく飛び出した。

器用にも樽の上ヘリに両足をかけ、樽の上に立った。


女の子の服は、当時の上級階級が着るドレスだった。ピンクを基調色にして、フリルがいろいろなところについている。胸元も露出しており、スモーレット船長にはまったく及びもつかないが、同世代の日本人からはうらやましい限りのふくらみが二つ自己主張している。


と、突然、強風が吹く。

豪奢なロングスカートが一気にめくれた。

目の前にいた少年に神がほほ笑んだ。

「え、ええ…、ピンク…」

「ジム、あんた、私のパンツ見たでしょ」

「ええええええ、そんな、ひどいよ。いやでも、目に入るよ」

「このーー、エッチ~」少女は樽からひらりと飛び降り、そして、少年に向かってびんたを飛ばした。ぱっちーーん、派手な音が響く。

「なんだ、なんだ」

甲板上の騒ぎを聞きつけ、船員たちが集まってきた。


ピンクのパンツの少女・ブリジット・トリローニ。フランス人形のようなふんわりとした金髪、ケルト人特有の白い肌。15歳には思えないそのプロポーション。黙って立っていれば正に魅力的なのだが、その口が悪いのが欠点で…。

「レッドルース、レッドルースはどこ?」

「お嬢様」人だかりから一人の小柄の老紳士が走り出た。手入れの行き届いた口髭、整えられた白髪、そして黒のタキシードを着ていた。簡単に言うと、藤村俊二である。


「お嬢様、なぜここに」

「こんな楽しいバカンスに私を連れて行かないなんて、お父様も本当にひどい」

「旦那様はお嬢様の身を心配して…」

トリローニ家は代々続く大英帝国の大商家である。その現当主がジョン・トリローニ。その一人娘がブリジットだ。

「世界一の大海賊・フリント船長の残したお宝。それを探しに行く楽しい旅に行っちゃダメなんて、お父様もひどい」

老紳士・レッドルースは、トリローニ家で一番古い執事である。

「それは、お嬢様の安全を考えてのことです」

「船長、船長! いまからニューブリストルに戻れますまいか? お嬢様を下船させてから再度の出発をお願いする」

人ごみにいたスモーレット船長が前に出た。

「トリローニさん、確かにあなたはこの船のオーナー・トリローニさんから全権を受けて乗っています。その頼みですが、ムリなものはムリなのです」

「いま、当船は偏西風に乗っています。戻るとなると、まるで逆風の中を進まなければなりません。現在我々が使っている蒸気機関の出力では逆風に打ち勝ち進むことはできません」


1876年、まだガソリン型のエンジンは完成していない。すべての飛行船は蒸気機関を使ったエンジンを積み飛行していた。蒸気機関は大変重いので、飛行船には小型の蒸気機関しか搭載できず、結果として、プロペラ出力の低下を招いていた。


「そうよ、戻れないはずよ。そのために、あたしは4時間もの間、樽に入って隠れていたんだから」

ブリジットは確信犯であった。

「降りられない以上、あたしがこの船の責任者よ、わかった、船長」

「………」眉をひそめる船長。だが、何も言わなかった。

「レッドルース、そのコンテナを開けて」

甲板の上には、巨大な木製コンテナが!

ジム「あれ、こんなの以前はなかったよ」

「当たり前よ。あたしが出航直前に持ち込んだんだから」

レッドルースがコンテナを開ける。一面がギィーと音を立てて開いた。

中には、豪華なドレス、ベッド、衣装タンス、姿見…、ブリジットの自室にあったすべての物が詰まっていた。

「レッドルース、これをあの部屋に運んで」

「はい…、お嬢様」

執事がお嬢様に逆らえるわけがない。


漫画的なスピードですべての荷物を一番豪華な部屋に運び込む。

そして、その部屋にもともとあった調度品と酒瓶類はすべて甲板に運び出されていた。

「えっ! ちょっとそこは船長室じゃない。あたしの部屋よ」

スモレット船長が慌て出す。

でも、オーナーご令嬢には逆らえない。

「あたしの部屋…」次の瞬間、スモレットが行動を起こした。

「ジム君、ごめん」

そういうと、スモレットは調度品を隣にある賓客室に運び入れた。

すごいスピードである。特にこれでもかという量あった酒瓶のケース。そこにはふんだんに蒸留酒が詰まっていた。それも女手でいともたやすく運んだ。

「あたしの大好きなアブサン君!」ちょっと笑った。酒の名前である。

今度はジムが「えええっ」となる番である。


この『宝島』への航海。その基幹となる宝の地図の現所有者。それ故に優遇され、一等客室を提供されたジム。それなのに、この始末…。


「ちょっと、ちょっと。僕はどうすればいいの?」

この船には個室は2つしかない。それが両方とも占拠されてしまったのだ。

「はい、荷物」

スモーレットはかばんを一つ僕に渡した。

≪僕の荷物はこれだけ。元々貧乏旅館を経営していて、そこすら廃業してしまった僕にはかばん一つしか財産がなかった。(もちろん、宝の地図は別に持ってるけどね)≫


「誰か、僕に部屋を提供してよ。これじゃあ、ホームレスだ」

「………」飛行船の船内は狭い。船員たちも8人部屋がザラだ。空いているベッドなんてない。

みんなが下を向く中(ブリジットとスモーレットだけはあさっての方向を見ていたが)、ひとりの男が名乗りを上げた。

「食堂でよければ、いいぜ、来ても。寝るときはハンモックだがな」

僕に選択の余地はなかった。

「おっと! 食堂で寝泊まりする以上、おれの手伝いをしてもらう」


男の名はゴールド。30代だが、妙に落ち着きのある船付コックだ。身長180センチあり、そして、腕には無数の傷。脚は………ちゃんと2本ある。

「? 俺は片足じゃないかって。ハハハ、そんなこたぁない。ほれ、見てみ、この脚を」

ゴールドは壮大な独り言を言った。誰に向かって言ったかは読者の判断に任せる。


言い忘れたが、イケメンである。イメージ的には長瀬智也である。

ここで散会となった。僕はかばんを持って、ゴールドについて行った。

船の中舷に食堂はあった。その厨房。


「ジム、ジャガイモの皮むきはできるか」

「あ、はい。うち、旅館やっていたので、それくらいは…」

ジャガイモの皮を延々向き続けるジム。

ゴールドはシチューの準備に余念がない。

「ジム、船乗りってのはなぁ、食事が悪いと途端に士気が下がる。だからよぉ、コックと言うのは重要な役職なんだ」

「あ、皮むけたな。じゃあ、柵切りにして、油に入れな。フライドポテトだ」

「はい」

ジムはぐつぐつ煮立った油にじゃがいもを入れた。

「あっち、あちー」油がはねた。急に変な踊りを踊り出すジム。

「何、踊ってやがるんだい」

「だって、熱いから…。身体が勝手に…!」

「油は使ったことがなかったのかい?」

「うち、貧乏だったから、揚げ物はほとんどなかったんだ」

「しゃあねえなー。ジム、覚えておきな、油は怖くない」

そう言って、ゴールドはジャガイモの油面すれすれまで持っていって、そこで手を放した。ジュジュジュ…。油がはねずにイモが吸い込まれていった。

「ビビッて高い位置で放すから、はねるんだ。ぎりぎりまでひきつければ大丈夫だ」

「ほら、やってみな」

ジムはゴールドの真似をした。≪あ、ほんとだ、はねない≫

≪こんな細かいことができるのがプロかぁ≫ジムは感心した。

それからじゃんじゃんジャガイモを入れた。

しばらくは順調だったが、10回目の投入でまた油がはねた。

「アチッ」手の甲に激痛が走る。「アチチチチッ…」

「ゴールド、この方法でもはねるよ、熱い」

「ハッハハハ、そりゃ完璧にはムリさ。油だからな」

「じゃあ、どうすればいいんだよ」

「ジム、多少の痛みは………耐えるんだ。何、死にはしない」

結局、完璧な方法なんてなかった。油を扱う以上それは仕方がないことだった。


ジムがゴールドの方を向いて油断をしていた時。

ボッ!

油に火が付いた。

「ありゃ、ジム、油温を上げすぎたな。いけねぇ、すぐ消化だ!」

油がメラメラと燃え出した。対策を間違えば船ごと燃え上がる。


コックならみんな知っているが、燃え盛る油に水をかけてはいけない。

燃えてる油が飛び跳ね、余計 延焼範囲をひろげるだけだ。

それに飛行船では水は貴重で出来るだけ使いたくない。


そう言っている間に火勢が強くなる。

「ゴールドさん、どうしたら?」

ゴールドは慌てていなかった。

「まあ、見てな!」

そう言うと、ゴールドは業務用のマヨネーズを取り出し、それを油にドバドバとかけた。

《マヨネーズも油だから、余計燃え拡がる》とジムは思った。


だが、現実は……鎮火したのだ。


「ふーー、よかったぁ。でもなんで火が消えるの」

「わかんねぇ。だが、昔からコレで火が消える事は有名で、なんどもやってんだぁ」

「まあ、消えたからいいだろ」

そう言ってゴールドは笑った。

消化は無事済んだ。が、その際、真っ黒な煙が出て、それは煙突を伝わって、船外に排出される。白い雲海、白い入道雲の合間に一筋、黒煙が上った。


それを見逃さぬ者がいた。


「あにき~、ヒスパニョーラ号発見しやしたぜ」

完全な海賊口調だ。

ジムの船から左方5キロの地点。わざと雲のある場所ばかり狙って航行する一隻の海賊船。

自己主張してもいいことは一つもないのにその飛行船の黒い空気嚢にはドクロマークが描かれていた。

そのブリッジ。


猫背の男が遠眼鏡を覗いていた。『死神BD』だ。

キャプテンシートにはさらに奇妙な男が座っていた。

両目の部分に黒いバンダナをしており、そのバンダナの中心部には巨大な目のイラストが1つ描かれていた。

『ブラインドのビュイ』だ。めしいの海賊。手には盲人杖を持っている。

「BDよ。俺は目が見えないんだ。もっと詳しく言えよ」

「それに、あにきはやめろ。キャプテンと呼べって何度言ったら…」

「すまねぇ、あにき」

「………」

「3時の方向、距離約5キロ。時速15ノットで西南西方面に進んでいますぜ」

BDは狙撃の腕は一流なのだが、ちょっとおつむが弱い。だが、それでも、海賊にとっては貴重な戦力だ。


「落とすのは簡単だが、それじゃあ、お宝の地図がパアだ。BD、ヒグマ、潜入して地図奪ってこい。その上で撃沈してやる」

「へい」

「おぉ」ヒグマと呼ばれた男が立ち上がった。身の丈1メートル90。身長もそうだが、横も広い。腰には青竜刀を下げていた。


ジムが持っている宝の地図、それは大海賊フリント船長が残した莫大な財宝の場所を示している。本来、そのお宝はフリントの部下がゲットする。そう思われていた。だが、醜い内部分裂の末、地図は紛失。ある偶然からジムが現所有者となった。

その情報を手に入れたフリントの残党たちは、当然、地図奪還に燃えている。


陽も傾き、逢魔ヶ刻(夕方)に入った。古来より一番危険な時間だ。


すべてのものがオレンジ色に染まる。

ヒスパニョーラ号も、そのそばにある巨大な積乱雲もオレンジ色に輝いている。


その雲の中から急に数本のロープが飛んできた。先端にはカギ爪がついており、側舷のヘリに固定された。


船全体に振動が走る。どぉーん、鈍い音だ。厨房ではジャガイモが転がる。

幸い、油はもう仕舞っていたので大丈夫だった。


ゴールドが厨房の丸い窓から上を覗く。

雲の中にうっすら海賊マークが見えた。


「こりゃやばいぞ。海賊だ」

完全に奇襲となった。ウーーーー、船内に緊急警報が鳴る。

海賊たちは怖いもの知らずにも両船にかけられたロープに靴の土踏まずを引っ掛けるようにして滑り降りてきた。

「ひゃっほーー」

BDが吠える。スケートボードで手すりを降り下る要領だ。落ちたら即死する高度なのに、彼らはひるまない。十人以上の海賊が強行乗船した。


「ジム、来い」いつのまにかゴールドは二振りのカットラス(西洋刀)を持っていた。

「これ使え」一本を渡す。

「えええ、僕、刀なんて使ったことないよ」

「落ち着いてやればなんとかなる。俺がフォローするから」

ジムは不安でいっぱいだったが、黙って厨房に隠れている場合ではないのは理解していた。

≪船を占拠されれば、みんな縛り首だ≫

船の重要な場所は2つ、船橋と機関室だ。

その2つは真反対にある。2つとも救うことはできない。

「船橋にいそぐぞ」

ゴールドは走った。ジムも必死について行った。船橋に行くためには一旦甲板に出ることになる。

オレンジ色に包まれた甲板。その時、船長室から悲鳴が聞こえた。

「きゃあー」

ブリジットの声だ。

船長室のドアが開いている。

ゴールドは一瞬厳しい顔をした。そして…

「ジム、お前は船長室に行け。5分だ。5分耐えろ。必ず助けに行く」

そう言い残すと、階段を駆け上がり、船橋方面に消えていった。


状況はきびしかった。船橋を占拠されれば負け、ブリジットを人質にとられても負け。最悪、機関室は占拠されても、航行はできる。ただ、プロペラが使えないので、船速は落ちるが…。


その頃、船橋では…。

船長席に座っているスモレット。胸の谷間がまぶしい。それにスカートもギリギリの短さだ。

「無線長、SOSを打電。近くに大英帝国軍がいれば助けてもらえる」

「はい、船長」

「出来るだけ打ち続けてね」

「航海長は船内に非常警報を鳴らして」

「他の者は、扉の閉鎖に協力して!」


その時だった。

「おっと、そんな時間は与えないぜ」

入口に立っているのは死神BDだった。

行動が早い。

手にしたカットラスを肩にパンパン当てながら近づいてくる。

「ご存知のように飛行船の内部では銃は使えない。空気嚢に穴が開いたらお互いおっ死んじまうからな」

「そういう訳で、得意のライフル銃は使えないが、本日はこれで相手させてもらうぜぇ」

細身のサーベルを手に立ち上がるスモレット。

襲い掛かるBD。

「いい女だが、運は持ってないみたいだな」

ほかの船橋要員にも、他の海賊たちが襲い掛かる。みんな手一杯だ。

船長を助ける人はいない。

船長のサーベルが折れる。カキーーン。

「しまった…」

「カットラスってヤツは、重さで斬るのさ。だからそんなナマクラじゃあ受けることもできないぜ」

そこへ声が響く。

「なんとか間に合ったみていだな」

入口にはゴールド。減らず口を叩いているが、息が切れている。

「援軍か。なんだお前一人じゃないか、一人で何とかなるとでも思っているのか?」

「やってみないとわかんねえぜ」

呼吸を整えながら、BDに近づいていく。


場面変わって船長室。

室内には、ブリジットと巨漢の海賊・ヒグマがいた。

「そうかいそうかい、おまえがあのトリローニ家の一人娘か。地図さえ出せば命だけは助けてやるぜ」

「ちょっともう。出てってよ、レディーの部屋よ」

「俺の話をきいてなかったのかい。じゃあ、お仕置きだぜ」

ヒグマはブリジットのロングスカートを持つと、思いっきり引っ張った。

ビリ――、布の破ける音がしてスカートが敗れた。

ふとももが露わになる。

「ちょっと何するのよ。人を呼ぶわよ」

「来たとしても、ほらこいつのように返り討ちにしてやる」

入り口脇に頭から血を流してレッドルースが倒れている。

ブリジットを守るためにすぐにやってきたのだろう。が、老いた執事に何が出来よう。

「今度は胸でも見せてもらおうか」

ヒグマはよだれを流しながら、部屋の隅に追い詰めたブリジットに迫っている。

ブリジット、服の上から胸を抑える。

「いやなら、地図の場所を吐きな」

「ふん」


突然、男の子の声!

「地図ならここにある。その子には手を出すな」

ジムだった。

振り返るヒグマ。

「ほぉー、ナイトの登場か」

「はぁ? お前正気か? 子供じゃねえか」

「僕は16歳だ。もう子供じゃない!」

威勢よく言ってみても、状況は変わらない。

青竜刀を構える。

「ほお、俺とやろうってのか?」

間合いを取る。ヒグマは刀を振り上げてから思い切りジムに向かって振り下ろした。位置エネルギーが乗っている分、打撃は重い。


ジムにも利点があった。目がいいことだ。詳しく言うと動体視力が良い。

剣筋を読んで避けた。

剣は避けられた。が、次の瞬間、右脇腹に強烈な蹴りが入る。

ジムの小さな身体は吹っ飛んだ。幸い、その先はベッドだったので、ダメージは残らなかった。

「ゴホッ、ゴホ…」蹴られた横腹にはダメージは残った。呼吸が止まる。腹筋に思い切り力を入れる。脚にも力を入れる。

なんとか立てた。

刀を構える。

「ほお、やるじゃねぇか、小僧」

「だが、こうすればもう逃げられないぜ」

ヒグマは意外な行動に出た。ブリジットの服をつかみ、ビリッと破った。

「きゃあ」肩が丸出しで、ピンクのブラジャーが少し見えた。

あわてたブリジットはジムの後ろに隠れる。

「ジム…。た…たすけて……」

消え入りそうな声だった。さっきまではあんなにお嬢様お嬢様していて傲慢だった子が、震えていた。もう傲慢でもなんでもない、ごくごく普通の女の子だった。


「さあ、地図を出せ。そうすれば二人とも助けてやる」

「うそつけ、海賊が秘密を知った俺たちを助けるわけがない!」

「ほお、じゃあ、次の一撃を耐えられるのかな?」

その一言で、ジムはハッとした。≪そうか、わざとブリジットを僕の後ろに来させたんだ。僕一人なら避けられる。でもブリジットはムリだ。斬られる≫

つまり、ジムは敵の一撃を刀で受けなければならないのだ。

どっと脂汗が出てきた。≪避けそこなったら、二人とも真っ二つだ≫

それだけの威力がヒグマの剣にはある。


ヒグマはゆっくり近づいてくる。

ゴールドが言っていた『あと5分持たせろ』にはあと2分足りない。

とても、2分は持たない。


ヒグマが刀を振り上げた。

≪考えろ、考えろ、考えろ。何か手は、何か…!≫


厨房でゴールドが言っていたことを思い出した。なぜか油の時の話だった。

『ビビッて高い位置で放すから、はねるんだ。ぎりぎりまでひきつければ大丈夫だ』


そうか!

「油は怖くない!」

「何言ってんだ小僧」

ヒグマが剣を振り下ろそうとする。

が、それよりわずかに早くジムはヒグマの懐に入った。

いわゆる、バスケットボールのミスマッチ状態が起きた。

ジムが小さすぎたのだ。ヒグマはこんな小さい敵を相手にしたことがない。

ヒグマの腹が邪魔になって、剣をジムに打ち込むことが出来ない。

ジムは無心で刀を払った。

ヒュン。風切音がして、ヒグマの腹が斬れた。が、カットラスはジムには重すぎた。

どうしてもアクションに時間がかかり、後ろに退避したヒグマに致命傷は与えられなかった。

「いてえな、小僧」

ヒグマは腹を抑えた。ヒグマの腹の分厚い脂肪分が幸いし、内臓、筋肉は切れていない。これでは致命傷とは言えない。

怒ったヒグマは刀をジムの剣に向けて薙いだ。剣は正面から受けてからこそ折れない。が、側面から打たれるとモロイ。定規が横には折れるが、縦には折れないのと同じ原理だ。

パキン。

安い刀ということもあったが、簡単にジムの刀は折れた。

刀身が1/3になってしまった。

「ククク…、次はどうする?」


今度こそ大ピンチだ。何か打つ手は…。

また、ゴールドの顔が脳裏に浮かんだ。

『ジム、多少の痛みは………耐えるんだ。何、死にはしない』


後ろにはブリジットがいる。

今度は慎重に接近するヒグマ。同じ作戦はもう取れない。

敵の間合いに入った。

「ジム…」かすれそうな声が後ろから聞こえる。


≪逃げられない…≫

敵の渾身の一撃が縦に来る。

ジムは持てる力を全部入れて刀を持った。なるべくひじを曲げて、顔の前で折れた刀を構えた。

≪来た!≫

衝撃は手から腕、腕から肩に伝わった。巨体のヒグマの一撃を受け切れた。


理由はジムにはわからなかった。実は『てこの原理』が関係している。刀が折れたことでジムは支点から力点の距離を小さく出来た。反面、ヒグマは間合いを取ったせいで、支点から力点の距離が遠い。このため、数倍の力をも、受けることが出来たのだ。


「おお…お」信じられない顔のヒグマ。


が、防御は完璧とはいかなかった。

ヒグマの刀の先はジムの肩に達していた。血がブシュッと吹き出る。急速に右腕から力が抜けていくのが分かった。


ヒグマは気を取り直して「2度奇跡は起きるかな? その肩じゃあもうさっきみたいに力は入らないんじゃねぇか?」

その通りだった。2度目は受けられない。そう思った時、後ろから声がした。

「よく耐えた、ジム。偉かったな」

ヒグマが振り返る。そこには返り血をあびたゴールドが立っている。

新手の登場にヒグマは一瞬焦った。が、自信の腕力に自信があるヒグマはすぐに迎撃態勢に入った。

「おまえから片づけてやる」

そう言った直後に、外から何か大きな音がした。

ドンバンバン。3発の空砲の音だ。

海賊どもの声が遠くから聞こえてくる「撤退信号だ。即時撤退だ。1分後にロープを外す!」

「チッ!」舌打ちしてヒグマは扉の方に向かった。

実はゴールドの方も返り血だけではなく、各所に怪我をしていた。そのため、あえて戦わずに入口を明け渡した。

「おまえたちの顔は覚えた。次会った時は叩き斬ったる」よくある捨て台詞を言い、ヒグマは走り去った。


「ゴールドさん、大丈夫? 船橋の方は?」

「ああ、船橋は大丈夫さ。敵は撃退したさ。船長さんも無事だ」

「よかった。でも、なんで敵はこんなタイミングで引き揚げたんだろう」

「ん? それはあれさ」

オレンジ色に染まった雲海の向こうから一隻の飛行船がこちらに急速に近づいてきている。

空気嚢にはユニオンジャックのマーク。

「海賊の天敵、イギリス海軍のお出ましさ」

「船長のSOS無線が功を奏したのさ」

「そうなんだ」

ジムは傷ついた肩を抑えながら甲板に出た。一面、オレンジの世界。

ブリジットもカーディガンだけ羽織って出てきた。

海賊たちは急速に戦闘準備に入った。


一方、イギリス海軍、通称、女王陛下の軍隊も戦闘準備に入っていた。

駆けつけた軍艦は、HMS81高速巡洋艦アークロイヤル。伝統的に最新鋭艦に付けられる名前だ。弱点である空気嚢にまで金属板で防御してあり多少の砲撃ではびくともしない。


アークロイヤルが横を向いた。側舷に付いた12門の大砲が順番に発射される。


ヒスパニョーラ号にも無線が入っていた。『我、HMS81アークロイヤル。貴船を保護ス』

船橋も安心ムードが漂っていた。

「新造艦じゃねえか、高速でしかも重武装だ。1対1で海賊に負けるはずはない!」

スモーレットもそう思った。

≪もう大丈夫。でもさっきは本当に死を覚悟した。よかった、助かって…。しかし、あのゴールドは何者かしら? あの剣の腕、敵を一方的に攻撃し、撤退させてしまった≫

ゴールドの一言が脳裏によみがえる「なにね、船に乗る者は武芸もできなきゃ長生きできないんでね。それに刃物は日常使い慣れているんで…」そう言って、船橋を去って行ったのだ。


海賊船内も大変な騒ぎになっている。本来、海賊船は軍隊には勝てるようにはできていない。

幸い、攻撃部隊全員の収容は完了したものの、今度は自身が追われる立場。最高速度で勝る高速巡洋艦から逃げ切るのは容易ではない。片舷8門では、砲撃戦でも撃ち負ける。しかも、こちらの空気嚢は革製だ。勝てるはずがない。


船長席のピュイが決断を下したようだ。

「EBを使う」

足音がした。それだけで誰が来たかわかったようだ。

「オッ、BDが帰ってきたな。さすがにこの短期間では無理だったか?」

「あにき、すまねぇ、地図は手に入らなかった。落とし前にEBの操舵は俺にやらせてくれ」

「そうか、そりゃ助かる」

操舵手が退いた。

「EB準備」

ブリッジに緊張が走る。船体の両舷後方に何か大型の樽状のものが出てきた。


この海賊船は船首に角が付いている。最先端鋼材であるスチールで出来たその角は当たれば威力がでかい。だが、そこまで敵艦に近づくことはできるのか?


アークロイヤルは横向きのまま、艦砲を撃ち続けている。一方の海賊船はアークロイヤルに正向した。いわば両艦がTの字に対したことになる。

だが、これでは海賊側は主砲を撃てない。なぜなら、この時代の砲はすべて側舷についているからだ。


めしいのヒュイが興奮して大声を上げた

「エマージェンシー(E)バースト(B)点火」

そういうとキャプテン席のコンソールにある赤いボタンを押した。そのボタンにはガラスの封がされていたが、それごと叩き割った。

海賊船の後方にある樽状のモノから圧倒的な光が噴出された。


単純な仕組みだった。樽の中には大量の黒色火薬。それに火が付いたのだ。海賊船は急加速する。ブリッジの何人かがそのGのために後方に転がった。


加速は止まらない。いや止められないのだ。一度火が付いた火薬はそのすべてを燃やし尽くすまで消えることはない。爆轟の音が両舷から聞こえる。

急加速する中、目を血走らせて、唾液をまき散らしながら、操船している男がいる。BDだ。


加速中の乗り物の操縦は本当に難しい。

それをBDは舵輪をクイックイッと左右に大きく回しながらこなしている。

「もっと燃えろ!もっと燃えろ!! ハハハハ…」凶器であり狂気である。


アークロイヤル側はパニックになっていた。

ベルゲングリューン艦長は息をのんだ。

「信じられん」

それはそうである。艦隊戦はお互い横に並び撃ちあうのがセオリー。的も大きいが、こちらの弱点である空気嚢をさらすことになる。だからこそ、一番弱点の空気嚢を軽金属合金で覆い耐久度を上げているのだ。それを敵船はこちらにまっすぐ突っ込んできている。これでは的が小さいし、あまりの急加速で狙いも定まらない。


女王陛下の軍隊で長いこと務めたベルゲングリューンの頭は梗塞化していた。逃げていれば万に一つ勝てる可能性があった。が、彼は自身のプライドでその可能性を捨てた。


「撃て、撃て。これは新造艦なのだぞ」


血走ったBDは大型バスを操縦するように舵輪を左右に大きく動かし、着実に迫ってきている。

「血を! 俺に血を!」

次の瞬間、海賊船の角がユニオンジャックのど真ん中にヒットした。

まるで、それがダーツの的のようだった。

ギギギッ 金属がきしむ音がした。まだブーストは続いていた。ただの黒色火薬だが、運動エネルギーを高めるには十分だった。速度を上げた海賊船はついに軽金属を破った。


ギリリッと音がして、空気嚢が崩壊した。

浮力を失った飛行船に助かる手段はない。


単純な兵器だ。紀元前480年、地中海で起きたサラミス海海戦、それで使われた兵器がこれだ。艦首に角が付いている船を使い、それで敵船のどてっぱらに当て浸水させ沈没を招く。原始的な兵器ゆえになかなか対応が難しい。これでギリシャはペルシアを撃退したと言われている。それが2300年の時を経て、今度は空で行われている。人間の業の深さを示す行為だ。


結果、新造艦アークロイヤルは艦本体もろとも紅蓮の炎に包まれて落下していった。空気嚢は幾つかのブロックに分けられ、1つが破けただけでは沈まないようにできている。が、今回は空気嚢全体にダメージを受けたのだ。どうしようもない。轟沈だった。

軍人たちはそのまま落ちていく者、一縷の望みをかけて落下傘で落ちていく者それぞれだった。だが、そのどちらも助かることはない。

地球を覆った雲海にはほとんど酸素がないのだ。空気の主成分の窒素、酸素、二酸化炭素そのどれよりも圧倒的に重い気体に覆われた地表に酸素が存在する道理がない。

唯一助かるには下が雲海から出ている地表がなければならない。が、ここは英仏海峡のど真ん中。陸地はない。


ヒスパニョーラ号の甲板ではゴールド、ジム、ブリジットがこの景色を眺めていた。

日が暮れる寸前、橙色がさらに研ぎ澄まされ真っ赤になった世界。光の三原色RGBのR(レッド)だけの世界、誰もが無言で見ていた。

不意にジムの手に温かいものが触れた。ブリジットの手だった。一瞬驚いたジムだったが、そのままにしていた。ブリジットは無言でジムの手をそっと握った。

「ゴールドさん、あんな兵器があったなんて…。これじゃあ僕たちも一撃で…」

「いや、それは大丈夫だ。あんな技、そう何度も出来る訳がない。しばらくはあの兵器は使えないだろう」

それは事実だった。あれは大量の黒色火薬がいる。しかも、鉄製の樽に詰めなければならない。そのためには一度着陸する必要がある。


「それに、この船とは逆方向にあれだけ行けば、引き返すのには相当時間がかかる。幸いあと10分もしたら日没だ。暗闇なら逃げ切れるだろう」

ただのコック。だが、それだけではないように思えた。

だからこそ、彼の言う事なら信用できる、そう思うジムだった。


第一話 完。



次話予告


水不足を起こし急きょ中継補給地に寄ることになったヒスパニョーラ号。だが、その地もまた海賊に襲われていた。その業火の中、般若の面相でたたずむ振袖の少女がいた!


次回、第二話「もう一人の少女登場」。次回もサービスサービス!!

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