事の始まりは昨日の夜に遡る。

いつも通りに訓練を終えてふらふらの俺は、局内の廊下で、自販機の前に立っていた。


3つの選択肢がある。

俺は悩んでいた。


まずはオーソドックスなスポーツウォーター。

液体の色は白っぽい透明。

青っぽいパッケージには、ハイポトニックがどうこうとか、イオンがどうたらとか、横文字まっしぐらな宣伝文句が並んでいる。

味はよく知ってる。

甘くもしょっぱい、どことなく果実のような気もしなくもないがやっぱり無果汁という、スポーツドリンク味としか形容できない味だ。

まくしたてる横文字の効き目はともかく、体を動かした後と、風邪の時にはやっぱりこれが飲みたくなる。

お馴染みの味。

まずこれが安定択としてひとつ。


二つ目に、その隣のスポーツウォーター・スーパービタミン。

包装は橙色だ。

無印版と同じ横文字ラッシュに重ねて、トドメの一撃とばかりにデカデカと書き加えられた必須ビタミン入り!という文字が勇ましい。

ブラッドオレンジ風味が付いているらしい。

だが変わらず無果汁。

いつもなら、この飲み物は選択肢にも入れていない。

流されるままに、安定択ありきで。

それが俺の信条だから。

『いつも飲んでいる』という理由で、迷うことなく無印スポーツウォーターを選ぶ。


しかし自販機のボタンを囲むように貼り付けられたシールが、固い決意を揺るがした。

『期間限定』。

この四文字が激しい勢いで理性を攻撃してくる。

購買意欲が、湧いてくる。

頭の中で本能と理性が、ぶつかり合っている。


そしてもう一つの選択肢が、俺を更に混乱させた。

水だ。

北欧の山中を水源とする、どこでも見かけるミネラルウォーター。

ペットボトル容器がエコ仕様で柔らかい。

さっき俺はスポーツウォーターを安定択として第一候補に持ってきた。

けれど、疑念が浮かんでくる。

人体の70パーセントは水。

その揺るがない事実。

スポーツドリンクの方が飲んだ瞬間の清涼感に勝るといっても、その後の喉のべたつきは気になる。

人類として、生命体として、本当の安定択とは、やはり水なんじゃないか。

俺という個人と、人類としての俺が、せめぎ合う。


どうすればいい。

どれを俺は選べばいいのか。

俺は悩んでいた。

時間にして1分近くは、自動販売機を睨んで立ち尽くしていた気がする。


そして俺は、決意した。

やはり普通のスポーツウォーターだ。

無難に勝るものはない。


ボタンへと指を伸ばそうとした時、俺は自販機に並ぶ飲み物たちの隅から放たれている、強いプレッシャーに気付く。

『対空庁限定!とびまるくんシェイク』。

細長い銀色の缶には、とびまるくんのイラストと共に、そう書かれていた。


指の動きが、止まった。

好奇心が、そそられる。


『期間』ではなく、『場所』の『限定』。

ここでそう来たか。

やるな、とびまるくん。


いや。

ないないないない。

ないから。


シェイクだぞ。

俺の喉はカラカラだぞ。

全身が水分を求めているのを感じる。


缶の小ささも気になる。

間違いなく200mlサイズ。

値段は据え置き160円。

中々強気な商売だ。


それと全然関係ないけど、やたらハツラツとしたとびまるくんの笑顔も不気味で気に食わない。

毎度思うが、とびまるくんの笑顔にはどこかサイコパスを感じてしまう。

合理的に判断して、少なくとも今、選択肢から真っ先に外しておくべきは、こいつで間違いないだろう。


そもそも、冷静に考えてみれば『場所』の限定はこの選考において全く機能しない。

この場所に自販機があるのはさっき見つけたばかりだが、俺はこれからこの自販機に何度だって来れる。

あえて今、シェイクを飲む必要は微塵もないんだよ。

ぬかったな、とびまるくん。


第二候補のスポーツウォーター・スーパービタミンと同じ期間限定であればいざ知らず、片手落ちの限定では俺を縛ることは出来ない。

たかが限定ひとつ。

俺の無難な生き方で押し返してやる。

お前の相手は、また今度だ。


俺は心の中の全てに決着をつけ、自販機のボタンを押し込む。


がこん。

冷え冷えのとびまるくんシェイクが、取り出し口に落ちた。


何故。


なんでだ。

どうしてなんだ。

俺のバカ。


自分の行動への後悔と虚脱感の中で、銀色の缶を拾い上げる。

プルタブを開けると、粘性のある水面がたぷん、と揺れるのが飲み口から見えた。

心の弱さを反省しろ。

無心で目を瞑り、一息に喉に流し込む。


甘い。

ただただ甘い。

えっ、なんだこれ。

ちょっとよく分からないくらい甘いぞ。


風味が、ない。

本当に『甘くてドロドロ』という以外に何の味覚情報も伝わってこない。

水飴を砂糖水で溶かして煮詰めたような味がする。


なんなんだこれは、何を模した味なんだ。

どこを目指した飲み物なんだ。

俺は強烈な口内のべたつきに苛まれながら、せめて答えを求めるようにパッケージに目を走らせた。


缶の中央に堂々と鎮座するとびまるくんに注意を奪われて気が付かなかった事実。

マロングラッセ練乳ブルーハワイ味、と、上のほうに丸っこいフォントで印刷されている。


……。

バカにしてんのか!


「糖」じゃないか。

「糖」だろ。

もうそれは「糖」でいいだろ。


ピピッ。

空になったとびまるくんシェイクの缶を握り締めながら敗北感に呆然と打ちひしがれていると、自販機が不穏な音を鳴らした。


ピピピピピピピピピピピピピピピピ。

横並びになったボタン一つ一つを、音と共に光が流れていく。


ピピーッ。

その『あたりが出たらもう一本ルーレット』は、見事にとびまるくんの満面の笑顔の上に輝いた。


がこん。

二本目のとびまるくんシェイクが、取り出し口に落ちた。

俺はもう一度、その200ml缶を拾い上げる。


心は穏やかだった。

凪のように静かだった。


上等だよ、とびまるくん。

地獄の底まで付き合ってやる。


虚無の気持ちで、プルタブに指をかける。

その時、局の館内放送を告げるチャイムが鳴った。


『緊急呼集を行います。実働部隊所属、真鍋伍長、直ちに東棟第一応接室に向かってください。繰り返します……』


緊急呼集。

名指しの呼び出し。

この支局で誰よりも下っ端で新入りの俺がわざわざ呼び出されるような心当たりは、言うまでもなく無い。


それに、応接室?

支局の外の誰かに会うのか?


日もとっくに暮れている、こんな時間に。


おっかなびっくり東棟へと向かう。

とびまるくんシェイクは、とりあえず上着のポケットに入れておいた。


「失礼します」


分厚い両開きの扉をノックし、入室する。

えっと。

それで。

どう言えばいいんだったか。


「真鍋マグ伍長。呼集に応じて参じました」


「座ってください」


椅子にかけた美並空士がこちらを一瞥して言った。

これで大丈夫だったらしい。

空士の隣の席に腰を降ろす。

向かいの席には、スーツ姿の二人組が座っている。


一人は顎鬚を生やした太り気味の小男で、年は40歳くらいに見える。

もう一人の女性は、年齢だと20半ばくらいに見える。

切れ長の瞳をした、長い黒髪と細身の美女だ。


「大東テレビのプロデューサーやってます。内田です」


男の方が会釈をした。

ニコニコしたえびす顔。

いかにも業界人って感じがする。


「アナウンサーの丹波です」


その隣で、黒髪美女もぴしっとした、折り目の付いたようなお辞儀をする。

アナウンサーの丹波。

そこでようやく、スーツの女性が何者か思い当たった。

大東テレビの丹波アナ。

毎日朝と夕方のニュースで見かける売れっ子アナウンサーだ。


うおお、テレビの人だ。

ヤバい。

オーラが出ている気がする。


すごい美人だぞ。

柊中佐にだって引けを取らない美貌だ。

男と比べられても丹波アナは困るだろうけど。

あ、そうだ。


俺はポケットからとびまるくんシェイクを取り出し、テーブル伝いにスッと丹波アナに差し出した。


「よろしかったら、どうぞ」


「……ありがとうございます」


丹波アナは間髪いれずに、シェイクを一気にぐいっと飲み干した。


「……甘いですね」


数秒の沈黙はあったが、あの暴力的な甘さに全然表情が変わっていない。

さすがはいかなるニュースも顔色一つ変えずに読み上げることから『鋼鉄丹波』の異名を誇るクールビューティ丹波アナだ。

テレビの人はすごい。

俺はすっかり感動していた。


「美並空士!見ましたか!凄いですよ丹波アナ!」


「馬鹿な行動は慎んでください真鍋伍長」


美並空士の視線は、いつにも増して冷ややかだった。

仰るとおりです。

ぐうの音も出ない。


立ち上がって、備え付けのポットで四人分お茶を淹れてテーブルに並べる。

丹波アナの口直しのためにも。


「すいませんでした」


「いえ……甘いものは……嫌いではありません」


あれ。

興奮のあまりすっかりワケの分からない行動を取ってしまったけど、そもそもこの人たちが俺に何の用なんだ。

お茶を啜りつつ、二人組を観察する。

丹波アナもこちらを射抜くような視線でジッと見ている。


「あなたは……電波放送という概念の本質を……どうお考えですか……」


丹波アナはこちらを見据えている。

えっ。

俺が、質問されているのか。

というか、どういう質問なんだこれ。

どう答えるべきなんだ。


「報道……娯楽……知識の提供……それらは全て……一つの観念に基づいて……統合される……ヒトの営みなのです……それは即ち……世界を救うこと……」


?????

俺の頭の上に飛び出した無数のクエスチョンマークを無視して、丹波アナはよく通る声と流麗な発音で言葉を続ける。


「……あなたにも……聖戦士として……世界を救って欲しい……」


聖戦士。

ワードが強すぎる。

キャラが強すぎる。


これが素なのか。

丹波アナ、普段はこんな感じなのか。

テレビの画面越しでは全然分からなかった。


すごい、やっぱりテレビの人はすごい。

普通人には計り知れない神秘がある。


それはそれとして、俺、どうすればいいですか。

全く言ってることが分からないです。

誰か助けてくれ。

視線でプロデューサーの内田さんの方にヘルプを求める。


「はい、えーっと、つまりですね。第七支局さんにですね。取材許可をいただきたいと、そういうことなんですね」


丹波アナも、隣でコクコクと頷いた。

あ、それでいいんだ。

そう言ってよ、じゃあ。


「そこで、ですね。真鍋さんにですね、是非その中心として協力をお願いしたいということなんです、ハイ」


「そういうのは柊中佐にお願いしたほうが」


報道機関からの対空警邏に対する取材の申し出は別に珍しいことでもないらしい。

とはいえ、うちの支局で考えれば、その対象として真っ先に挙がるのは柊中佐だろう。

見栄えも応対も、俺の百万倍はいい。

中佐の性格なら、大概の取材は快諾してくれる筈だ。

実際に俺は中佐をテレビや新聞や雑誌で見たことが何度もある。

というか、こんなその辺にいるうだつの上がらなさそうな若者が出ていってもテレビの前の人たちもがっかりするだろう。


内田さんはニコニコした笑顔のまま、困ったように額を掻いた。

あちらもそう思ってはいるようだ。


「それが、ですね。柊さんはちょっとどうやら、現在捕まらないようで」


「時々、あるんです。煙のように行方をくらます事が」


美並空士が、ため息を吐いた。


「中佐は電話も持っていませんし、こういう時は呼集にも応じません。しかし飛獣の出現時には必ずいつも通りに現れるので、支局のどこかにいるのは間違いないのですが」


あの人は座敷童か何かか。


「そこで我々も、今回の取材は方向性を変えてですね、ハイ、臨もうかとですね。真鍋さんにお願いしたいと」


そういう理由で、俺だったのか。

正直物凄く不安なのでやりたくはないけど、断るわけにもいきそうにない。

誰もやらないと美並空士や広報部の人たちも困る。

柊中佐も一人になりたい時だってあるだろう。


「分かりました。よろしくお願いします」


「ありがとうございます……やはりあなたも……聖戦士」


丹波アナは恭しく両手を合わせて微笑んだ。


「そうですね。聖戦士ホーリーウォーリアー真鍋です。よろしくお願いします」


こちらも修行僧のように手を合わせ、厳かに頭を下げる。

美並空士の何やってんだこいつという視線が痛かったので、この辺までにしよう。


内田プロデューサーは、かばんの中からハンディカメラを取り出して、テーブルの上に置いた。

説明によれば、新人隊員の視点から局内と職員、隊員たちを写す、という企画らしい。

つまり俺を通して、間接的に俺以外の隊員たちを取材するということか。

よかった。


俺一人で尺が保つはずが無い。

そしてもちろん、撮った映像の最終確認は司令部を通して民間に公開できる部分だけを残すそうだ。

ある程度は、何を写しても大丈夫らしい。

少しだけプレッシャーから開放されつつ、俺はカメラを受け取った。


テレビ局の2人が帰ったあと、部屋から出て行こうとする俺を、美並空士が呼び止めた。


「私たちの組織にとって、広報は重要な意味を持つ活動の一つです。気を引き締めてください。今回の件は単独の特別任務とします」


「了解しました」


俺は踵を揃えて、敬礼した。

つまり、これが俺の隊員としての、初めての仕事になるのか。

思ってもいなかった形ではあるものの、下手は打ちたくない。


そして今、俺の手元にカメラがある。

誰から撮りにいくべきか。

スケジュールによれば、今日は隊員が全員支局待機を命じられている。

待機中の行動は割かし自由が認められており、支局内であれば、各々が好きに時間を使える日である。


とりあえず、居場所のハッキリしている人のところに行こう。

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