賽河原獄卒問答(さいのかわらごくそつのもんどう)

阿井上夫

第一話 序

 私が鬼と化してから五百年近くつが、こんな気分になったのは初めてのことだ。

 冷酷かつ残虐非道な青鬼である自分が、憤怒の余り赤鬼のごとくいきり立っている。

 それを更に斜め上から冷静に分析している自分がいるのだから、話がややこしい。

 そして私の怒りの原因である子供は、私の目の前に澄ました顔をして立っていた。


 *


 さて、事の発端は三途さんずの川の渡し守が苦虫にがむしつぶした顔で、私の前までやってきたことだった。

 渡し守というのは、舟をいでいる奴と川のあちらとこちらで乗り降りの管理をしている奴、常に三人が組になって行動しており、全員が等しく不機嫌な顔をしている。

 三途の川を陽気に渡すほうが頭がどうかしているのであるから、それはそれでお役目に最適なわけだが、その中でも乗客担当の渡し守は抜きん出て不機嫌な顔をしていた。

 しかも、その彼がいつにもまして不機嫌な顔――もう少しで不愉快に変わりそうな顔をしていたので、私は驚いて声をかけてしまった。

「どうした? 今日はえらく不機嫌じゃないか」

「どうしたもこうしたもない。少し前まで客の無理難題に答えていたのでな。舟の出発が遅れてしまって、親方からどやされた」

「ほう、そいつは珍しい」

 渡し舟の時間が遅れることはまずない。

 普通、乗客は死んだ事実で死んだように無気力になっているから、舟に放り込むだけなのだ。

「しかも、乗せる奴じゃない。ここに残すほうの奴だ」

 渡し守は船着場のほうをあごでしゃくる。

 私がその方角を見ると、そこには年端も行かぬ子供が面白くなさそうな顔で対岸を見つめて立っていた。

「あの餓鬼だよ。お前は舟に乗れない、って言ったらいろいろ面倒なことを言い出した」

「何で乗れないんだ、とかか」

「そんないつもの文句ならば全然気にならん。慣れているのでな。ところが、あの餓鬼ときたら――」


 渡し守の話はこうだった。


 子供は自分が渡れないことを知ると、それ自体は問題にせずにこんなことを言い出した。

「ところでさあ、ここには日本人しかこないのかなあ」

「ああ? そうだけど、それがどうした?」

「問題意識のない人だなあ。だから仕事が雑になるんじゃないの?」

「何だとこの餓鬼ァ!」

「アメリカ人はどうしているのさ? 渡し賃はドルで払うの? ドイツ人はユーロ?」

「あ? 俺には細けえことは分かんねえけど――」

「仮に日本人専用の渡し場だとしてもさあ、海外でなくなった日本人はやっぱり外貨でしょう? その辺どうなのさ。為替レートはどうなっているの? そもそも六文銭の円換算はどうなっているの? 日本で亡くなった外国人はどっちになるのさ?」

「あ、あ?」

「貰った渡し賃はどうなるの? 何に使われるの? 賃金に回ったとしても、ここじゃあ使い道ないよね?」

「あ、あ、あ?」

「縄文時代はどうしていたの? お金自体がないよね? この世の始まりから神様がいたんだったら、その頃から賽の河原もあったんでしょう?」

「あ、あ、あ、あ?」

「それとも途中からお金の徴収を始めたのかな。でも、それじゃあ理不尽だよね? 少なくとも来る人全員にちゃんと事前通知しないと不公平だよね?」

「……」

「それにさあ、なんで日本は舟で外国は階段なのさ。しかもなんだか貧乏臭い木の小舟って、どうなのさ。日本の経済力や技術力やおもてなしの心が疑われるんじゃないの? それに、死ぬ人数と渡し賃で考えたら、新造船だって導入できるぐらいの現金資産があるんじゃないの? そもそもキャパシティがおかしいよね。本当ならもっと死んだ人が列をなしてないと――」

「……この餓鬼ァ、黙って聞いてりゃ四の五の五月蝿うるせぇんだよ!」

 すると、目の前の子供は急に黙りこんで、下から見上げる嫌な目つきをしたという。

「な、な、なんだよその目は」

「いるよね、こういう大人」

「はあ?」

「自分がちゃんと勉強していないのが悪いのにさ、子供に図星指されて答えられない癖に、大人ぶって怒り出すんだ。駄目駄目じゃん。子供より子供じゃん。大人の余裕とかないの?」

「……」

「ああ、やだやだ。この調子だと、向こう岸にもこんな大人しかいないんだろうな。それじゃあ渡っても仕方がないよ」

 そう言って子供は、本当につまらなさそうにきびすを返す。


 渡し守は事の次第を見守っていた亡者達から、死人のような――というより死人そのものの白い目で見られて、大層居心地が悪かったという。

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