#12:戯曲『惑星の死と死』

<第一幕>


 研究室の一角、2メートル四方の黒い箱。

 その前に立ち考え込む、1人の女科学者。


女科学者 理論上は正しい。そして実験も終わっている。では私は何を悩んでいるのだろう?よもや、いやあり得ない。ここまで来て良心の一欠けらでも働いたというのか?だとすれば、今更だぞ。その段階は遥か昔に終わらせておくべきだった。


 (外は激しい雨。時折雷の音がする)


女科学者 あの音は?あの惑星の者達の抗議の声ではあるまいか?(雷の音)そうか、私を嘆くのか。愚かしい選択しか出来ぬ哀れな科学者を責めるよりも先に嘆くのだな。(雷の音)やめてくれ。私の愚かしさなど、鏡を見るまでもなくわかるのだから。(扉を叩く音)今度はなんだ?もはや私を殺そうとする、あの惑星の者の群れでも驚かないぞ。入りたまえ。


 (舞台右手側の扉を開けて、若い研究者が入ってくる)


女科学者 あぁ、お前か。残念だ。

研究者  所長、どうしましたか。またあの愚かしい妄想が貴方の聡明な頭脳をまどわせましたか。

女科学者 違う。違うのだ。妄想と片づけるにはあれはあまりに私に肉薄しすぎている。

研究者  先生、しっかりしてください。私たちの前にいつも正解を出してきた先生の、そんな姿は見たくない。


 (女科学者は大きなため息をついて、舞台上を時計回りに歩き回る。研究者はその中央に立つ)


研究者  (傍白)所長は悩んでいるようだ。無理もない。その指一つで惑星を一つ葬るのだから。その苦悩を知りつつ、しかしその背を押すことしか出来ぬ愚か者め。

研究者  所長、あと一時間です。ご決断を。

女科学者 一時間。一時間か!(雷の音。光が窓から差し込んで黒い箱を照らす)馬鹿馬鹿しい。時の神クロノスは創作神であることを知っているかね?神話の時代に時間の概念は無かったからだ。「瞬間」は存在したがゆえに、時刻の神カイロスは存在した。今私の背を追い立てるのはクロノスではなくカイロスだ。

研究者  神などおりません。我々研究者の一番の敵は神です。

女科学者 時量師神(トキハカシ)は時刻の神というより、契りの神だ。そうだ。時刻と約束は切っても切れぬ間柄にある。私はカイロスに背中を押され、時量師神に殺されるのだ。

研究者  所長!


 (研究者の大きな声に女科学者は一瞬驚いたように硬直する。 首を左右に振って、また歩き出す)


女科学者 そんな目で私を見るな。お前の言いたいことは判っている。

研究者  あなたがご決断なさらないのであれば

女科学者 お前が箱を動かすか

研究者  いいえ。それは私の力では動かせない。

女科学者 あぁそうだとも。そうだとも。お前はなんと賢い教え子だろうか。願わくばその聡明さが使命感に消されぬように。


 (女科学者は立ち止まり、箱の傍へと戻る。その表面を手で撫でながら俯く)


女科学者 モノリスは既に生まれてしまったのだ。思えば滑稽な名前を付けたものだ。かつて好きだった小説に出てくる石柱から拝借しただけだが、あれは進化を促し、あるいは滅びを促すものだった。まさにこれはモノリスだ。そう焦るな。私は決断をするだけだ。少々その覚悟に付き合ってくれてもバチは当たらないだろう?(窓の方を見て)ええい、煩い雷だ。どうせなら全てモノリスの上に落ちるが良い!



<第二幕>


 (黒い箱の上に、カラスの装束の少年と、ハトの装束の少女が座っている)


カラス ところでお前は何をしに行ったのだね

ハト  この雨を止めようと、雨乞いを

カラス それは良いことだ。して結果は

ハト  窓の外を見ればわかるだろう。雨乞いをしてせめて雨だけにしようとしたのに、雷が止まず。

カラス・ハト なんと嘆かわしい!


 (二羽の声に合わせて落雷。室内をしばしの静寂が流れる)


カラス 彼女は何処に行った

ハト  最後の惑星を目に焼き付けるために隣の部屋に。でもそろそろ戻ってくるだろう

カラス まぁまぁ、おやおや。それは素晴らしい


 (左側の扉が開いて、女科学者が姿を現す。足取りは重い)


女科学者 さぁ舞台は整った。あとはモノリスを動かすだけだ。(箱の上に目を向けて)そこにいるのは私を責める良心か。それとも私の心より出た躊躇いか?

ハト  どうぞ

カラス お気に召すまま


 (女科学者は自虐めいた笑みを浮かべて、両手を叩く)


女科学者 ………鳥に話しかけるとは、とうとう私の平常心も怪しくなってきた。しかしいっそ正気を失ったほうが楽なのではないか?そこの良心達よ。お前たちは些か出てくるのが遅かった。

ハト  惑星ハルゼルが磁力を持っていると気付いた時に

カラス 惑星ハルゼルが隕石を呼んでいると気付いた時に

ハト  そこに住まう者も同じ特性を帯びていることに気付いた時に

カラス 貴女の良心は死の淵に立たされた!

女科学者 私はハルゼルを破壊しなければならない。あぁ、彗星が訪れる前にモノリスを動かさなければ。しかし私の指がハルゼルのすべてを壊すのだ。私はその罪に耐えられるだろうか?


 (雷が二度鳴る。女科学者はそれを振り返って、怯えたような顔になる)


女科学者 雨と雷がこれほど恐ろしいものだと、誰が知りえただろうか。皆、この惑星群を包み込む外殻に写る太陽と月を甘受していたのに。彗星のおかげでこの様だ!そうだ。何を怯えているのだろう。ハルゼルを消し去れば再び平和が戻ってくるのだ。実験のためにモルモットを殺すように、細胞を破壊するように、ハルゼルを……。


 (右の扉が開いて研究員が入ってくる。怒気を含んだ声を投げかける)


研究員  所長!ご決断を!

女科学者 あぁ、決断した。準備が必要だ。君、モノリスの前に立っていてくれたまえ。

研究員  わかりました。所長、貴方の決断はいつだって正しいが、私たちにはわからないのです。

女科学者 早く安心させろと言いたいのだろう?


 (女科学者は黒い箱の前に立つ研究者の後ろに立つ)


女科学者 (傍白)そうだ。私が何を迷っていたのか、漸く分かった。そしてそれはハルゼルの犠牲に比べたら排除するにあまりにちっぽけなものだったのだ。


 (女科学者は傍にある机からナイフを取り上げる。そしてそれを大きく振りかぶり、暗転)




<第三章>


 (脱いだ白衣を手に持ち、モノリスを拭く女科学者。傍らには倒れている研究者。ハトとカラスは右手側で手を取って踊っている)


女科学者 私は、ハルゼルの住人の怨みが怖かったわけではない。雷にいらだったわけでもない。ただ私にハルゼルを滅ぼすひと押しをする、彼が邪魔だったのだ。そうだ。彼さえいなければ私は、ラットに注射をするように極めて静かに事を進めることが出来る。


 (雷と雨の音。その存在を思い出したかのように窓を睨み付ける)


女科学者 あぁ忌々しい!だが最早好きなだけ喚くがよい。私にはそれは雷と雨の音に過ぎないのだから。………これからハルゼルが放つ音に比べれば天使の囁き、小鳥の囀りだ。小鳥か。そこにいる小鳥たちよ。(一拍置いて)お前たちは私のことを見ているのか?


 (女科学者の視線がハトとカラスに向けられる。踊っていた二羽は怯えたように両手を取り合って扉の方へ逃げる。女科学者は赤く染まった白衣をわざわざ着直して、ゆっくりと近づいていく)


ハト   どうしたことだ?

カラス  彼女は何を怯えている?

ハト   その決意を脅かす者はその手で消したのに

女科学者 (一度大きく足を踏み鳴らし)口やかましく唱えるはお前か?


 (ハトの羽を引っ張り、引き寄せる。ハトは短い悲鳴を上げて両手を振るが、振りほどけない)


カラス  どうしたというのだ、これは。あれが彼女の障害ではなかったのか?


 (戸惑うカラスは動けない。女科学者はハトの首を絞めて、静かに傍白する)


女科学者 ハルゼルをコートリア惑星群の引力装置から切り離し、それと同時に天蓋から宇宙空間へ放出する。彗星はハルゼルの磁力により、惑星群に近づいている。ハルゼルが惑星群より外に出れば彗星の軌道を逸らせる。(ハトの抵抗をかわし)彗星の確認は一時間前。タイムリミットは十五分後だ。ハルゼルの住民は総じて磁力を帯びている。全員避難させることは不可能だ。

カラス  いけない。それではただ同じことの繰り返しだ


 (カラスが手を伸ばそうとした時に暗転。暗闇の中で女科学者の声だけが聞こえる)


女科学者 (穏やかに)仕方ない。惑星に住むいくつもの命の量だけ、私に罪悪感は降り注ぐのだ。この雨のように、雷のように。


 (雷はなく、雨の音だけ長く響いている。次第に明るくなり、黒い箱の前に立つ女科学者。

箱に繋がった入力端末を操作している。箱の上にはハトを抱えたカラスの姿)


カラス  随分長くかかったものだ。ところで本当に彗星は来ているのだろうか?外を確認する術も頭脳も持ち合わせていないのが恨めしい。


 (窓の外を睨むカラス。女科学者がそれに気付いて顔を上げる)


女科学者 ………カラスよ、私の良心よ。私の目玉を抉りたいなら後にしてくれ

カラス  そんな趣味はない。それより彗星は来ているのか。私の魂の伴侶が死んだだけの対価は払われるのか知りたい。

女科学者 (首を左右に振って)責めてくれるな


 (目を反らした相手にカラスは失望して溜息をつく)


カラス  彗星は本当にあるのか?本当に彗星が此処に向かっているのか?忌々しい雨よ雷よ、すぐにその口を閉ざすが良い。そして彗星を見せてくれ。


 (カラスはハトを箱に置いてから下に降りると、女科学者の方は見ずに窓に足を掛ける)


カラス  何が正しいのか決めるのは、天でも神でもなく貴女なのに


 (そのまま外に飛び出していく。女科学者はそちらに目もくれずに入力装置を叩いている)


女科学者 秒速500㎞、F2G2軌道を利用して接近中……惑星ハルゼルの磁力を一時的に上げて……


 (段々声を荒げていく女科学者。その声に伴い静かに暗転する。暗転後に女科学者の悲鳴が響き渡る)


―――幕




 弾けるような音がして、照明がつく。

 監督と演出家はそれぞれ持っていた台本を握りつつ、顔を見合わせた。


「どう思う?」


 監督の問いに演出家は首を傾げた。


「まぁいいんじゃないかしら」

「本気でそう言っているのか?通してやるまで気付かなかったけど、これどこからか訴えられないか?」

「心配性ねぇ、代表は」


 代表じゃない監督だ。と訂正する男子生徒はステージから降りてきたカラスの装束を着た部員に声をかけた。


「最後、台詞が抜けたな」

「え、本当ですか?すみません」

「クルエ君にしては珍しいな」


 カラスの羽のマントを脱ぎながら、カラス役の少年は自分の台本を手に取る。そして該当の場所を見つけると眉を寄せた。


「本当だ。えーっと、「あぁ見えない何も見えない」か。なんで忘れちゃったんだろうなぁ?」


 宇宙機構大学附属高等学校の体育館では、近々行われる文化祭のために演劇サークルが最後の仕上げに取り掛かっていた。舞台用の照明ではなく体育館の天井から下ろされた照明は、先ほどまで無機質な石に見えていた黒い箱をただのハリボテへと変えている。部室のロッカーを二つ組み合わせて、その周りを黒く塗った板材で囲っているだけであり、後ろから見ればなんとも間抜けなものだった。

 ロッカーの上ではハト役の女子生徒が、何か考え込んでいる。肝心の女科学者役はと言えば、照明で崩れてきた化粧のことを気にして鏡を覗き込んでいるものだから、誰も監督の悩みには気付かない。

 それでも若さゆえの胆力で、演劇サークルのまとめ役となっている監督は挫けなかった。両手を打ち鳴らして全員の注目を集めると、大きく息を吸ってから言葉を発した。


「この劇をやって、大丈夫だろうか?」

「はぁ?」


 女科学者役が目を見開く。


「今更何を言ってんのよ」

「いや、ほら。天才科学者でしかも女って言ったら、どうしたって一人しか思い浮かばないだろうし」

「高校生の部活なんかに目くじら立てるほど暇じゃないわよ」

「台本を見た時は面白いと思ったんだが、完成するにつれて不安になってきたと言うか……」

「代表らしくなーい」


 ハト役がロッカーの上で足を組みながら文句を口にした。すぐ傍で大道具係が「メル、下着が見える」と忠告するのも聞こえていない様子だった。


「大体この台本って、大学の演劇サークルにあったやつでしょ?じゃあ一回は上演してるってことじゃない」

「それはそうなんだが…不安になってきた」

「フィクションなのに。……マリッジブルー?」


 見当違いのことを言いながら羽のマントを前後に仰ぐように動かす。カラス役もそれを真似しながら、笑みを浮かべた。


「大丈夫ですって。それよりも全体的に暗い雰囲気の劇っていうほうが問題じゃないですか?」

「それよ、それ」


 演出家たる副代表の女が同意を示す。


「やっぱり見る人に、最初からインパクトを与えるものが欲しいのよねぇ。最初の雷だけピンク色にしない?」

「ピンクはダメですよ。モノリスに当たった時にハリボテ感が凄いんですから」


 大道具係の一年生が口を尖らせる。照明係も二階からそれに同意した。やはり聞き流されてしまった監督の不安を拾い上げるものは誰もいなかった。


「じゃあモノリスの位置を」

「いや、それだとハト役が見えない」

「やっぱりピンク色!」

「それより、衣装なんだけど……」


 所詮はただの戯曲。

 ハルゼルなんて惑星は今も昔も存在しないし、モノリスという装置も存在しない。わかっていながらも、監督である少年は不安を隠しきれなかった。膝の上に放り出した台本に目を向ける。そこには『惑星の死と死』と黒い文字でタイトルが記されていた。


「一体誰の死なんだろう?」


 そんな何でもない問いは、誰かの「いっそのこと虹色!」という提案に掻き消されてしまった。


End

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