41「新宿ダンジョン」

「とりあえず、すべてを否定的に捉えるのはやめよう。なにごともすべて上手くいくとイメージするんだ」


「なにインチキ自己啓発本みたいなこといってんのよ。これ、気合でどうにかなる数じゃないわよ」


 上総がみなを励ますために柏手を打つと紅がパソコンモニタに移る屋外カメラの映像を指差し水を差した。


「んー、たっくさんおりますねぇ。みなさん夜はお暇なのでしょうか。ねぇ姫さま」


「まぁまぁ。このように民草たちが寄り集まって。シンジュクは王都よりもはるかに大きな街なのですね」


 クリスとリリアーヌが競ってPCモニタに顔を突っ込むのでマウスをクリックして監視カメラを切り替えていた黒瀬が場所を空けた。


「なんちゅうか、某ゾンビ映画を思い出す光景だな」


 上総は入り口のカメラに映し出された人々を見ながらふぅと息を吐き出す。群衆は年齢も服装もまちまちで、上総が想像していたような麻薬に手を出すような人々とはどうも上手く結びつかないのだ。


「あたしたちだけでこの群衆を止めるのは不可能よね」

「紅。結界はもってあとどのくらいだ?」

「そうね。んー、この調子だと、あと十分くらいかしら」


「……あんま時間ないな。わかった。俺に考えがある。リュウさんは結解が破られたときのためにみんなとバリケードを作ってください」


 上総が当然のごとく指示命令を出す。普段はどこにでもいる今風のサラリーマンであるが、こういった場合の上総は命じられた人間に有無をいわさぬ威が備わっていた。


 声も口調も変わりはないが纏う雰囲気が違うのだ。

 黒瀬がややたじろぎながらうなずいた。


「おう、そっちは任せろ。いくぞ」


 黒瀬は山本と武藤を連れて階下へと向かった。


「クリスも手伝ってあげて。もし群衆が突っ込んで来たら、殺さない程度に頑張って防いで」


「んんーっ。腕が鳴りますねぇ。了解です!」


 クリスはかわいらしくうおーっと叫ぶと両腕を風車のようにぐるぐる回しながら駆けてゆく。隠れていた及川はこちら攻勢に出たと見るやテーブル下から這い出してきた。


「なんだかわからねーがリーマンの兄ちゃんも頼んだぜ。もし上手くこの場を切り抜けたら新宿で一番のクラブで腹が裂けるほど飲ませてやるっ」


「え、マジで? クラブってあの美女が一杯いるって噂の」


 及川は上総が身を乗り出すや否ややけっぱちの状態で叫んだ。


「ああ! 店中の酒も飲み放題っ、新宿一の美女だって抱き放題だっ。なんなら四,五人まとめて因果を含めてくれてやるっ。好きにしやがれっ。オレは腕力はねぇが金なら新宿じゃ誰にも負けねェ!」


「酒、美女……はうあ!」


 一瞬、邪悪な欲望で上総の脳が満たされだらしのない顔になるが、リリアーヌと紅の冷たい視線を受けてすぐ我に返った。


「違う、違う。そうじゃ、そうじゃない」

「アンタは鈴木雅之か」


 紅のツッコミが入る。


「ぐ――っ。俺は新宿の罪なき人々を救うために全力を尽くす」


 上総が拳を握り締め、天井を凛々しくも睨むが紅たちの視線は冷たいままだ。


「サイテー」

「……カズサさま」


「ああっ。紅はまだしもリリアーヌもそんな目で俺を見ないでくれよっ」


 上総は紅とリリアーヌを連れて屋上へ移動した。特に利用はしていないのかだだっ広い空間があって四方には転落防止の柵がある。周囲にはこのマンションよりも高いビルが無数にあるので展望はそれほどでもないが、眼下の群衆を一望に収めることができた。


「紅にリリアーヌ。もう薄々感づいているだろうが、新宿に蔓延しているクリスタル・トリガーも今俺たちを襲うために集まっているやつらも、間違いなく魔王五星将がかかわっている、と思う?」


「そこは断言しなさいよ。あほ。もっとも秋葉原でやっつけたエルアドラオーネの言葉が本当なら少なくとも異世界からやって来たバカどもはあと四人はいるはずよ」


「そのことですがカズサさま。わたくし、アキハバラ・ダンジョンを攻略したあと、ロムレスから持参した書物を紐解いたところかつて封印された魔王の藩屏たる強力な四魔族の名が判明したのです」


「……あのねぇリリアーヌ。そういうことはもっと早くいいなさいよね! このおたんちんっ」


「ああっ、紅の辛辣な言葉でリリアーヌが涙目にっ。謝って、そして褒めてあげてよ! リリアーヌはストレス耐性ゼロに近いから批判なんてありえないんだってば!」


「はぁ? なにを甘ちゃんなことこの期に及んで……あっ。ちょっと! 嘘だってば。あたし別にアンタのこと批判してるわけでもなんでもなく、ただ、そういう重要な事実は事前にわかっていれば教えてもらえないかなーって、そんだけで」


「ぐずっ……そうでずよね。わだぐじが、かくじょうがないからどいっで、だまっでいるなんでばんじにあだいじまずよねぇ……っながまにだいずる、うだぎりでごじゃいまずよねぇ!」


「ああ、泣かないで、泣かないでったら!」


「リリアーヌ、リリアーヌちゃあんんんっ。ほーら抱っこだ。怖いことなんてなにもないよーっ、おおーよしよしっ」


「ふえぇえ」


 上総はリリアーヌを抱き締めると頭をいい子いい子したりして撫でさすり、彼女が不安がったり必要以上に自分を責めたりしないよう慰めた。


 姫が落ち着くまで多少時間がかかる――。


「で、そのあたしたちの敵になりそうっぽい四魔族ってのを教えて欲しいんだけど」


「はい、クレナイさま。書物によれば、土のエルアドラオーネ、水のグランバジルオーネ、火のフルブレオーネ、風のストラトオーネが魔王五星将の内四名に相当するかと」


「あとのひとりは不明ってことね。なんかもやもやする」


「はい、わたくしも胸がもやもやして、なにかきゅーっとしますわ」


 リリアーヌはきゅーっといいながら自分の豊満な胸を掴む。煩悩に悩まされる上総の視線は自然とそちらに流れた。


「どこ見てるのよ淫獣」


「い……俺は淫獣なんかじゃありませんっ。じゃなくてだな。ともかくも早く、下のやつらを追っ払わないと」


「んで、具体的にはどうするつもりよ。当て推量はできてもこの状況をどうやって打開するつもりなの?」


「下に集められた人たちは薬でどうこうってわけじゃない。紅、おまえにもわかるだろ。彼らは大規模な魔術で操られている。たぶん、携帯が通じないのも俺たちを襲わせてる魔術師の仕業だ。だから、そいつを探し出して叩き潰す」


「探し出すってどうやって」


「やつらは必ずこの近くにいる。魔術師ってのは離れれば離れるほど魔力が薄くなるし、そもそもこれほどの多人数を動かすのなら、姿が見える位置にいなきゃ不可能だ」


「だからあたしはそいつを探し出す方法が――」


「紅、紅いぃいい! やべぇぜやべぇぜ! やつら突っ込んで来やがったぜ!」


 会話の途中でクリスに預けていた外道丸が屋上の扉を跳ねるようにして駆け込んできた。上総は持っていたノートパソコンを開くと監視カメラの映像を確認する。そこには防御結解を破って階段に雪崩れ込んできた群衆が黒瀬たちが守る狭い通路のバリケードに殺到する光景が映し出されていた。


 音声はないがクリスがノリノリで机やパイプ椅子を無気力なゾンビのように襲ってくる群衆へとぶん投げている姿が見える。


 だが、黒瀬やクリスがどれだけ力戦しても多勢に無勢である。


 もはや一刻の猶予もない。


「ろーむ、ろむ、ろむろむれす。我が血と盟約を結んだ無敵の魔人よ。今こそ、その力を我に貸したもう――」


 状況を察知したリリアーヌは素早く七十二柱の精霊ヴィネを召喚した。


 屋上の中央には巨大な魔法陣が現れ、黒い霧とともに獅子の姿をした魔人は現れると黒馬に跨り悠然と歩を進めた。


「精霊さま。わたくしたちを苦しめている悪の居場所をなにとぞ教えてくださいませ」


 ヴィネは物憂げに夜空を見つめると片手を上げて瞳を閉じた。


 上総は専門の魔術師ではないが、精霊ヴィネが途方もない魔力を以てしてサーチを行っているのはわかった。


 ヴィネの全身から青白い光がまばゆいほどに放射されると、やがてその光は一条の綱となってするすると虚空を泳いでいく。


 光の綱は迷うことなく四鷹会の斜め向かいにあるビルにまっしぐらに飛んでゆくと、ある地点で矢のように突き立った。


「あそこだ!」


 上総が叫ぶが早いか精霊ヴィネは手にした毒蛇を宙へと放り投げた。毒蛇は空をうねりながら這うように進み、コンクリの壁を通り抜けるとすぅと消えてゆく。


 同時に、耳をふさぎたくなるような絶叫が流れた。


「な――なんなのよ、この声は」


 紅が片目を閉じる。


「カズサさま、敵はあそこでございます!」


 リリアーヌの指し示す窓からひとりの男が顔を覗かせた。上総の超人的な視力が闇夜に捉えたその男の風貌は、一見してなんの特徴もないスーツを着た会社員に見えるが隠し切れない魔力の質から直感的に魔族であると理解した。


 上総は駆けながら屋上の鉄柵にたどり着くと、枯れ木をへし折るようなたやすさで手ごろな一本をもぎ取った。


「おおおっ!」


 激しく咆哮しながら身を反らし、手にした鉄棒を魔術師目がけて投擲した。


 直線距離にして一〇〇メートルはある空間を鉄棒が閃光のごとき速さで駆け抜けた。


 窓ガラスが木っ端微塵に砕け散り鉄の矢が吸い込まれる。


 魔力を帯びた鉄棒は魔術師の胸元に突き刺さると稲光のように激しく発光した。


 ぐらり


 と魔術師の身体が虚空に躍った。


 線香花火が最後の輝きを見せるように、落下した魔術師の身体は赤く、白く明滅すると最後にパッと輝いて四散した。






「いつものことだけど、情報取る前にサクッとやっちゃってくれたわよね」


 紅が両腕を組みながら砕け散った魔術師を見てつぶやく。


「あ……まあ、いいジャン」

「よくないっ」


(なんなんだよ。てか、今回おまえなんの役にも立ってないじゃんか。それをいえる権利はリリアーヌだけだぞ)


 もっとも上総は思ったことをそのまま口にするほど愚かではなかった。紅は自分のことは棚に上げて上総をつつくプロフェッショナルなのだ。上総はお口をチャックして不満そうな紅をジッと見た。


「まぁまぁ紅もさぁ。兄さんは結果を常に出してるんだから、あんまガミガミいわないでおくれよー」


「なんでアンタがコイツの保護者みたいになってるのよ。はぁ、もういい。とっとと事務所に戻るわよ」


 外道丸が上総の頭の上でぴょこぴょこ跳ねて擁護すると、毒気を抜かれたのか紅は屋上の扉に向かって歩いてゆく。


「カズサさま、今回わたくし頑張りましたよっ」


 むふふ、とばかりにアヒル口でリリアーヌが自慢げに胸を張る。上総は揺れるたわわな双丘に視線を奪われながら彼女の功績を思った。


「おう、そういえば今回はほとんどリリアーヌの独壇場だったといえるな。飴をやろう」


「わーい、飴ちゃんです」


 リリアーヌは万歳しながら貰った飴玉を手に持ちくるくると回った。紅は舌打ちしながら目尻を痙攣させている。どうやら上総をつついたのは今回自分がまるきり活躍できなかったことを自覚していた部分もあったらしい。


(ここは俺がダンディな大人の対応でいなすしかないな)


「紅よ。おまえもそれなりに頑張ったということでハッカ飴をやろう。おっと、リリアーヌにあげたレモン味はあげられないぜ。そこんとこは立場をわきまえてくれよな」


「いらない」

「んなっ! なんですと?」


 すたすた去ってゆく紅の背を見つめながら上総は軽いショックを受けた。


 気落ちしながら事務所に戻ると、黒瀬をはじめとした組員たちが65インチのテレビに張りつき騒いでいた。


「おい、上総。悪いがくつろいでる時間はなさそうだぜ。コイツを見てくれ」


「これは――!」


 それは想像を絶する光景であった。


 テレビに映し出される新宿駅西口はまるで大河の洪水をまともに受けたかのように水浸しになっていた。


 特徴的なロータリーまでもが激流によって水没している。車両がまるで木の葉のように激しい水流によってくるくる踊っていた。


「はい。こちらは現場の森です。現在、新宿駅西口は未だかつてない異常現象に見舞われており――」


 特大のテレビモニターではアウトドアブランドのハードシェルを着込みヘルメットを被った中継者が目をギラギラ光らせて背後の異様な光景を語っていた。


 上総は水攻めにあった古城のごとき情景である百貨店のたたずまいを網膜に焼きつけながらギリと奥歯を噛み込み、知らず、唸っていた。そして胸の内でつぶやく。


 ――紛れもなくこれは、新宿ダンジョンの出現である、と。


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