弐の戦 ≪ 待たされる男

 


『増やすな。捨てろ』── ブルース・リー



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■ 鬼門陰陽流古武術の指南役候補生

  丹波たんば 不動ふどう ── 曰く





 陸上自衛隊北部方面隊第七師団の一員として、丹波不動は東千歳駐屯地での任務に就いていた。しかし訓練中に膝蓋腱しつがいけんを損傷、そらで言えるほど復唱した宣誓も虚しく任務は4ケ月弱で閉幕。


 中学生時までに剣道、柔道、拳闘ボクシングを習い、少年工科学校では銃剣道部に所属、丹波の青春時代はまさに格闘技とともにあった。ゆえにか、怪我で人生を惑うなど夢想だにもしていなかったのである。


 心にぽっかりと穴が空き、除隊後の就職活動も躍動せず、お国のため、額に汗していて然るべき若い身空が路頭に彷徨。


 長引く虚無感の最大の原因こそ、格闘技への深い執着心に他ならない。漲溢みなぎっていた青春期の追憶が頑固な宣誓文となり、平穏無事な毎日をすっかり毛嫌いさせていたのである。拳足を打ちこみたい、組手をしたい、勝利したい──生きる道はそれしかないとする執着心が、彼の目の前を茫洋の路頭へと挿げ替えてしまっていたのである。


 そんな折りのこと。


『秩父の山中に古武術の一門あり。古豪の手で最新のいくさするもの也』


 人伝に聞き、ただちに関心を抱いた。


 落魄おちぶれていたとは思えぬフットワークでさっそく見学へと向かい、その如才ない実戦派スタイル、狡智なるアクティビティ、スポーツ格闘技とは一線を画する邪道のスタンスにたちまち魅了、イチもニもなく入門を嘆願。そうして、入門希望者同士の立ち合い──という潔い試験に辛くも合格、晴れて謎多き古豪の門下と相成った。


 あれから18年。


 今や中堅ベテランである。ゆえに逃げ出したくなる強制的鍛錬からは解放されたものの、残念ながら、いまだ上には上があるという普遍を学ばされ続けている。


 くことも忘れさせるほどにフレッシュな挫折を提供するこの古武術──抜かりなき戦場格闘技。



鬼門陰陽流きもんいんようりゅう



 先輩が言うには、独眼竜の伊達政宗が組織したとされる忍者部隊『黒脛巾組くろはばきぐみ』の一派の流れを組む戦場格闘体系である。


 忍者の価値が失われた江戸時代後期、しかし闇に隠れて生存していた黒脛巾組の忍術に、時の武人、百目鬼拳鐘どうめきけんしょうなるおとこが刮目、己が修練する武術とあわせて独自の戦場格闘体系へと昇華させたらしい。旗あげは明治元年へと遡るが、しかしもともと謎の多い古武術だけにこれ以上の歴史詳細は教えられていない。


(そもそも架空だという話だが)


 江戸時代初期までの伊達家の関係資料、そのどこにも黒脛巾組という組織の記述はなく、中期に至って唐突にあらわれていることから「架空の忍者部隊である可能性が高い」というのが有力説だったような記憶がある。


(まぁ、眉唾物と言われればそれまでか)


 いずれにしても、開祖である拳鐘先生にも会ったことはなく、事の真相は藪の中……もとえちゅうの中である。だいいち、武術の世界は実力主義社会なのだし、ならば起首ルーツの是非を巡るなど野暮の極み。


 事実、鬼門陰陽流には正真のアビリティがあり、絶大なバリューもあった。


 秩父本館、玄関をあがってすぐの長廊下には各国要人からの感謝状が裏原宿の落書きタギングのように飾られてある。アメリカ合衆国の歴代大統領をはじめ、露、仏、独、英、土、印、巴──曰くつき国家の謝辞も遠慮なく並べられ、中にはイスラム過激組織の書状まである。ただし、国際的な体裁だったり日本との歴史認識の不一致からだったりと理由は様様だが、北朝鮮と韓国と中国からの感謝状はなく、さらには我が国の公的機関からのものも1通として存在しない。


 北朝鮮、韓国、中国はやむなしとして、なぜ日本からの感謝状がないのか?


 答えは明明白白。


 日本の公的機関に対し、鬼門陰陽流がいっさいの武術指導をしていないから。


 だいたい、この国ほど保存能力の貧弱な国はなく、ゆえに国外への輸出を主力メインにして活動しているから。平和ボケした日本なんぞに指導を試みたところで呆気なく衰退させてしまうのがオチである、永続的延命を考えた場合、本当に必要としている国に指導していたほうが絶滅させずに済むから。


「柔道=スポーツ」とのたまうような、寝言をホザくのが大好きな国である。連綿と受け継がれてきた技術や信条をたやすく滅ぼしてしまうことは確定的。つまり「伝統ある我が戦場格闘体系を誰が国際的比肩礼賛主義国なんぞに教えるか!」てなわけである。


『もう戦争が起きないなんて思っているのは日本人くらいなもんですよ ── (略) ── 人は戦争するのが当たり前。善い悪いじゃなくてね?』


 試合リハーサルのない超古武術の、とある高名な武道家はそう語った。実戦のみの世界に生きている彼なればこそのあまりにも現実的リアルな発言である。


 なるほど、武道には理想論が介在しない。そうとなり得るか否かの可能性のみを見据えて体系を構築しているのである。例えば「そんな世界であってはならない」とか「そうならないように努める」とか、理想論を前提としたシュプレヒコールなんて武道の世界には邪魔なだけである。


「人は争う生き物である」とは断定できないにせよ、しかし、現実、現在もどこかで紛争や暴動は起きている。可能性でいえば間違いなくである。そして可能性のみを条件に、紛争や暴動が実際的有事として発生した時にはどうすればいいのか?──とロジックを煮詰め、具象的に組み立てた戦守機構のことを元来「武道」と呼ぶのである。


 鬼門陰陽流は真性の武道である。


 日本より外に輸出すべきである。


(まぁ、忍術も、古代ペルシアから絹の道シルクロードを経て輸入された散楽さんがくが起首なのだが)


 しかし気持ちはわからないでもない。侍と武士の区別もつかず、忍者を黒歴史コミックと信じきっている現代日本人に対し、今さら忍術を教えたところで勝手にスポーツ視するに決まっているのだから。あげくの果てにはホットヨガと並べて時短ダイエットに励む腹積もりなのだから。


 以前、


『わざわざ身体があったまるまで待っていてくれるテロリストがいるのかい?』


 某有名大学で空手サークルを営む若者たちが合宿目的のために来訪した折りのことである。鉱山跡の修練場へ連れてこられるなりウォーミングアップもなくはじまった実戦型式の組手に狼狽、そんなの聞いてない!──苦情を叫ぶ彼らに向け、現当主である百目鬼鷹山どうめきようざんが言い放った。


行住坐臥ぎょうじゅうざがに武の瞬発が置かれるんだぜ? セックス中に襲われて、それでおまえら、いったいどの穴に隠れる気だい?』


 動いている状態を「行」という。

 守っている状態を「住」という。

 座っている状態を「坐」という。

 眠っている状態を「臥」という。


 すなわち、行住坐臥とは「日常生活に備わるありとあらゆる機微」という意味。特に武道の世界では頻繁に使われる四字熟語である。


 すると、


『頭の中にという漢字を書きなさい。武道の武です』


 当主のかたわらで仁王立ちしていた少女が、黒道着をブルーノートレコーズのLPジャケットにしそうなアルトサックスの声でこう継いだ。


『この字は、ほことめるというふたつの漢字が組みあわさってできています。では、矛とはなにを指すのか答えなさい』


 狼狽を深める女女しい大学生たち。


 苦痛なほどに静まる深緑の修練場。


 しゃおしゃお──青嵐を透かす松の葉擦れだけが漂い、その静寂は20秒にも渡った。


 ふんッと勢いのある鼻息を落とし、


『なんと学習能力のないことでしょう』


 呆れるようにひとりごちると、太刀の輝きを瞳に宿す少女はやおらに静寂を斬った。


『矛とは理不尽な暴力のことを指します。今しがた当主が申しましたが、例えばテロリズムのような暴力のことです』


 凛然とはしているが、どことなし餓えているかのような執着的ストイックな顔立ちでもある。


 そう、


『スポーツマンシップを捨てなさい。テロリストを目の前にしてのその気楽さは致命的です。死に直結する怠慢なのです』


 実戦しか見据えていないのが武道……がゆえに、時としてこんなを生むこともある。


『あなた方は空手家なのでしたっけ? 武の道を選んだ者なのでしたっけ? で、よもや準備運動をしなくては戦えないような精神でいったいぜんたいどこのどなたを守るおつもりなのでしょうか?』


 巨岩の体躯を誇る当主の娘とは思えないほどに彼女は美しい少女である。しかし、世間一般が望む美貌とは明らかな一線を画した。大和撫子と称してしまっては早計だが、つまりはその形容詞を彩る粛然さが原因である。硬派なのである。


『ただ単にスポーツ空手をしたいだけならば都内のフィットネスクラブへ通いなさい。期待に沿う準備運動ぐらいはさせてくれるはず。寝耳に水の献立メニューなど立てないはず。あわよくば女性人気も博されるはず。しかしながら……』


 が、硬派がゆえに、


『しかしながら、私はあなた方に対して一糸一毫いっしいちごうの魅力も感じませんが』


 たいそうな皮肉屋なのである。


『自律、節制、忍耐──弱者を守るに必要不可欠なこれらの積み重ねを怠り、自己の処断に届かないと知ればとたんに泣き言を叫び、終いには怪我の功名がごとき武道の上っ面で自慰オナニーできてしまう賢者の右手なんぞに守られたい女の理由がありましょうか?』


 ししし──当主を笑わせるほどに左の眉をあげて見せる毒舌家なのである。


 彼女の名を、百目鬼歌帆どうめきかほという。


 長女であり、4人兄妹の末っ子である。


 普段は母親のいる東京都内に住んでいるが、土日祝日ともなればわざわざ父親の経営する秩父の道場へと足を運ばせる。そして黒道着を羽織り、わずか3人しかいない指南役に変貌する。いうまでもなく黒帯ブラックベルトだが、列強国軍隊御用達の戦場格闘技における有段者なのであるからしてに末恐ろしい話である。だからか件の大学生たちも露骨あからさまに震えあがっていた。


いや、それだけが理由ではない)


 少女は、まだ高校2年生なのである。


 弱冠16歳。


 普通に考えれば、プリクラでアニメみたいな目となり、ネットにアップして恋愛詐欺を働いていても可笑しくない年頃なのである。ヤバい、ウケる、ムカつく──このへんの単語で与太話トークを成立させていても可笑しくない年頃なのである。


 ところがどうだ、目を細め「自律、節制、忍耐、積ミ重ネ、自己ノ処断、自慰、賢者ノ右手、守ラレタイ女ノ理由ガアリマショウカ?」──女子高校生が発する台詞ではない。てて加えて年上に命令し、皮肉も満載に毒を吐くのだから、もはや粛正された連中を可哀想だと労るより他に術はないのである。


(夜逃げしたんだっけな、あいつら)


 そういえば、こんなこともあった。


『手裏剣ってなんの意味があんの?』


 今冬、武術雑誌『月刊武功ぶこう』の記者を名乗る中野真守なかのまもるという男がカメラマンとともに入山した。米軍への指導経験がある16歳の女子高生──噂話が風に乗り、面白がって取材をしに来たようである。実際には指南役はサポート役であって直接指導は当主の役目なのだが、知ってか知らずか彼はネタの汎用性クオリティを優先した。


『使えるイメージが湧いてこないんだよねぇ』


 彼の、少女の逆鱗に触れかねない軽口には、真横で見ていた丹波のほうこそ肝を冷やしたものだが、


『意味ですか? あるといえばありますし、ないといえばありません。これは手裏剣に限らず、武器全般に関して同じことがいえますが』


 どうやら琴線のほうに触れた。


『手裏剣は牽制が目的となります』


『ケンセイ?』


『投げて終わりではありません。手裏剣を投擲とうてきした瞬間、必ず敵との間合いを詰めなくてはならないのです。なぜならば、敵に武器を手渡すようなものだから。たまさかキャッチされてはこちらの不利。ゆえに牽制として投げ、怯ませて間合いを詰め、特効薬的な打突を浴びせるのです』


 確かに、鬼門陰陽流では武器術も学ぶ。手裏剣や薙刀なぎなたなどの伝統的武器から鉄筋や針金などの現地調達の物、鉛筆や菜箸や皮剥き器ピーラーなどの日用雑貨、果ては砂や水に至るまで、使える物ならばなんでも使えという発想である。


『確かに、敵に渡ってしまったら不利になるなぁ』


『それが武器というものの最大のウィークポイント。ですので、手裏剣に意味を付随させるのであれば第一に牽制という観念を置かなくてはなりません』


 むろん、銃火器も教える。使用術ではなく対応術としてではあるが。


『なるほどね。意味があるといえばあるし、ないといえばない……か』


『武器使用に際し、この殺傷能力を絶対に望んではなりません。依存するは致命的。殺傷能力の有無はあくまでも使用者本人に係っていることなのです』


 そしてこの少女は武器対応術のスペシャリストである。腕力でなく技術で対応し、制馭し、奪取し、駆使し、または破棄する達人なのである。


『武器術は体術です。対象を制するのみの一元論であってはならず、馭せられる二極をもってようやく勝機の芽吹くものであります。制あれば馭、剛あれば柔、能あれば受、実あれば虚──これら二極をもって』


『ゆえに流と、そういうことか! では、そのためには、武器を目の前にしても怯むことのない胆力メンタルの構築も重要課題……だね?』


『まさにご明察。鬼門陰陽流とは、それらすべてを包括した上でのたいなのです』


 改めていうが、高校2年生の女子である。記号化すればどこにでもいることになってしまう少女が、数多くの格闘体系を取材し、取材しすぎるがゆえにヒネくれてしまった格闘技雑誌記者を最終的に興奮させてしまう。


 こんな高校2年生がどこにいよう?


(モンスターというか、アニメキャラだ)


 そうして丹波は、砂利と呼ぶには粒の大きすぎる砂利道へと岩の溜め息を落とした。



 ⇒ 20XX/08/25[土]14:XX

   埼玉県秩父郡小鹿野町

   鬼門陰陽流古武術の修練場にて



 小鳥と油蝉のさえずりは聞こえるものの、それ以外の息遣いが聞こえてこない清らかな鉱山跡である。関東一律に警告音の響いている残暑の折りながら、ここ秩父の山奥にまで塩タブの配給は充てられていない。まさに颯爽とした緑の海である。


「しかし、ぜんぜん来ないな」


 響きもしない吐息を緑の海へと投げかけてみる。約束の時間はとっくに過ぎている。指定場所、指定時刻、指定試験官──予てより聞かされている指定項目を指定したほうがいまだに満たしていない。


「試験、もうはじまってるんだろうな」


 騙すことも加味して初めて「忍術」と呼べるのである。場所、時刻、人員を手配し、赴かせ、自分はその約束を反故バックれ、相手が油断したところを襲いかかるのが忍者という種族なのである。


「帰ったっていいんだろうな」


 最終試験官である百目鬼歌帆なんてその最たる人物である。心構えや対応力ができていれば、別にこのまま道場へと帰ってマカロンを食べていたってなんら咎められることはないのである。


 行住坐臥というヤツである。


「だとしたら帰路で襲われたりして」


 そうは呟いてみるものの、あのアニメキャラともあろう者が果たしてそんな単純明快イージーな戦略を練るだろうか。


 最終試験の開始予定時刻からすでに2時間が経過している。しかし、試験をしてくれる少女はいっこうにあらわれない。


 いまだ組手で勝利できたためしのない、兵者つわものの少女である。


 だからか帰るに帰れない。


「歌帆さん……かぁ」


 睨んでいるかも知れない可能性に睨まれた蛙の心地である。せっかくのチャンスなのに、かれこれ2時間、興味のない森林浴に固まり続けるのみ。


「気分が乗らないんだよなぁ」


 例えば、北の大将が無慈悲さを口にしたとあらば駐留米軍が大挙して来訪、実戦の心得を乞いたがる鬼門陰陽流。つまり、世界情勢が休暇を与えない永続的繁忙期状態にある組織であるがゆえに、あとひとりだけ指南役がほしいとされていたのである。そのための、幹部候補生の適性テストに抜擢された栄誉ある今日、しかし、丹波はいまだ崇高な気分になれないでいる。


「夜逃げも効果的だろうか?」


 中天にあった太陽はすでに傾いている。間もなく山の背に隠れ、ますます忍者に好都合な地の利インフラを整える。


 少女が、あらわれないはずはない。


 明後日には始業式らしいのである。


 彼女の夏休みも、間もなく終わる。


 試験官なのに試験もせず、よもや上京してしまうはずがない。


 否、


「まさか……な」


 冬休みまで待たされるのかも知れない。


 忍者としては、それもまた特効薬的アリである。





   【 了 】




 

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