序章

IRON HAND 3RD VOL

登場人物

セロウ・ディング……ネメシス空戦隊長。難民を収容したときは子供向けに彼による紙飛行機教室が開かれる。

シスル・ナイン……ネメシス空戦隊副隊長。ドレスよりも戦闘服の方が落ち着くらしい。

エリザ・グラハム……ネメシス空戦隊員。最近ではグースの装飾を任されている。

レナ・ブルージュ……ネメシス司令。完璧超人と思われているが、育児は専門外らしい。

シアク……司令夫妻の第一子で男の子。バターカップ曰く、天使のように可愛い。


「ほら、切り返しが甘い」

「兄貴こそ、そんな攻めで大丈夫?」

セラミックブレードの軽快な音が響く中で、僕は今日も演習を繰り返している。感応状態でのエリザとの戦いは苛烈を極める。強い疲労と確かな実感を伴い、互いの心に潤いさえもたらしていた。

「隙ありだ」

「いいよ、来て」

刃はばちんと火花を散らす。隙を偽る技術は、エリザならではの技だ。だが、これは僕には効かない。効かないからこそ彼女はその隙を見せ、僕がそれを突くのだ。

 あるいはそれは、エリザのためにしていることかもしれなかった。彼女の戦いを満たし、それにより自分も満たされようとしている。もっとも、シスルにそんなことを言えば三日も口をきいてもらえないのだろうが。

 この一戦はどうにか勝った。これで五割。エリザの潜在能力は底なしであり、いずれ僕も勝てなくなるのだろう。

 だが自分にも、伸び代はあるはずだ。巨人の動きでわからないことはまだ残っている。今もキロムのエースであり続けるあの人は、僕の戦いを見て何と言うだろうか。まだ未熟だと、一笑に付すだろうか。彼は僕にとって最も高い壁であり、シスルやエリザという師を得た今でも忘れることはない。

 最近はテロ事件が多く、僕も先週までは各地での警備任務が続いていた。そんな実戦の増加に比例するように、自主演習の量も増えてきている。皆不安なのだ。アドラスティアの他にも危険な組織は存在するらしい。司令曰く、八世紀の最後は女の時代だという。各地で台頭する軍事組織も才気ある女性が関わっているそうだが、とても他人事とは思えなかった。

 そういった危機感の中で、軍事組織とは思えないほどゆるいネメシスの空気にもさすがに緊張感があった。

 アレスを出るとシスルがいる。シスルの柔らかな笑みは幼少期に培ったものか、あるいは天性のものかもしれなかった。彼女が王族の血を引いていると聞いても、ネメシス隊員は驚かなかった。彼女には品があるのだ。

「セロウ、お疲れ。勝った?」

「ああ、何とかね」

「ほんと、みんなすごいよね。特にグレイスなんかほんとに強くなった。前よりずっと懐が深くなったし、攻めも厳しい」

「僕もそう思う。たぶんグレイスは、自分を見つめ直したんだと思う。エリザを見ていては変えられない事を、彼女は変えたかったんじゃないかな」

「あなたもエリザばかりじゃなくて、ね」

「ちゃんと見てますよ」

「足りない。あなたたち、仲が良すぎるんだもん」

こうはっきりと言ってくるのは、彼女の美点なのだと思う。文字通りのお嬢さま育ちで、おてんばな部分がロイスに来てからはより色濃くなっていた。彼女のくろがねは、もうほとんど融けているのだろう。それは僕にとって、何よりもうれしかった。

 あるいは、シスルの方が異常かもしれない。僕たちのような目を持たない彼女は、しかしエリザを得意としているのだ。エリザの攻めをいなせるだけの受けの引き出しを持っていて、かつ受けづらい攻撃を繰り出せる。巨人使いである前に、彼女はひとりの剣士だった。

「ね、ね、ちょっと行きたい場所があるんだけど」

「どこだい」

「四番街にお肉のおいしいお店ができたんだって。今日開いてるらしいから今から行こうよ」

「ああ、いいよ。ちょうどお腹空いてたし。車出してくる」

そう言って車庫へと向かう。ネメシス用の乗用車は、ここに駐留するようになってから定期的に増えている。多くはヘンリーさんの趣味なのだが、意外にもハンドリングに重きを置いているため乗りやすい。そのためイサベルやヴィクたちも頻繁に使っていた。

「エハンスのことはどう?」

「なかなか難しい。現状では王国再興どころか、領地を取り返すこともできない」

彼女によれば、バイール戦争以前と違い、領有権を訴えかける国際社会がないのだという。国際法は形骸化し、大国が率先して条約への批准を拒んでいる。それゆえ、かつてジェラールがそうしたように戦争を仕掛けるほかない。

 だがその非情な選択のためには、もうひとつ問題があった。それは金だ。戦争を起こすとなると、百億ベインを超える額が必要になるだろう。エハンス系の資産家の多くは協力の姿勢を見せているが、それでも資金は全く足りていないらしい。

「そうか、やはり大変なんだね。僕にできることがあれば、何でも言ってくれ」

「ありがとう。でも、これは私のことだから」

そう言って視線を正面に向ける。初めて会った時から、彼女の視線は遠くにあった。

「そう言えば、騎士たちはどうだった?」

「変わらずよ。シモンさんは、きっとあの日ことをまだ悔やんでいるんだと思う。ベルナールさんは、今を楽しむことを忘れないようにっていつも盛り上げてくれてる」

それでシャルルさんは。シスルは湿った笑みを浮かべる。

「気の毒だわ。その望みは、かなわないもの」

その答えは僕の想定とは違ったが、喜ばしいことだった。彼女が騎士のことをよく見ているということは、シモンさんたちが真にミレーヌ王女の騎士でいられるということだからだ。

「動きはあるの?」

「いえ、まだジェラールにいるみたい。上の目が光っていて、どうにも動きづらいらしいの。ジェラールはまだ騎士たちを利用するつもりだわ」

「ジェラール軍は司令も危険視しているね。あの膨れ上がった組織をまとめるのは容易なことじゃない。すごい人がいるんだろうな」

「前言ってた、種まく人のことかな」

「わからない。でもきっと、いつか僕たちは戦わなくちゃいけない。ネメシスの大義は、望まない人を戦いに巻き込まないからね」

助手席でシスルが頷く。やはり彼女の責務は重いのだろう。であれば、僕は僕にできることをしてあげたかった。

 四番街にたどり着く。ここに噂の店があるらしい。シスルの手ぶりや足運びから、胸が高鳴っているのがはっきりと見て取れた。

「話によれば、この道をまっすぐ行って左にあるって。早く早く」

手を引かれる。こうなると、彼女の勢いを止めることは困難だ。もっとも、止めようと思ったことなどないのだが。

 そこはミレーヌ王女が訪れる場所とはかけ離れた、よく言えば庶民的な店だった。簡素なつくりの建物は年期こそ入っていないが、しかし外観にこだわっているとはとても言えない。

「え、王女さま、ここ入るの?」

「今の私はシスル・メレディスなの。誰にも邪魔なんかさせないんだから」

メレディス、というのは黒い箱で大食い娘というような意味らしい。彼女にぴったりの言葉だった。

「へい、いらっしゃい。おや珍しい、美男美女カップルとは。ささ、お好きな席に」

「ありがとう」

やはりシスルはこういう時の笑顔がとても上手い。僕もそれは見習うべきことだった。

 座ってメニューを受け取ると、シスルは目を輝かせた。僕もそれを見るにつけ、彼女がここまで来たがった意味が分かった。

「すご、見てこれ。すっごいおいしそうだよ」

「そ、そうだね」

見るとそこには、チャレンジと銘打たれた特大メニューの欄があった。

 驚きを隠せない僕をよそに、シスルは手を挙げて店員を呼ぶ。

「このリブステーキのチャレンジちょうだい」

「えっと、じゃあ僕は普通サイズのハンバーグで」

と言うと、シスルが頬を膨らませる。僕にも食べろ、とは彼女は言わないはずだが。だが続く言葉は、僕の想定を上回った。

「そっちもたべたい」

「お嬢さん、あんまり無理しちゃいけねえよ。ここのチャレンジは、フードファイターが大会に向けた訓練に使うものだ」

「でもおいしいって噂だったから、だめだったら持って帰っていい?」

うーむ。店主の男は渋い顔をしたのち、頷いた。向こうにしてみれば、売上自体は上がるから嫌な顔をするわけでもない。僕は何も言わずに、微笑を浮かべているだけだった。食べきれないとは思わない。デビルズの前夜も、一ヶ月分の保存食を前にしてすべて消化してみせたからだ。とはいえ、店主の気持ちはわかる。シスルはやや筋肉質ではあるものの、どちらかと言えば細身で大食いには見えない。

「普段は許可していないんだが、美人の娘さんの願いだ。できるだけは食べてくれよ」

「わーい。じゃあハンバーグもチャレンジでお願い」

感嘆符が頭上に浮かぶ。さすがに少し大きくするだけだと思ったからだ。

 そして十数分待っていると、料理が現れる。予想はしていたから驚きは少なかったが、この頃には周囲もざわついていた。遊び半分でチャレンジを頼む者もいるらしく、そうだと思われているのだろう。

 だがそんな疑念は、シスルの一口目を見たとたんに消し飛んだ。ただ真剣に、心からおいしそうに、目の前の肉を食べる。僕が彼女を本当に魅力的だと思うのは、このときなのだろう。

 そうしてシスルが九割ほどを、僕が一割ほどを平らげたときだ。薊のはずの彼女が、ひまわりの笑みを浮かべる。

「交代。こっち、おいしいよ」

僕は促されるがまま、プレートの隅に寄せられたステーキを見た。彼女は僕のために、おいしいと思う部分を少しずつ残してくれていたのだ。食べることに関して、僕は彼女に頭が上がらないのかもしれなかった。

「あ、おいしい」

「でしょ? あ、これすごい、ふわふわの中からお肉のおいしいのが全部出てくるね」

もう何キロも食べているはずなのに、笑顔のままでこんなことを言うのだ。もはや皆、おいしそうに食べる彼女に見とれていた。

 やがて、プレートの上には何もなくなった。シスルはふうと息を吐くと、駆け寄る店主に対し笑みを見せた。

「ありがと、おいしかったよ」

「すごいな、お嬢さん。今までも君ほどの大食いはいたけど、こんなに見ていて気持ちのいい食べっぷりは初めて見たよ。また腹が減ったら、ひいきにしてくれよな」

シスルは、僕にもなかなか見せてくれないほどの明度で笑う。ある時はおてんばな女の子、ある時は厳格な兵士、ある時は淑やかな王女。彼女は多くの世界で、立派に生きているのだろう。それは純粋に、彼女を尊敬するひとつだった。

「うん、また来るよ」

そうして、店を後にする。アラートが鳴ったのは、その滑りの悪い引き戸を閉めた直後だった。

「セロウ、これって」

「ああ、急いで戻ろう」

車に乗り込み、行きよりもスピードを上げる。巨人に慣れてしまった人は、地上の車の加速に満足できないだろう。それでもヘンリーさんは、整備班に頼み込んで出力を極限まで上げている。それが生かされることは、ついぞあり得ないのだが。

「今回も、ティシポネってところなのかな」

「そうかもしれないね。つい最近グレイフォレストがやられたばかりだ」

「でも誰が、どんな目的で」

「わからない。でもその理由は、僕たちと同じなのかもしれない。もしそうなら、彼らはネメシスの倒すべき敵だ」

シスルは強く頷く。ミッドランドの情勢が落ち着いて、国家以外の組織が力を持ち始めている。それは必ずしも、戦場だけではない。秩序を破壊し人の心を揺さぶることで本懐を遂げようとするそれは、テロリズムというべきものだった。

 車を止めた僕たちは、ひとまずグースに急いだ。

「司令、戻りました」

司令の腕の中には、毛布に包まれたシアクの姿があった。彼はこの喧騒の中でも、おとなしく目を開けていた。

「入って。機体はもう格納してある。行き先はサウスランド、内容はあとで伝えるわ」

司令はそれだけを言うと、慌しく艦内へ戻っていく。グースはすでに離陸用意を終えており、戦闘に備えて僕たちもすぐに巨人に向かわねばならなかった。

 格納庫に着き、シスルがアテネに飛び乗った隙を見計らってエリザが近寄ってきた。

「兄貴」

「エリザ、それ」

「なによ、うちが戦闘服着ちゃ悪い?」

思えばラウラとヴィクも、戦闘服姿が板についている。彼女らがこれを着ることを良しとしたのであれば、腹を決めるのは僕の方だ。もう庇護の対象などではなく、支え合う仲間なのだ。実際このふたりは白兵戦も高いレベルでこなせるようになっている。

 僕はひとつの切り替えとして、妹に右手を差し出した。

「いいや。エリザ、一緒に戦おう」

「なにそれ、気持ち悪い」

そう言いつつも、エリザは微笑とともにそれに応じる。あるいは彼女も、同じことを思ったのだろうか。それとも、僕の顔に映っていたか。それは、まだ兄妹の中で秘密にしておくべきことだった。

「これから、どうなるかな」

「きっと、すぐに総力戦とはいかないと思う。今回は散発するテロに対して、うちらが警戒網を敷くだけ」

僕は頷く。

「そういえばエリザ、グレイスは?」

「いまオイデのチューニング中。急速な成長で、プログラムの改善点が山積みなの。前より気持ち活発になったのはいいけど、誰に似たのか最近やきもちでね。この前エイドさんと話した日も素っ気なかったし」

「だからか。別に、エリザは僕や他の隊員に気なんてないだろう?」

エリザはあきれたように手を顔の前で振る。

「当たり前。うちは生まれつきレズだし、でなくとも男なんてうんざり。まあ、それでも兄貴は兄貴だから。優しくしてあげてるの」

そう言ってくれるのは、嬉しかった。それは彼女が持ちうる、最大限の好意なのだろう。

「野暮な話になるけど、グレイスはどうなの?」

そういうと大げさにため息をついてみせる。

「兄貴ってほんとデリカシーないよね。ちょっと知りたがってるのはわかってたけど、普通聞く?」

「はい、反省します」

「うちははっきりとは言わないからね。兄貴が感じた視線、あれは本物だったよ。それだけ」

エリザとの会話は、包み隠すということがない。そんなことをしても、お互いを見ればわかってしまうからだ。だから僕もエリザも、外に対し隠し事をしないように気をつけている。

 そのような他愛のない話の中で、不意にエリザの表情から喜色が消えた。それは真剣な話をする時の顔だった。

 ねえ兄貴。彼女は問うというよりは、答えを請うようにそう呼びかけた。

「覚悟、できてる?」

「わからない。でも、親父には負けられない。負けることの意味を考えるほど、負けられないことがわかるんだ」

「そだね。でもうちは、まだ親父を信じたい」

その言葉は、彼女の正直な気持ちなのだろう。そして、僕と相いれない。

「そうか。同じ相手を前にしても、僕とエリザの戦いは違う。僕は親父を殺したい」

「なんで? だって、家族なんだよ。それがどんな人でも、うちや兄貴を作ったのはあの人なんだよ」

「エリザ、これは譲れない。今、僕の家族は君だけ。それで十分だし、それより先はいらない」

「そんなのさみしいよ。セロウはお母さんとおばあちゃんが優しくしてくれたからいいかもしれないけど、うちには誰もいないんだよ」

「エリザ、君には母親がいるだろう。僕にはもういない。親父は、僕の最も大事な人を奪った。もう、僕の人生に親父はいらない。どころか、今すぐにでも排除しなければ収まらない」

エリザはその目に狼狽の色を浮かべた。彼女はまだ、それが本当につらいことだということを知らないのだろう。であればこそ、あの親父の肩を持つことができる。それを伝えることは残酷なことだが、しかし避けて通ることは僕にはできなかった。

「味方だと、思ってたのに。兄貴が親父を殺すなら、うちがその前に立つから」

その瞳に淡い光を宿し、エリザは立ち上がる。で見るまでもなく、それは強い失望と決意を孕んでいた。

 空気が抜ける音が、左右から。僕はとっさにオイデの方を向く。エリザはアテネを見ただろうか。視線が交差して、まずい位置関係になっていた。

「セロウ、動き合わせたい。今でよければ――」

「ねえエリザ、この微分器なんだけど――」

着地は同時だった。シスルの方が私服のため少し動きが鈍っているか。僕はふたりの表情を見て、弁解の用意をした。

「もう。確かにセロウさんならいいって言ったけど、でもずっと呼んでたんだよ」

「ごめん。今からやろ。調整手伝うよ」

エリザは無機質に答える。グレイスの前では装うことをしない彼女も、それは隠さねばならないのだろう。僕はシスルの方を見た。

 シミュレータ開いて。その言葉は冷たく、僕に向けられていないような感覚を覚えた。それは怒りを抑えている風でもない。彼女の内側にある、何かの変化だった。

 結局あれから簡単な動きの確認をして、互いの部屋へと戻った。到着までは数日を要すと聞いている。さすがにサウスランドは遠いのかと航路を見て納得した。ジェラールの制空圏は避けて通らねばならない。侵略主義の旗印であったライルをデビルズで失い、安定期に入っている。こうなると、その牙城に踏み入るのはあまりにも危険だった。シスルも言うように、内部の統制を取り直してもいる。いずれ戦うべき相手と言えど、今事を構える理由はなかった。

 海峡が見える。東はウエストバイア、西はキロム。通商条約が締結され、海峡での緊張は解除する方向で進んでいる。ウエストバイアも、南北に緊張を抱えてキロムとまで張り合っている余裕はないのだろう。あの小島もかつての住人が戻ってきたようで、あの時のような独特の空気は流れていない。

 この小さな変化は、あるいは世界の大きな変化のひとつにすぎないのかもしれない。たとえ力によるものであっても、それは受容すべきだ。

 今日は夜にブリーフィングがある。赤道を通過すればそこは無法の海となり、上空も油断できないらしい。とはいえそれ以外にはすることもなく、僕はふと思い立ち司令室へと向かった。

――はあい、ちょっと待ってね。

ノックに応じ、司令が声をあげる。僕は次の言葉を待って、恐る恐るドアを開けた。

「失礼します」

「あら、セロウちゃん。どうしたの?」

司令の服装で前をはだけると、さすがに目のやり場に困る。人見知りをするシアクも、僕は受け入れてくれているようだ。

「親父のことで、知りたいことがあって」

ふむ。司令は思案顔をつくったかと思うと、デスクの引き出しをあさり始めた。

「私も気になって調べてみたの。ここにまとめたのがあるわ」

あれ、どこだっけ、確かこのあたり――。

「あった。キロム軍の資料も見たけど、あなたの父親があの男であることに間違いはないわ」

出生地は不明。六歳で黒い箱のローズ・トゥーとなった。後に種まく人と呼ばれる、二十人の最強の兵士のひとりね。でも彼は九歳で箱を抜け、能力開発部へ移った。帝国に未来はなく、時間もない。より短絡的な力が必要だったのよ。そして過酷な薬物実験と加速度テストの末に保有者、オーナーズは生まれた。内に第三の目を抱く兵士たちは、まずは工作任務を請け負った。彼は十五歳になるまでにフレイン、キロム、カラノスと列強を渡り歩く。その目で情報を集め、その手で人を殺した。すでに脳髄まで帝国主義に侵された保有者たちは、過酷な任務を忠実にこなしていった。でも、戦局は一向に改善しなかった。海峡を越えてキロムが、山脈からカラノスが、南の砂漠から連合軍が攻めてくる三方面作戦では、いくらバイール帝国が世界第一の軍事力を持つとはいえ無理があるわ。終戦前夜、保有者たちはエドワードの手の者に呼び集められた。そして彼らのために作られた巨人、オースロスに乗ったの。ウエストバイアと同時に成立した、中央バイールを滅ぼすため。記録に残っているのはここまで。彼は表舞台を去り、キロム人女性メーラ・ディングとの間にセロウを、アイリス・バーンとの間にエリザを生した。

「こんなものでいいかしら。何か他に私が調べられることはある?」

「いえ。これで十分です。ありがとうございます」

ねえセロウちゃん。司令はひとつ間を置き、その問いを口にした。

「あなたのお母さんはどんな人だったの?」

「幼いころの記憶しかないですが、誰にも優しく、自分を嫌う人さえ深い慈愛で包み込んでしまうような女性でした。体は弱く、家と病院を行き来していたのを覚えています。それなのに親父は放蕩生活を続け、その最期を看取ることさえしなかった。それが許せないんです。優しさにつけ込んで、母に負担を強いた親父が」

「そのことで、憎んでいるのね」

はい。僕は意識より先に発せられる言葉に自分でも驚いていた。

「エリザはわかり合おうとしていますが、僕にはできません」

「それでいいのよ。まだその時まで時間があるから、少しずつ考えていけばいい。それに、勝たないといけないしね」

「はい。だから僕は、もっと強くなります」

司令はそれを聞くと、すこし視線をそらす。

「度を超えた力、身に余る力は人を不幸にするわ。セロウ、それを忘れないで」

警報が鳴ると同時に、レナは立ち上がる。シアクは眠りに就いており、そっとベッドに下ろす。振り返ったその視線は冷たく強いものに変わり、僕に出撃を命じていた。

「この海域はクメーナの縄張り。練度はアドラスティアの兵に匹敵するわ。セロウ、あなたが頼りよ」

「わかりました」

廊下を走っていると、すぐに艦内放送で告げられる。

――敵襲よ。全砲門迎撃準備。巨人は第六配置。ラウラとヴィクは待機。搭乗員、至急出撃準備を。

グースの対空機銃はとても巨人を足止めできるものではない。代わりに搭載されたカタパルトは高速出撃が可能で、ネメシスの精強な搭乗員によって艦の安全は守られているのだ。

 しかし、僕は苦笑した。いつもならば、第六配置は全く隙のない布陣だ。僕とシスル、エリザとグレイス。シスルと息を合わせ、エリザを通じて小隊間の連携も取れる。だが、今は少し難しかった。

 格納庫には、既に近い位置に四機が並んでいる。エリザと合流しても会話はなく、ただシスルとだけアイコンタクトをして巨人に飛び乗った。

踵を固定し、用意ができ次第空へと放たれる。

 機影は八機、編隊を見るに実力は高そうだ。友軍との距離を測り、まずは通信を試みた。

「こちらネメシス。そちらの所属は」

――答える道理はねえ。

「機体の識別から察するに、クメーナ王国海軍のもののようだが。通してもらえないだろうか」

――無理だな、ここは俺たちの海だ。貴様らは敵だと聞いている。

「国際法では、公海となっているが」

――違えな。ここはクメーナの海だ。古来より、クメーナ沿岸三百浬の海は俺たちが支配していた。国際法が誤りなのだ。話は終わりだ。

海を侵す者には、罰を。地を這うような低い声で、それは告げられた。

「来る。全機散開、まずは一対二で様子を見る」

了解ヤー

シスルやエリザの返事は乾いていたが、それゆえに心強かった。僕は目の前に来た二機に対し、幅広剣を片手で握った。僕の持つ構えのうち、最も堅実なものだ。

 向かって右の機体から一合二合、三合目は左から。後退しながら受け、ここで前に出る。一方を当身で弾き、もう一方と切り結ぶ。背後を取られた瞬間、カトラスを弾いて振り向いた。そこにあるべき刃に手の甲を合わせ、そのまま回転で流す。あとは空いた胸に突き入れるだけ。僕はもう一度背後の気配を見て、剣を構えた。

――やるようだな、だが。

弾き飛ばしたと思っていた敵は、すでに真後ろまで迫っていたのだ。技量は想定以上、だが確かに気配は見えなかったはず。

 その剣を止め、上に距離を取る。一瞬だが、友軍が遠目に見えた。シスルは敵を寄せ付けておらず、安全を取って踏み込まずに待機している。一方で、エリザとグレイスは少し厳しそうだった。不満げにバスタードを振るう彼女は、明らかに反応できていない。嫌がるかもしれないが、僕は声をかけねばならなかった。

「エリザ」

「見くびらないで、こんな奴らにうちは負けない」

――け、馬鹿にしやがって。

その剣はエリザの懐に向かう。受ける手が、止まっていた。僕は瞬時に機銃を取り、エリザの敵に撃った。

 射線は、三本。誰もが今すべきことをわかっている。であれば、もういける。

「各機、配置を変更。モード・グリズィン」

僕の言葉と同時に、シスルは僕と向き合う形に体勢を変える。エリザとグレイスも同様。そして四機は、腰から機銃を取った。その機銃は、味方が対峙している敵を狙うためのもの。エリザも、味方を見る分には問題ない。攻撃の切れ間、その隙をなくすために互いに銃で補う。敵から見れば、自分を狙う相手は一機から二機、最大で四機になるわけだ。これで数の不利は改善される。それはかつてデビルズで、災禍が用いた戦術だった。

 シミュレーションで設定した敵は、まさにツィナーとグリグだった。データはアドラスティアのものだが、司令が半ば押収に近い形でもらってきたそうだ。

 戦えば戦うほど、彼らは強かった。一対二では、切り崩せないどころかほとんど圧倒される。シスルやエリザと組んでも、一筋縄ではいかなかった。データ上のふたりは、その癖に合わせた言わば幻の機体に乗っている。グリグはオイデをさらに堅くした重装型、ツィナーは現在のネーメに装備を追加した高速型。攻めと守りの息遣いや互いの隙をカバーする連携は、エリザとグレイスによく似ていた。どころか、彼女らでも学ぶべき点は多いだろう。

 つまりは、その技術でこの第六配置は戦うのだ。基本はペアで、二組のペアをつなぐのは僕とエリザ。高い指揮能力を持つグレイスには、三機すべてを見据えて射撃位置を選んでもらう。無論、シスルに任せるのは一点突破。攻撃力という点で、ネメシスで彼女に勝る搭乗員はいない。そして、彼女のコンディションは最高だった。

 ただ、不安材料はもちろんある。グレイスもエリザも、どこか目の前の相手を見すぎている。いや、違う。自分自身を見すぎている。

「行くよ、パターン・カレン。開始時間はグレイス」

「は、はい」

「大丈夫、セロウに合わせて。行くよ」

五、四。目の前の敵をいなし、隙を生み出し、そして榴弾砲を構える。三、グレイスとエリザがこちらを向く。二、シスルが剣を構える。そこから先は、鼓動が数えた。

 榴弾を発射し、シスルが一方を三合斬りつける。反撃の芽は機銃が摘み取る。そうして堅い防御の奥にある命へと、突き入れた。

 爆風に乗じて攻めてくるであろうもう一方に、榴弾がぴたりと命中する。体勢を立て直したシスルが、その心臓を穿つ。その間、わずか三秒。嵐が去り、彼女が敵を見据えたとき、敵は一手に固まった。

――やはり我々では力不足か。まあいい、あのお方が欲するデータは取れた。全機、撤退せよ。

返事とともに、六機が去っていく。追う必要はなかった。僕たちはただ、ここを通りたいだけなのだから。

 司令から通信が来る。

――もう敵影はないわ。全機帰投して。

了解ヤー

帰還すると、すぐに搭乗員がブリッジに集められた。

「四人ともご苦労さま。感触はどうだった?」

「予想以上に有効ですね。まだ実戦で修正すべき点がありますね」

シスルが答える。グレイスがそれに続けた。

「相手の技量は、正規軍では十分エースと呼べるものでした。しかし、これから戦うべき相手に比べれば」

ふむ。司令は手を頬につけ、思案顔を作る。この言葉を見ても、彼女が精彩を欠いていることは明らかだった。

「クメーナ王国海軍。傭兵の間では、暗影艦隊と呼ばれてる。海軍といえば聞こえはいいけど、巨人を使うごろつきの集まりよ」

「ですが司令。今回の敵は」

そうなの。グレイスの言葉を遮るように、司令は口を開いた。

「たしかに今までもネメシスを攻撃してきたけど、今回は様子が違った。まず第一に、その強さ。今まで見たものとは明らかに技量が違った。隊長らしき兵が言っていたけど、組織の形が変わったのかも。あるいは、ただネメシスの評価が変わっただけか」

それと。司令は人差し指を立て、僕とエリザの方を向いた。

「通信を聞く限り、何か感覚に異変があったみたいね」

エリザは眉をひそめて頷く。

「気持ち悪かった。奴らの動きを見ようとすると、霧がかかったように見えなくなるの」

「なるほどね、セロウちゃんも?」

「エリザほどではないですが、違和感は感じました。この目に対して、直接力が働いているような」

司令は腕を組み、中指で頬をつつく。

「なるほどね。オーナーズの研究成果は、何者かによって流出したと言われている。それが誰であっても、海賊まがいの連中へ渡った経路は不可解よね」

「うちらの目に対抗する力は、もうできてるの?」

「その可能性は高いわね。見る限りだと、エリザちゃん。あなたの戦い方はその目に依存している。開眼が遅かったセロウちゃんより、その点は深刻よ。今後は、このような戦い方も想定しなければならないわね」

僕はエリザを見た。不服を口にすると思ったのだ。彼女は気位が高く、指摘されることを嫌う。自分を強く持たねばならないと思うからであり、リーブスで形成された性質だろう。しかし、回答は予想とは異なるものだった。

「うん。うちは技量不足を目でごまかしてるだけ。だから兄貴やシスルみたいな、ほんとの技を持つ人には勝てなかった。でも、これから強くなればいいんだ。レナ、協力してくれるよね」

司令はその回答に満足したのか、ひとつ頷く。

 この後は全体のブリーフィングを行う。交戦の内容を検証して、敵の像を明らかにする。そして、本格的にサウスランドでの作戦内容を決定していく。ブリッジクルー、整備班、出撃のなかった搭乗員まで、全員の意識が戦いへと向けられはじめた。

 グースの航路を覆う闇は、僕らを外敵から隠してくれるだろうか。あるいは、僕たちの内側の闇は果たして夜に紛れてくれるだろうか。

 知らねばならぬことと、避けては通れぬ業。目の前の道の先にそれがあると信じて、僕は進むしかなかった。

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