八話 まずあの人をヘコませる
部屋に戻ると華子は横になっていた。目は冴えているようだけど。
俺が床に腰を下ろすとぽつりとこぼした。
「結局、私はあいつに勝てないのかしら?」
「実加子さん? いやいや、勝つとか負けるとかじゃなく、華子の気持ちを伝えないと。心配してるんだって想い」
「想い、か……」
またヘンな意地を張る気かな? この子の場合、本音を引き出すだけでも大変なんだよな。
「華子の気持ち、伝える気にはなってくれてるんでしょ?」
「うーん、あんまり気が進まないのよね。あいつに弱味を握られるみたいで」
「なんでそうなるの? 子供が親を想うのは別に弱味でもなんでもないって。それどころか武器になるんだよ?」
「武器に?」
華子がくるりと顔だけ俺に向けてくる。やっぱりまだ目にいつもの力がない。
「俺の話に父さんってほとんど出てこないでしょ?」
「そうね。全然興味ないけど」
心が挫かれそうになるがどうにか耐える。
「仕事ばっかりの人なんだよ。家にいてもなんか難しい本を読んでる。接点がないから話に出てきようがないんだよね」
「男はそうやって仕事か愛人に逃げるのよ」
「……それでも俺は父さんが好きなんだ。小さな理由がいろいろとあるんだけど、とにかく今も昔も好き」
「……快人はやっぱり、ぬるいわよね」
「そうかもね。俺は父さんが好きだけど、そんなの伝える機会なんてないんだ。滅多に顔を合わさないし」
「ふーん」
華子は興味なさそうだけど、俺は話を進めていく。
「俺が中学の時、夜遅くに父さんが帰ってきたんだ。たまたま玄関にいた俺が『おかえり』って言ったら、『ただいま』って返してきた。俺の前を通りすぎたところで、俺は『いつもありがとう』って言ったんだ、ただなんとなく。そしたら父さんはその場に泣き崩れたんだ。おいおい泣くの」
「え、なんで?」
「後で母さんから聞いたんだけど、仕事でいろいろあったみたい。八方ふさがりで追い詰められてた時に息子に『ありがとう』って言われたんだ。それでもうひと頑張りする気になったって」
「……つまりは?」
「親を想う子供の気持ちは、親の心を揺さぶる武器になるんだよ」
俺はどうにか話し終えた。
華子は不機嫌そうに返してくる。
「そんなのはぬるい浜口家のケースよ、あくまで」
「そうかなぁ……実加子さんにも親としての心はあると思うんだけど」
「どうだか」
吐き捨てるように言う。
俺はなんとか食い下がる。
「……なんだかんだで、実加子さんは華子を今日まで育ててくれたんでしょ? 女手ひとつでさ」
「……まぁ、そうだけど」
「いろいろとしつけも行き届いてるし。ちゃんと愛情はかけてくれてるんじゃん」
「……うーん、ただの所有物のつもりなのよ」
「十七年も飽きずに?」
「……む、むぅ」
「もう一度、華子の想いをぶつけてみようよ。そしたら実加子さんの心を揺さぶれるかも」
「……でもなぁ」
華子はどこまでもゴネ続けた。
どうしよう? どうしたらいいんだ?
華子がまた天井の方を向く。
「あいつに私の想いを届けようと思ったら、まず勝たないといけないと思うの」
「あくまで勝ちにこだわるの?」
「こだわるっていうんじゃないわ。あいつを弱らせたタイミングでないと、私の言うことなんて聞くわけないのよ」
「なるほど……」
一理あると思った。
あの人、『娘ごときの気持ちなんて知ったこっちゃない』って平然と言ってたもんなぁ。やっぱり……まず弱らせないといけないの?
「じゃあさ、華子。結婚詐欺をでっち上げようか」
「え、やる気になってくれたの?」
華子が身体ごと俺の方を向く。目がキラキラと輝いている。
「うん、まずあの人をヘコませよう」
俺はそう、覚悟を固めた。
結婚詐欺をでっち上げるには兄貴の協力が必要だ。
俺がそう言うと華子はかなりごねた。どうにか華子をうなずかせたのはすっかり夜も更けてから。
かなり疲れた。
そしてゲンさんが帰ってきて華子の看病はおしまい。
家に帰った俺はすぐに兄貴と話をした。
「今さら結婚詐欺ねぇ。もう子供できたんだぜ?」
「まぁ、そうだけど……」
「でもあの二人を仲良くさせるのは俺も賛成だ。ちょっとやってみるか」
「あ、今気付いたけど、赤ちゃんに影響出たりは?」
ショックのあまり……考えたくないようなことが起こったり?
「大丈夫大丈夫、実加子さんは絶対に騙されないから」
「ええっ! ダメじゃん」
「でも、俺もお前らの味方をしてるって分かるんだ。華子さんは俺を嫌ってるのに手を組んでる。イヤなかんじの包囲網だ。しかも真の目的は不明。さすがにちょっと焦るはずなんだよ」
「……ちょっと」
「ちょっと焦らせる。これがフェーズ・ワン」
「あ、続きがあるの?」
「一筋縄じゃいかない人が相手だからな。あの人はすぐに俺にクレームを付けてくる。ここで俺はしれっと結婚指輪を買ったって話をするんだ」
「へぇ、買ったんだ?」
「前から二人で狙ってたのを、今日買ったんだよね。後で驚かすつもりだったけど、このタイミングで言う。実加子さん、かなり欲しがってたから有頂天になるはずだ」
「喜ばすの? ヘコませるんじゃなく?」
「下げて上げて下げるんだよ。これがフェーズ・ツー。次は、そうだな……」
天井を見て考え込む兄貴。
「……よし、実加子さんの母上にも協力してもらおう。あの人の実家って都会にある旧家なんだよ。しつけがすごい厳しいの。実加子さんは一見大人しく従ってるけど、かなり苦手にしてるんだよ。その母上に電話してもらうんだ。『華子は元気にしてますか?』って一言だけ」
「その程度の内容? もっとこう、叱り飛ばすとか?」
「力で抑え付けても意地になるだけだからな。母上の一言で実加子さんは深読みしまくってかなり焦る。これがフェーズ・スリー」
「まだ焦るだけなんだ?」
「あれこれ考えた結果、実加子さんは俺たちが仕掛けている作戦の目的に気付くんだ。華子さんと話をさせたいんだなって」
「ダメじゃん」
「気付くけど、こっちが後どれくらいカードを持ってるか分からないんだよね。さらに、作戦とは関係なく母上が介入してくる可能性を考えるんだ。で、事態の早期決着を図るため、話し合いのテーブルにつくはずなんだ。これがフェーズ・フォー。勝負所だけど、俺たちは特にすることはない」
「胃が痛くなりそうだ……」
「で、フェーズ・ファイブで華子さんが頑張って想いを伝えるんだ」
「ファイブでやっとなんだ」
「ここまでの流れで注意点がひとつ。絶対に、こっちからは作戦の目的を明らかにしないこと。フェーズ・フォーで自分から気付くまではなんとかやり過ごすんだ。こっちからバラしたらヘソを曲げるからね、あの人」
俺は言わずにはいられなかった。
「……母娘が本音トークをするだけだよね?」
「だよ」
「こんなに手間かけないといけないの?」
「あの人達、タチが悪いからね」
兄弟そろってため息をつく。
その後、兄貴が言う。
「この作戦の一番の問題点はな……」
「問題点は?」
「実加子さんって、俺より何枚も
「ダメじゃん!」
「最後は現場の判断でうまくやってくれ!」
兄貴が俺の両肩をがしっと掴んだ。
えええ~~~!
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