十一話 俺の話を聞いてくれ!

 俺は二年A組の教室に飛び込んだ。

 華子は自分の席にいる。

 いつも思うけど、こいつは姿勢がいい。


「華子!」


 教室の入口から俺は大声で叫ぶ。

 華子はなんの反応も示さない。

 俺は席まで駆け寄る。


「違うんだよ、華子。俺は、華子を裏切ってなんてない」


 シカト。


「ただ、母娘二人が仲良くなれたらいいなって、そう思って、まず……そう、敵を知っておこうって、思ったんだよ」


 シカト。


「いや、正直に言うと、恋人の親御さんにご挨拶をっていうのもあったけどさ。……いやでも、華子を裏切るなんて、そんなつもりは……」


 シカト。

 俺なんていないものとして扱っている。なにもせず、ただ黒板だけを見つめていた。

 どうしよう? 純朴な童貞の俺は、怒った恋人のなだめ方なんて知らない。

 いいや、とにかく誠実な態度で……。


「ゴメン、悪かった! 華子に相談しないで勝手に会ったのは悪かった! ホントにゴメン!」


 俺は深く深く頭を下げる。

 でも華子の口からはなんの言葉も発せられない。

 頭を起こした俺は、華子の視界に入るように頭を動かした。

 でも華子は俺を見てくれない。いつもみたいに厳しくにらみつけることすらしてくれなかった。ただただ無感動に前だけを見ている。

 どうする? どうすればいい?

 いきなり後ろから肩を引かれた。


「おい、もうホームルームだぞ!」


 中年男の声。多分、このクラスの担任なんだろう。

 俺は相手の手を払い除ける。

 ホームルーム?

 そんなもの、どうでもいいだろ。


「償わせてくれ、華子。俺はおまえを傷付けてしまった。ホントに悪かったと思ってる。償わせてくれ!」

「おい、おまえ! どこのクラスだ!」


 後ろの中年がうるさい。

 また肩を掴んできたが放っておく。

 華子に顔を近付けて訴えかける。


「頼むよ、華子……。俺はもう、おまえがいないと……」

「おい! 聞いてるのか!」


 俺は思わずカッとなる。

 後ろを向くと思いっきり怒鳴った。


「黙ってろ! 今、大事な話をしてるんだっ!」


 中年がぽかんと口を開ける。

 俺はすぐに華子の方へ。


「華子……華子……お願いだから聞いてくれよ!」


 華子の両肩を掴んで揺する。

 華子がいきなり怒鳴った。


「柔道部!」

「はいっ!」


 でかい図体の男が三人立ち上がる。

 ひと目見て分かった。こいつら童貞だ。

 華子がまた怒鳴った。


「こいつをつまみ出せ!」

「はいっ!」


 すぐに男たちが駆け寄ってくる。

 そしてすごい力で俺を掴んだ。抗うがどうにもならない。


「華子! 華子! 華子!」


 男たちに引きずられながら俺はひたすら叫ぶ。




 俺は何度も華子がいる教室に戻ろうとした。

 でもすぐに柔道部が俺を放り出した。

 投げられ、締められ、殴られた。

 ボロ雑巾みたいになって校舎裏に横たわる。いつの間にか降り始めた雨が冷たい。

 そこで放課後。

 華子に……華子に、会わないと……。




 俺は痛む身体を引きずるようにしてゲンさんの家に向かう。

 家の前で買い物袋を提げた華子と鉢合わせた。


「はな……」


 華子は傘を放り捨てるとダッシュしてゲンさんの家に駆け込んだ。

 俺は身体が言うことを聞いてくれなくて追いかけられない。どうにか玄関扉前までたどり着く。

 呼び鈴を鳴らす。

 返事はない。

 扉を叩く。

 何度も叩く。


「華子! 話を聞いてくれよ、華子!」

「ちょっといいですか?」


 後ろから声をかけられた。

 振り返った瞬間顔から血の気が引く。

 お巡りさんだ。

 

「通報がありまして。ちょっと話を聞いてもいいですか?」

「通報? 通報ですって?」

「ええ、あなたが……付きまといをしてるという通報が」

「付きまとい?」

「ぶっちゃけると、ストーカー?」


 華子……警察呼ぶことないでしょ?

 でもあの女ならやりかねない。


「あの……具体的な……被害的な……」

「不快な性的言動を繰り返す……とか」

「つまり……?」

「ぶっちゃけると、セクハラ。ああいや、それに留まらないか……」

「え? え?」

「下着を盗まれたとも」

「あ、ああ……」


 身に覚えがあります。

 セクハラも……確かにそうかもしれません……。

 自分の童貞としての言動を振り返る俺。


「一度、署まで来てくれませんか? 話はすぐに終わりますし」

「は、はぁ……」


 そして俺は連行された。




 警察署を出たのは夜になってから。雨はだいぶんきつくなっている。

 迎えにきてくれた母が大げさなため息をつく。


「あーあ、我が家から犯罪者が出るとはねぇ」

「いやいや、許してくれたでしょ?」


 あの後、警察は通報者からも話を聞いたらしい。そして被害届は出さないということで話は収まった。

 恋人同士のよくある痴話喧嘩。

 そういう扱いだ。

 最後に警察官が言った。


「童貞の気持ちは俺もよく分かる」

「じゃあ、お巡りさんも?」

「ああ、素人童貞だ!」


 にっと笑う。

 風俗のお姉さんのお世話になるのは童貞としては敗北だ。俺はそう思ったが黙っておいた。

 車に乗り込んでから母が言う。


「で、これからどうするの?」


 目がキラキラしている。この下世話なおばさんめが。


「どうにかして分かってもらいたいんだ。……俺は、裏切ってなんていないって」

「ああ、裏切ったって思われてるの? 浮気……ってそんなの不可能よね」


 ええ、そうですとも。


「あいつの笑顔をまた見たい。すごくかわいいんだよ、笑ったらさ」

「どんな子? 写真はないの?」

「ん?」


 俺は自分のスマホを操作した。華子の画像はすぐに見付かる。 

 満開の笑顔。

 無邪気な、子供みたいな。

 遊園地のメリーゴーラウンドに乗っている。

 すぐ横から俺が撮った。

 俺に向かって、無防備に笑ってくれている。

 かわいい。すごくかわいい。

 ただそう思う。

 スマホの画面に水滴が落ちる。

 それがなにか、すぐには分からなかった。

 三滴目で気付いたけど、もうどうにもならない。目を拭う気にはなれなかった。


「華子……華子……会いたい……会いたいよ……」


 母が横からスマホをのぞき込んでくる。


「かわいい子ね」

「だろ? すごいメンドくさい奴なんだけどね」

「絶対無理だわ」

「え? 無理? 無理ってなに?」


 手で涙を拭ってから母を見る。


「いやいや、こんなかわいい子があんたなんか好きになるわけないでしょ?」

「え、ええ~?」


 それが泣いてる息子に言うセリフ?


「絶対無理。釣り合わない。童貞をこじらせてる分際で身の程知らず」

「そ、そういうこと言う~」


 分かってる、分かってるけどさ~。


「その上で、あんたどうしたいの?」

「……会いたい。会って話をしたいんだ」

「今度付きまとったらブタ箱行きだよ?」

「……でも会いたい」

「息子が犯罪者なんてご近所に体裁が悪いんだけど」

「でも会いたいんだよ」

「近所の小学生が石ぶつけてくるかも。子供は遠慮なく罵ってくるよ?」

「それでも会いたい。会わないと俺、どうにかなりそうだ」

「ホント、快人は不出来な息子だわ」


 母がキーをひねって車のエンジンをかける。

 そして俺に言う。


「その子の家どこ? 送ってあげる」




 ゲンさんの家の前で車が止まる。

 母が言う。


「じゃあ、あんた待ってなさい。まずは先方にお詫びしなくっちゃ」


 途中で買った菓子折を持って車を出ていった。

 母さん、意外に頼りになる人なんだな。ただのおしゃべりババアだと思ったよ。

 これからはもっと親孝行しないと。

 ……二時間後、母が戻ってきた。


「ゴメンゴメン、ゲンちゃんと話弾んじゃって」


 なにしに行ったんだよ。

 とにかく俺も車を降りる。


「ゲンちゃんと一緒にどうにか華子ちゃんを説得したわ。会ってくれるって」

「ホント! ありがとう、母さん!」

「頑張りなよ、どうせ無理だけど」


 そして母は車で帰っていった。

 ……最後よけいだよ。

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