九話 母と娘の難しい関係

 華子と実加子さんの母娘関係がどうなってるのかよく知りたい。

 どうやって聞き出していこうか?

 俺は実加子さんに言う。


「華子からいろいろ話を聞いたんですよね。実加子さんのこと」

「ほう、なんて言ってた?」


 実加子さんがストローをくわえてアイスコーヒーを吸った。同じものは俺の前にも出されてある。


「華子ってば、実加子さんのことは大嫌いらしいんですよ」

「へぇ、そうなんだ?」


 実加子さんがグラスに直接口を付けてアイスコーヒーを一気飲みした。

 ガリゴリと歯で氷を砕く。

 ワイルドだ。


「あのガキ、よそでそんなこと言い触らしてるんだ?」

「ええ、かなり嫌ってますね。それでですね……」

「キミって、好きな色なに?」


 実加子さんが話を遮って全然関係ないことを聞いてきた。

 俺は素直な童貞なのでなにも考えずに聞かれたことに答える。


「情熱の赤とか」

「いいね、実にいいよ。ちょっと待ってて」


 実加子さんが立ち上がって奥にある部屋へと駆けていった。

 すぐに戻ってくる。


「はいこれ、あげる」


 真っ赤な布きれを二枚ほど寄こした。


「え、これって!」

「華子のブラとパンツ。残念ながら洗ってあるけどね」

「い、いいの? いいんですの?」


 声が上ずってしまう俺。


「うん、親の私が許す。好きに使いな」


 実加子さん、すごくいい人だ。

 じゃあ、さっそく今晩にでも……。


「そういうことするから嫌われるんだよ」


 兄貴がため息混じりに言う。


「口先で言ってるだけだよ。この私を嫌うなんてあり得ないって」


 アイスコーヒーを自分のグラスに注いでから実加子さんが席につく。


「いや~、あれは本気で嫌ってますねぇ」


 俺が正直な感想を述べると、実加子さんが厳しい視線でにらみ付けてきた。

 え? え? 殺される? 殺されるの?

 その後横を見たので俺は命を取り留めた。


「ったく、あのガキ。私がなにしたっていうんだよ」

「なんか、自転車のタイヤを隠されたとか」

「だって、あいつ、『腐りかけの子宮のくせに色気付かないでよ!』なんて言うんだよ? まだまだ現役だっての、失礼な」

「確かにそれは失礼ですね」


 ホントは意味がよく分からないが実加子さんに合わせておく。そうしないと命がヤバいと思った。


「でしょ? だからちょっぴり仕返ししたんだよ」

「そんなこと言われて自転車のタイヤだけで済ます実加子さんじゃないよね?」


 実加子さんをよく理解しているらしい兄貴が聞く。


「まぁね。次の朝の卵焼き、ジャリジャリになるくらい砂糖まみれにしてやった」

「それだけ?」

「醤油のビンの中身をチョコレートソースにすり替えた」

「それだけ?」

「お弁当の中身をすり替えて、おはぎギュウギュウ詰めにしてやった」

「そういう手間は惜しまないよね」


 ため息をつく兄貴。


「笑えるよね? 朝昼と甘いもの漬け。胃もたれしながら授業受けてるんだよ? さらにさ」

「ああ、まだあるんだ?」

「夜はステーキ六百グラム。オーストラリア産だけどね。あいつには出されたものは絶対に残すなってしつけてあるから、涙目になりながら平らげてたよ」

「昼がおはぎで夜はステーキか……。お年頃の女子にはかなり厳しいカロリーオーバーだね?」


 兄貴は引いたような表情をしている。

 自然体の童貞たる俺はカロリーなんて気にしたことがない。カロリーオーバー? どれくらい厳しいのか見当も付かなかった。


「あいつ、タイヤ返してくださいって土下座してきたんだよね。慈悲深い母たる私が返してやったら、すぐさま自転車担いで外へ飛んで出たよ。何時間も走ったろうねぇ、私はさっさと寝たから知らないけど」

「……あの気の強い華子がそんなんされて黙ってるんですか?」


 気になったんで聞いてみる。カロリーのことはよく分からないがかなり酷い仕打ちみたいだし。


「そう、やり返してきたんだよ! 私のお高い化粧水をミリンにすり替えやがった。お風呂上がりにミリンまみれ。ロクでもない娘だと思わない?」

「……そうですね」


 どっちもどっちだと思ったけど、目の前の人に逆らっちゃダメだと本能が告げていた。

 ……こういうのをしょっちゅうやってるんだね、きっと。

 かなり低レベルだけど母娘関係はこじれてしまっている。

 どうすればいいんだ?

 いやいや、実加子さんは大人だ。娘を許すこともできるのではなかろうか?


「あの……華子と仲良くはできないんですかね?」

「えっ!」


 実加子さんが驚いたような顔を向けてきた。

 なに? なんか地雷踏んだ?

 と思ったら、実加子さんは清々しい笑顔になった。


「さっきの話聞いてた? 私たち、すごい仲いいでしょ?」

「ええっ!」


 思わず目を剥く俺。いやいや、憎しみがぶつかり合ってたでしょ?


「ケンカするほど仲がいいって、実加子さんは思ってるんだ?」


 兄貴が呆れ顔で言う。


「ケンカ? ケンカなんてしてないよ?」

「ケンカですら……ない?」

「ただのコミュニケーションじゃない」


 実加子さんはにこにこ顔。


「でも、実加子さんは酷いこと言われて腹が立ったんだよね?」

「すごいムカついた。だからほんのちょっぴり仕返ししたんだよ。じゃれ合い。コミュニケーション」

「……仕返しされた華子さんはどういう気持ちになったろうね?」


 兄貴にそう言われた実加子さんは首を傾げる。


「娘ごときの気持ちなんて知ったこっちゃないよ」

「……そうなんだ?」

「どっちみちただのじゃれ合いだよ。ライオン同士でよくやるでしょ? こう、ベシ! ベシ! って」


 実加子さんが爪を立てて兄貴の頭を叩く。


「今の結構痛かったよ。あれ? 実加子さんって、俺には優しいよね?」

「そりゃそうだよ、愛してるもの」

「でも、華子さんには痛いめのコミュニケーションなんだ?」

「それが母娘でしょ? ちょっぴり血塗れになるかもだけど、母娘なんだからアリだよね」

「いや~、ないと思うな~」


 頬を引きつらせつつ首を傾げる兄貴。

 俺はずっと気になってることを聞いてみた。


「ちなみに、華子が家を出たきっかけってどんなのですか?」

「ええっと、あれは……。そう、あいつが言ったんだよ。『あんたってホントみっともない! 盛った牝豚! 見境なしの牝猿! いいえ、ケダモノだって自分の旬くらい知ってるわよ!』って。酷いでしょ?」

「酷いですね」

「だから部屋の中に小さいスピーカーを何個も仕込んでやったの。無線の奴。で、エロ動画のよがり声を流すわけ。あいつウブだから大慌てしてスピーカー探すんだよ。でもそんなすぐに見つかるとこには隠してないからね。さらに私はわざとらしく言うの。『ねぇ、寂しくって一人でするのは仕方ないけど、ご近所迷惑だから声は抑えてよ』って。結局スピーカーは見つからず。荷物背負って自転車抱えて出てっちゃった」

「……へぇ」


 ……俺は華子に問題があると思っていた。結婚詐欺なんてのをでっち上げようとするのだし。

 でも、目の前の母親も大概だよ。

 よかった、この人が実の母でなくて。心の底から俺は思った。

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