第32話 青嵐、そして恵風 4

 合宿三日目、学生達はパンや、コンビニのおにぎりで簡単な朝食をとった後、いつものように作業着に着替え、制作場に乗り込んでいった。今日も夏の気温だが山奥だけあって、吹き抜けの作業場に爽やかな風が通り過ぎ、熱心な造り手たちの汗を乾かしてゆく。

「土居、おまえさぁ。それいったい何よ。ドラえもんか?」

 土居と呼ばれた大柄な男子の前には大きな壺とも、人形ともいえないようなオブジェが鎮座していた。

「うるせ。俺はこーゆーモンが作りたいんだ」

「おもしろいよねえ。ソレ」

 宮崎梓が愛想良く褒めた。

 宮崎は手びねりで粘土と粘土の隙間を空けながら、ランプシェードのような繊細な作品を作り上げている。最初の内、みんなは食器や花器を中心に作っていたのだが、その内にもっと大きな作品や、ろくろでは作れない面白い形のものに興味が引かれ、どんどん作品数を増やしていく。

 直接指導に当たってくれている弟子の永井氏も、そんな彼等を面白がり、粘土の種類によって焼き上がりが違うことや、釉薬の酸化と還元で色が違うことなどを教えてくれ、学生達が完成した作品のイメージ持ちやすいように努めてくれている。

 相変わらずろくろを使い、小さめの食器を作っているのは風花だけだった。

 今までに湯飲みや茶碗、皿といった家庭で使うようなものばかりを飽きもせずに造り続け、花嫁道具でも作っているのかと永井氏がからかうほどの数がそろった。

「ん……これでよし」

 今までより幾分大きめの皿が完成し、風花は満足そうにろくろを止めて額の汗をぬぐった。

「吉野、これは何だい? 鍋料理の具材でも載せるのによさそうだな」

「うん。こんなに大きく引たのは初めて! 私にしては上出来!」

 小川の問いかけに、嬉しそうなタレ目はまだ作品を見つめている。

 そんな風花に釣られて小川も楽しそうに笑った。

「そうだな、一番でっかいな!」


 一昨日の夜、小川は風花に告白した。

 あまりに突然で面食らう風花に何も言わせず、あっという間に立ち去って消えてしまったのだ。

 それ以来、小川はそのことには触れてこない。態度も以前と変わらなかった。だから風花も、自分が何か思い込みの勘違いしたのだろうと、あまり深くは考えないようにしていた。

 二人にとって今重要なことは、たった一週間だけこの実習なので、お互い自分の制作に打ち込み、自然と話題もその方面に限られたのだ。

「それにしても吉野は食器ばかりだな」

「うん、前から食器が好きなの。食べることも好きだけど」

「お前らしいな」

「デパートでも食器売り場でよく立ち止まっちゃう。この器にはこんなお料理を盛り付けたいとかって思ったり。季節が感じられるものがいいな」

「じゃあ、絵付けをしたり、型を押したり、乾いた粘土を薄く彫ってみるのもいいかもしれないよ」

 二人の間ににゅっと顔が突き出た。大師匠の登場である。

「あ、神山先生! こんにちは!」

 二人は揃って頭を下げた。

「あの、彫るって、粘土をですか?」

「そう、たとえば秋の食器には稲穂とか。夏の食器には水紋とか。ちょっと難しいけど」

「あ、それいいですね。乾いたらやってみます。どうせ失敗しても大したことないものばっかりだし」

 風花は早速彫る文様を思い浮かべながら言った。

「そんな言い方はよくないね」

「ああ、俺もそう思う」

 小川も同意する。

「芸大生だからと言って、なにも前衛的なものばかりがいいとは限んないぜ。こんな優しい風合いの作品はお前にしか造れないって」

「小川君、そりゃ褒めすぎだよ」

「いや、そうでもないよ。私も作品の半分は食器や花器だし。使える器ってやパリ大事だよ。君の作品もステキだと思う。作り手の素直な気持ちがよく表れているし。昨夜見て回った時、ウチの家内も、そういってた。な、永井君」

「ええ」

 神山先生は風花の小さな作品を眺めながら、嬉しいことを言ってくれたので風花の小さな心はますます舞い上がる。

「え? 奥様、なんておっしゃってたんですか?」

「この小さな器に、柚子をいっぱいかけたシオカラでも盛りたいわねえって」

「……シオカラ、ですか」

「うん、先生は酒の肴にシオカラが好きなんだよ」

 永井氏がうなづいた。

「ははは、確かに。シオカラ、盛りたいねえ」

「シオカラ……」

 風花の食べたことのないものだった。


 その日の買出しは風花の班で、お昼もろくに食べずに夢中で制作していた学生達は、四時を過ぎると、とたんに動きが鈍くなる。

 野菜や米は近所の農家で貰えるので、買出しは主に肉や魚、副食品なのだが、これが結構量が要る。何しろ男子学生がほとんどなのだ。

 肉類は他の二人に任せ、風花と小川は自転車で麓にある小さなスーパーでお菓子や、飲料を買うことになった。ちなみに酒は禁止である。

 行きは下りで楽ちんだが、帰りは重たい荷物を自転車に積んで押してゆかなければならない。二人は二日分の食べ物や飲み物を買い込み、急な坂道をえっちらおっちら登っていた。

「ひぃふぅ。結構きついね~」

「ほんとにな。体育の授業がなくなって久しいしな。パンキョーはサボってばかりだし」

 坂道は一応舗装はされているが、車が一台通るくらいの広さしかなく、向こうはキャベツ畑になっているから、万が一ずり落ちたりすれば、泥だらけである。

「学校では何にもサークルとかやってないの?」

「ああ、結構これでも苦学生だしな。バイトばっかり。吉野は?」

「私も遅くなると危ないって言われてるから何にもやってない。バイトもダメだって」

「それはお父さんに言われて? それとも彼氏?」

「……両方」

 風花は渋々答えた。

「ふ~ん、箱入りって訳だ」

「……そういうわけでは」

「お前さ、アイツに飽きたら、もしくは振られたら、俺んとこ来いよ」

 小川は自転車のハンドルを操作しながらそんなことを言い出した。荷台を押している風花の胸が急にドギマギし始める。

「は? イキナリ何を?」

「だから、いつでも来いって言ってんの」

「……今そんなこと言うの、ルール違反だと思う」

「そうか? 言うぐらいは許されるんじゃない?」

「だって……困るよ」

「ああ、困らせるつもりはないよ。ごめんな。そら、もうすぐだ。実習所が見えてきた」

「ああ、お腹減った! 今日の晩御飯はなんだっけ〜」

 気詰まりな空気を振り払うため、風花はわざと間抜けな声を上げる。

「宮崎さんはお任せとか言ってたな」

 二人は調理場に荷物を運び、自転車を裏のガレージの隅に停めに行った。まだ陽は落ちていなかったが、脇に大きな楡の木が立っていて、明かりの灯っていないガレージの中は薄暗かった。

「あ~あ、大汗かいちゃったね」

「ああ……あ、それ、こっちよこしな」

 自転車のハンドルを風花から取り上げ、小川は白い軽トラの横に自転車を収納した。

「ありがと。じゃ、行こうか……え?」

 ガレージの壁際ですれ違った時、風花の二の腕が急に引かれ、とん、と唇がぶつかった。

「いただき。一足先にごちそうさま」

「ちょ、ちょっと、小川君! 今のなに⁉︎」

 驚いた風花は珍しく大きな声をたてた。タレ目がほんの少し上がっている。

「はいはい、なんでもないさ。さぁ、行こうぜ。ハラ減ったし」

「だから、ルール違反だってば!」

「聞こえませ~ん」

 しなやかにすり抜ける背中に怒っても、もう後の祭りだった。


「珍しいな、柳が図書館にいるなんて」

「あ、なんちゅうことをゆうねん。俺はオベンキョ好きやねんで」

 柳は大きな色刷りの本から目を離し、細い目を樹に向けた。

 夏休みとは言っても、理系の学生は忙しい。図書館も結構人が多い。クーラーも効いているので、安下宿に住む学生が涼みに来たりもしている。樹は自分の調べ物を終えて帰る途中、芸術書の書架の近くで柳を見つけたのだ。

「それはデザイン? なんでお前がデザインを?」

 樹は風花が喜びそうな、曲線がたくさん絡みつく、美しい芸術作品の図録を熱心に覗きこんでいた柳を意外そうに見つめた。

「まぁそう言うなや。もっとも俺がって言うより、親父に探してきてくれって頼まれたんやけどな。あ、ウチ町工場で、ネジとかボルトとか、いろいろ機械の細かい部品作ってねん」

「へぇ」

「それでな、最近は注文が多様化してて、前衛インテリアなんとかで、わざと部品見したりするらしくて、普通は見せへん部品にかて見た目にキレイなものとかいう注文があって、親父面食らっとんねん」

「それでデザインの本」

「そうや。俺これでも後継ぎやからな。協力してるんや」

「町工場を継ぐのか? 大変だろう?」

「せや。大変や。けど、そのために工学部入ったんやし、従業員もちょっとやけどおるしな、俺の代で潰すわけにいかへん」

「……」

 温和な柳の真剣な口調に、樹はなんとなく呑まれたような気になり、黙り込む。

「変か? 今時、町工場なんてなぁ。もっともや」

「いや、そう言うことでは。ただもう将来を決めてるなんて、えらいと思っただけだ」

「いやー、カッコ良いこと言ったけど、俺わりとあの工場好きやからな。親父が築いたって言うのもあるけど、チビんころから遊び場にしとったし。経営苦しいけど、道はあると思うねん。でもお前に褒められるなんてな。なんか嬉しーわ、こんなんかっこ悪いとか言いそうやから」

 柳はにっと笑った。

「言わないよ。俺の方がもっとかっこ悪い。この大学に決めた動機も不順だからな」

「お前は何か就きたい仕事はあるん?」

「今のところは具体的には。……ただ」

「うん?」

「ものづくりに携わりたいとは思っている。具体にはまだわからないけど」

 彼のそばに作ることが大好きな人がいるから。

「あ、俺とおんなじや。でも意外やな~」

「なんで?」

「お前なぁ、なんていうか……理論派で研究者タイプみたいに見えるの。ビジュアルが」

「そうか?」

 樹が実は大変な行動派だと言うのは、風花ならよく知っていることだが、同級生とあまり打ち解けることが少ない彼は、普通クールに見られることが多い。

「でもな、俺の周りのヤツは結構なりたいモン、見えてきたヤツ多いで。俺と一緒の高校から来た木下な、あの天パのヤツ。アイツ鉄(鉄道マニア)やねん、だから将来はソッチの方に行くんとちゃう? 流線形がどうとかよう言うとるもん」

「そやし、あの派手な三田村さんな、あの人は博士号を持ったモデルになるんやって。これは有名な話やで? 知らんか?」

「知らん」

 意外な情報通な柳に、樹はなにも言い返せない。

「お前関心持つもん少ないからなぁ。ええけどな。ま、人それぞれやし」

「俺はまだ何にも定まってはいないな」

「ええんよ、それで。これからゆっくり考えたらいいねん。そのために大学きたんやろ」

「……」

「それよりレポートできた? ドイツ語翻訳のヤツ。できたら見せてーな」

「やだね」

「あ、ひど」

「訳だけなら少しは見せてやる。考察は自分でしろよ」

 そう言って樹は図書館を後にした。後には合掌している柳が残る。

「清水君、カミサマ」

 図書館の外は、まだ夏の始まりなのに暴力的な暑さだった。熱いのは苦手ではない樹も木陰を選んで歩く。

 ——みんな、考えているんだ。柳も、あの三田村でさえも。

 樹はぎらぎらとしたアスファルトに映る、ポプラの濃い影を踏みながら思った。

 自分はどうしたいのか、樹は自問した。

 何かをしたい気持ちはある。確かに。それを探しに大学に来たんだ、と柳は言っていた。しかし、柳は父の町工場を継ぐと言う。自分は父のような年がら年中飛び回っている商社マンにはなりたくはなかった。父も自分にそんなことをさせたいとは思っていないだろう。建築物や機械の図面は見るのも書くのも好きだから、そんな方面が向いているのだろうか?

 堂々巡りの思考を吹っ切って顔を上げると白っぽく輝いている。その終るところに涼しげな山並みが見える。

 ——そういえば風花は何になりたいのだろう?

 遠くの青々とした稜線を目でなぞって樹は思った。

 夏の空は白っぽく輝いてそんなに青くはなかった。


 その日の宵に風花から電話があった。声が聞きたいのでメッセージではない。

『もしもし? 樹君?』

「風花、どうしたの? 声が少し弱々しい」

『そ、そうかな?』

「何があった?」

『なんにもないない!』

「ふぅ〜ん、なにかあったんだね?」

『ないってば!』

「言って」

『……怒んない?』

「怒んない」

『……ホント?』

 電波の向こうの声は少々不安げである。これは少し脅かしすぎたか。しかし気になる樹である。

「本当です」

『あのえっと……小川君が好きだって言ってきて……』

「告られたの?(クソ、あの野郎~)だから言ったでしょ? それでなんて答えたの」

 樹は勤めて平静な声で尋ねた。

『困るって答えた。ちゃときっぱり言ったよ。ホントに』

「はいはい。信用しますよ……しかし参ったな」

 ——こんなに早く行動を起こされるとはね。このおねーさんが知らせてくれただけでもよしとするしかないか。

『ごめんね』

「なぜ? 風花が謝ることじゃないでしょ? 俺としては今すぐ連れ帰りたいところだけど」

『そっ、それは困る~』

「だったら、今後はできるだけ距離をおく事。充分気をつけて隙を見せないこと。いいね」

 最後の一言は微妙にドスがきいている。

『わかった……(ひ~、この上キスまでされたなんて言ったら絶対迎えに来るよ、このヒト、ここは黙っとこう)なるべく梓ちゃん、あ、友達になった女の子ね。この子と一緒にいるようにするから』

「そうして。いい? 人前でも彼の三メートル以内に絶対に近づかないこと。もちろん、二人きりになんか絶対にならないこと、絶対!」

「き、気をつけます』

「風花」

 樹の声がかすれた。

『はい?』

「本当は今すぐ会いたいんだ」

『私もそうだよ? でも……』

「わかってる。あと数日だから。それじゃ、お休み。くれぐれも気をつけて」

『うん、そっちも頑張ってね。お休みなさい』

 

 ——頑張ってね、か。俺は何を頑張ればいいんだろう。

 都会の夜は暮れてもそれほど暗くはない。星も見えなかった。

 風花のいる山の空はどうなんだろう? 自分の部屋から夜空を見上げて、樹はそう思った。

 あの小さな姿に無性に会いたかった。






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