第24話 追風 2

 微かな音を立てて扉が閉まる。

 ここに樹は住んでいるのだ。

 ——うわぁ~、ひろぉ! そんでやっぱりお洒落~。

 広い玄関ホールには足元に近いところから照明があって、クロゼット類が充実しており、大きな皮靴やスニーカーが行儀よく並べてあるほかは、不要なものは一切置いていない。とても高校生男子が住んでいるとは思えない、生活感の無さだった。

 廊下にもいくつかドアがあり、突き当たりがリビングなのは、マンションなら普通の構造なのだが、床に段差が少しもないのが地べたにしか住んだことのない風花には物珍しい。

 品のいいレリーフ彫刻が施されているガラスがはめ込まれた両面扉を開けると大きな空間だった。

「わ~、すてき~、ここもひろーい!」

 たっぷり二十畳はあるだろう、広いL字型のリビングダイニング。しつらいに統一感があり、置かれている全てのものが趣味がいい。だが、ここにもあまり生活感は見られず、インテリア雑誌などで見かけるモデルルームのような部屋だった。

「男の子の一人暮らしにしちゃ、片付いているなぁ。さっきは散らかっているとか言ってたけど私の部屋よか、全然綺麗だよ」

「酢でもないですよ、昨日は細川さん休んでたし」

 樹はいつに投げ出された雑誌を片付けながら言った。

「細川さん?」

「うん、祖母のところにきてくれている家政婦さんなんだけど、ウチにも来てくれて掃除とかしてくれているんだ。昨日はお休みで、だから掃除は今日、俺がした。でもやっぱ細川さん見たく行き届かないな」

「はぁ~、さいですか」

 冷蔵庫にいっぱいメモが張ってあったり、TVの上に小学校の工作で作った鉛筆立てが置いてあったりと、いたるところ生活感丸出しの自分の家を思い浮かべながら風花は間抜けな相槌を打つ。

「ま、どうぞおかけください。好きな場所でくつろいで。今飲み物を持ってきます」

「あ、お構いなく〜。すぐ帰るんで〜」

 風花はデニムのジャケットを脱ぎながらきょろきょろ部屋を見渡した。

「そんなこと言わないで、もしかしてお腹減ってる?」

「も〜清水君、私の顔見たらそう聞くよねぇ。今日はそんなに空いてないよ〜。ここでいろいろ見ててもいい?」

「どーぞ」

 一方の壁は天井まである作り付けの棚になっていて、主に大きめの本が並べられていた。自然科学や、歴史等ジャンルごとに分類されており、住人の几帳面さを表している。英語の本も多い。風花が見たかぎりでは随筆、小説の類はまったくなかった。そして、本棚と直角の広いベランダに向いたハイサッシの脇に大きな天体望遠鏡が鎮座している。

 ——ふぁ~、はじめて見るよ。こんなの。

 パソコンもあるが、これは少し旧型であった。聞けば自分の部屋に新しいものが置いてあるという。

 リビングだというのに、ほとんど無駄なもののない直線的な雰囲気だ、住む人の性格を反映しているのかもしれない。埃一つ見られない。

 ハイサッシの外はベランダというより、もはや庭で、テラコッタタイルと芝が品よく敷き詰められており、季節柄か、花の類は見当たらなかったが、よく手入れされた常緑樹の鉢が置かれていた。

 風花は一回り室内をみわらしてライトグリーンのソファにぽふんと腰を下ろした。

「なんか、ウチの家が恥ずかしくなってきたわ」

「なんで? 俺、風花の家いいと思うけど? はいどうぞ」

 樹は紅茶のカップをテーブルに置いた。ちゃんとソーサーもついている。高校生男子なら普通はペットボトルをデンと置くところだ。こういうところも樹らしい。

「あ、ありがとう」

「課題の作品提出、終ったの?」

 樹はソファに座らず、風花の前の床にじかに腰を下ろした。

 低いテーブルとソファの周りだけ、毛足の短いグレイのラグが敷かれている。

「うん、進級制作は。後は春の作品のエスキース(下絵)を今月中ににまとめておかなくっちゃいけないけど。テーマがさ、『モニュメント』って言うんだよ? 抽象的だと思わない?」

「うーん……よくわからない」

「モニュメントって記念碑みたいなもんでしょ? でも、目に見えるものだけでなく、心象的なものだとか、そんなものでもいいみたいだし。厄介なテーマだよ。なんかいいアイディアないかなぁ」

「大学生って結構忙しいんですね」

「ウチの大学は特別じゃないかな……ってみんな言ってるけど。清水君は? 勉強いいの? 時間のほうは」

「よくなかったら正直に言うから」

「うん。あ、このお茶おいしいね。私コーヒー苦手だからお茶がいいの」

「知ってる……風花」

 ホンの少し、声のトーンを低くして樹は風花の名を呼んだ。

「ん?」

「久しぶりに三つ編みにしているのはいいんだけど、誰がやったの? その髪」

 彼はいきなり膝立ちになり、つい、と長い腕を伸ばして今では背中の中ほどぐらいまで伸びたおさげを手の上に乗せた。膝立ちとはいえ、深々とソファに沈み込んでいる風花より、目の位置が高い。

 一見ゆるめのおさげだが、よく見るとそれはフィッシュボーン編みという少し特殊な編み方で、器用に少しほぐしてふわりとした仕上がりになっている。無論樹はそんな編み方の名前など知らない。しかし、風花がこんな編み方をしたことがないことはわかる。

「え⁉︎」

「お母さんでもないでしょ? こんな髪型、今までしたことないよね?」

 指先でさり気なく髪をもてあそびながら、視線だけはちょっとうろたえている風花から外さない。

「こんな風に風花は自分で編めないと思うんだけど」

「えーと、えーと。それは今日……」

 強い瞳で見つめられて、風花の視線が泳いだ。

「今日?」

「髪に絵の具がついちゃったんで石鹸で洗っていたら、柴崎さんが通りかかって」

「柴崎? 男?」

「え? ああ、そうなんだけど、彼は将来舞台芸術とかの方を目指している人で」

「それで?」

「洗ってくれて、綺麗にしてくれた」

「男に自分の髪をさわれせたの?」

 適当にごまかせばいいものを、風花は馬鹿正直に誘導尋問に引っかかり、あまつさえ全然関係ない話でごまかそうとして、かえって樹の不興を買ってしまった。

「どうなの?」

 樹の声が低くなる。

「そうだけどなんだか尋問みたいだよ~怖い」

「尋問なんです」

 なんだか不穏な空気を和ませようと、風花はおびえて見せたが、当然ながら墓穴に終る。

「何でそういうことするの?」

「え〜、でも美容室とか男の人多いよね」 

 風花が話を逸らそうと明後日の方角を向いても、逆に強い仕草で頬を両手で挟まれてしまう。

 ——わー、目がマジだ。ピーンチ!

 とてもその場しのぎでどうにかなりそうな雰囲気ではない。

 ——別にやましいことはしてないんだけど、ここは正面突破で!

「や、あのね? 柴崎さんは私があんまりチビなものだから、で、いっそこんな風にしたほうがかえってザンシンだよって。これじゃ高校のときとおんなじだよねって笑ってたんだけど、帰るとき解くの忘れちゃっただけで別に他意はないよ」

「へぇ?」

「うん。本当にただそれだけでさ。柴崎さん、高校のとき一緒の専門学校だっただけで。それに彼モテるし、絵もすごいし、私なんか、たまたまからわれただけで普段は全然相手にされてないし」

 狼狽のあまり話がちぐはぐになっているが、要するに風花が言いたいのは、柴崎は高校の頃通っていた専門学校からの知り合いで、かなり個性的ながら才能があり、異色の一回生として学部の注目を集める存在だということなのだ。

 彼は一浪しているから風花より一つ上になる、ひょろ長い男だった。

「相手にされたいの?」

「ちがーう! でもっ、話ぐらいするし!」

「ふーん」

「し、清水君? 目、すご……怖いんだけど?」

「怖がらせてんの」

「ううう」

 樹は厳しい目で風花の狼狽を観察してから手を離し、風花を開放した。

「そういうのだめでしょ?」

「……」

「気安く他の男に触らせるなって前に言わなかった?」

 ——オレノ? 俺のって言いました? 私、アナタの所有物ですか?

「なにひきつってんの。罰として」

「ひー」

「これからは下の名前で俺を呼ぶこと」

「え?」

「わかった?」

「……」

「あ、わからないんだ。では」

 樹はす、と立ち上がりかけ——て風花が座っているソファの背もたれに両手をついた。

 ——あ……あれ?

 風花の体がソファに沈み、天井の白いクロスが見えた。

 樹に抱きしめられている。

 重さも感じないくらい優しく。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る