第13話 春風再び 1
吉野家の夕飯後、電話が鳴った。
「ふうちゃん、出てくれる~? 今すっごくいいとこなの〜」
居間でドラマに夢中の母が、洗い物をしている娘に無遠慮に声をかける。
「はいはい、んも~」
ふうちゃんと呼ばれた風花は、タオルで手を拭きながら玄関脇の電話を取った。
「はい、吉野でございます」
「風花?」
「あ、清水君⁉︎」
低くて少し艶のある、いつもの樹の声。心臓がひっくり返った。
——あ、あれ? なんでだろ? ドキドキしてる。落ち着けワタシ。
樹からの電話は付き合い始めてから、まだ数回しかない。
一月の終わりに強引な成り行きから付き合うこととなって二ヶ月。
風花の受験が終るまではどこかに出かけるということもなく、電話もほとんどしないという不思議な関係だった。
登校時に駅で合い、歩きながらの道々話をする他は今までとまったく変わらない二人なのだ。
二人とも今の高校生にしてはめずらしく、電話という手段にそれほど依存していない。
風花は一応古い型の携帯電話を持っているが、しょっちゅう携帯することを忘れるし、樹にいたっては最初携帯電話すら持っておらず、風花を強引に彼女にしてからやっと携帯を買ったという、イマドキめずらしい(ある意味似た者同士の)二人だった。
しかも、樹は携帯に電話をしないで律儀に家の電話にかけてくることが多い。メールも電話ができない時だけ、それもほとんど用件のみに限られていて、そういうところはとても似ている二人である。
「いまどき珍しいほど礼儀正しい男の子だわよねぇ」
母などは感動している。
——礼儀正しい? ほんとかぁ?
この点についてはあまり賛成できない風花だった。
しかし、風花はどんどん彼を好きになる自分に気がついている。
とても愛想のいい彼氏とは言えないが、短い無愛想な言葉の中に確かにやさしさが存在する。のんびりしているが、思いつめると止まらない風花の考えをいつもまったくちがう角度からバッサリ切ってくれる。
それは今まで経験したことのない快感だった。
初めて二人で出かけたのは合格発表の日。
あの日のことを思い出すと今でも顔が赤くなる。
目立たない場所とはいえ、大勢の人が行き交うキャンパスの中で一瞬だけど大胆なキスを交わした。
実はあの後、けっこう大変だったのだ。
「ただいま~!」
「ふうちゃん、合格おめでとう!」
母の若々しい声と共に、両親が我先に玄関に飛び出してくる。
「よかったなあ、まぁお父さんは大丈夫だとは思ってたけどな」
「あんなこと言ってお父さん、会社から何度も電話かけてきてたんだよ」
「ほんと~?」
「十分に一回くらいね……って、あら? そちらどなた?」
目ざとい母は、玄関ポーチから少し離れて立っている黒いコートを着た背の高い少年に目をとめた。
「ん?」
父も母の視線を追って開けっ放しのドアの外に目をやる。
「ん~、えーと、彼はそのぅ……」
送ってもらったはいいが、樹のことを両親に紹介するなどという心積もりがまったく立っていなかった風花はイキナリあせった。
「こんばんは。初めまして」
風花のパニックなどお構いなしに樹は一歩前に踏み出した。
「吉野さんの後輩で二年生清水樹といいます」
「あらあら、まぁまぁ。ん? もしかして一緒に発表見に行ってくださったの?」
カンのいい母の頭の中で、今までの些末なエピソードが見る見るつながっていくのが風花にはありありとわかった。
「ん? 風花、友達か?」
母よりは数段鈍い父がびっくりしたように樹を見つめる。
——ひょえ~、なんて言ったらいいんだよう。清水君といるといつも予想外な展開になってしまう~!
「ご挨拶が遅れてしまったのですが、僕、先だって吉野さんに交際を申し込んだのです」
「え⁉︎」父は絶句している。
「ふ~ん」母は余裕の表情である。
——どぅえ~! この子なに言ってんの⁉︎ またしてもイキナリ!
「まぁ、じゃ、キミだったのね? ふうちゃんの時々やってた薄気味悪いニヤニヤ笑いの原因は」
「ニヤニヤ笑い?」
「わぁ~! おっ、お母さん! もっ、もう! 勝手なこと言わないで! えーと、清水君、送ってもらってありがとう! じゃ、そういうことで! さよな……」
大慌てでドアを閉めようとする娘をあっさり押しのけ、母は聖母のように手を差しのべた。
「まぁまぁ、そういうことなら清水君、一緒にご飯でもどぉ?」
——なんでこうなってるんだろう?
「清水君、たくさん食べて言ってね」
にこやかにお寿司を勧める母とどう言葉を掛けていいかわからないのでとりあえず、娘の彼を観察している父。
「ありがとうございます」
「遠慮なくね、なにが好き?」
「白身魚です」
落ち着きはらって質問に答えている樹。
三者をかわるがわる見比べながら、お寿司どころではない居心地の悪い風花。
「まぁ、ってことは中学からこの子と同じだったの?」
「はい」
「で、ふうちゃんのどこがよかったわけ? ボーっとしてるでしょ?このコ。」
「ボーっとしてるとこです」
——なんだってぇ?
「ほめてるんですよ」
じっとり睨むタレ目を涼しい顔で流す切れ長の目。
「じゃあ家は遠くないわね。何町にすんでるの?」
「小坂町四丁目のグレーのマンションです」
「ええ! あの大きな?」
母子の言葉が重なった。
——ひゃ~、知らなかったよ~。あれってすごい高級な感じだよね?
「へ~、いいなぁ。ふうちゃん、もう遊びに行った?」
——とと、とんでもない!
ふるふるふるっとおさげが舞う。
「失礼だがご両親は何を?」
と父。
「両親は僕が小学生の頃離婚して、今は商社勤務の父と暮らしています。現在は海外赴任中で、時々祖母が面倒見に来てくれています」
「あ、これはすまんね、清水君。つい立ち入りすぎた」
「いえ、別に隠す事でもないですから」
人のいい父はすまなそうに謝る横で風花は密かに驚いていた。
——そうだったんだ~。私、清水君のこと何にも知らないなあ。じゃあ今、一人暮らしって言ってもいいくらいなんだ。
それから食事は気まずくなることも、母を除いて盛り上がることもなく進み、ちょうどいい頃合を見計らって樹は丁寧に挨拶をして帰っていった。
「ふぅちゃ~ん、いい彼じゃない~。ハンサムだし~、アタマよさそうだし~、よくやったね~」
「お母さん、浮かれすぎ」
父は特に何も言わずに書斎兼寝室へひっこみ、風花は母と食事の後片付けをしていた。
「お父さんだってね、結構認めてんのよ。気に入らなかったら絶対態度にでるもん」
「そうなの?」
「うん、彼が真剣にふうちゃんを好きって言うのはなんとなく伝わってきたしね」
「ほんと? あんまり言葉の多いほうじゃないんだけど」
「うん、でもわかるよ。お母さん達だって恋愛結婚だもん。ぐふ」
「も~、自分で言ってて照れないでよ。でもこれから楽しみだなぁ」
「お母さん浮かれすぎ」
そんなことがあったのだった。
「風花、聞いてるの?」
電話向こうの樹の声にハッとなる。高すぎず、低すぎない、耳に心地のいい声。風花は回想から現実に立ち戻る。
「ふぁい、聞いてます」
「それじゃ、明日ね」
「うん、わかった。おやすみなさい」
「おやすみ」
風花は静かに電話を置いた。
「ふぅちゃん、清水君だったの?」
母が居間からにゅっと顔を出す。明らかに期待している。
「うん、明日ちょっと出かけるから」
そのまま母の返事も聞かずに、風花は二階の自分の部屋に駆け上がった。
「うきゃ~っ!」
勢いをつけてベッドにダイブする。羽根布団がものすごい勢いでへっこんだ。
初めてデートに誘われたのだ!
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