第22話 気分転換の外出

 一人、私は部屋で鏡を見て笑顔をつくる。

 志野いわく、いつも笑顔の女はモテるという。

 つい先日の女子会で女のモテ技なるものを教え込まれた私は、とりあえず家で笑顔の練習をしていた。


「うぅん、かわいくない……」


 鏡に映る自分を睨む。

 志野いわく、自分に自信を持っている女は輝いているのだそうだ。


『まずは、自分自身のことを好きになってあげましょうね!』


 という志野の明るい声を思いだし、私は自分を見つめ直す。好きになれる部分なんて、そうそう見つかりそうもないが。

 引きこもって勉強ばかりしていたために、肌は色白で焼けていない。しかし、色白だから隈は目立つし、そばかすもあるし、私は健康的な肌の色がよかった。それでも、化粧を覚えてからは何とか隈もそばかすも誤魔化せている。伸ばしている黒髪はカラーリングを経験していないため、痛んではいない。髪だけは、自信があるかもしれない。


「目は、大きい方なのかなぁ……」


 ぱっちり二重で、アーモンド形をしている。大きな目は、母似だ。

 よく、私の顔を見て母が言っていた。


『茉里の大きな目はお母さんに似て、とってもかわいいわ』


 母は、娘の私から見てもきれいな人だった。髪はローズブラウンに染めて、パーマをあてていた。大きな瞳は怒ると怖かったけど、普段は優しく私を見つめてくれた。真っ赤な口紅がよく似合っていて、爪のネイルもきれいだった。

 家庭が崩壊する前の、穏やかな記憶。きれいな母が自慢だった。


「お母さんの方が、きれいだったけど。私も、私を好きになれるかな」


 母を亡くしてから、ずっと母の記憶は封印していた。自分の中で、母を失った時の恐怖と後悔は苦しくて苦しくて正気を保っていられないから。でも今、私は優しかった母のことを思い出している。


(鬼島さんがいてくれたから……)


 すべてを失ったと悲観して、思い出さないようにしていた過去に再び向き合えた。まだ胸は痛いし、苦しい。辛い記憶には変わりない。それでも、ようやく苦しんでいる母の姿ではなく、明るくて大好きだった母の姿が思い浮かぶようになった。


「鬼島さんに会いたいなあ……」


 今日は、日曜日。修習は休みだ。だから、私は家で試験勉強をするつもりだった。修習での試験をパスしなければ、実務家として働けない。だから、休日は前期試験に向けての勉強に当てていた。

 しかし、今日はそういう気分になれない。

 志野に散々モテ技をレクチャーされたからだろうか。

 それとも、高岡に鬼島は意外と女子から人気があると危機感を煽られたからだろうか。


「よし、気分転換に買い物でもしよう」


 飾り気のない白いシャツとひざ下までの紺色のスカートに着替えて、いつもは結んでいる髪を下ろす。

 たまには、自分のために何か買うのもいいだろう。志野に、女の子らしい清楚な服を買え、とも言われていたことだし。


「いってくるね、はぐっきー」


 玄関で見送ってくれるはぐっきーに手を振って、私は家を出た。

 空を見上げると、きれいな青空が広がっている。外出日和だ。

 近くに、ショッピングモールがある。鬼島への贈り物もそこで買った。いらない、と言われてしまったけれど、鬼島は使ってくれているだろうか。


(嘘っ……)


 鬼島のことを考えて歩いていたら、前方に本人が歩いていた。幸い、まだ私のことは気付かれていない。


(まさか、あの鬼島さんがショッピングモール……? いやいや、あり得ない)


 しかし、予想に反して、鬼島は私が行こうとしていたショッピングモールに入って行った。

 大好きな人に遭遇してしまったのだ。気にならないはずがない。


(こ、これはストーカーじゃない、よね……?)


 自分で自分に言い訳をしつつ、私は一定の距離を保って鬼島の後ろをついて行った。

 鬼島のことだ。きっと珈琲関連の何かを買いに来たのだろう。

 それとも、服だろうか。鬼島の私服はシンプルで、それでいてとても品がある。

 今日も、灰色の無地のシャツに黒のジャケットを羽織っただけで、様になっている。クールで、かっこよすぎる。鬼島が歩く度に、女の子が振り返っている。正直、面白くない。私も、鬼島をかっこいいと黄色い悲鳴を上げる女子の一人に違いないのだが、本気度が違う。鬼島にはふられたも同然だが、少しくらいやきもちを妬くことは許して欲しい。

 私は自分の買い物のことなどすっかり忘れて、鬼島の後をつけていた。完全にストーカーである。誰にもこんな姿が見られませんように、と心の中で願う。


(お休みの日でも、眼鏡かけてるんだ)


 背後から見ているので、鬼島の表情はよく見えないが、眼鏡をかけているのは見えた。もしかすると、眼鏡を買いに来たのかもしれない。

 修習所でも眼鏡をかけているが、本当は目が悪くないのを私は知っている。家では眼鏡を外している、という情報もあまり知られてはいないだろう。他のキャーキャー言っている女の子より、私の方が鬼島のことを知っているのだ。内心で対抗心を燃やしていると、鬼島がある店に入って行った。


「……え、嘘」


 鬼島が入った店は、珈琲用品の店でも、服屋でも、眼鏡屋でもなかった。

 鬼島の視線の先で、ブタなのかゴリラなのか、よく分からない動物が歯茎を剥き出しにして笑っている。

 ゆるキャラのグッズ販売をしている店だ。

 そこに、数は少ないが私がかわいがっているはぐっきーがいた。最近新しく出た、手の平サイズのはぐっきーのぬいぐるみだ。鬼島の手に触れられて、心なしかいつもより歯茎が出ているように見える。はぐっきーが羨まし過ぎる。鬼島が触れたぬいぐるみ、絶対買う。私はそう心に決めた。しかし、鬼島は棚に戻すことなくはぐっきーを抱いて店内を物色している。


(鬼島さんも、実ははぐっきーファンだったの?)


 あり得ない。鬼島の家にははぐっきーのものなんてなかったし、私が持っているはぐっきーにあまりいい顔をしていなかった。現に今も手の中のはぐっきーを睨んでいる。

 そしてそのまま、鬼島は店員さんに声をかけた。鬼島に声をかけられた女性店員は、顔を真っ赤にしている。しかしそんなことには気づかずに、鬼島は口を開く。


「これは、かわいいんですか?」


 冷静に、厳しい目で鬼島はにっこりと笑うはぐっきーを見た。

 一般常識的に言えば、はぐっきーはかわいくない。キモかわいい奴なのだ。そんな純粋な可愛さを求めないであげてほしい。私は内心ではぐっきーの弁解をする。


「え~っと、そうですね。意見は分かれると思いますけど、私は好きですよ。それと、あの、よかったら他にもかわいいぬいぐるみとかゆるキャラのグッズとかあるので案内しましょうか」


 女性店員は、うっとりと鬼島を見つめて言った。


「あなたがもし、このぬいぐるみを贈られたらどう思います?」


「え、これをですか? あの、お客様のような方から何かいただけるなら、なんでも嬉しいと思います。彼女さんへのプレゼントですか?」


「まあ、そんなところです」


 その時の、鬼島の表情を見て、私は重たい鈍器か何かで殴られたような衝撃を受けた。

 あの、鬼だと言われるほど冷たい顔をしている鬼島が、やわらかく笑ったのだ。

 私に対して、馬鹿にしたように笑ったり、からかったりしたことはあったが、あんな優しい顔見たことがない。


(鬼島さん、彼女いたんだ……)


 可能性はゼロじゃない。どこかでそう思っていた自分がいることに、私は気付いた。

 馬鹿だ。鬼島は私よりも年上で、色んな経験をしてきている。当然、彼女も何人もいただろう。

 どうして、今はいないと思っていたのだろう。

 私を家に泊めてくれたから。気にかけてくれたから。しかしそれは教官としての義務感と、過去への罪悪感からだった。


「……帰ろう」


 鬼島が彼女へのプレゼント選びをするところに遭遇してしまうなんて、私もつくづく運が悪い。

 鬼島の彼女はどんな人だろうか。

 きっと、鬼島が選んだ人だから、きれいな人なのだろう。賢くて、きれいで、鬼島を支えられる、素敵な人なのだろう。

 そういう人が、はぐっきーを好きだなんてずるい。キモかわいいはぐっきーをかわいいと思うきれいな人なんて、好感度が上がるしかないではないか。鬼島も、そういうところをかわいいとか思っているのだろうか。

 私もはぐっきーが好きだが、少なくとも鬼島の彼女は私のように泣きわめいたり、馬鹿みたいなことをして鬼島を困らせることもないのだろう。


 気分転換のために外出したはずなのに、私の気分はさらに落ち込んで家に着いても勉強する気にはなれなかった。

 

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