女王と孤高

かごめごめ

第一章 頂点に君臨する恐怖の女王

 うん、決めた。もう決めた。これは決定事項だ。

 本当の本当の本当の本当に、今日こそ。今こそ。

 ぜったいに、瀧口たきぐち沙奈さなに話しかけるのだ――


 放課後の訪れを告げる号令とチャイムを聞きながら、あたしは静かに覚悟を決めた。



【第一章 頂点に君臨する恐怖の女王】



 決意が鈍らないうちに行動に移そうと、腰を浮かせかけたとき。

 どこからともなく押し寄せてきたクラスメイトの女子たちが、あたしの席を取り囲んだ。

「ねぇサヤ、このあとどうする?」

「たまにはパーッと、カラオケでも行っちゃう?」

「それいつもどおりじゃん」

「アタシ今月早くもピンチだし、できればあんましお金使わないトコがいいかも……なんて」

「ね、サヤ。サヤは……どう思う?」

「ていうかどうせ意見まとまんないし……サヤ、決めてよ」

「うん、それがいいよっ。サヤちゃんの好きなところで、いいからっ」

 みんなの視線はまっすぐにあたしへと注がれている。

 あたしは顔の前で両手を合わせた。


「ごめんね、今日はちょっと気分が乗らないから、パスで」


 感じが悪くなってはいけないので、ニッコリと笑って言った。

「あっ、そ、そうなんだ……」

「せっかく誘ってくれたのに、ごめんね、みんな?」

「うっ、ううん。いいのいいの、誰にだってそういう日はあると思うしっ。ね?」

「そ、そうそう。しょうがないよね!」

「この埋め合わせは必ずするから。だから、今日のところはみんなで楽しんでおいで?」

「や、やっぱりサヤ抜きじゃつまんないし、遊ぶのはまた今度にしない?」

「だよねっ! サヤがいないと盛りあがらないし……あっ違うの、サヤを責めてるわけじゃなくて!」

「そ、そうだね、それじゃあまた日を改めてってことで」

「……そう? 別にいいのに」


 本当に気を使わなくてもいいのに、あれよあれよという間に、話がまとまってしまった。

 予定が白紙になったというのに、みんなは特に気にしたふうもなく、楽しげに談笑しながら教室を出ていった。ニコニコと、あるいはどこか、ヘラヘラと――笑顔であたしに手を振るのも、忘れずに。

「…………はぁ」

 周囲に人がいなくなったのを確認してから、あたしは小さく溜息をついた。

 こんなはずじゃなかった。


 三か月前――私立霞山かすみやま女子高等学校に入学した当初のあたしは、期待感に胸を膨らませていた。心機一転、友達をたくさん作ろうと考えていた。そのための行動だって、積極的に起こした。

 その結果が、これだ。

 たしかに、友達はたくさんできた。クラスメイト三十九人中三十八人の携帯番号とアドレスを知っているのなんて、クラスでもあたしくらいだろう。

 だけど……あたしが望んでいた高校生活は、これじゃない。


 あたしは、友達に気を使われている。

 人によっては、怯えられている。

 あたしはみんなから、どこかで一歩、距離を置かれているのだ。


 別にいじめられているわけじゃない。

 むしろ、あたしがみんなをいじめているんじゃないかって、時々錯覚しそうになる。

 そのくらい、みんなはあたしに、不自然なまでに従順だ。

 この不本意な距離感の原因は、自分ではよくわからない。

 ただ、以前このことを、小・中学校の同級生で今は別の高校に通っている親友の朱美あけみに、チャットで相談したことがあった――


{つまりちーは、無自覚にカーストの頂点に君臨しちゃったんだね

 えっ?? カーストって??

{簡単にいうと、目には見えないクラス内の序列、って感じかな。上位の人ほど偉いのさ

 ってことは、カーストの頂点は担任の先生なんじゃないの??

{……ちーは昔から、そういうのとは無縁だったもんね。わかんないか笑

 よくわかんないけど、馬鹿にされてる気がする……

{あのね、ちー。今まで黙ってたんだけど、ちーには“天性の素質”があると、私は思うの

 ……素質って、なんの??

{女王様

 は???

{たとえば、ちーってよく笑うよね?

 うん。笑顔がチャームポイントだもん。

{そうだね、私もそう思う。けどね、ほかの人にとっては、どうかな?

 どういう意味??

{ちーは笑ったとき、目が笑ってないんだよ。正確には、笑ってないように見える

{というか、笑えば笑うほど、怒ってるように見えるのよ。だから、笑うと恐い

 なにそれ?? あたし、怒ってるのに笑ったりしないよ??

{だから、私はわかってるってば。付き合い長いから。でも、みんなはそうじゃない。生まれてはじめて佐谷野さやの知夏ちなつという人間に遭遇した人は、きっとビビる。その圧倒的な女王様オーラと静かな威圧感に。この人に逆らうといじめのターゲットにされるって、否応なしに思わされてしまう……

 朱美、ふざけてる?? そんな人いるわけないでしょ??

{それが、本心から言ってるんだよね、残念ながら

 …………本当かなぁ??


 朱美の説は正直なところ、半信半疑だった。

 だって、笑顔が恐いだなんて、にわかには信じられない。あたしのチャームポイントなのに。

 それでも朱美の説を信じるとするならば、いろいろと腑に落ちる点もある。


 保育園時代――喧嘩を止めようと仲裁に入った瞬間、喧嘩していた子たちが突然泣きだして、なぜかあたしが先生に怒られたのも、あたしが恐かったせいだ。

 小学校時代――朱美以外にまともに友達ができなかったのは、あたしが恐かったせいだ。

 中学校時代――朱美以外にまともに友達ができなかったのは、あたしが恐かったせいだ。


 ……それでも、友達とは呼べないまでも、最低限の人間関係は築けていた。クラスメイトと普通に会話することくらいはできていた。

 思い返せば。席が離れていようがクラスが違おうが、なんだかんだで朱美はいつもあたしのそばにいた。

 そんな朱美の存在が、あたしとほかのみんなを繋ぐ潤滑油のような役割を担っていたんだとしたら。

 現状は、必然だ。

 もしかしたらもしかして、あたしはこれまでの人生、ずっと朱美にフォローされ続けてきたのかもしれない……。


「さっ、サヤちゃん、また明日ねっ!」

「……ん。またね」

「ひっ……!」


 あたしは軽く手を挙げて、テンション低めに返してみた。うぅん……やっぱり笑わなかったら笑わなかったで、無愛想っぽくなっちゃうなぁ……。

 それにしても、暗黙の掟でもあるのか、みんな必ずあたしにひと声かけてから帰ろうとするので、なかなか席を立つタイミングが掴めない。さっきから、腰を浮かせては声をかけられ出鼻をくじかれる、その繰り返しだ。


 そして、そうこうしているうちに……

 ついには、あたしと“彼女”の二人だけが残ってしまった。

 最後の一団が教室を出ていった直後から、あたしの心臓は急激に鼓動を早めていた。

 放課後の教室に、二人きり。

 どうしたって、“このあとのこと”を意識せざるをえなくなる。


「…………」


 あたしはそっと、彼女の姿を盗み見た。

 窓際の列のいちばん前。窓から吹きこむ風に、肩まで伸びたまっすぐな黒髪が揺れている。

 居住まいを正し、文庫本のページをめくり、時折、風で乱れた髪を耳にかける――

 そんな仕草ひとつひとつが、信じられないほどになっている。

 どこか現実離れした美しさを体現する彼女の佇まいは、「深窓の令嬢」という表現がピッタリだろう。

 あたしは彼女から、目を逸らせずにいた。

 三か月前から、ずっと。


 ――瀧口沙奈。


 なにか特別なきっかけがあったわけじゃない。

 ただ、入学式ではじめて彼女のことを見かけて以降、彼女のことを意識しない日はなかった。気づけば彼女の姿を目で追っていた。

 そのくせ、言葉を交わしたことは一度もない。

 彼女の連絡先だけは、未だにあたしの携帯に登録されていない。


 ……未だに。

 つまり、これから交換するのだ。

 これから――言葉を交わすのだ。

 あたしは、静かに席を立った。

 椅子が立てたかすかな物音には気づいていないのか、それとも気にしていないのか、彼女は――沙奈は変わらず、手元の文庫本に視線を落としている。

 あの子と話してみたい。

 そしてできれば、仲良くなりたい。

 その一心で自らを奮い立たせ、意を決し、あたしは沙奈の正面に回りこんだ。


「こ、こんにちは……」


 たとえば「それ、なに読んでるの? 面白い?」とか、多少なりとも気の利いたことを言うつもりだった。

 けれど、沙奈を前にした瞬間、頭の中が真っ白になって。

 勢い任せに発した言葉は、捻りもなにもない挨拶だった。


 弾かれたように、沙奈が顔をあげた。


 当然、目が合った。

「…………」

「…………」

 沙奈は驚いたような表情で固まっている。声をかけられるなんて思ってもみなかった、という顔だ。そもそも読書に集中していて、あたしの接近にも気づいていなかったのかもしれない。

 一方のあたしはといえば、声をかけたはいいものの、次の言葉が出てこない。だめだ、なにか言わなきゃ。でも。どうしよう。焦る。早く。変な子だって思われる。やだ、嫌われたくないのに。気持ちばかりが先走って、空回って、思考がうまくいかない。


 そんな、一分一秒を争う危機的状況下にありながら、あたしは。

 あろうことか……沙奈に見惚れてしまった。

 だって、いつもは遠くからこっそり眺めているだけだったから。こんなに近くで、真正面から顔を覗きこんだのははじめてのことで。


 精巧な人形じみた、あまりに整った目鼻立ち。顔のパーツの一部かと思うほど似合っている赤縁の眼鏡は、本を読むときと教室での授業中にのみかけているが、外しているときはあどけなさが増してまた別の魅力が生まれるため、どちらのほうが似合っているかは一概には言えない。夏の制服の袖から覗く肌は白磁のように白く、美しい。


「……えっと、あの。わたしに、なにか?」

 上目遣いにあたしを見て、沙奈は言った。

 耳に心地よい、透き通るような声だった。沙奈の声は授業で何度か聞いたことがあるくらいで、ほとんど馴染みがない。そのくらい、沙奈は普段、他人と関わろうとしないのだ。


「ご、ごめんね突然。別に、用があるってほどじゃないんだけどね?」

 沙奈はどこか警戒するような目で、じっとあたしを見ている。それはそうだ、三か月間言葉も交わさなかったクラスメイトがいきなり声をかけてきたら、あたしだって何事かと思う。

「その、なんていうのかな? ほら、あたしたちってまだちゃんと話したことなかったよね?」

「……はい」

「でも、せっかく同じクラスになったわけだし? やっぱり、仲がいいに越したことはないと思わない?」

「……お、思います」

「だよねっ? だから、沙……瀧口さんとも仲良くなれたらいいなって、そう思ったの!」

 警戒を解くために、あたしは自分のチャームポイントを信じて、笑顔で言った。

 うん、決まった。そう思ったのだが。


「…………」

 沙奈の顔に、笑みはない。それどころか無表情だ。凍りついてしまったかのように、微動だにせずあたしを凝視している。

 うん、外した。そう思ったが、凹んでいる暇はない。

 臆することなく、あたしは口を開く。


「前から思ってたんだけど、瀧口さんってさ、なんかクールって感じで、カッコいいよね!」

「……えっ? そ、そうですか?」


 よかった。話には応じてくれるみたいだ。まだ挽回のチャンスはある。


「うん! 孤高の女って感じ! あ、もちろんいい意味でね?」

「孤高……」

「独りでいるのが画になるっていうか。深窓の令嬢っていうか!」

「深窓の、令嬢……?」

「うん、ほかの子とは明らかにまとうオーラが違うもん! ね、ここだけの話、中学のときとかモテたでしょ?」

「いえ、そんな……わたしなんて、全然……」

「またまたぁ。謙遜しちゃって!」

「モテたことなんて一度もないです……本当に」

「え、もしかして、女子しかいないお嬢様学校だったとか?」

「……普通に共学でした」

「わかった、男子にとっては高嶺の花すぎて、声をかけるのも恐れ多かったんだよきっと!」

「そもそも見向きもされてなかったと思います……わたしみたいな暗い女」

「ふぅん、男の子って見る目ないんだねぇ…………ところで、瀧口さん」

「はい?」

 さっきから気になっていたことを、思いきって訊いてみる。

「――なんで敬語、なのかな?」

「っ……!」


 別に責めてるわけじゃないよ、ってことを暗に伝えたくて、自然と笑顔になるあたし。語調も意図せず柔らかいものになった。

「タメ……なんだからさ? できれば、敬語はやめてほしいかな?」

「あ、ごっ、ごめんなさっ……ご、ごめんね?」

「ううん、こっちこそ無理言ってごめんね。くだけた口調はクールな瀧口さんのキャラじゃないかも、とは思ったんだけど、その……仲良く、なりたくて」

「……う、うん」


 沙奈はどこか困ったように、曖昧にうなずいた。

 さすがに、グイグイ攻めすぎた感はある。けど、こうやって“勢い”に頼らないと、また緊張で身動きが取れなくなってしまいそうだ。今だって気を抜くと、声が震えそう。

 だからもう、前に進むしかない。ちょっと引かれてるかもしれないけど、攻めるしかないのだ。


「ねぇ、瀧口さん」


 とはいえ、次の一言を伝えるのは、あたしの中で特別に勇気がいることだった。

“勢い”だけでは、ちょっと無理だ。

 だったらもう、ただ普通に、言うしかない。

 あたしは絡まる前に思考を放棄、心臓の鼓動も無視し、震えてるかもしれない声で、言った。


「沙奈、って呼んでもいい?」


 沙奈。

 心の中では、ずっとそう呼んでいた。

 けれど実際に声に出すのは……またなんというか、勝手が違う、というか。

 急速に頬が熱を帯びていくのを感じる。


「……それは、構わないけど、」

「ほ、ほんとっ? じゃあこれからはそう呼ぶね、沙奈!」

「…………意外」


 ぽつり、と沙奈は言った。

 言葉どおりに意外そうな顔をして、あたしの目をじっと見つめる。

「佐谷野さんって、もっとこう、遠慮がない人かと思ってた」

 その内容よりもまず、名前を呼ばれたこと、沙奈に自分の存在を認知してもらえていたことに、今さらではあるけど、うれしさがこみあげた。


「……っていうと?」

「呼び方とか。いちいち許可なんて取らないで、最初から下の名前で呼んでくる感じの……」

「なるほど。つまり、デリカシーがない人ってこと?」

「うん、まあ…………も、もちろんいい意味で、だけどっ」

 いい意味でデリカシーがない人って、どんなだ。

「あ、あくまでイメージだから、ね?」

 念を押すように沙奈は言う。

「そっかそっか……ふふふっ」

 思わず、笑みがこぼれる。

「ご、ごめんなさい、わたし、失礼なことを」

「ううん、全然。というかね、むしろ、うれしいの」

「……え?」


 それはたぶん、沙奈が今はじめて、素の表情を、生の感情を見せてくれたような気がしたから。ただの勘違いかもしれないけど、少しだけ心を開いてくれたように、あたしには感じられた。

 そしてあたし自身も、そんな沙奈に引きずられたのか、さっきまでの緊張が嘘のように自然体になっている。

 だから、勢いも覚悟も必要ない。あたしは頭に浮かんだことを、ただ素直に吐き出した。


「ねぇ、沙奈。あたし、沙奈のことがもっと知りたい」

「……わたしの、こと?」

「うん。それだけじゃなくて、あたしのことも、沙奈に知ってほしい」

「…………」

「どう、かな?」


 どうかな、というのも変な話だけど。

 沙奈は独りが好きっぽいし、こういうのは迷惑に感じるかもしれない。

 あまり考えたくはないけど、ここで拒絶されたら、おとなしく諦めるつもりだ。

 あたしは沙奈と仲良くなりたいだけで、沙奈に嫌われてまでつきまといたいわけじゃない。

 ……そんな心配は、けれど杞憂で。

「じゃあさ」

 沙奈は、まっすぐにあたしの目を見て、


「明日もまた、お話しようね」


 笑った。

 沙奈があたしに、笑いかけてくれた。

 はじめて見た沙奈の笑顔は、きれいで、可愛くて、まぶしくて。


「っ……」


 どくん。

 心臓が跳ねた。

 緊張はほぐれているはずなのに、すごい勢いで心臓がドキドキしてる。顔が熱い。

 なにこれ?

 ……よく、わからない。


「佐谷野さん?」

「そ、そうだね! 明日もぜったい、話そうね!」

「うん」

「あ、あたし、用事あるから今日はもう帰るね?」

 なぜだか沙奈の顔を直視できず、時計を見るふりをしながら言った。

「ん、わかった。また明日ね」

「……うん、また明日」


 あたしは自分の机の上の鞄を引っ掴むと、なにかから逃げるように教室をあとにした……。

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