初夜の契り? 【~和合の儀~】


「きゃあッ、ちょ、ちょっと皆礼くん……っ!?」


 皆礼くんは布団の中に横たわる、あたしの体の上にゆっくりと被さってくる。


「黙っていろと言ったはずだ。……これより海来玉を授ける儀式……『和合の儀』を始める」


 最前に悩ましい顔をしていたのが嘘のように、皆礼くんは表情の一切を消して冷淡な声で言い放つ。この状況を飲み込めないあたしは、そんな皆礼くんの態度が怖くて布団の中で体を縮こまらせる。

 皆礼くんは右手を差し出し、布団越しの、ちょうどあたしのお腹があるあたりにその手をかざした。そしてその姿勢のまま目を閉じると、すっと息を鋭く吸って口を開いた。


『我が身は彼の遠つ海より来臨せし、遠海勢玉来蒼大竜主神に娶されしかさねの腹より顕現せり、此の地を竜主神の聖光たる通力に依りて、永きに守り、潤し、幸を導きせし神等の縁ありて、豊海と名付けたる山海を治めるもの、名は遠海勢玉来日高比古也』


 皆礼くんは朗々とした美声で、宮司さんが唱える祝詞のようなものを口にする。


『今宵情けの深き月は満ちに満ち、万物を生来せし海原には益々盛んに命巡りて、我が身に宿りし命胤の、海来玉には愈々力満ち竜主神の加護を得たり、我が手に依りて此の命を結ばんとす』


 皆礼くんは深く集中するためなのか、目を閉じたまま唱え続ける。すると不思議なことに、窓も空いてなくて風が吹き込むはずもないのに、だんたんと皆礼くんの黒い髪が風に煽られたかのようにふわりと持ち上がってくる。

 そのあたたかいエネルギーのようなものは、まるで皆礼くんがかざしている右手から生まれてくるように下から上へと巡っていく。そして皆礼くんの右手の下にある、布団の中のあたしの体までじわじわと温かくなってくる。


(なんだろう……?お腹がぽかぽかする……??)


『我は成し就げん。此の度我が婚媾せし娘、名を早乙女ののか、此の腹深きにて海来玉安寧を得、実を結び、健全たる成育せしこと強く願い必ずや適はしめたり。強かれ正かれ其の命、此の身に宿れり宿れりッ』


 皆礼くんが力強いリズムで唱え終わったときだった。


(な、なに………ッ!?)


 急にあたしのお腹に圧力がかかった。皆礼くんはあたしに触れていないのに。それどころかお布団以外、今あたしに触れているものは何もないはずなのに。突然お腹の奥が重たくなってきて、その苦しさのあまり息が詰まる。あまりの圧迫感にあたしの額からは脂汗が噴出してくる。


(な、なんなのっ…………き…気持ち悪……っ…)


 まるで内臓をぐちゃぐちゃといじられ掻き回されているかのような、あまりにおぞましい苦しみに鳥肌が立ってくる。あたしの目尻には生理的な涙がじわじわ滲んできた。皆礼くんに「声を出すな」と言われていたからしばらく苦しいのも我慢して歯を食いしばっていたけれど、とうとう胃から込み上げてきた吐き気に耐えられずにあたしは声を漏らしていた。


「……ぅう……ぐ…うぅッ……」


 獣の唸りみたいな声を上げたあたしに驚いたのか、皆礼くんが目を開ける。すると涙と鼻水に濡れてぐちゃぐちゃになったあたしの顔を見て、皆礼くんは顔を青褪めさせた。


「早乙女……早乙女、大丈夫かっ!?」


 皆礼くんはあたしのお腹の上にかざしていた右手を下すと、自分の方がよほど苦しそうな顔をして心配そうにあたしの顔を覗き込んでくる。


「………ぅ、……くるし……っ………きもち、わるいよ……」


 言いながら涙がこぼれる。あたしのお腹の奥を圧迫していた重苦しい痛みは、なぜかあたたかな熱と共にすうっと引いていった。


「……ぐ……ぅ……っ…」


 それでも痛みの名残りのようなものでうめいていると、皆礼くんはすこし迷ったように手をさまよわせた後、吐き気を堪えるあたしの頭を、労わるようにそっと撫でてきた。それから枕元にあったハンカチで、みっともなく濡れたあたしの顔をそっと拭いてくれる。


「ごめん、早乙女。苦しい思いをさせて………」

「……う…ぅ……?」


 なんで皆礼くんが謝ってくるのか分からないけど。皆礼くんは歯痒そうな顔をした後、あたしの目をじっと見ながら自嘲するように言った。


「本当にすまない。……やっぱり俺は所詮は仮の当主で、『海来』を名乗るには半人前みたいだ。たぶん今のは間違って他の臓器のところに海来玉を送り込みかけていたんだろう。……苦しい思いをさせて本当に悪かった」


 皆礼くんは懺悔するように言うと、あたしからちょっと離れる。そしてなぜか、あたしが被っているお布団の中にいきなり右手を突っ込んできた。


「……きゃあッ…………ぅ……みな、らい……くん…っ!!…何するの……!?」

「好きでもない奴に触られるのは嫌だろうし、出来たら指の一本も触れないままで終えてやりたかった。おそらく穂高だったら、そういう器用なことが可能だったんだろうな。……でも生憎俺はあいつとは違って半人前だから。穂高ほどの神力は備わっていないし、そんな高等な霊術も使えないみたいだ……」


(ホダカ……?)


 人の名前らしき単語が聞こえた気がするけど、今はまだそれが誰なのか聞ける状況じゃなかった。口ぶりからするに、皆礼くんとは親しい人の名のようだけど。


「……だから早乙女、すまないが腹にだけは触れさせてくれ。そこから『海来玉』を収める場所を探っていくから。他のところには勝手に触ったりしないし、もう間違えないから」


 布団の中であたしに向かってまっすぐ伸びてきた皆礼くんの手は、まず仰向けに寝そべっていたあたしの二の腕に触れた。そこから腕のラインをたどるように肘まで下りて行って、胴体の方へと移っていく。胸のふくらみに触れそうになると「ごめん」と慌てて手をずらし、おへそを通ってようやく皆礼くんの右手はあたしの下っ腹にたどり着いた。

 べつに自分の裸を見られたわけでもないのに、体の上を男子の手がつたっていったってことだけで顔面が燃え上がりそうなくらい熱くなっていた。あたしのコンプレックスであるちょっとぽこっとした肉付きのいいお腹に、男子のおおきな手が置かれているってことも、もう恥ずかしすぎて。あたしはこのよくわからない儀式がさっさと終ることを祈ろうとして、でもふと気付く。


 あたしの下腹部に触れている皆礼くんの手は、小刻みに震えていた。顔を見れば、ひどく緊張したように強張っている。皆礼くんはあたしの視線に気付くと、とても決まりが悪そうな顔をして言う。


「………ほんと、情けないよな。緊張でこんなガチガチになってるなんて。でも俺も『懐胎』させるなんて、初めてのことだから……」


 恥じ入るような顔をした後、それでも皆礼くんは表情を引き締めて言った。


「でも早乙女に、もう痛い思いはさせない」


 皆礼くんはあたしのお腹に触れたまま、目を閉じてもう一度何か呪文のようなものを唱える。


『強かれ正かれ其の命、此の身に宿れり宿れり』


 するとまたあたしのお腹がぽかぽかと温かくなってくる。まるで皆礼くんの手からなにか目に見えない温泉でも湧いているかのように、彼に触れられている部分から温かな波動のようなものがあたしの体に流れ込んでくる。


(ああ、なんでだろ。ちょっときもちいいかも……)


 今度は苦しくないし、気持ち悪くなんてならなかった。逆になんだか心地よくて緊張でこわばっていた体がだんだんと弛緩してくる。すこし余裕が出てきたあたしは視線を上げて、前屈みになって目を閉じている皆礼くんの顔を覗き込む。その途端に、なんだか妙なことに気付く。


(あれ………皆礼くんって、こんな顔だったっけ?)


 皆礼くんの顔はさっき見たときと何も変わっていなのに、それでもだいぶ印象が変わっているように見える。


(皆礼くんって地味な人だと思っていたはずなのに………こんなきれいな顔をしていたんだっけ……?)


 目を閉じてあたしに触れている彼は、眉毛がキリリとしていて、目をつむっていてもわかるくらいにきれいな二重をしていた。鼻の形なんて、高すぎず低すぎず筋がすっと通っていて、瑞々しい唇も思わず触れてみたくなるくらい美しい色をしてる。

 そしてなにより、そのかたちのいい目と鼻と唇とがなめらかな輪郭の中に、あまりにうつくしい比率で収まっている。その顔はなぜかだんだんと『祝宴の儀』で会った初恋の彼に重なって見えてくる。


(いやいやいや。あたし、どんだけ節操なしなんだよっ!!)


 今まで皆礼くんを見て、ドキッとしたことなんてなかったくせに。さっき部屋にやってきたばかりの皆礼くんをみたときだって、べつになんとも思わなかったくせに。なのになぜか今、皆礼くんを初恋の彼と見間違えそうになってることが恥ずかしかった。


(……で、でも、皆礼くん、すごくかっこいい……。なんであたし、今までこんなかっこいい人のこと、地味だなんて思い込んでたんだろ?)


 あたしだけじゃなく、同じクラスの女の子たちもだ。こんなイケメンが同じ教室にいたらそれだけで大騒ぎになるだろうに、学校の誰ひとり、今まで皆礼くんのかっこよさに気付いていなかった。皆礼くんはいつもクラスメイトの男子にも女子にも「皆礼って陰薄すぎて、いつもうっかり班分けの頭数入れるの忘れそうになるんだよな」って言われてる。


(……っていうか。あたしも男子見る目ないな。身近にこんなすんごいイケメンいたのに見落としてたなんて。そのくせ今になってちょっと皆礼くんにときめきそうになるとか、どんだけ調子いいんだよ……)


 皆礼くんのかっこよさにちょっぴりうっとりしてしまいそうになったことが恥ずかしくて、あたしは初恋の彼に心の中で思わず「ごめんなさい」と謝る。


(あたしが好きなのは、あの蒼真珠の彼だけど。今もそれは変わらないけど……)


 あたしの心臓は、なぜかあたしに断りもなく勝手にトクットクッを駆け足のリズムを刻んでいく。






「……あった」


 無言でしばらくあたしのお腹に手を置いていた皆礼くんが、急にそう言って目を開けた。それはまるで、難解なパズルのピースを嵌める場所をやっと見つけたときのような。そんな静かな喜びが、薄く開いた皆礼くんの目の中に宿っていた。

 皆礼くんは手を置いたあたしのお腹のあたりを、布団越しにじっと見つめてくる。そのあまりに真剣な表情に節操もなくドキッとしていると、なぜかお腹がどんどん熱くなってくる。


 でもそれよりも何よりも。なにか説明し難い、なんだか変な感覚がしてきた。あたしの体の奥にある、どことも分からない未知の部分に、なにかが触れてくるような。

 ……触れている感じじゃない。でも何かが送り込まれてくるような、ううん、流れ込んでくるような……いや、それも違う。でもなんかとにかくよく分からない未知の感覚がする。


 だんだん背筋がぞくぞくしてきて、なぜかあたしの息は荒くなっていく。全身にはうっすらと汗が滲み出て、しっとりと濡れた背中にはシーツが張り付く。その頃になるとあたしはじっとしていられなくなって、布団の中で体をのたうった。


(……っなに、これ…………なんで…?……きもちがいいような……でもなんか、こわい……っ)


 まるで自分の体の中を目に見えない何かで浸食されているかのような。痛いわけでも苦しいわけでもないけど、経験したことのないその不可思議な感覚にあたしはこわくなる。縋るように見上げれば、なぜか皆礼くんもいつの間にきれいな額に汗を滴らせ、はぁはぁと肩でおおきく息をしていた。その表情はどこか苦しげで、何かを堪えるように歯を食いしばっている。


 その顔を見ているうちに、唐突に思う。


 今、体の奥にある『どこか』に感じている、意味の分からないこの感覚。これはちゃんと抱き締めてくれたり、やさしくキスしてくれたりして、あたしを大事に扱ってくれるひとから与えられるものじゃなきゃ、あたしは到底受け入れることが出来ない感覚だって。


(どうして皆礼くんは、あたしのお腹にしか触ってくれないんだろ……)


 それはとても事務的でつめたい行為で、すごくかなしいことのような気がする。けれどすぐにあたしは我に返る。


(………ばかっ、あたし今何考えたのっ!?……これはただの神事で、ただ皆礼くんはそのためにあたしのお腹に触っているだけなのに……)


 一瞬でも皆礼くんに『せめて抱き締めてほしい』だなんて思うなんて、恥ずかしすぎる。


(でも。だったらなんであたしは今、こんなにせつない気持ちになっているんだろう……?なんで皆礼くんの顔を見ているだけで、こんなに泣けてきてしまうんだろう)


「………早乙女」


 涙は流れるがままにしてじっと皆礼くんを見つめると、視線に気づいた皆礼くんもあたしをじっと見て、なにか痛みでも感じているように目を細めた。


「………怖いか?」


 素直に頷くと、皆礼くんはつらそうに顔を歪めた。


「すまない。でも一度始めてしまったからには、もうやめることは出来ない。神力が高まる特別な大潮をまた五年も待つわけにはいかないし。………和合を済ませることは、響との約束でもあるから」


(……また、響ちゃん………?)


 今ここで皆礼くんの口からあたしじゃない女の子の名前が出てきたことが、なぜだかわからないけれどすごくショックでまた目尻から涙がぽろぽろこぼれてしまう。


「……早乙女、泣くな。頼むから。今だけでいいから。せめて今だけは、そんなつらそうな顔しないでくれ」


 自分のほうがつらそうな顔をしている皆礼くんに哀願するように言われて、あたしは布団の中から皆礼くんに近い方の手を出した。皆礼くんはあたしがそろそろを手を差し出すと、一瞬戸惑うような顔をしたけれど、お腹に触れているのとは反対の手でぎゅっと握ってくれる。

 ただそれだけのことで、なんだかあたしはほっとして満たされた気持ちになっていく。すると皆礼くんが触れているお腹の、その奥あたりにぐっといっそう強い圧が掛かってきて気が遠のく。


 とろけるように心地よいような。でも我を忘れてしまいそうで怖いような。未知の感覚に投げ出される自分を支えるものが欲しくて、縋るように皆礼くんの手を握り締めれば、皆礼くんはあたし以上の力で握り返してくれる。

 おおきな皆礼くんの手の力強さに安心して体から力が抜けていくと、またさらにお腹の奥に圧迫されるような感覚がして、全身に甘い痺れのようなものが走り、あたしの視界は白く染まる。


「………んっ……」

「早乙女……っ」


 いとおしそうに名前を呼ばれて、体がふわふわと浮き上がるような心地よさに満たされ、あたしの意識はますます遠のいていく。目を閉じる一瞬前、皆礼くんは詰めていた息を悩ましげに吐き出すと、まるで崩れ落ちるようにあたしの上に被さってきた。

 どうにか両手で受け止めた皆礼くんの体は熱くて、お父さんよりもがっしりとしていて、若木を裂いたときのような瑞々しくて青い汗の匂いがした。


 布団越しに感じたその体温を心地よく思いながら、あたしは意識を手放した。








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