3話 とある出逢い。旅の始まり─莉子

 下から見上げた廃ビルは、どこか寂れてない気がした。まだビルとしての役目が果たせる感じもする。

 莉子はそんなビルをしばらく眺める。可哀想だと思う。まるで、自分のようだとも思った。同情のような不思議なモノを胸に抱いていた。


(とりあえず、誰もいないうちに入らないと。見られたりしたら注意とかされて面倒くさいし)


 この廃ビルはもちろん立入禁止だ。入っていくのを見られたら注意されたりする。莉子は過去に、それで補導されていた中学生を見たことがあった。

 ただ、人間はしてはいけないことをしようとする。そういう生き物だ。中学生はその本能通りに動いただけだった。莉子がこれから入るのも、中学生みたいに本能で動いているからだ。

 普通のことだ。

 当たり前のことだ。

 だいたい、入られたくなかったら壊せばいいだけだと思ったりしていた。

 中は薄暗くなっていた。先程まで一緒にいた太陽は見えなくなり、暑さはかすかに和らいだ。それでも、この服装は暑かった。

 紙が散らばっている階段を上る。紙は思ったよりも滑りやすく、一歩ずつ気をつけて進む。

 最上階である八階。莉子の目的地である。自殺するには最適な場所だからだ。

 最初はお風呂で包丁や果物ナイフで動脈を切るのことも考えた。だがそれでは、する前にバレるおそれがある。だから、ビルまで来た。

 バレずに死ぬために。

 バレずに死ねるために。

 扉を開く。夏のようなぬるい風で髪の毛が揺れた。そして、目の前には窓から飛び降りようとしていた彼がいた。病衣を着ていて、一目で病院を抜けだしてきたと分かる。


(同じこと考えてる他人ひとだ。……どうしよ、まだ気づいてなさそうだし一回出よおと)


 少し後ずさる。すると、

 ──ガタッ。

 落ちていた小さな木片を踏んだ。そして静かな空間に音が響いた。そして、彼は振り向いた。

 後ろ姿から想像していたよりも幼い顔つきだった。しかし、どこかおとなびいた感じがしていた。

 彼は莉子のことを見ている。

 莉子も彼のことを見ている。

 いったい、彼がなにを考えているのか分からなかった。けれど、目線は逸らさなかった。何故かは莉子自身も分からなかったが。

 莉子は自殺する先客がいるとは考えていなかった。普通はそんなこと考えもしないだろう。もう、誰にも会わないで死ぬことができる。そう考えていた。

 しかし、それは違っていた。

 たった今、飛び降りようとしていた彼。目の前にいる彼に、何故か親近感があった。

 けれど、莉子はこの親近感の正体は今一つ分からなかった。


「どうしたの?ここは立入禁止だよ。バレたりしたら怒られるよ」


 彼から喋った。静かな空間に彼の声だけが響く。とても優しい声で、まるで子供をあやす親のようだった。


「それは君も一緒でしょ」

「それもそうだね。僕も怒られるちゃうね……あのさ、初対面の人に言うことじゃないと思うけど、君はこの世界はどんなふうに見えてる?」

「世界?」

「うん、どう見えてる?」


 彼の質問。それは鋭く、深く、莉子の心に突き刺さった。まるで、莉子の心を見透かしているような質問だった。

 莉子は答えるのに少し戸惑った。

 存在を否定されている。

 歓迎されていない。

 そう考えることはあったが、それは思っていただけだからだ。見てはいなかったからだ。しかし、なんとなく分かる気もしていた。だから戸惑いを捨て、莉子は答える。


「私は………残酷に見える。」

「残酷?」

「うん、だって考えみなよ。平等に生きさせてくれないんだよ。

 例えば、お金持ちの人がいたら、お金の無い人がいる。例えば、暴力を受けてる人がいれば、暴力を受けてない人がいる。

 そして、生きてる人がいれば、私たちみたいに死のうとしてる人がいる。

 だから、残酷だよ。この世界は。だから、私はこんな世界は嫌いなんだ」


 それが思っていたことだ。残酷。たった二文字。だが、この世界を表現するのには正しいと思っていた。

 彼は口を開く。


「初めてだよ」

「えっ?」

「僕と同じこと考えてた人に逢ったのが」


 その一言には彼の感情が詰まっていた。喜び、嬉しさなどの正の感情があった。莉子はどこか、懐かしさを感じた。


「また、初対面の人に言うことじゃないけど………僕と一緒に死なない?」


 驚きの提案だった。莉子は自殺に誘われたのだ。こんなことがあるなんて思ってもいなかった。いや、予想できた人がいたのだろうか。それは、莉子を含めて誰一人もいなかっただろう。


「…………いいよ。けど、せっかく二人で死ぬなら、もっと綺麗な場所にしようよ」


 もちろん莉子は驚いた。けれど、その提案に乗った。何故かはいまいち分からない。ただ、彼となら死んでもいい。そう思えたのであった。


「3日以内ならいいけど、どこかあてでもあるの?僕にはないよ」

「大丈夫、私にはあるから。……少し距離あるけど一面の向日葵畑があるよ。綺麗だし、そこで死ねたらなんだかドラマチックじゃない」

「確かにドラマチックだね。………よし、じゃあさ、そこを目指して二人で旅をしよう」

「旅?」

「うん、二人で自殺するための旅だよ。」


 そして、彼はそう言った。

 莉子はこんなことになるとは思っていなかった。予想できていなかった。けれど世界は残酷で、彼との出逢いがあった。

 青い空には入道雲。

 五月蝿く響く蝉の声。

 それが始まりを告げているような、そんな気がしたのであった。

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