第二部「戦支度」(下)

 そして、討伐軍は桃李府に至る。


 藤丘家譜代の重臣を祖とするこの府国は、領地の広さだけで言えば、全土で五指に入るであろう。そしてそこから西、目と鼻の先に、順門府はあった。


 官軍の収容も滞りなく行われたことに、上社鹿信もほっと胸を撫で下ろした。

府内の西一帯を貸し切ったうえ、十万超の人間が不自由なく往来する様を、帝が腰を落ち着ける本陣、岳全寺がくぜんじにて眺めた。

 眼下に広がるのは、夜営の陣地を照らし出す、華の如き篝火の列。

 季節外れの花見のような心地で、その整然とした並びを親子揃って眺めていた。


「しかしこの行き届いた気配りと言い、兵たちの陣立てと言い、いちいち理にかなっている。桜尾公のご家中の差配だろうが、暇を見つけ会ってみたいもんだ」


 手放しに褒める父に、信守も首肯した。

 その何処か虚穴にも似た目が、ふと、脇に逸れたので、鹿信は「どうした?」と問うた。


「父上、もしやあちらの御仁では?」


 自陣への下り道、その半ば。

 へこへこと、士大将三名に頭を下げている吏人がいた。


「帝より先陣を賜りし、我ら孟玄もうげん衆、何でこんな片隅に置く!?」

「そ、それは当方の軍法で定められており……」

「ほう? 俺が天童てんどう公が謀臣にして義兄弟である、おぼろ月秀げっしゅうと知って、なおそんな世迷言をぬかすのだな!?」

「滅相も!」


 ――ただひたすらに、あのような悪漢に、罪なき罪を謝す男が、十万の軍の配置を考えたのだと?


 怪訝に思った鹿信であったが、とまれ看過するわけにもいかなかった。

 我が子に目語し、頷く我が子を伴って、一行に近づく。

 三歩進んだ、その時だった。


 ハッハッハ、と。

 呵々大笑が、親子の脇を通り過ぎていった。


 若い男であった。

 痩せぎすの、いまいち風采は上がらぬ男だったが、その分人好きのしそうな……悪く言えば相手の油断を誘うような面立ちをしている。

 身なりは武人のそれであったが、いまいち着こなしていないというか、

「馬子に衣装」

 という言葉を如実に表している。それが、相手の脱力を誘うのに助力していた。


「いやいやいや、そうではありません。朧殿を貶める気など毛頭ありません」


 そう言って、頭を垂れている吏人を庇うような立ち位置につくと、ニッカと笑って彼らを宥めた。

 若い男は後ろ手を、朧なる小人には見えぬよう動かした。


「後は任せろ」


 と、男は吏人にそう告げていた。


「……何者だ? お前」

「拙者はこの者の上役。この者は拙者の指示で動いていただけに過ぎません。そして拙者は、主典種のりたねの主命により動いたまでのこと」


 この一見して気楽げな男の乱入に、朧らは少し毒気を抜かれたようだったが、自分たちが追及する相手が、本来こと男であったことを知ると、再び目に怒りを取り戻して詰め寄った。


「ほう? ならばどうして、このようなふざけた位置に我らが陣地がある? 桃李府は、我ら孟玄府の精兵八千をないがしろにしている! 孟玄府は……」

「存じています。風祭家と同じく、主上様のご一族。その妹婿であり、天下無双の軍師と謳われる朧様のことも良く良く聞き及んでいます」


 男が下げた頭には、逃げ去った男とは違い、礼はあっても卑がない。

 皇族の権威も、朧の才気も悪意も、ただ一身で受けて立つ。そういう覚悟が滲み出ている。

 陽の気に満ちた瞳が「されど」と、異国の客人を射貫いた。

「拙者は非才ゆえに、桜尾家の軍法と殿の御意に従い、陣立てを取り決めるほか術がございませんでした。孟玄府の異才殿におかれては造作もなきことかと存じます。……あぁそうだ。ならば、代わりに妙案をお授けくだされ!」

「な、なに?」

「この十万の軍、いささかの不自由なく、不満もいさかいもなく丸く収める名案、朧殿には何か案がおありなのでは!? それならば話が早い! さっそく共に参り、大殿に言上のうえ、ぜひとも帝にもお聞きいただこうではありませんか!」


 朧とその連れ達は、互いの苦い顔を見合わせ、露骨に戸惑いを見せた。

 鹿信はその様を見て、鼻で嗤った。


 ――なんとことはない。こいつら、単にケチつけて自分の権勢を行使してみたくなっただけなんだろ。それ以外に頭が回ったようには思えない。


「……下郎如きに聞かせる策などないわ……ッ」

 辛うじて、そんな憎まれ口を叩く以外、当代随一の軍略家と目される人物は術を持たなかったようだ。


「それは残念。であれば、当地におかれては当地の法に従っていただく。それは天子様の禁軍であっても同じこと。……そちらの方々は、ご不満はおありかな?」


 と、男は上社親子を顧みた。

 その目が、何か言いたげにしていた。その意図は、鹿信もすぐさま察することとなった。


「いや、拙者も非才にて、朧殿が何を不満とされているのか。とんと分かりません。できれば後学のため、是非にもご教授願いたいが……だが明日には進発するというのに、今日一日の割り当てにとやかく言い争うのは、見苦しいと存ずる」

「ハハッ! さようですな。これは失礼つかまつった」

 己の五指を髪の生え際に叩きつけ、愛嬌の笑顔を見せる男に、鹿信もまた笑みを誘われた。


「……ッ! もう良い! こいつら愚鈍な……っ……クソ共ばかりだッ!」

 乱暴な語調でそう言い捨てると、朧は足音荒く自陣へと下がっていく。

 完全に朧一党の姿が見えなくなった後「さて」と、三人の武者は改めて互いに向き直った。


「感謝いたします。いやっ、実は大事になってしまうのではないかと胆を冷やしておったところだったのです! 良いところに居合わせてくださった。あー、と……貴殿は」

「上社鹿信と申す。……そうご存じゆえ、我らを引き留めたのでは?」

 逆に問い返すと、「アッ」と小さく声を漏らした後、青年武士は自らのその声に恥じ入るように赤面し、頭を掻いた。


「……いえ! 禁軍の方とは見当がついたのですがね。まさか貴殿がかの上社卿であられたとは……」


 隠し立てすることなくそう口にしながらも、その響きに図々しさはない。

 表裏のないその態度に、鹿信はもとより、普段は仏頂面の信守の口の端でさえ、つい緩んでしまうほどであった。




「挨拶が遅れました。オレは……いえ……拙者、桜尾典種公の小姓、器所きそ実氏さねうじと申します」



○○○



 ちょうど下山する用向きがあったということで、若き桜尾家臣器所実氏は、上社親子と道中を同じくすることになった。


「聞かぬ姓だと思ったが……そうか、さような小身より良く出世された」

「なに。一揆勢との戦でたまたま手柄を挙げ、それを機縁に殿より引き立てて頂いたまでのこと。あとはあぁして、細々とした事の対処に狂奔するのみ。大した才はござらぬ」

「非才であれば、先ほどの者と同様、たちまち相手の虚名に怯え、狼狽えてしまう。だが貴殿は相手の実と質とをよう見分けられた。並の者にできることではない。……第一、その顔と歳の小姓を、典種公が寵愛されるわけないだろうよ」

「はっはっは! その通りですな!」


 実氏自身の身の上から端を発し、四方山の話に華を咲かせる鹿信と実氏であったが、信守は、終始無言で、二人の駒の後を影のように慕っていた。

 その孤影を「フム」と時折振り返り、鹿信は馬の足を止めた。


「? どうされたのです? 上社卿」

「うん。この高さからならば順門府が見えないかな、とな」

「はて。よく晴れた日の朝ならば、見えんこともないと聞きますが」


 だが今は夜。闇の帳がかかった桃李府からは、向かいの山の黒々とした影が見えるのみである。


「実氏殿、先ほど軍法と申されたが、桜尾家では独自の軍学を研究されておられるのか」

「いやなに。基幹となっているのは先帝が決められた『陣中式目』。それを補填する形で二、三条付け加えたものが、当家の軍法です」


 左様か、と声を落として応え、鹿信は我が子を顧みた。


「実氏殿。よろしければ愚息に貴殿の仕事を手伝わせていただけんかね」

「ほう?」

「父上、何を?」

 戸惑う子の肩にそれぞれ手を置き、老将は穏やかな声で告げた。


「信守、これはある意味好機でもある。康徒様の一件もそうだったが、各国の軍や将兵が一つ同じところに集結している。それを見て学べ。実氏殿を兄と敬い、その手練を覚えろ。異なる価値観に触れることも、大事だろう。……良いかね? 実氏殿」

「こちらからお願いしたいぐらいです。と言っても挨拶廻り程度しかすることもないかと思いますが、それで良ければ」


 ニッと笑って快諾し、実氏は信守へ手を突き出した。信守は、多少気味悪そうに馬上、上半身をわずかにそらしたが、それでもやむを得ない、と言いたげな様子で、不承不承その手を取った。


 我が子らの握手を見届けた鹿信は、挨拶もそこそこ、そのまま別れた。


 単騎、自陣へ戻る足を速めながら


 ――器所実氏、か。


 と、つい先ほど知り合ったばかりの人物に、鹿信は強く興味を惹かれた。

 彼の機知と、その鋭さを覆い包む人格の明るさならば、将来きっと桜尾典種の良い補佐役となるだろう。


 と同時に、彼の公言したことが思い起こされる。


「当地におかれては当地の法に従っていただく。それは天子様の禁軍であっても同じこと」


 ……おそらく本人は、意図して言ったわけではないのだろう。

 だが、無意識でそう口にしてしまうこと自体、鹿信の危機感をジワジワと炙るものであった。


 まるでそれは、桃李府が朝廷の、藤丘家の領土ではないのだ、と言っているようなものではないか。


 桜尾家の軍法の改正もそうであった。

 風祭康徒の撤退もそうであった。

 皆、朝廷より離れて自国の軍事力、独立性を強めている。

 何かに、気がついている。


 思えば各勢力の出兵は、鹿信の見立てを遥かに超えた速度で行われた。

 それは、帝が詔を出すまでもなく、この争いが顕在化するよりも早く、予兆を感じ取っていたからではないのか。


 百を超える堅城と、文武百官。

 その鉄壁に守られていたが故に、その分厚さ故に、己を含めた朝臣と、帝には乱世の風音が聞こえていなかった。家を揺さぶるほどの嵐となって、ようやくその存在に気づいたのではないのか。


 実氏という男の明るさ、信守の心の闇。

 次世代の二人の、一見相反する異質さは、来たりうる戦乱に、本能的に適応した姿ではないのか。

 蛙が陸へと上がる前に、尾を切り離し、足を生やすように。


 ――我が子は、『外の側の人間』ということなのか?


 とすれば。

 朝臣として、父親として、残せるもの、引き継がせなければならないものとは、なんなのだろうか?


 順門府領へ、あと五十里。

 残り少ない道程の中で、思案せねばならないことは山ほどにある。

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