樹治名将言行録 ~上社信守伝 乱の始まり~

瀬戸内弁慶

第一部「父子」(上)

 樹治じゅち三十二年、寅の月の二日。

 この年のこの月は冬が長引いたかのような寒さで、介勝山かいしょうざんにも未だ雪が溶けずに残っていた。

 その雪化粧を御殿より遠く望みながら、鐘山かなやま宗円そうえんは深々と嘆息した。


「……そうか。名乗り出なんだか」


 大小さまざまな諸侯が王号を名乗り、自らが世界の統治者たらんとした王争期は三百年続き、現王朝が成立してからさらに三十余年。


 藤丘ふじおか家が全土を平定し、各王号を廃して府公とし、年号も『樹治じゅち』と改め、自らは帝として統一王朝を開く。

 それが樹治元年のことであった。

 鐘山家が降伏し、所領を奪われたのも、その年の初めであった。


 西の果ての異邦、順門じゅんもん府へ移されてより三代。

 この順門府公はその移封から今に到るまでを、身を以て知る人物であった。

 以来、反骨精神溢れる諸氏百姓を、よく治めたと言って良い。

 ところが、この見事な統治の中で、ちょっとした波乱が起こった。


 人が一人、死んだのである。


 一人の死が軽いか重いかは個人個人の主義主張によるが、この小役人の死が、国内外に大変な騒動を起こすことが、宗円にも、事態の調査にあたっていた次男宗善むねよしにも理解できていた。


 それ故の、嘆息であった。


「はい。流石に朝廷の目付け役を殺したとなれば大罪。三族皆殺しどころでは済みますまい。それ故に名乗り出ることができぬのでしょう」


 事件が発覚したのは今朝未明。

 監督所差配役、伊奴いど広政ひろまさ、怪死す。


 戸板に担がれた伊奴とその部下だった膾を目にした瞬間、宗円は犯人はともかく、真相のあらましは掴んだ。


 一つ、これが単独犯ではないこと。

 一つ、それは刀傷のみならずクワや包丁など、様々な道具で切り刻まれていること。


 ……一つ、

 この男は、報いを受けたのだ、と。


○○○


 腐れ役人。

 伊奴という男は、その一言で大体片付けられる。


 度を過ぎた饗応や賄賂を好み、朝廷や府公の権限を嵩に着て、横車を押しまくる。

 屋敷から官舎までの道に気に入ったおんながいれば、それが人妻や、乳の臭いさえ残す幼女であっても己が仕事場まで連れ込んだ。


 かつては帝の傅役を仰せつかっていたようだが、第三者からしてみれば噴飯物の理由から勘気を蒙り、昇進という形ながら、僻地へ左遷と相成った。

 そのこと自体には宗円は同情しないわけではなかったが、だからと言って無法でその鬱憤を晴らそうとされては困る。

 直接的にその毒牙にかかる民はもちろんのこと、ことあるごとに政務に口を挟んでくるこの男の存在を、鐘山主従とて、面白いと思わないのも当然のことだった。


 そも順門は、最後の最後まで、いや今でさえ藤丘朝に従うのを良しとしなかった土地である。


 この地で失政あれば、その民は窮鼠と化して上に食ってかかるだろう。

 故にこそ、鐘山一族は今まで慎重に均衡を保ってきたのだし、先帝である布武帝も、監督所、すなわち地方府公の目付けの人選には念入れを怠らなかった。


 ――ところが今生の帝は、この部署を流刑地か、でなければ体の良い厄介払いの場所と考えている。


 こういう扱いを受けた人物が、またそういう事情で左遷されるような人物が、職務に精励するかと言えば、大半はかくの如し、である。


 だが、中央に訴え出ようものならば、逆に讒言されることは目に見えている。


 故に、民の訴えを宥め、隠忍を強い、あの犬の尻拭いをしつつ、その不正の証拠を、弁解の余地もないほど集めに集め、然る後朝廷に提出する。


 その、はずであったのに。

 その直前、よりにもよって彼は正体不明の凶刃により倒れた。


「父上、下手人の調査を徹底して行い、余さず捕らえるべきです」

「見つけられたら苦労はせぬよ」

「いや、見つけられなければ、下手人を仕立て上げるだけで良い。その者を捕らえて斬り殺し、その上で今まで集めた不正の証拠と首級を持って上洛なされませ。そしてご自身の口より潔白を証明すれば、きっと帝もお分かりくださる」


 平素、いっそ愚鈍にさえ見えるほど沈着な次男が、この時は彼らしからぬ焦燥を見せていた。過激な言葉の端々に、寸刻さえ惜しむ苛立ちのようなものが垣間見えた。


「急いては事を仕損じるぞ、宗善」

「時として急く必要もありましょう」

「だが、隠れ蓑や弁解のための人柱を、順門の民は承知すまい」

「大事の前の小事。ここは無理を押し通してでも、朝廷に誠意を見せるべきです。でなければ……」

その言葉に、宗円は険しい反応を示してみせた。

「そして我らは順門の民に食い殺される。この地の民を見くびるな。お上よりも敬い、家族よりも親しくせよ」

「……父上、前々より思っておりました」

 父に対して座る子は、その角張ったエラにわずかに力を入れて、膝を前へと突き出した。

「父上は民を甘やかせすぎでは? 無論、それ故にこそ、為政者として父上が並々ならぬ名声を得たことは承知しております」

 しかし、とそこで次男は句を切った。


「いい加減、民にも理解させるべきではありませんか。獣の如く貪り合った戦国乱世は三十年前に終わったのだと。今は皆が皆、己の欲を理にて抑えるべきなのだと。この三十年という歳月が築き上げた、皆が納得しうる規律に従い、安定した平穏の世を守る義務が、各々に課せられたのだと」


 いつになく多弁な息子に、宗円は苦笑した。

 どうにもこの宗善は、朝廷高官の娘であった亡母の血が濃いのか、あるいは父の知らぬ合間、母に秩序と規律の存在がいかに尊いかを教え込まれたのか。それらを重んじる傾向にある。

 反面、その理想が、己の目指す先が定まりすぎている故に、しばしばそこに至る手段を選ばず、結果が何をもたらすか、理解が及ばない部分がある。


「しかしな、宗善よ」

 首を振り振り、宗円は子の肩を叩いた。


「その規律が生まれて、もう三十年だ。それでも民は」

「まだ三十年です。父上」


 ――この子はそれを、『まだ』と見るか。

 この若き府公の子から手を離し、代わり髷を落とした己の頭頂に落とした。


「……ま、ひとまずは下手人探しを優先せねばならぬ。それは汝に代わり宗流に命じよう。汝は現存する証拠を残さずまとめ、上奏文として体裁を調えるように。三戸野みとのには脱走を図るであろう伊奴の残党の捕縛を」

「……承知いたしました」


 宗善は頭を下げた。

 が、立ち上がり、退出の間際、耐え兼ねた感情を吐露すように、音声を発した。


「父上。父上は戦国乱世を身を以て知っておられる。ならば言うまでもないでしょう。戦など、真に望む者などいない。誰もが平穏を求めた。その結果こそ、この統一王朝。この国の形こそが万民の選んだ、望みうる最大の答え、最大の幸福。それを壊すことは何人たりとも許されない」


○○○


「……分かっている。汝に言われるまでもなく。誰が乱世の再来など望もうか?」

 我が子の気配が完全に消えた後、誰にともなく呟いてみる。

 が、その響きはどこら虚ろに壁を抜けて、遠い空へと吸い込まれていくようだった。


 ――だが、あの無惨な役人の骸もまた、民の導き出した解答であろうに……


 末端の腐敗。

 それならばまだ是正のしようがある。


 だが、この国が抱える問題とは、本当にそれだけか?


 ――晩年の先帝は、あまりに流血を厭いすぎた。

 極力戦を避け、降伏した大小の諸王、罪や過失を犯した重臣たちでさえ、処罰の対象にはならなかった。

 その中には余力を残し、雌伏の思いで降伏した王もいただろう。

 手ぬるいやり方に、内心反感を抱いた家臣たちもいただろう。

 降るを良しとせず、闇へと潜伏した敗残勢力もいる。その蜂起が多発しては鎮圧し、離散した彼らが食い詰め、また剣を取り、あるいは無法者に堕ちて地を荒らす。

 それがこの国の現状であった。


 彼らの荒涼とした心を癒しうる仁徳を持ち合わせた嫡男は戦傷が原因で早逝し、後を継いだ次男は、偉大な父を意識しすぎるが故に、あるいは厳しく躾けられた反発ゆえに、父の描いた百年の政策をことごとく廃した。

 廷臣らはこれといった大戦もなく終結した乱世に未練を抱き、小さな反乱であったとしても、奪い合うように討伐を願い出る有様だ。


 ――確かに宗善の言うとおり、まだ三十年。赤子のような国家かも知れぬ。ただし……その赤子は、生まれながらにして死病を抱えているのではないか?


 そしてその赤子の面倒を見続ければ、いずれ己も罹患する。


 ――であれば、どうする?


 ……宗円はその答えが出る前に首を振る。

 そして自然、介勝山へと再び視線が移った。


 山の頂上は、今なお雪が残っている。


「今はまだ、春ではありませんよ」


 と、そこに住まう主の言葉を、代弁するかのようだった。

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