講義第十回「『残念だったな、今日は魔力が足りなかったようだ』と脅す存在がいたと言う伝承もあります」


 教授が出張に行くらしい。

 学会関係で出張に行く以外に、どうもまだ学生はおろか一部の教授以外には明かしていない研究をしているという。


「では今週一週間は、フランシスくん、お願いします」

「お気をつけて」


 教授の出張の時の荷物だが、冒険者の装備ではなく軍の装備のようにも思える。最近は紛争もなかったはずなのに、仮に軍の装備だとした場合教授は何を相手にしようというのか。


「行きますか」

「うむ」


 ワイバーンの背中に教授か乗り移る。他にも誰かいるようであるが…。


「さてみんな、教授がいないからってサボったりしないでね。しっっかり見てますから」


 フランシス先生はそういうと何やら詠唱し、…小型のヴィシャ板を取り出す。なんだ、スケジュールを見ただけか。


「今週の予定だけど、輪読会の担当はロワイエさんね。…ちゃんと読んできなさい」

「わかってますよぉ〜」


 …わかってんのかメガネ…言い方がもう信用できない。


「えっとそれから私は…上弦三日月に会議。会議の準備は教授がしてくれてるけど…あれ?メール」


 フランシス先生、何やらヴィシャ板に書き込む。


「むぅ…まだ資料作る必要があるのか…」


 フランシス先生はあまり文書作成は得意ではないようで、尖った才能の先生と、割とマルチになんでもソツなくこなす器用なオーク教授は良いコンビのようである。


「チェインさんは進捗報告、上弦四日月にお願いね」

「わかりました」

「あと、シュヴァリエさんは…あ、今週の二日月って講義でるの?」

「はい。必須の講義なんで」

「必須でなくても講義出れる時には出た方がいいわ。…この歳になって勉強しとけばよかったと痛感したくなければ…」


 フランシス先生でもそう感じてるのか。学問の世界というのは厳しいなぁ…


「それではみんな、今週も頑張りましょう」


---


 教授がいないからといって、私たちの普段の暮らしが変わるかというとそうでもない。

 実験を行い、ノートやヴィシャ板に記録をする。お昼までに午後の実験の準備。みんなでお昼を食べた後はまた実験。結果を記録。これはいつも通りのことである。上弦初日月はこうしてすぎていった。夕方簡単に先生に結果報告して帰宅。


 翌日。


 今日は講義がある日だ。魔法生物学科と生物学科では共通の講義も結構ある。研究室配属の初年度はまだそこそこ講義を受ける機会があるのだ。

 今日の講義は魔法生物学科第3研、マーリン教授が担当するようである。教授は人工スペルマウスの研究を行っていて、魔法生物の特性を一部マウスに持たせることに成功している。とはいえマウスが魔法を使えるようになるなんてことは当分ないようなので、人類は滅亡せずに済みそうだ。もっとも、本来魔法を使えないはずのオークが魔法を使えたりしてるなんて話をごく間近に見ていると、やはり人類は滅亡するのかもしれない気もする。


「…ということで、本来の魔法生物と生物の大きな差異である体内回路系、これをマウスでも発現させることに成功したのはつい最近です」


 大型ヴィシャ板にマーリン教授が何かを書き始める。


「この体内回路系、皆さんにも存在します。これらはかつてneuronと呼ばれたものと、かつては存在しなかった体内回路です。かつて存在しなかった方は」


 教授が再び書き始める。


「そう、いわゆる魔力回路です。この魔力回路ですが、じつはある生物の体内回路に類似していることが最近わかってきています。昆虫です」


 室内がざわめく。


「昆虫の体内回路は小型であるにも関わららずかなり高度な進化を遂げています。それにより昆虫は体内回路の他に高度な社会を形成し、言うならば体外に別の回路を構成しています」


 再び教授が何かを書き始める。


「このような特性というのは、魔法の行使にあたって優位だったのではないかと思われます」


 昆虫は魔法を使うと言うわけではないと思うのだが…


「とはいえ、マウスにせよ昆虫にせよ、魔法生物mitochondriaは持っておらず、言うならば魔法を使う『準備』はできたが魔力がない状態です。古代にもそのような魔力を持たない魔法生物がいたようで『残念だったな、今日は魔力が足りなかったようだ』と脅す存在がいたと言う伝承もあります」


 …つまりそれって魔法は使えないってことじゃなかろうか。まぁ毒も持ってないのに毒を持っている生物に擬態する生物もいるわけで、魔力を持ってなくても魔法生物に擬態する生物ってのもありうるといえばありうるのか。


「このような体内回路の研究は、人間を含む魔法生物の魔法の行使がどう行われるかについての考察に使用できると考えられます。では本日はこのあたりで。次回は比較的簡単な構造の魔法生物について講義したいと思います」


 たまに講義を受けるというの新鮮ではある。さて、戻って実験をしないと…


 教授が出張して三日目、輪読会でロワイエ先輩が出してきた論文がちょっとした…いやかなりの問題論文だったことがわかってしまった。


「ちょっとコレ…まさか図の剽窃のヤツじゃないの?」


 フランシス先生が読んでたマーリン教授の論文の図が、輪読会の論文で丸写しされていたのだ。


「これ見なさい」


 先生がヴィジャ板の画面を見せる。幻脳魔導機構アストラルの交言霊板に図の剽窃の話題が盛り上がっている。


「えーっ…今から準備し直しとかムリですよ!」

「まぁこれわかったの一昨日くらいだし…わたしも幻脳魔導機構アストラルたまたま見てて気づいたんで仕方ないわね…」

「これやる?でも多分この論文ダメ論文な気がする」


 チェイン先輩も複雑な表情だ。


「うーん…困ったなぁ…」

「そもそもなんでこの論文にしようと思ったの?」


 確かに。もっとマシな論文あっただろうに。


「魔法生物の体内で魔法生成を行う過程の研究の論文でいいのがなかなかなくって…」

「まぁ実のところ魔法生物の魔力生成の過程はよくわかってないことも多いわ。だからそれに近い分野のマーリン教授の研究は追っかけておいた方がいいかも」

「そんなもんですか」

「そう」


 さて問題は、このダメ論文で輪読会をやるということか…教授抜きで…


「輪読会やらないって選択肢は…」

「ない」


 こうして、ダメ論文をひたすら罵倒する(主にフランシス先生が)輪読会が始まってしまった…



 妙に疲れたその日の夕方頃、生物学科第一研究室のドルガン教授が研究室にやってきた。ドルガン教授は遺伝学を専門としていて、自分も講義を受けていたことがあるからよく覚えている。


「フランシス先生はいるかな」

「…はい」


 なんだろう、先生が若干不安そうな顔をしている。


「上弦五日月までにやって欲しいことがあるんだけど、どうだろう…」

「…少々厳しいかと思うんですが」

「『神殿』からの依頼なんだ…」

「それこそ『神殿』でなんとか出来るのでは?」

「…蔡都の『神殿』はまだ未完成なのは知っているかな」

「えぇ…」

「無闇に関係を悪くしたくないのはわかってくれると思う。頼む」

「で、その作業とは…」

「うむ。実は魔族に関するサンプルが来たという話なんだ」

「魔族…」

「重要性についてはわかってもらえたかな」

「はい」

「なんとかできそうか?」

「と思います。チェインさんごめん。明日の件は来週にしてくれるかな?」


 チェイン先輩は複雑な表情でフランシス先生の顔を見ている。


「わかりました。でも、教授抜きで大丈夫ですか?」

「なんとかね。教授にはすぐ連絡入れるわ」

「それではよろしく頼む」


 そういうと、先生は小さく詠唱をして、じっと目を閉じた。教授とのアクセスが確立したのか、話を始めたようだ。


「…うん、わかってるけど…早く帰って来れそう?明後日には帰る?仕事は?ムリしてない?…うん。…でも…うん…」


 幻脳魔導機構アストラルを使った交言魔法は一般化されているが、この光景は知らない人が見たら独り言にしか見えないという欠点があるな。



 その日の夜からフランシス先生は魔導機の前に座り、詠唱を繰り返していたようだ。実験をまとめたので帰りますと挨拶しようと思ったらチェイン先輩に止められた。集中しているようである。

 翌朝来てみたら、先生はまだ作業に没頭していた。髪の毛がボサボサで目の下にクマができている。私たちはスケジュールに従って黙々と実験ノートを書き、実験をし、三人で昼食を食べ、午後には実験の続きを行い、実験のまとめを行う。

 夕方みてみても先生はまだ作業をしている。ちゃんと寝ているのか?大丈夫か?


---


 上弦五日月の昼ごろである。教授が出張から戻って来た。険しい表情をしている。


「お疲れさまでした」

「…ちょっと早く切り上げて来ました。ロ…フランシス先生は?」

「今まだ作業中です」

「…まずいな」


 教授が不意にそんなことをいう。何がまずいのか。


「僕も手伝えるか聞いて来ます」


 そういうと教授、フランシス先生の魔導機の近くに行って何かを話し、詠唱を始めた。魔導機が緑色に輝く。


 import threads

 def analisysthreadtaple crn

 geneticcode eq vcode ...


「…ふぅ…なんとか行けそうですねー」

「…また…助けられた…」


 なんとなくフランシス先生は不満そうにもみえるが、疲労困憊しているせいだろうか?


「研究室のメンバーなんですから、当たり前ですよ」

「それだけ?」

「…いや。まあ…その…」


 教授がちょっと顔を赤くしている。


「ありがとうございます、ヘリオス教…」

「フラン…ロ、ロザリィ?」


 教授が顔面蒼白になる。無理もない。フランシス先生がその場に座り込んでしまったからだ。


「仮眠室借ります、申請書お願いいたします!」

「教授、どうしたんですか!」

「彼女なら多分大丈夫ですから」


 そういうと教授はフランシス先生を支えるように仮眠室に向かっていこうとした。


「あ、そうだ」


 教授が思い出したように記憶結晶を取り出す。


「…ドルガン教授に渡しておいてください。あと、…いや、僕から後ほど言います」

「わかりました…」


 ロワイエ先輩が渡された記憶結晶を第一研究室に持っていくようである。


「シュヴァリエさん、実験に戻ろう」


 チェイン先輩に促されて自分は実験に戻ることにした。

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