DATE-Ⅱ

<SCTE-ND:87.0>

<Remake Transcription-Ⅰ>

 タイトル:さらば恋情の光 ――を二重線で抹殺。

 新規タイトル:塋域ノ底


 ――――に帰着すれば、はSに殺されず済んだに違いない。

 だけど、今となっては二人を結ぶ底辺は半流動的な一・五次元の世界を確立させ、二点を交叉させたり、すれ違ったりさせていた。結句、わたしはSの要素を分有された。

「まだ、君はライトノベルの世界観を探し倦んでいるんだね」

 薄暗い地下のカフェテリアで、Iは不思議そうに訊いた。彼はいつも、野菜でプレートを一杯にする。対してわたしは、必ず三種類以上の肉を山盛りにして食べていた。


(メタへの抵触を許しただと? これでは最早、ノンフィクションじゃないか!)


 食欲は無いが、食べるという動作は嫌いではない。生きている証になるからだろうか。

「悩み抜いた結果が是なの?」

「Rという存在記号より敬語を除外させた君の望んだ答えだ」

「でも……こんなのライトノベルで分類されるべき物語ではないですの。暗いイマージュに圧せられているわたくしとI……それとSのトライアングルに、若者が面白いと感じるような要素はこれっぽっちもないわよ」

 不安定なわたしの喋り方に、Sの意識が残存されている。両手でフォークを持ち、プレート上の肉片に突き刺し立てた。

「児戯か、それは」

「違うわ。Sの墓標よ」

 冷静に説明したが――――の見地に於いては子供の遊びに過ぎなく

</SCTE-ND>

</Remake Transcription-Ⅰ>


「あら、またしてもオートリライトが途中で終わってしまいましたわ。難しいわね、ライトノベルって。ね、

 冷め始めたコーヒーを一口飲んで、落ち着いて現状を看取した。

 もしも、前の一文は嘘となった。身体の震えが、止まらない。

「……純玲ちゃんに演じ変えたのか?」

「何よそれ……って恍けるのも厭きたわね。そうよ。わたくしは垂水純玲の性格を反映させた増井璃々亜よ」

 堂々と認める性質が、本当に純玲ちゃんらしかった。先刻までの機械音声は喪失され、僕の幼馴染の語り口を精巧に模倣している。

 彼女が外した脳波測定器を凝視して、掠れた声で一言。「それにはどんな秘密が?」

「あるけど、教えられないわ。特に庵さんには、ね。それに、<SCTE>の基礎設定でそう指示されているから」

 実に万能で科学的な自己弁護だったが、ついに<SCTE>と精神分裂の連関を本人に認めさせた。

 然し乍ら、性格の対象を被転写体の登場人物から現実の人間にシフトチェンジさせたのは衝撃だった。それに、更新された被転写体は……完全に僕の文体で、僕等の現実を混淆させている。

「そう指示したのは、今喋っている璃々亜さんではなく、元々の璃々亜さんだな」

「そういうことかしらね。ですけど、庵さんは何を以ってわたくしを元々のわたくしだと認識しているのかしら」

 挑発に近い質問に、勝気な純玲ちゃんの笑みが璃々亜さんのと重なった。

「どういうことだ?」

 明らかに僕は苛立った。哲学的な思弁は不要だ。科学的に証明してくれ!

「焦らず、ゆっくり語り合いましょ。気分を変えて外で、ね」

 シトラスティーを飲み干した璃々亜さんは美味しそうに舌なめずりをして、埋没していたソファーから軽やかに離れた。


 伊勢丹から出た僕らは、目的地無き路を歩く。夜の帷が降りた新宿は喧騒を増す。

「純玲ちゃんを演じることに何の意味がある?」

「<SCTE>に禁句タブーと設定されているわ」

「狡い逃げ口上だな」

「事実、そうですもの」

 苦心する僕は、本物の純玲ちゃんが居てくれたらと願った。だが、こんな状況に純玲ちゃんは僕の万倍も慄くだろう。或いは璃々亜さんに対して、本気で怒るだろうか。

「こんな事になるなら、無理に純玲ちゃんも連れて来た方が良かったか」

「嫌な庵さん。

 演技を自覚しているようで、何処か不安を感じるような璃々亜さんの発言が僕を惑わせる。自我と他我の区劃が不完全なのかもしれない。

 横断歩道の信号待ちに捕まっている間、璃々亜さんは僕の手を握った。血の廻りが悪く冷たい僕の指に、似たような温度感の指が絡んだ。

「もう一度訊く。君は誰だ?」

「――垂水純玲よ」

 やっぱり。彼女は自分を捨てた。

「こんなの、良くないよ。本来の目的であったライトノベルの自動執筆を放棄し……自分と云う存在を見失ったまでやることじゃあない。璃々亜さんはおかしくなっているんだ」

「でも、庵さんはわたくしを増井璃々亜ではなく、垂水純玲として接してくれているわ」

「馬鹿なことを」

 首を横に振ったが、璃々亜さんは純玲ちゃんの口調にて放出せられる独論で僕を捻じ伏せる。

「現に、今の庵さんはわたくしに敬語を使わなくなったわ。つまり、わたくしの表層を垂水純玲だと見做して接しているの」

 青信号になり、二人は同時に足を踏み出した。彼女の一歩前を歩いて先導しようとしたつもりが、対面より来る歩行者に臆しない彼女に引っ張られる形となってしまった。

「勝手な憶測は止めてくれ。僕にとっての純玲ちゃんは一人だけだ」

「嬉しい言葉だわ」

「君に与えた言葉じゃない」

「わたくしを愛しているのね。庵さんは垂水家の伝統に誘導される結婚に苛むも、自らの恋慕を確かにする力を有しているわ」

「だから璃々亜さんでは――」

 抵抗心は意表を突かれる挙措で抑止された。端の路地裏へ僕を追い込むように璃々亜さんはタックルを仕掛けたのだ。軽自動車でも通過しかねるような隘路にあったゴミ箱のポリバケツを倒しつつ、僕は壁を背に、陰影と璃々亜さんに囲繞いじょうせられた。

「愛しい幼馴染に壁ドンされて、どんな心境かしら」

 挑戦的で情熱的な彼女の眼差しを直視しかねる。顔を横に向けた僕は、自身の鼓動音を聞いていた。

「<SCTE>はライトノベルのリメイクを口実に、璃々亜さんの実質を分離させている。その心理を知り得ない限り、僕は君に誘惑され得ない」

「痩せ我慢ね。早くその堅物な城塞を崩落させちまいなさいよ。貴方はわたくしを抱きたくなる……欲しがる……」

 催眠術のように唱える璃々亜さんを物理的に突き離そうとしたが、その直前――。


「貴女は庵さんとの実体を勘違いしているわ。稚拙な模倣ね」

 イルミネーションで照らされている大通りから、予想だにしていなかった人物が隘路へ飛び込んできた。

「純玲ちゃん……新宿に偶然来ていたのか……いや、それとも……」

「ええ。御二人のことがやっぱり心配だったから、ずっと尾行させてもらったわ。悪趣味な真似してごめんなさいね」

 劇的なタイミングで、本物の純玲ちゃんが来てくれた。彼女は怒っているとも困っているとも取れないような、複雑な様相でいた。比べて璃々亜さんは、不敵な笑みを深い陰影で主張していた。

「これもデートの醍醐味ですわね。男一人に女二人の三点を頂点とする三角形が現出され、通俗的な修羅場と成るわ」

「あら、わたくしってそこまで小悪女じゃあないんですけど。垂水純玲の内実を誇張していないかしら」

 二人の純玲ちゃんがしのぎを削っている。奇怪な光景であるのは想定していたが、自分を気味悪く演じられている相手に対し、弱い姿を晒さない純玲ちゃんの強さは僕の想像を超えていた。

「わたくしこそ理想的な垂水純玲でありますから、この思考こそ正統ですの」

「この思考って、?」

「嫉妬だと?」と、僕は純玲ちゃんが放った突然の仮説を訊き返す。

「そうよ。恋愛に奥手で鈍感な庵さんには詳らかに教えてあげる。璃々亜さん、庵さんのことが好きなのよ」

「仮説とは言い難いな。思春期にありがちな妄想話か?」

 真面目に答えたつもりだが、純玲ちゃんに鼻で笑われた。璃々亜さんは……沈黙を貫いている。

「ほら、そうやっていつも庵さんは自分を過小評価している。だから純文学への迷いを強いられて、璃々亜さんとの附き合い方に臆病になっているのだわ」

「嘘だ……それこそ、大衆小説にありがちな展開だ! !」

 何に対して強がっているのか判然としていないのに、虚勢を張った。

「貴方のニヒリズムは、真実への通路をわざと遮断させているのね。でもいいわ。代わりにわたくしが推理小説の探偵みたく、語ってみせるから。いい? 璃々亜さん……貴女は<SCTE>で建前と本音を使い分けた。前者は庵さんのライトノベル執筆の手助け。そして後者は……脳波測定器を介して実行される自我の更新ってことよ。先刻、伊勢丹のカフェで<SCTE>を起動し、性格が切り替った瞬間も、物陰に隠れた店の角で見させてもらったわ」

「面白い持論ね。流石はわたくしの分身ね」と、璃々亜さんは余裕綽綽だった。

「わたくしという登場人物の台本を読んで、飄々としているつもり? クールを装えば装うほど、滑稽さが増すわよ。知っているわ。貴女が庵さんを……アトウイオリを好きでいることを。だから、彼に一番近い異性のわたくしに成り代わる方程式を導き出したのでしょ?」

 唾を呑み込み、埒外にあった璃々亜さんの奸計を改めて恐ろしく思えた。

「すると……オートリライトの架空人物への性格反映は前奏で、現実の僕等を小説に押し込んでからが本番だった……」

「最新のオートリライトの内容は知らないけど、庵さんがそう思ったのならそうでしょうね。何かしらの形で……垂水純玲という存在の欠片を言語世界に沈着させたはずね。それが璃々亜さんの真なる目的。庵さんに好かれる女の子になるため、他存在の存在地点を奪取したってことよ」

 璃々亜さんが僕への恋情を万が一でも有していれば、この話は妄想ではなく立派な仮説となる。

「これが本物の垂水純玲が行き着いた、偽物の内情よ。どうかしら、り――」

「浅いわね、貴女。いや……

 ところが、本人は軽々と否定した。間を置かず、逡巡の余地もない明白な意志表示だった。璃々亜さんは僕の両肩を正面から撫でるように触れて、更に僕を驚かせる言表を……。

「わたくしが庵さんに対する思いは、。嫉妬なんてもってのほか……類比でわたくしの理想世界は語り得ないわ」

 信じられない思いで胸が一杯だった。

 恋ですら彼女の期待値に及ばない僕への感情ベクトルは、何をして満足するとでも?

「それは空威張り? それとも本心?」

 顔を顰めて純玲ちゃんが追及を試みる。

「むしろ、未来の旦那様候補と密着しているわたくしを嫉妬しているのは誰かしらん」

「……ちくしょう」

 荒々しい口調となる純玲ちゃんは、純朴な女の子だった。

 由って、二人の純玲ちゃんは明確に異なる。偽物の情意は本物のをコンプレックスにリメイクしているのだ。

「充分なデート体験だったわ。それも庵さんとの御蔭ね。解散しましょ」

 腕力では推し量れない束縛を、やっと璃々亜さんは解いてくれた。

「これで実験は終わりか。君は僕に何を求めている」

「開示への欲求を焦らないで。貴方はわたくしの為に……御自身の為に小説を書いてくれたわ。後は何も要らないの。曙光しょこうを背に受け羽搏はばたく旅鳥と軌を一にして……」

 詩人めいた言葉を、自らの歩調と合わせた。反対方向の大通りに向かって、僕等との距離を隔てる。後ろを振り向かず、語りを止めず、自分だけが受容可能な世界に彼女は侵徹していく。

「庵さん、気附いていたかしらん。<SCTE>の指標、次々と高数値になっていたことを」

「君の望みに適合するパラメータだろ。でも、その望みを穿鑿しても君は<SCTE>の規範を遵守する模範生だから答えてくれない」

「大正解」と、遠くから響く救急車のサイレンをバックミュージックにし乍ら、「わたくしのシンギュラリティに達するオートリライトの準備は整ったわ。全ての開示はその時に、ね」

 闇と光の境目を通過した彼女は、流動する人々の群れに紛れていった。

 取り残された僕等は、彼女の存在を示す挙措の破片を脳裡でジグソーパズルのように嵌め込んでみたが、全部のピースを繋ぎ合わせた処で茫然自失となる。完成したのは無秩序にて選ばれた絵具で塗られた抽象画であり、それは生き物のように漸次姿形を変えては黄土色の額縁を腐敗させていった。

すこぶる嫌な予感がするわね」

「ああ……僕達の憂悶ゆうもんをひっくり返すような、超越的な未来の匂いがする……」

 二人の第六感は、間もなく現実と結合する。だが、其処の接続点に直面していたのは二人ではない一人だった。

 

 十二時間後――翌朝。菅野家と垂水家の電話が鳴った。璃々亜さんが昨晩から家に帰って来なく失踪した、と悲歎に暮れる松菜さんからの連絡で眠気が吹き飛んだ。

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