CONTRAST

<SCTE-ND:-46.0>

<Remake Transcription-Ⅰ>

 タイトル:せつなさよりも遠くへ 第二話


「私、夢を見ていたの」

 相川は唐突にそう言った。観客がまばらなライブハウスで、トップバッターのアマチュアバンドを待っているところだった。

「夢?」

「そう、夢。それも、暗く重い、不安な夢なの」

 掴みどころのない言葉を羅列されても困る。けど、相川はいつになくしょげていた。ここへ一緒に来る時から元気が無いことを察してはいたが、何かあったのだろうか。

「悪夢みたいなものか? 金縛りになったのか?」

「そうじゃないの。心霊的な怖さではなくって……

 ……どういうことだ?

「悪い。俺さ、相川の言っていることが解らないよ」

「禍々しい重圧が……私を不安にさせるの。そういう時には自覚はあって、ああ、私は今、夢の中にいるんだなって頷けるけど……そうなってしまうと何もできなくて……私はただ……彼の虚像に殴られて苦しんで――」

「落ち着け、相川。ここは現実だ。俺と一緒にライブハウスに来ているんだ。出演者の二組目で藤堂達が演奏するのを見に来たんだ」

 相川の小さな身体を揺さぶって、正気に戻そうとした。彼女の視線は定まらない。虚ろな眼は天井をぼうと見上げ、そこにはない何かを見ようとしていた。

「しっかりしろ。ほら、もう時間だ。ライブが始まる。藤堂達のバンド以外もいろいろ出て来るから、楽しもうよ」

「そ……そうね」

 俺の呼び掛けにようやく応じてくれた。一体、どうしてしまったのか。ライブを楽しみにしていた昨日の彼女は、どこへ行ってしまったんだ?

 それに、彼の虚像とは誰のことを示している? 

 懐疑の波に飲まれた俺は、始まったライブにもノリきれないでいた。隣にいる存在が、とても無気味だった。

(中略)藤堂達の演奏は結局、二曲だけで終わってしまった。予定の四曲から減らしたということは、やはりギターの相良が最後まで仕上げられなかったということか。三か月前から始めた初心者の割には、頑張っていたけどな。

「まあ、こんなもんか。下手糞って言ってしまえばそれでおしまいだけど、みんな一生懸命で楽しそうだったから、良いデビューだったんじゃあないかな」

 上から目線で語る俺は、横目で相川の返答を待った。

「――相川」

 それ以上、言葉にできない衝撃を受けた。

 彼女の頬には、涙腺がくっきりと現れていた。眼を充血させて、誰もいないステージをいつまでも凝視していたのだった。俺もまた、彼女の異変を凍りついたように傍観していた。

</SCTE-ND>

</Remake Transcription-Ⅰ>


 満員とまではいかないが、満席程度の鈍行電車に揺られ乍ら、僕はA4用紙の媒体で三作目のオートリライト作品を拝見させてもらった。

「今までで一番しっかりされた小説だと思います。通俗的な青春の中に蠢く不気味さを、非現実的な夢で表現する手法も好きです」

 但し、今度はライトノベル感が欠落しているのかもしれない。文体がこれだと重いか? それと、未だにアトウイオリの個性が見当たらない。

 微妙に浮かない顔をしているのは、璃々亜さんも同じだった。ドアの隅の手摺に掴まる彼女は、僕からの講評を聞いても全く笑っていない。吊革にぶら下がる僕の腕が力んだ。

「何か気になる所、あります? ラノベへの適応性に低いとか?」

「うーん……そういうことじゃあないのですが……まだダメそうですネ。試しに青春やホラーのジャンル要素を<SCTE>に多少設定したのですけど、芳しくないです」

 製作者側も、科学的に何処か腑に落ちない点があるようだ。マイナス面か……マイナス……ああ、そうだ。

「そういえばですけど、本文の前後にタグ、あるじゃあないですか」

「ええ……おっと」

 突然、電車が激しく振動し、停車した。不快なブレーキ音がしたと同時に、璃々亜さんは僕の胸に体重を預けた。彼女の旋毛が僕の鼻先に接近し、柑橘系の爽やかな匂いと柔らかい二の腕の感触……僕は彼女の美麗を五感で覚え、平常心を損ねた。

「……ご、ごめんなさい」と先に謝ったのは僕の方だ。恋愛を連想させるようなことを木津さんや妹に唆されたのが、余計に僕の挙動をぎこちなくさせた。

「こちらこそ。停止信号とやらですかね」

 ラブコメディでありがちな展開に誘われても、増井璃々亜という女性はロマン主義の陥穽かんせいには騙されず、平然として客観的な状況把握に努めていた。

『御急ぎの処、誠に申し訳ございません。停止信号です。しばらくお待ちください』

 数秒後に流れたアナウンスに、彼女は正確に先駆していたのだ。異性の魅惑に混迷せられる小説家と、違って。

 僕の身体からそっと離れた彼女は、一言。「で、イオリさんのご質問は?」

「あ、ああ……」

 記憶の抽斗を必死で閉め開けして、やっと会話を想起させた。今の僕、カッコ悪いだろうな。

「タグ、なんですけど……一行目のSCTE-NDの右隣に違う数字が毎回記載されてありますよね。どういう数値なんだろうなって疑問に思いまして」

「単純に、<SCTE>の<指標>を表しております」

「<指標>? 具体的には?」

「試作段階的なパラメータなので、これと限定して言い難いような内容です」

 木津さんからの質問点は、情報科学のヴェールに包まれているままだった。

「成程。二行目の<Remake Transcription-Ⅰ>も……バージョン1みたいな意味ってことですね。今後アップデートしていくような……」

「おっしゃる通りでして、まだまだ不完全なプログラムなようです。結果的には私個人としても、不満が残りました。イオリさんでなくても書けるライトノベルを抽出してもやりがいはありませんから」

 ――璃々亜さんも、そんな嬉しいことを言ってくれるのか。

「御協力助かります。僕、璃々亜さんがそんなに文学の……いや、僕のシュルレアリスムについて関心を示してくれているなんて想像だにしておりませんでした」

 『三位一体なる冥園』、結構読み込んでくれたのですか、と興味本位で訊いたところ、

「左程は。理系の脳では純文学の文字列の処理に酷く手間取りますので、一回読んで限界でした」

 しれっと率直な感想を述べてくれた。それが逆に、彼女への更なる信頼を懐けた。

「純粋な文学への理解度ならば、私は垂水さんにも相当劣るでしょう。逆に、垂水さんの知見が凄く充実しているということもありますが。流石は小説家志望の方です」

『発車します。御注意下さい』

 ガタン、と電車が動き出して振動が落ち着くのを待ってから、僕は言葉を返した。

「純玲ちゃんのこと、詳しいですね」

「彼女とはメル友の仲でありますから」

 その発言には多少の温かみが含まれていた。純玲ちゃんとの相性は良好なようで。

「私を友達にカテゴライズしてくれました彼女は、垂水家と菅野家の<契り>についても教えてくれましたよ」

 然し、余計なことまで純玲ちゃんは喋ってしまっていた。

「……言ったのか。他人には極力内緒にしとけって忠告したのに」

 此処でも動揺しているのは、僕だけだった。彼女は顔色一つ変えない。

「垂水さんが切望していることであれば、言いたくなるでしょう。で、イオリさん的には確定事項なのですか?」

 電車が失速し、叡智大学の最寄駅ホームに到着する寸前のタイミングで僕は、か弱い声を搾り出した。

「法律で拘束されている訳ではないから、まだ判りません」

 我ながら、そぐわない喩えだったと自戒している。

 電車を降り、改札を出て直ぐにある叡智大学の正門を通り、僕と璃々亜さんはめいめいの教室棟へと離散した。最近は執筆のみならず璃々亜さんの件で思考が手一杯になっていたのもあり、増井の御屋敷に顔を出していなかったなと回顧したのは、退屈な第二外国語の講義中のことであった。


 その週の木曜日。講義の無かった午前中に僕は、垂水季実子きみこさん……純玲ちゃんの母親と和室で二人きりになっていた。

 ししおどしの乾いた音を皮切りに、季実子さんの口がゆっくりと開かれる。

「御久しぶりで御座います、菅野先生。いつも娘が大変御世話になっております」

 僕を先生と呼ぶのが季実子さんの礼儀だった。仰々しいのはその言葉遣いに加え、相好も……翡翠色の上品な着物を身に着け、増井家の家紋が印字された座布団の上で背筋をピンと伸ばし、真っ直ぐな正座で僕と向かい合っていた。

「い、いえ。僕は何もしてません」

 凛とした季実子さんの瞳は温か過ぎて、一秒以上見つめたら火傷しそうだった。顔を縁側に逸らすと、日本庭園の厳かな風景が開かれている。池で鯉が跳ね、ポチャリと澄んだ水音を御屋敷中に染み渡していく空間で却って落ち着けないのは、いつものことであった。

「創作活動の件、純玲から御伺いいたしました。次作に向けて、努力されているみたいですね。純玲も菅野先生の背中を追って頑張っていますが、娘の能力は如何なものでしょうか」

 僕みたいな半端者は彼女の未来を断言しかねます、と堂々と答えられる雰囲気ではなかった。

「物語を書く力は充分にあります。後は純玲ちゃんの地道な頑張りがあれば、屹度小説家になれるでしょう」

 偉そうだな、と心の中で僕は僕に言った。

「若き御立派な先生の助言は、純玲の支えになります。その御言葉、本人にも直接おっしゃっていただけますと幸いです」

「いえ……僕なんかが励まさなくても、純玲ちゃんは逞しく強い女の子なので……」

「そんなことありません。御遠慮なさらず、御茶どうぞ」

 いただきます、と小さな声と小さな会釈で挟み、膝元にあった伊万里焼の湯呑を大事そうに両手で持った。他人行儀で畏まり、季実子さんの許可がおりるまで差し出された御茶に口をつけないようにしているのも通例だった。

 湯呑で、先月に訪問した研究所の追憶が脳内で再構築される。確か、増井家の食器はこんなに日本文化が浸徹されたものではなく、シンプルな磁器であった。

 一本の直線を引いて、それを均等に分ける中心点に僕を置く。すると、直線の端と端の座標に増井家と垂水家がそれぞれ一致するイメージ。無機質な言語で並べても面白くないので換言すると、増井璃々亜と垂水純玲の育っためいめいの環境は、僕の視座より見做すと真反対であり、遠い存在なのだ。

 捕捉すると――璃々亜さんの情報科学に対して簡単に肯えないアトウイオリとしての矜恃がある一方で、垂水季実子さんに懇願されている<契り>に対して、泰然と返答しかねる菅野庵としての迷いがあるのだ。従って僕は、二者との隔たりを示す線で距離を置いている。

「娘はこれまでも、そしてこれからも、菅野先生の力を必要としています。そう確信しているのは夫も同じです。M商事の代表取締役として数多の有能な人材を見抜いて来た夫が、先生の才気と稟性に太鼓判を押しているのです」

 話が長くなるルートへと突入してしまった。接待対話と称すべき褒めちぎりには僕は硬い笑顔で相槌を打つしかなく、季実子さんの希求している其物……とある二文字を逆に伏せる相手側の意図に、取り附く島もない困難を毎回覚えているのだ。


 体感的には一時間半後(実際は二十分後であった)、鉛を引きずっているかのような足取りで御屋敷を出ると、門の傍に佇んでいる純玲ちゃんと目が合った。

「その様子だと母の熱心さに意気消沈したようねえ、菅野先生」

 一瞬で見抜いた純玲ちゃんは、ニヤリと笑う。

「きみの両親は、本気で未来を確定したがっているらしい。それにつけても、現代でも家系的伝統を真面目に重んずる家について、どう思うかい?」

「客観的には古臭い風習だと揶揄しますけど、両親の意志で指定せられた結婚相手に依って、その考え方が左右されるかな、と」

「じゃあ、来年……互いに二十歳になった時、僕と純玲ちゃんがすること……いや、させられるのを自認しているの?」

 敢えて僕は言い直した。要は、当事者以外の判断が附随した結婚に、納得しているかしていないのか、確かめたいのだ。


 僕と純玲ちゃんは、昔からの交流があった。初めて出会ったのは小学校。其処から中学、高校、そして大学も同じであった。絶対に一緒の学び舎に行こうねと約束した訳ではないが、自然とそうなったのだ。

 だけど、今になって思い返せば、僕と彼女を結ぶ不可視の紐が、二人を極力離れさせてはならないと強制させたのかもしれない。それが、菅野庵と垂水純玲の、将来的結婚。

 二十歳になったら両親の示し合わせで娘、若しくは息子を結婚させるのが垂水家の伝統であった。純玲ちゃんの代でも途絶えず続き、その両親が認めた結婚相手が僕になったのは、遡って中学卒業手前の頃であった。

 最初は僕も純玲ちゃんも、本気にしていなかった。季実子さん達が適当に言っているだけだと思っていたが、一年、また一年と経つ毎に、漠然としていた垂水家の伝統が現実味を帯びてきたのだ。

 僕が新人賞に選ばれて作家デビューしてから、その色合いは増々濃くなった。娘と結ばれる相手として我々が烏滸がましいと謙遜するくらいに立派な男だ、と純玲ちゃんの父親から称賛されたこともあった。僕自身の結婚願望は作用されていないのに。

 気附けば、運命の日は来年に迫っている。自分の問題でさえも精一杯なのに、受動的な結婚を迎えて、僕は幸せで居られるだろうか……そして、彼女を幸せにしてあげられるだろうか……。

 不安ならば、拒否するしかない。


「多分、断ると思うわ」

 そう言ってくれると予期していた。純玲ちゃんはそういう女の子だ。そういう、という形容が代理しているのは、長いものに巻かれない確乎たる自律を有している、ということだ。

「でも、勘違いしないで。わたくしは庵さんが嫌いではないの。わたくしが否定しているのは、この結婚に自身の願望が完全に働いているのかどうか曖昧なままお嫁に行くことなの」

「曖昧になっているのは、両親の希望に沿ってあげたい、みたいな気遣いってことかな」

「そうね。でも、わたくしが子供なだけなのかしらん。結婚って、わたくしを養ってくれた父と母の為にする恩返しとも云えるし」

 彼女の言葉は深かった。明確な解が約束される数学とは違う、常に変動する問いに向けられた懊悩おうのうが伝わった。

「僕も純玲ちゃんは嫌いじゃない。好きなんだ」

「あら、率直な告白で嬉しいわ。だったら言わせてもらうけど、わたくしも庵さんのこと、好きよ」

 睦言の交換が続くはずだったのに、沈黙のとばりが降りた。単純な感情で迷いを消し去ろうとした僕の奸計かんけいは、逆に自らを行き止まりへ詰めさせたらしい。


 ――互いの好きは、結婚という段階まで至る<好き>に該当するものなのか?

 

 心の声が同音で重なり、僕らは気持ちを通わせているようで空虚な彼処へ弾けさせたような、索漠たる心境を甘受していたのだった。

 垂水家の伝統が無ければ、僕らはわだかまりなく恋人同士になっていたかもしれなく、唯の幼馴染という関係で終わっていたのかもしれない。

 僕と純玲ちゃんの距離感は、二者の間を不安定に行き来していた。自分と他者の欲求が混淆させ、純然たる自我の保証を損ねてしまった。

「未来がどうなるにせよ、僕は小説家としての宿命を諦められない。璃々亜さん頼りで何としてでも……アトウイオリが満足するライトノベルを創出するさ」

「良い心掛けね。ファンタジーから青春へ移行いたリメイクも中々の出来だったから、庵さんも感性の幅を着々と広げることよ」

「ああ、璃々亜さんのオートリライト作品、見せてもらったのか」

「文通友達だからねえ。何だか璃々亜さんも<SCTE>の結果が不調だって嘆いているけど、彼女に迷惑かけないように貴方も頑張りなさい。旦那候補が腐っていると、わたくしの気分も晴れないわ」

 一応は現実的将来を考慮している純玲ちゃんも、その将来を候補という言表で断言を避けた。

「……女房の尻に敷かれる不幸な夫、か」

「な、に、か、不満でも?」

 先を歩く僕の背中に、彼女の肘鉄がめり込んだ。適当な冗句を織り交ぜて楽観的に和もうとしても、若さ故に苛む社会人としての展望に足踏みしているのは、僕だけであって欲しくない。

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