第25話「その女、凶暴につき」


 ~~~トワコさん~~~




 ふたりはしばしもみ合い、やがて女のほうから身を離した。


「あらら……」


 女はわざとらしく口元を拭いながらこちらを見た。


「見られちゃった?」


 にたありといやらしい笑みを、こちらに向けた。


 瞬間。

 わたしの中の何かが弾けた。


「……と、トワコさん!?」


 わたしの存在に気づいた新が、真っ青になって女を突き放した。


「いつからそこに⁉ ……って、え……あっ? い、いやっ、いまのは違うんだ!」


「……違う?」


「事故だったんだ! ふたりともが顔を同じ方向に動かしたことで起こった、不幸な事故だったんだ!」


「不幸な……事故?」

 

「そう! だからあまり怒らないでく……」

「あー、ひっどーい」


 女が甘えるような声を出して新の腕をとった。


「不幸な事故だなんて嘘ばっかりー。あたしのこと、可愛いって言ってくれたくせにー」


「いぃいぃいっ⁉」


「キスだって一度や二度じゃないじゃなーい? 全部なかったことにするなんて、もう、意地悪なんだからー」


「ちょ、ちょっと待ちなさいキミ……世羅! いったい何を言って……!?」


 女──世羅は恋人でも気取るように、新の胸に頬を寄せた。


「こ……こら! 離れて!」


 狼狽える新は、しかし世羅を強く引き離せない。


「……可愛い? ……キス? ……一度や二度じゃない?」


 ぶつぶつぶつぶつ。

 わたしは呪文のように繰り返す。


「落ち着きなさい! 落ち着くのよトワコさん!」


 慌てて真理がわたしの肘を引く。


「そうじゃ! バイオレンスはいかん! 相手は人間じゃぞ⁉ 下手を打つと即座に死蔵デッドエンドじゃぞ!?」


 マリーさんが必死でわたしの腰を掴まえる。


「おーおーおー⁉ やんのか姉ちゃん⁉ でもさすがに一般人相手はまずいんじゃねえかなあ⁉ 出来ることなら他のさあ……!」


 わたしの肩でぴょんぴょん飛び跳ねる血の眼。


「……落ち着く? ……バイオレンスはいけない? ……相手は人間? ……死蔵じゃぞ?」


 知ってる。

 そんなの知ってる。

 

 でもあいつは新にキスしたんだ。

 わたしの新に抱き付いて、唇を奪ったんだ。

 わたしですらおでこにしかしてもらったことがないのに。

 我が物顔してキスをして。

 今もなお、胸元に頬を寄せていて。

 のうのうと呼吸をしてて……。


 ──トワコさんは浮気を許さない。

 ──トワコさんは容赦を知らない。


 設定が吼え猛る。

 壮絶な痛みとともに、わたしの背を押す。

 水晶体が光を放つ。

 鮮紅色の、戦いの光を宿す。

 

「落ち着けトワコさん! NGじゃとゆうとろうが! 相手は一般人じゃぞ⁉ 障害になる! 事件になってしまう! そんなの新じゃって喜ぶものか!」


 どーどーどー、みんながわたしを必死になだめる。


「わかってる……わかってる……わかってる……!」


 掌に何度も拳をぶつけて、わたしはギリギリと歯を食い縛った。

 全身を走る激痛を、なんとか耐えた。


 そんなこちらの事情を察してか、世羅は口もとに手を当て、あざ笑うようにして近づいてくる。


「あーら悔しい? トワコさん。顔真っ赤にしちゃって。鼻をぴくぴくさせちゃって。そうだよねえ? 大切なご主人様を見ず知らずの女にとられて。唇まで奪われて。悔しいよねえ~? ふっ……ふふふ、美味しくいただきましたっ。ご・ち・そ・う・さ・ま~♪」


「──死ぃねえぇぇぇぇぇぇえ!」


 わたしは3人を振り払うと、ステップインするなり全力で蹴りこんだ。

 渾身こんしんの回し蹴り。狙いは世羅のわき腹。

 胴を真っ二つにするような気持ちで。

 

 ッズドオォォォン!


 後ろにいた新もろともにぶっ飛んだ世羅は壁に激突し、ずり落ち、ピクリとも動かない──


「こ、こ、こ、殺してしまった⁉ お、おいトワコさん! な、な、な、なんてことをしてくれたんじゃ! 相手は普通の人間じゃぞ……⁉」


 マリーさんが動転した様子で駆け寄ってくる。


「ふわぁああああー……?」


 真理が青い顔して突っ立っている。


「ウ……ソぉおおお……?」 


 血の眼も呆然。


「……不可抗力よ」


「いやいやいや、全力で死ねと言っておったじゃろうが! ……ってああああ⁉ 死んだ⁉ 死んだか⁉ 死んでしもうたか⁉ ど、ど、ど、どうすれば──はっ、そうじゃ、AEDじゃっ。AEDを!」


「……心室細動がどうとかいうレベルの話じゃないと思うけど」


「なんでそんなに落ち着いてるんじゃよー⁉」


「……いいじゃない。り潰して薬で溶かして下水に流せばわからないわ」


「据わった目で猟奇的なことを抜かすな! 怖いからやめい!」


「……豚さんに食べさせてもいいっていうわね。彼ら雑食だし、食欲旺盛だから。うふ、うふふ……」


「暗黒面から戻って来い! そんな黒い話聞きとうないわ!」


「……大丈夫。生きてるわ。こいつ」


「は? 何を言ってるんじゃ。あんなに渾身の回し蹴りが決まっていたのに……」


「あら、バレちゃった?」


 世羅は何事もなかったかのように立ち上がった。ぱんぱんと制服についた汚れを払い、不敵な笑みを浮かべている。

 もろともに倒れた新のほうは、「きゅうう……」と力なく目を回している。


「両腕でガードした。直撃と同時に後ろへ跳んで勢いを殺した。──だけじゃないわね?」 


 わたしは世羅をにらみつけた。


「……ミートの瞬間、姿が二重にブレたように見えた。あれは普通じゃない。それにあなたはこう言ったわね。大切なご主人様・ ・ ・ ・をとられてって。普通わたしと新の関係性を見て、そういった単語は浮かんでこないはずよ。せいぜい彼氏か恋人、夫、旦那様……」


「……これ、つっこんだほうがいいのか? 金髪姉ちゃん」

「やめときなさいよ大人げない……。粉々にされるわよあんた……」


 真理と血の眼がごちゃごちゃ騒いでる。

 

「へえー。よく見てたわね。さすがトワコさん……と、金髪ゴスロリ幼女の……?」


「……マリー・テントワール・ド・リジャン。しかしわらわの姿が見えているということは……」


 作者、もしくは物語というところだけど……。


「……あなたが何者であるかなんてどうでもいいわ。いずれにしろわたしたちの戦闘は──」


 わたしは椅子とテーブルをを踏み台にして「たたんっ」と軽やかに跳び上がった。


「先手必勝!」


 天井すれすれまで跳び上がり、世羅の頭部へ鉈を振り下ろすような跳び回し蹴りを蹴り込んだ。

 速さ重さに角度までついた、申し分のない一撃。

 しかし世羅は余裕しゃくしゃくで受け止めた。

 左腕での上段上げ受け。微動だにしなかった。


「──え?」


 まさかそこまで簡単に防がれるとは思わなった。

 驚きのせいで、蹴り足を引くのが遅れた。


 引こうとした蹴り足を、世羅の左腕・ ・に掴まれた。

 世羅の左腕はすでに防御に使っている。だがその腕によって掴まれた。手首を返したわけでもない。


「もう一本の……腕……⁉」


 世羅の腕の外側……肘の手前あたりから、もう一本の左腕が生えていた。黒い霧を凝縮し実体化させたような腕。

 そいつがわたしの足を掴み──有無を言わせぬ力で勢いよく振り回した。


「──ひうっ⁉」


 ぶぅん、バットでも扱うように簡単に、わたしは振り回された。

 けやきのテーブルに、勢いよく叩きつけられた。

 ぶつかる瞬間、体を丸めるようにして身を固めた。

 反射的な防御行動──。

 だけどそんなことで誤魔化せるようなスピードではなかった。

 ぐしゃりと肉を打つ鈍い音がした。

 ぱっと、目の前が赤くなった。


「あ……ぐ……あっ⁉」


 どこをどう打ったのかはわからない。

 どこがどう痛いのかすらわからない。

 とにかく壮絶な衝撃がわたしを襲った。

 意識がどこか遠く、闇の向うへ引っ張られていくような感覚。絶望的な浮遊感。 


「──いかん!」


 誰かが叫んだ。


「……あら、ただのお人形さんだと思ってたら邪魔するんだ──」


 同時に、わたしの体はぶん投げられた。


「──ぬうおっ⁉」


 何かにぶつかった。もろともに転がった。

 三転、四転、どこかを転がり、何かにぶつかり、気が付いた時には文芸部の外にいた。


「ぐっ……⁉」


 すぐさま立ち上がろうとしたが、全身に力が入らない。

 骨という骨がバラバラになったかのように、身動きひとつとれない。


 しゅううー……っ。


 全身から、白い煙が立ち上る。

 物語の有する自己修復能力が、マックスで起動している。

 戦えるようになるまであとどれくらいかかるか。3分? 2分?

 ダメだ。その前にやられてしまう。


「……任せておけ」 


 比較的ダメージの軽かったマリーさんが立ち上がった。


「……屈辱を負ったのはわらわも同じじゃ。容赦はせんよ」


 すでに仕込み剣を抜き、中段に構えている。


「マリーさん……」


「感謝ならあとじゃ。あやつ、なかなか油断ならぬ使い手じゃぞ?」


「……わかってるわ」


 わたしの蹴りを平然と受けきった防御力。

 軽量とはいえ人間ひとりを振り回し投げ飛ばした腕力。

 加えて、出所の判然としないもう一本の腕。


「へえぇ、物語と司書で組むなんて珍しい。監視する側とされる側とで、普通は仲悪いもんなんだけどね」


 元通りになった左腕をぶんぶん回す世羅は、しかし追い打ちをかける様子がない。部室の入り口に立って、ゆっくり辺りに視線を巡らした。


「ね、ねえ。なにあれ……」

「死ねとか聞こえたけど……なに、修羅場? 事件?」 

「あの音、けっこう尋常じゃなかったけど……先生呼んできたほうがいい?」


 騒ぎを聞きつけた野次馬が集まり始めた。


「あらら、残念……時間切れかあ」


 微かに眉を歪め──そして一転、笑顔になった。


「大丈夫? トワコさん。転んじゃったの?」


 先ほどまでの挑発など忘れたように、親し気にしゃべりかけてくる。


「だからあれほど言ったじゃなーい。老朽化が進んでるから危ないよって。そうね、そうよね。床板が腐っていたんだわ。あとで先生に言っておかないとー」


「こいつ……⁉」


「面の皮の厚いやつめ……」


 マリーさんが舌打ちした。


 世羅は、周りに聞かれないよう小さな声で牽制してきた。


「……今日のところは挨拶がわりだよ? あたしにだって一応世間体ってもんがあるし……」


 口角を吊り上げ、小憎たらしい笑みを浮かべる。


一応・ ・……ね?」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る