第5話「新たな生活」

 ~~~新堂新しんどうあらた~~~




 東北の春は寒い。

 日中はいいけど、夜中明け方ともなるとしんしん冷える。

 就寝中も石油ストーブをつけておくわけにはいかないから、部屋から温もりが消える前にがっつり布団をかぶってかい巻きをかけ、一気に寝てしまう。


 寝てしまえれば……いいんだけど……。 


「だめだ……さすがに眠れん……っ」


 暗がりの中、俺とトワコさんは布団の中で抱き合っていた。


 違う、待ってくれ。

 断言するが、やましいことは何もしてない。

 胸やらお腹やらお尻やら、色々触れてはいけないところに触れはしたが、故意じゃない。アクシデントだ。


 そもそも布団はひとつしかなかったんだ。

 深夜に布団を売ってる店なんてあるわけないし、何もかけずに寝るわけにもいかないし。

 だからしょうがないのだ。やむを得ない仕儀なのだ。


 問題があるとするならそれは、彼女の寝相? のほうだった。

 寝ぼけた彼女が、様々な寝技を仕掛けてきた。

 アンクルホールド、キーロック、スコーピオンデスロック……様々な技で、全身を攻められた。


「ギブ! ギブだよ! 起きてトワコさん! ぐ……グラウンドコブラとかマニアックだなおい! ってそうじゃねえ! 痛ってえええええ!」


 悲鳴を上げながらタップしていると、最終的には縦四方たてしほうに固められた。


 縦四方ってのは、要はマウントポジションだ。

 ただし、馬乗り状態からさらなる打撃や関節技に移行するマウントと異なり、胸を密着させるようにして抑え込むことに主眼を置く。

 胸を密着させるようにして抑え込むことに主眼を置く。


 ……どうして繰り返したかは、わかっていただけると思う。


「ね、ねえトワコさん……。この体勢はさすがにヤバいと思うんだけど……」


 モデル体型の彼女は、そんなに重くない。出るところは出てるけど、ボリューム的に特別目を見張るようなところはない。

 ただその……なんというか、めちゃ柔らかい。

 年頃の女の子特有の、ぷりぷりみずみずしく弾けるような肉体が、俺の上に乗ってる。密着してる。

 

「うぅ……ん、新ぁ……」


 しかも俺の名前を寝言で呼ぶ。

 頬ずりをし、首筋に息を吹きかけてくる。


 ──トワコさんは寒がりだ。

 ──トワコさんは寂しがり屋だ。

 ──トワコさんはスキンシップが大好きだ。

 ──トワコさんは技をかけるのが好きだ。

 ──トワコさんは俺の名を寝言で呼ぶ。


 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!


 恥ずかしい!

 今! 俺は猛烈に恥ずかしい!

 昔の俺! おいおまえ!

 なんでこんなことばっか考えてたの⁉

 エロ妄想ばっかしてんじゃねえよ!

 この関係がばれたら俺は社会的に死ぬけど、それより前に恥ずかしさで死んじゃいそうだよ!


「新ぁ……、大好きぃ……」


 ほら今の聞いたかよ!

 寝言で大好きとか言っちゃって!

 超可愛い! 超好み!

 わかってんなあ! 昔の俺!

 でもうそうじゃねえんだよ!

 そういうこっちゃねえんだよ!

 恥・ず・か・し・いって言ってんだよ!

 俺はもう社会人なの!

 これから聖職につこうっていう立派な大人なの!

 これじゃ性職みたいになってんじゃん! 上手くねえって⁉ 知らねえよ! 言わせとけよ! そうでもしてないと気が狂いそうなんだよ!


「……いかん。このままだとマジでおかしくなる……っ」


 いっそこれが夢だったら、そんなことを考えた。

 目が覚めたら全部すべてなにもかも、なくなっててくれたら。 


 ちょっと現実的に考えるなら、少しでも距離を置いて……たとえばアパートの隣の部屋を借りるとか……。

 このコはそんなこと許してくれないだろうけど……。


「でも、言わなきゃな……。心を鬼にしてでも」

 

 俺は意を決してトワコさんを見た。

 つややかな黒髪ロング。雪を思わせる白い肌。赤ちゃんみたいに高い平熱。

 トレードマークのセーラー服を脱いで、代わりに俺のスウェットを着ている。そのままだと丈が違い過ぎるので腕や足をまくっている。そのせいか、彼女は妙にあどけなく見えた。


 ──ずっと探してたのよ? あなた、いきなり行方をくらまして……。

 ──どこへ行ったかわからなくなって……すごく心配……したのに……。

 出会った時の彼女の台詞を思い出した。

 京都のゲーセンで過ごしたという数年間を思った。


「ううぅ……っ」


 みるみるうちに克己心が萎んでいくのを感じた。

 彼女はずっとずっと俺のことを探してて、無茶な設定に従ってくれてた。

 ようやく会えて、一緒に暮らし始めたと思った矢先にまた突き放されたりしたら……。


「また……泣いちゃうよな……」 


 涙を拭けやしないのに。


 俺はため息をついた。

 しょうがない。

 受け入れよう。

 現実問題として、彼女は今ここにいるのだから。

 

 とにかく明日起きたら布団をもう一組買って。

 彼女用のあれやこれやを買って。

 

 それにそもそも、もう少しの辛抱じゃないか。

 4月になれば学校が始まる。

 四六時中彼女の顔を見ていなくて済む。

 一緒にいる時間が減る。

 男を試される機会が減る。

 そうすりゃ少しは楽になる。


 あと20日、あと10日、あと5日……。

 理性と倫理観をフル稼働して乗り切って──




 4月に入った。

 瞬く間に入学式が終わりクラス分けがなされ、俺は副担任として一年一組に配属になった。

 だけどなぜだろう、同じクラスに、見慣れた顔があった。

 窓際の席に、ひとりの女の子が座ってた。


「えー……出欠、続けます。三条永遠子さんじょうとわこさん」


 俺の点呼に、そのコはにこにこ微笑みを返した。


「はーい」


 返事と一緒に胸の前でひらひらと手を振り、軽やかにウインクまでして見せた。


「……っ」


 まさか振り返すわけにもいかず、俺は目のやり場に困って出欠簿に目を落とした。

 そこにあるのは紛れもないトワコさんの名前だ。


 彼女は試験も受けずに同校に入学し、なおかつクラス分けで俺の担当するクラスになった。

 物語と作者を離さないようにする世界図書館の配慮という説明だったが、たぶんその配慮は根本から間違っている。

 あんたたちはもうちょっと、作者の日常を大事にしてくれてもいいと思う。


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