24章

 2016年8月9日5時25分頃、正平は四ツ倉駅にいた。いよいよ旅の最後の日になるという可能性が高くこの旅の結末を楽しみにしている気持ちと、完全に寝不足だというからだの重さに加えて台風が通過したあとのフェーン現象による気温の上昇が予想されるなかで30キロを越えて歩くという不安を抱えて妙にドキドキしながら、改札脇のコンビニで朝食を買って始発電車に乗りながら食べようと考えていた目論見は始発電車後にコンビニが開店するというフェイントに崩されはしたものの、駅前に24時間営業のコンビニがあったのでそこでなんとか出発時刻まで間に合うように買い出しができたというよいのか悪いのかわからない流れで始まる一日のスタートになった。今のところは台風が置いていったのか引っ張り込んだのかはわからないけど空には厚い雲が掛かっていて、気温の急上昇を抑えていた。太陽が顔を出す前に行けるところまで行きたかったので、国道6号線を一気に北上した。


 朝の早い時間にもかかわらず、国道6号線の交通量とスピードは驚くべきものがあった。陸前浜街道の別名には妙に納得できるものがあった。「30キロ先 二輪車軽車両歩行者 通行不可」と書かれた電光掲示板が今日の目的地の現実を表しているような気がして正平の不安が大きくなる一方で、福島第一原発の付近の国道6号線は車両も通行止めになるはずだから、通行できる唯一の道である常磐自動車道を最短距離で使ってという感じで巧に計算しながら物資を運んでいるのかもしれないと思うと、復興と経済の現実を突きつけられたようで正平は立ち止まりかけたけど、お日さまが見えないうちは急げるだけ急ぎたいからオーバーペース気味で北上していった。歩道は広く整備されていて歩きやすかったけど、海は基本的には見えなかった。時折完成していない堤防の切れ間から見える海は、台風の影響だろうか風はないのに恐ろしいほどに荒れていた。


 やがて高度を上げた国道6号線から見えた景色は、台風の分厚くて灰色の雲に占拠された空と荒れ狂う波に身を任せて白く濁った海とが、その境目を見せることなく渾然一体となって正平の足の下に押し寄せながら低くて不気味な声で唸っていた。時折、波しぶきが防波堤の高さを越えていたけど先端が海のほうにせり出している設計だったので正平のほうに来ることはなそうだった。いつも穏やかな絶景をたたえているであろう風光明媚な入江の海が、激しいまでに荒れ狂う様子を間近で見るという機会もなかなかないかもしれないような気がしてきて、正平は立ち止まってデジカメを構えた。シャッターを切ろうとしたその瞬間に、正平の頭の高さを越えるような波しぶきが上がった。それをデジカメのモニター越しに見た正平には、入江に棲む竜神さまに「撮るな!」と怒られた気がして急いで謝って一目散に逃げた。ここで海に落ちたら、たぶん死ぬ。死ぬだけならまだしも、国道沿いだから監視カメラとか目撃者とかが気がついて通報すれば警察や消防隊・消防団などなどが入り乱れた救助活動などの大騒ぎになって近隣の方々の多大なるご迷惑になるし、なにより一日でも早い復興の妨げになってしまう。だから竜神さまに怒られたのではないかと、そんな理由を勝手に想像しながら正平は北上を続けた。


 常磐線もこのあたりまでくると単線になっているようだった。久ノ浜駅を越えたあたりにあるトンネルは、ストリートビューで見た通りに狭かったので山のほうにある道を回り込んでいった。登って下るというトンネルの抜け道の流れから国道6号線を回り込んで末続駅の東側を歩いているとお日さまが顔を出してきた。それからは一気に気温が上がった。ここからはペースを抑えながら、残りの水分と距離を考えながらの道のりになることを覚悟しながら国道6号線に戻って歩いて行った。しばらく行くと海の近くに寄れそうな道があったので移ってみた。常磐線の線路を渡って海岸に出られそうな道があったので行ってみたけど、木々が生い茂り茂り視界が悪い上に急こう配のつづら折りの下り坂だったので、荒れ狂う海と道の関係がわからなかったので危険とは判断して道なりに戻ってさらに進むと、昔町があったのだろうかというような視界が開けた場所が見えてきた。遠目に海を見るのがやっとで、護岸工事中であることも見てとれたので海に近づかないままに北上していった。県道391号線が交わる交差点を過ぎて少し行くと「この先、通行止め」の看板が見えた。歩行者は抜けられる可能性もあったけど、抜けられなくて戻るとなると大きなリスクになるので、県道391号線まで戻って国道6号線で北上した。


 やがて左に再営業が近くに予定されているのだろうか、内装工事をしているホテルが見えてきた。右にはえらく立派な施設だと感じさせる敷地の境界線が長く高く続いていた。なんの施設なのか興味を抱いたので回り込んで見たら、物々しいぐらいの警備員がいて駐車場には入り切らないような感じで多くの車が並んでいた。やがて「Jヴィレッジ」という門の看板が見えてきた。昨日始まったリオデジャネイロオリンピックのサッカーチームは大敗してしまったらしいけど、こんな立派な施設で調整できたなら違う結果になっていたのではないかという気がしてならないような素晴らしい施設だった。今は、別の戦いに向かう戦士たちの拠点になっていることと、物々しい警備をしなければならないという原子力発電所の事故からくる現実の重さを正平は感じながらも、立ち寄ることができないところにこれ以上いても仕方がないという思いを、先を急ぐからという言い訳に変えながら逃げるようにしてJヴィレッジに背を向けて歩いていった。


 やがて県道162号線に突きあたりながらぶつかったので、右に曲がって木戸駅へと向かって歩いていった。すると、向こうから一人のおばあちゃんが歩いてきた。正平はすれ違いざまに恒例となった挨拶をしたら、おばあちゃんは挨拶を返しながら走り寄ってきて満面の笑みを湛えながら話しかけてきた。

「お兄さんは、どこからきたの?」(正平の推定訳)

と聞くので、

「今日は四ツ倉駅から歩いてきました。」

と答えると、

「そんなに遠くから来たのか。四倉ならたまに買い物に行くところだけど、本当に遠いところだ。そんなところからじゃ、大変だったな」(正平の推定訳)

と、手に持った釜を振りながら話すので、正平は悪気がないことを十分に理解しながらも若干の恐怖を感じながら、正平が歩いて来たところとは違うところにこのあたりの人たちの買い物をする店があるのか、それともおばあちゃんの避難先が四倉で、そのつながりの関係なのだろうかと思いを馳せながらも、楢葉町の避難指定が全面解除されたのは約1年前だから故郷に帰ってこれて嬉しいという彼女の気持ちを十分に感じながら、そして勝手に立ち寄ってしまって申し訳ない気持ちも抱きながら、僅かな時間の立ち話を楽しんだ。やがて、おばあちゃんが、

「水はあるか? こんなに暑い日だから……」(正平の推定訳)

と気にするので、

「十分にあります。重いぐらいです」

とバックパックを上下に振りながら正平は答えた。

「それならいいな。じゃあ、気をつけて」(正平の推定訳)

と言って、おばあちゃんは去って行った。

しばらくしたら、背後から車のエンジン音が聞こえた。それが徐々に近づいて来たので、背後を確認してやり過ごそうと正平が止まったらエンジン音も止まった。さっきのおばあちゃんだった。家に帰ってから軽自動車に乗って、正平を追いかけて来たみたいだった。そして、開けっ放しだった助手席の窓から、

「これ、重いかもしれないけどないよりはいいと思うから」

と言いながら、ミネラルウォーター差し出した。反射的に受け取った正平は、その手に持ったときの冷たさだけに美味しさを感じてしまい、

「ありがとうございます!」

と答えながら受け取ってしまった。それを見届けたおばあちゃんは、

「じゃあ、気をつけて」

と言いながら、軽自動車を少しだけ走らせてからあぜ道で切り返して、正平の横を手を振りながら走り抜けて行った。その姿を見ながら、彼女も復興を担っている一人であるという気が強くしてきて、思わず「復興戦士!おばあちゃん!」と呟いてしまい、そのあまりの格好悪さに謝ろうと正平が振り返ったときには、彼女の軽自動車は見えなくなっていた。


 いつの間にか変わった県道244号線で北上を続けた。竜田駅の手前で線路を渡って東側を通過して、宅地造成の工事をしている現場を横目に見ながら北上を続けた。今まで手から正平の体を手の平から体を冷やしていた「復興戦士おばあちゃん」から貰ったミネラルウォーターも、そろそろ口から流し込んで食道から胃ぶくろを冷やさないといけないぐらいに温まってきたので、おばあちゃんに感謝しながらご迷惑をかけたことに謝罪しながら勢いよく喉に流し込んでいった。やがて道が直角に右に曲がって、左に曲がりながら坂を下っていくと富岡町の表示があった。右には住宅に続く道が、左には清掃工場に続く道があるだけだった。正面の道の先は見えているけど、一枚の行政文書によって進むことができなくなっていた。行き止まりだった。月に一度と続けて来た旅の終わりは、意外なほどに呆気なかった。自分でも驚くぐらいになにもなかった。ここまで来た達成感とかなにもできない自分への虚無感だとか、そんな感情がもっともっと溢れるのだろうかと思っていたけど、そこにはなにもない感情と静かな時間が流れているだけだった。

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