20章

 2016年4月15日6時30分ごろ、正平は大洗駅にいた。今日は、できれば日立駅まで行きたいけど久しぶりの40キロ越えというロングウォークに体がどうなるのか、少しの心配を抱きながらのスタートではあった。心配といえば昨日の夜に熊本で大きな地震があったとの速報がテレビから流れている中で眠って、朝も水戸駅始発の臨海大洗鹿島に乗るためにバタバタしていたからなんの情報も見ないで出発してしまったので、こんなことをしていていい状況なのだろうかということ自体もわからなくて心配ではあったけど、逆光の朝日に浮かび上がる大洗マリンタワーとカジキマグロだろうか魚のオブジェを見ながら、「いまはこの道を行くしかない」と言い聞かせて正平は出発した。


 大洗の漁港を回り込んで県道108号線に入ると、右手に太平洋の大海原が広がっていた。大洗公園と書かれた駐車場の歩道の方が少し海寄りにあったのでそちらを歩くことにした正平は、なに一つとして遮るものがないままに感じる朝日の優しい温もりと宝石のように輝く海の煌めきを満喫していた。その温かさと美しさをできる限り味わっていたかったので、正平は駐車場の歩道をそのまま進んでアクアワールドの脇を通って川にぶつかるまで味わい尽くしてから、川沿いの道を使って県道108号線に戻った。本来であればもう一段海寄りの遊歩道もあったみたいだったけど、そこは工事中で進めなかった。震災から5年。まだまだ復興が途中であることを感じるし、それが長い道のりであることも感じながら、昨日の熊本の地震のことをふと思った。自分に何ができるのか? 自分は何をしているのか? そんな疑問を東日本大震災の時の同じように感じている自分はあの時からなにも変わっていないことを突き付けられた気がして、なんとも情けない限りだった。


 川を渡ると那珂湊の町だった。橋を渡ってすぐに漁港の方に足を向けた。鮮魚自慢の看板を掲げたお店が建ち並ぶあたりは、まだ早い時間なのにたいそうな人出だった。見ているだけでよだれがあふれ出てきそうな宣伝文句と、其れだけでご飯が食べられそうな匂いに吸い込まれそうだったけど、今日は40キロの道のりを歩く予定の正平だったので、よだれを胃袋の中に落とし込みながら先を急いだ。このあたりの海沿いの道は歩道がしっかりと整備されていて歩きやすいうえに太平洋が広がり続けていて、お日さまのぬくもりを背負いながら気持ちよく北上していった。


 やがて右の方に平磯海水浴場の看板を見かけて海を見ると、くじらが満面の笑みで正平を迎えてくれた。夏休みにはあの笑顔で多くの子供たちを迎えて、賑やかな海岸になるのだろうか。その姿を想像すると、なんだか微笑ましくなった。新しく作ったような感じはしなかったので東日本大震災の津波に耐えたのだろうか、それとも多少の損傷があったのを補修したのだろうか、どちらにしても海の中でがんばっている姿に元気をもらいながら歩いていると尻尾に「大ちゃん」と書いてあった。「大ちゃん」はどこからともなくやってきた正平を満面の笑顔で迎えてくれて去っていく正平を優しく尻尾を振って見送ってくれた、そんな気がしてほっこりしながら北上していった。


 やがて、数日前に新聞記事で花がきれいに咲いていることを知った「ひたちなか海浜公園」の看板が見えてきた。もし公園の中を通過できるようであれば、花を見ながら歩くのもいいのかなと思いながら入り口を探していると、県道247号線で公園を回り込むような形になった。ようやく入口にたどり着いて案内板を見ると入園料が必要らしかった。出費するとなんとしてでも元を取ろうとして隅から隅まで見たがる正平は、自分の性格とも相談した上で見学には時間がかかりそうだという結論に至って入ることをやめて、松の落ち葉が敷き詰められてふかふかして楽しい歩道で公園を回り込みながら、国道245号線に移動して北上を続けた。しばらくして差しかかった東海原発は、幾重にも警備されていて重々しい威圧感を発していた。怒られているわけではないけど職員室に入ったような感じがした正平は、かなりペースを上げて逃げるようにしながら通過していった。


 川を渡ると一気に車道も歩道も広がって、日立の文字がちらほらと見えてきた。このあたりからは道が狭くなったり広くなったり、海に近づいたり遠ざかったり、登ったり下ったりが激しくなり始めたので、鹿島灘のなだらかな海岸が終わっていくことをなんとなく感じながら正平は歩いていった。やがて「これより先、東日本大震災浸水区域」の道路表示が見えた。確かにここから先の道路は下っているけど、それほど海に近いわけでもなく低い位置にあるようにも感じていなかった正平は、津波の恐怖を感じた瞬間だった。来てみないとわからないこと、繋げてみないとわからないことがあるものだと感じながら正平は先を急いだ。


 今日は高速バスで帰る予定だったけど、日立駅から出ている「ひたち号」は予約制らしくその予約の方法がよくわからなかったし乗合式の「みと号」の往復割引乗車券も買っていたから、日立駅から列車に乗って水戸駅に行かなければならなかった。特に時間を決めているわけではないのでゆっくりしてもいいのだろうけど、明日は仕事があると思うと早めに帰りたくなるのが人の性で、日立駅に近づけば近づくほどになるべく早い常磐線に乗りたくて気持ちは焦っていった。でも気持ちとは裏腹に久しぶりに40キロぐらいを歩いてきた体は重かったし、日立駅は高台にあるらしくその上り坂は見ただけで精神的にも厳しいものがあってペースが上がらずに、駅のわずか手前で発車時刻を迎えてしまった。かなり気落ちして駅に到着した正平だったけど、強風のために列車が遅れていることを電光掲示板で知ったとたんに気持ちも体も一気に回復した。そうなると勝手なもので、なかなか来ない列車にイライラしたり、「みと号」の往復割引を使うために水戸まで戻るならなんとかして「ひたち号」の予約をした方が安かったのではないかと思って後悔したりもしながら、水戸駅に戻って昼食兼夕食を食べて「みと号」で眠りながら家路に着いた。

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