6章

 2015年2月15日5時30分頃、正平は大貫駅にいた。昨日は先月と同じビジネスホテルに素泊まりで泊まって、意外と客が多かった始発の内房線で大貫駅に着いた。駅前は明るかったし、上りの始発電車に乗っての出勤だろうかスーツ姿の男性も向こうから歩いて来たりして首都圏のベットタウン的な雰囲気もあったけど、国道465号線から逸れて海へと向かう道に入った瞬間から真っ暗だった。これは、正平の完全な誤算だった。雲のせいで月も星も出てはいないので、ここで留まって夜明けを待つべきかどうかと悩んでいる間に正平の目が暗順応したのだろうか、かろうじて道筋だけは見えてきたし冬の夜明け前はかなり冷え込むこともあって先に進むことにした。どこまでが道路なのか、道路でないところは段差になっているのか草むらなのか、段差だとしたら上っているのか下っているのか、もしかしたら側溝になっているかもしれないとか、細かいことはなにもわからないからかなり怖いのに加えて、歩行者がいるとは少しも思うことなくいつも通りに猛スピードで走っている感じの車を避けるために道路脇に踏み込まなければならないのは生きた心地がしなかった。これからはトンネルも増えてくるだろうから照明器具を買わないといけないと、そんなことを思いながら30分もすれば空も明るくなってくるだろうということに期待して、緊張感を最大にしながら歩いて行った。


 正平の期待通りに大貫の海水浴場あたりで空が明るくなり始めてようやく道路の詳細部までは見えるようになったけど、ここからは山の方に向かって行かないと佐貫駅まで行けないから、意外と急な坂道を登って国道465号線に戻って南下した。海沿いでは夜明けを迎えても山の中はまだ暗く夜明けが遠いことを感じながら、エンジン音で迫ってくる車の速度と距離を測ってタイミングよくやり過ごしながら進んでいくと、スタートから5キロぐらい1時間を経過したあたりにある佐貫駅を通過するあたりでようやく周囲が見える明るさが確保されて、正平は少しだけ緊張感を下げた。ホッとしたらドッと疲れを感じたけど、まだまだ先は長いので大きく深呼吸して気持ちを切り替えて先へと進んだ。今日のルートは、このあたりで県道256号線を追いかけて、国道127号線とぶつかったら右に曲がって南下していくだけだった。内房線も近くを通っているので、行けるところまで歩いていけばいいという気楽さもあるルートだった。上総湊駅を超えて川を渡ってしばらくしてからは、崖に沿うような道の連続で高所恐怖症の正平には怖かったけど、そこは絶景の連続でもあった。房総半島からでもこれだけ三浦半島がはっきり見えるということは、ペリーさんが乗って来た黒船もしっかりと見えたのかもしれないと、そんなことを思いながら快調に飛ばしていった。


 足の痛みもないし早朝の出発だったこともあって、25キロを過ぎても10時30分ぐらいだったので一気に鋸山を超えてしまうことにした。今日の最長目的地は安房勝山駅を想定して調べていた正平は、浜金谷駅から先は地図で見ると長くストリートビューで見ると狭いトンネルがいくつか連続しているので、安全確保のために鋸山を日本寺経由で抜けていくルートを設定していた。ただ道があることはわかってはいたけど詳細までは調べることができなかったので、鋸山のロープウェイ乗り場で歩いていく道を尋ねると案内図を渡されながら曲がるポイントを丁寧に教えていただけた。少しだけ戻ることになるのは25キロ近くも歩いてきた正平にはショックだったけど、説明の丁寧さと流暢さから、歩く人もかなり多い道であることは推察できた。説明を聞きながら舗装路ではなく登山道になることを知ってランニングシューズの正平は少しだけ不安になったけど、道は整備されている可能性が高いという希望的憶測を抱きながら鋸山の登山へと出発した。


 案内されたようにロープウェイ乗り場から少し下りて肉屋さんの角を右に曲がり、踏切を渡って右に行くと登山道の入口が2つあった。木更津駅前のコンビニで買った朝食のおにぎり3個を内房線の中で食べたのを最後に食事のタイミングを失っていた正平は、日本寺の境内に食事処があるだろうと考えて最短距離だと思われる関東ふれあいの道コースを行くことにした。階段は整備されているけど急な道で始まり、小学校だか中学校だかの遠足で経験したようなハイキングコースになって木々の間から見える海を楽しみながら歩いているうちに正平の高度はぐんぐんと上がっていった。それにしても、もともとなのか空腹感がそうさせているのかはわからないけど、山の高さは意外と平気だったのには正平自身も驚いた。ところどころにベンチが設置されている道は快適そのもので、ぬかるみに足を突っ込まないように注意をしながら先へ先へと急ぐけど方向感覚を失ってしまうあたりは、やはり山であった。設置されている看板を見ながら最短距離だろうと思った道を行くと、せり出した岩の上にたくさんの人がいて下を覗いていた。あとからパンフレットで知った「地獄のぞき」という名所らしかったけど、下から見ただけでも落ちてしまいそうな恐怖感で足がすくみそうだった正平は、急いでそこから立ち去ることにした。それにしても早く日本寺に入って食事をしたいけど、どうやら迷ってしまったらしく最短距離だと思って来た道を戻らなければいけなくなってしまったのは、平地なら諦めて最寄駅を探していたぐらいにショックだった。ただ山の中では、ここでやめるというわけにもいかないので、戻ることも含めて前へ進むしか選択肢はなかった。


 それにしても、登り始めた頃は山頂が見えていて確かに近づいてきたはずなのに今は見えない、そんなもどかしさのなかで手すりを頼りに急な傾斜の道を必死になって登っていくと、突然と関所のような建物が見えてきた。ようやく日本寺の入り口にたどり着いたらしい。あとは拝観料の600円を払って食事を、と気が急いだけど登山道の始めの方で追い抜いた年齢が高めの登山者グループが先客で関所の番人の方の話を聞いていたので、正平は少し離れたところでやり過ごしてから入ろうと待っていたら、関所の番人に「ご一緒にどうぞ」と言われたので、拝観料は後払いで先に話を聴くことになってしまった。日本寺の大仏は日本で一番大きいとか、登ってくるだけでも十分にご利益があるとか、700年の歴史があるとか、その頃から外国の僧侶との交流があったとか、本当にありがたい話がたくさん聞けたけど、かなり長い話しだったので先客が通るまで待たされなくてよかったと罰が当たりそうなことを思っていたりもした。そして、関所の番人のありがたい話が終わった後で正平が拝観料を差し出すと、彼は忘れていた感じで少し驚いて戸惑いながら受け取っていた。


 無事に関所を通過した正平は600円を払ったのだから記念にと、下で見た「地獄のぞき」という場所に立ち寄ってみることにした。お金を払うと高所恐怖症よりも元手を少しでも回収したいという気持ちの方が上回るものらしく、下で見たときのような恐怖感を抱きながらもしっかりと地獄をのぞきこみ、下でも上でも地獄にいるような恐ろしさを存分に味わうことになってしまった。しかし、地獄が終われば天国の食事が待っているとワクワクしながら大仏広場へと正平は急いだ。駆け下りるようにして到着した大仏広場だったけど、売店らしきところにはお守りとかお土産しかなく食べるところはなかった。もしかしたら、飲食できるところはロープウェイの駅だけで、あとは本当に普通のお寺でしかないのかもしれない。正平にとっては痛すぎる本日2回目の誤算だった。山頂から大仏広場まではかなり下ってきたという印象だったから、ここから登り返すという力は肉体的にも精神的にもなかった。こうなったら、早いところ保田の町まで行って食べることにしよう。そんなことを思いながらも、薬壺らしきものを抱かれているので薬師如来さまだろうか、日本寺の大仏さまに旅の安全を祈願して、急いで山を下ることにした。


 さすがに山一つがお寺ということもあって帰り道で迷いそうだったけど、整備されているので方向感覚は保たれていたようで、ここが出口の方向だろうと歩いてきたところに先ほどと同じような関所のような建物が見えたてきた。通りかかると中から、

「ありがとうございました」

と声をかけられたので、

「ここからでれば、保田駅に行けますか?」

と正平は尋ねた。すると、

「ここからだと交通量の多い国道に出て危ないですから、来た道を戻って突き当たりの道を左に行って、もう一つ下の出口から出た方が良いですよ」

とのアドバイスを頂いたので、その通りにすることにした。もう一度、来た道を登りながら戻るのは心と身体にはこたえたけど、しばらくしたらアスファルトが連続する道になったので教えていただいた駅へと向かう出口に着いたようだった。振り返ると「表参道」という表札が見えたけど、この表参道で正平は誰一人として会わなかった気がする。地獄のぞきの賑わいとは対照的だったあたりにモータリゼーションの時代を痛感しながら、駅までの細くて静かな道を進んで行った。まだ2月だというのに道端のいたるところに菜の花が咲いていて、房総半島の春の早さを目で実感しながら保田駅へと向かった。

 

 保田駅の近くに食事ができそうなところはなかった。がっかりしながら時刻表を確認すると、10分ぐらいで電車は来るらしいので、それで木更津まで戻って食事して高速バスで帰ろうとして何気なくスマホで所要時間を調べると45分とあった。それは長すぎるので、慌てて浜金谷駅で降りて食事処を探しながら東京湾フェリーで帰るという計画に変更したけど、どういうわけだか浜金谷駅付近の食事処はどこも盛況で、早く何かを胃袋に入れたい正平はフェリー乗り場まで来てしまった。すると、あと10分でフェリーが出発するらしかったので木更津に行っていればよかったと思いつつ切符を買って乗り場の方に向かうと、立ち食い蕎麦屋さんらしき店があったので少し迷ったけどフェリーを一つ遅らせることにして、たぬきそばという昼食にようやくありついた。結果として、フェリーの出航の様子を見ることができたりして面白かったのはいいけど、今日は上手くいったのか上手くいかなかったのかよくわからない日だった。そんな感傷に浸りつつ乗ったフェリーの窓にからは、夕焼けを背負った富士山がきれいに輝いていた。一つ遅らせたから見れたかもしれない思わぬ絶景だったけど、その間に風も強くなってしまいフェリーは思いのほか揺れた。正平は船酔いこそしなかったけど、慣れない船旅と浦賀水道の交通量の多さが妙に怖かった。最初で最後の東京湾フェリーの乗船になるような気がしながらの家路だった。

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