第22話 彼にとって私は特別なのかと勘違いしておりました

 私のせいで右手を負傷してしまった一条さんに代わり、私は、トレーニング後、彼のマンションを訪れて、家事を手伝うことにした。


「何人分作ってんだよ。一人で、こんなに食えるかって」


 ズラリと並んだおかずに、一条さんが苦笑いする。


「うち、大家族だったから、つい作り過ぎちゃって……。冷凍しておくので、小腹が減った時にでも食べてください」


 そんな言い訳をつけて、気合を入れ過ぎてしまった自分を誤魔化す。さすがに、大家族だからって、もう一人暮らしを始めて何年も経つから、一人分を作るのにも慣れているのだけど……。

 彼に栄養をつけて早く元気になってほしくて、彼に美味しいってたくさん食べてほしくて、つい作り過ぎてしまった。そんな自分が嘆かわしい。

 あぁ、まずいな、私……。

 彼に惹かれていく自分に気付きながら、どうすることも出来ない。


「悪いな、トレーニングの後で疲れているっていうのに」

「いえ、私のせいなので……」

「お前のせいじゃない」


 一条さんの腕の傷は相当深く、もし少し場所がずれていたら、大変なことになっていた。なのに、他人の恋愛のもつれに巻き込まれた彼は、一言も文句を言わなかった。


「あまり無理するな。食事は外食で済ませればいいし、家の中のことも適用にやるから」

「いえ、迷惑でなければ、これくらいのことやらせてください」


 そばにいたいので……という言葉はグッと呑み込む。


「じゃぁ、出来る時だけでいいから、よろしくな」


 ニコリと笑った彼の笑顔にキュゥっと心臓を鷲掴みにされて、私は慌てて目を逸らした。


「そ、そういえば、一条さん、どうしてあの時、助けに来てくれたんですか?」

「え……あぁ……」


 高鳴る鼓動を紛らわすために、こないだから疑問に思っていたことを聞いてみた。一度帰った彼が、タイミングよく現れたのはどうしてだろうと思っていたのだ。

 私の問いに、なぜか彼は若干気まずそうに目を逸らした。


「あの時、これからも送ってやるって言ったのに、お前が一人でも大丈夫って断ったりするから、やっぱり、ちゃんと伝えておこうと思って、それで戻ったんだ。そしたら、悲鳴が聞こえたから」

「伝えておこうって、渚君を疑っていたことをですか?」

「いや……そうじゃなくて……」


 彼は悩むようなそぶりを見せて、チラッと私の顔を見ると、「また今度にする」とご飯を食べ始めた。


「えー、気になるじゃないですか」

「いろいろ俺にだってタイミングがあるんだよ」


 何のタイミングなのか、彼はその後、私がしつこく聞いてもその話はしてくれなかった。


「食事終わったら、掃除機かけようと思っているんですけど、寝室に入っても大丈夫ですか?」

「何それ、押し倒してくれっていう、前振り?」

「ち、違います!」

「そう。別に、いいけど」


 もう、一条さんはいちいち、からかってくるから、心臓に悪い。ニヤっと楽しそうに笑った彼が、私の作った唐揚げを頬張るのを見ながら、なんか、同棲しているみたいだななんて、バカみたいなことを思ったりして。


「お味、どうですか?」

「あぁ、うまいよ」


 料理上手な一条さんに、いろいろうるさく指摘されるんじゃないかと思っていたけど、そんなことはなく、彼はパクパクとどれも美味しそうに食べてくれた。なんだか、最近、一条さんが優しい。


「私も唐揚げ食べていいですか?」

「はぁっ? ふざけんなっ。お前はお前の決められたメニューがあるだろ」


 ちぇっ。そこは厳しいままか。

 目の前にある、冷奴とささみの梅肉和えにため息が漏れた。あぁ、がっつりしたものが食べたい。唐揚げが食べたい。トンカツも食べたい。焼肉にも行きたい。


「お前、少し見た目にも成果が出て来たよ」

「え? 本当ですか?!」

「あぁ。顔周りが、すっきりしてきた。これまでよく頑張って来たな」


 はうぅ。なんなの、この絶妙な飴と鞭!


「ようやく、目標の半分まで来たし、あと少しだ。頑張れ」

「はいっ! 頑張ります!」


 私は力強く頷いて、目の前のささみを口に入れた。

 単純だ。単純すぎる私。

 でも、一条さんに褒めてもらったのがすごく嬉しくて。なんだか無性に嬉しくて。よぅし、頑張るぞ! なんて、気合を入れ直してしまったのだ。



 食後、彼の寝室を掃除しに入った私は、きれいに整理されたその部屋に、一条さんA型かななんて、想像していた。

 モノトーンで揃えられたセンスの良い家具。壁一面が本棚になっていて、同じ色と大きさに揃えられた本が整然と並べられている。まるでベッドメイキングされたかの如く整えられている真っ白な布団も然り。

 ちょっとでも動かそうものなら、叱られそうだな。と、私はなるべく何にも触れないように掃除機をかけ始めた。


 そんな彼の部屋に、ひとつだけ似つかわしくないものが飾られていた。デスク上のコルクボードに貼られたプリクラ。

 一条さんに腕を絡めた女性が微笑んでいる。ハートマークと共に、『ゆう&ふみこ』と文字がペイントされていた。


 誰、これ……。

 彼女……かな。


 そう思ったら、ズキンと胸が痛くなった。

 写真の中の一条さんがあまりに優しく微笑んでいたから、私はいたたまれなくなって、その写真から目を逸らした。


 あぁ、私、もしかしたら一条さんは私のことが好きなのかもって、勝手に勘違いしていた。

 チョコレートとキスの甘さに、脳が蕩けていた。

 私を命がけで守ってくれた彼に、彼にとって私は特別なのかもしれないって、いつの間にかそう思っていたんだ。


 バカだな……私。

 思えば、付き合ってもない私に手を出してきた一条さん。どう考えたって、遊ばれているのは明らかなのに……。


「適当でいいよ。週末にでも、掃除ロボ買ってくるから。洗濯もこのマンションは1日おきに、クリーニングの回収サービスがくるから、それに出せばいいし」


 部屋のドアからこちらを覗き込んだ一条さんがそう言った。

 そうだよね。彼女がいるのに、毎日私が押しかけては、逆に迷惑だろう。


「どうかした?」

「あの、じゃぁ、明日から食事は自分の家で作って、ジムに届けますね。あ、もしいらなければ、そう言ってくれてもいいので」

「何、急に……」


 彼が不思議そうに私を見ている。


「自分の家の台所の方が勝手がわかるし、それに、やっぱり男性の部屋にあがりこむのもどうかなって」

「俺に手を出されそうで心配?」


 そんなことを聞いた彼は、

「まぁ、そりゃそっか。前科のある俺が心配するなって言ってもな」

 とつぶやくように言って、リビングに戻っていった。


 違う……そんなんじゃない。

 一条さん、あの写真の女性は誰? 彼女なの?


 喉まで出かかっているのに、声にならない。結局私は何一つ聞けぬまま、モヤモヤとした感情を抱えて、一条さんの部屋を後にした。


◇◆◇


「どうしたの? なんだか浮かない顔して」

「え? そうですか?」


 ジムで顔を合わせた途端、亮ちゃんにそう言われた。

 彼は勘がいい。それとも、私が分かりやす過ぎるのか……。


「ねぇ、亮ちゃん。変なこと聞くけど、一条さんの妹さんのお名前知っている?」

「え? 侑の? 確か、あやちゃんだったと思うけど、どうして?」

「あ……ううん。ただ聞いてみただけ」


 少しだけ、あの写真は妹さんなのかも、なんて淡い期待を抱いていた。

 やっぱり違うか。


「ねぇ、花さ。このところ、トレーニングばっかりだから、ストレスが溜まっているんじゃない? たまには、気晴らししたら?」


 そう言って、彼はウィンクした。


「会員の方から、ミュージカルのチケットをもらったんだ。明日なんだけど、一緒に行かない?」

「え……でも一条さんと毎日ジムにくるって約束しちゃったから……」

「1日くらい休んでもいいんじゃない? 侑には僕から言っておくし」


 多分、私が浮かない顔をしていたから、気を使ってくれているのであろう、亮ちゃんは引かずに私を誘ってきた。


「亮ちゃん。あまり甘やかさないでよ。目標体重になるまでは頑張らないと」

「甘やかすつもりはないけど。そもそも僕は君が痩せる必要なんてないと思っているから。どうして痩せたいの?」

「それは……私、自分に自信なくて。痩せたら、少しは自信持てるかなって」


 言った途端、亮ちゃんにため息をつかれてしまった。

 あ……。バカだと思われたかな。

 なんだか恥ずかしくなって、私はうつむいた。


「花、君は今のままで十分素敵なのに。痩せる前に、君はもっと自分のことを知るべきだと思う」


 思いがけない言葉をもらって、私は驚いて彼を見上げた。


 亮ちゃん……。


「僕はこの数ヶ月ずっと君を見て来たけど、君はとても素敵な女性だと思うよ。誰に対しても優しくて、世話を焼いてしまうところなんか、子供の頃と全く変わっていないなって思った。小泉君が言っていたよ。彼女にいろいろしてくれたんだってね」

「あ、いえ、全然。余計なことして、空回りしただけで……」


 突然褒められたものだから、私は動揺してなんだか逃げ出したくなった。


「それに、花は驚くほどに強い。酷いことをした元彼を君は許しただろ? 正直、驚いたよ。僕としては殴り飛ばしてやりたかったけれど」


 苦笑いした彼は、私のことを見つめて、真面目な顔をした。


「君の優しさも強さも、僕には眩しいくらいだ。君はそれに気付いている? 花は今のままだってすごく素敵な女性なんだよ。だから、もっと自信を持っていいと思う」


 もう、亮ちゃんったら。褒め殺しか!

 慣れない状況に、私は顔が熱くなった。


「ありがとう……亮ちゃんは、本当に女性を喜ばせるコツを心得ているね」

「だから、言っているだろ。僕は花限定だって」


 微笑む癒しの王子。免疫のない私はどう反応したらよいか分からない。

 あぁ、亮ちゃん、鼻血でそうだよ。


「……ありがとう、亮ちゃん。すごく嬉しいし、たくさんの自信をもらった。でも、一度決めたことだから、目標達成するまでは、頑張ろうかなって」


 今の気持ちを正直に伝えると、「そっか」とつぶやいた彼は、頷いてニコリと笑った。


「君がそう言うなら、応援するよ」


 あぁ、一条さんが飴と鞭の両刀使いなら、亮ちゃんは飴マスターだな。

 ふと、そんなことが頭に浮かんだ。

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